第7話 世良田二郎三郎、法主に会う
「本多正信……って三河の本多正信か!?」
突然降ってわいた聞き覚えのある名前に、二郎三郎が素っ頓狂な声を上げた。
「なんじゃ、儂の他に本多正信がおってたまるか」
「俺だよ! 竹千代だよ!」
二郎三郎が本多正信に向けて自分の顔を指さす。
「んん???」
本多正信が二郎三郎の顔を覗き込む。
初めて会ったはずなのだが、どこか懐かしい。昔の主を思いださせる顔立ちに、本多正信の脳裏に遠く三河の記憶が蘇る。
「ああっ! もしや、徳川様の嫡男の竹千代様……!?」
「そうだよ! その竹千代だよ! 懐かしいなぁ、何年ぶりかな……」
二人が盛り上がっていると、永井直勝がおずおずと口を挟んだ。
「あの……お二人は知り合い、なのですか?」
「俺も詳しくは覚えてないんだが、たしか三河一向一揆で……」
「三河一向一揆の折、儂は一向宗として戦ったのじゃ。殿と……徳川様と袂を分かってな……」
「そんなことが……」
三河一向一揆のことは永井直勝も聞いたことがあった。
当時、今川から独立して間もなかった徳川家であったが、
「あの後、戦いに敗れた儂は殿に帰参もできず、かといって自害する胆力もなく、流れるがまま一向宗の総本山に身を寄せておるわけじゃ」
「…………」
悲痛な面持ちの本多正信と、眉間にしわを寄せる二郎三郎。
黙って話を聞いていた永井直勝口を挟んだ。
「しかし、三河一向一揆からもう16年も経ちました。さすがに大殿も許してくれているのでは……?」
「親父じゃねぇ」
「え?」
「儂は許せんのじゃ。教えのためとはいえ、己の主君に……無二の友に刃を向けてしまった己自身が……」
「本多殿……」
ここにきて、ようやく永井直勝も理解した。
この男は、16年が経った今でも主君に刃を向けたことを悔いてるのだ。
「……そういえば、なぜ竹千代様がここにおる。しかも、世良田二郎三郎と名を改めて……」
「話せば長くなるんだが……」
二郎三郎がこれまでの経緯を説明した。
織田との同盟の証に信長の娘、徳姫と婚姻したこと。徳姫と二郎三郎の母である瀬名の仲が険悪になったこと。徳姫が信長に
話を聞き終わると、本多正信の目に涙が溜まっていた。
「お、おい……」
「無念じゃ……儂がおれば、みすみすそのような目に遭わせなかったものを……」
「おいおい、俺が気にしてないのに、あんたが泣いてどうする。そもそも本多殿のせいじゃねぇし、本多殿がいたところで防げてたかわからねぇ。……それに、岡崎を出たおかげで、あんたに会うことができたんだしな」
「二郎三郎殿……!」
涙を拭うと、本多正信が二郎三郎に向き直った。
「……商人になったのだったな、二郎三郎殿は」
本多正信の問いに二郎三郎が頷く。
「では、儂が法主様に取り次ごう」
「なっ……!」
「……っ!」
思ってもみない申し出に、二郎三郎と永井直勝が驚愕した。
「いいのかよ。俺とあんたが会ったことがあるっていっても、16年も前の話なんだぜ? そんだけ会ってなきゃ、もう……」
二郎三郎が言いかけたところで、慌てて口をつぐんだ。
この男は、徳川家康のことを無二の友と呼んでいた。三河一向一揆から16年が経った今でも……
16年も前のこと、などと言ってしまえば、本多正信が16年間変わらず抱いた家康への友情を否定することになってしまう。
かつて裏切ってしまった主君に対する忠義を果たすため。友への贖罪のため。
二郎三郎に手を貸そうとしてくれているのだろう。
(……ここで背中を見せたら男じゃないな)
覚悟を固めると、二郎三郎が正面から本多正信を見据えた。
「通してくれ。……本願寺顕如のところに」
◇
本多正信の手引きで石山御坊の御殿に通されると、謁見の間に通された。
しばらくすると、紫衣を纏った高僧が部屋にやってきた。
二郎三郎と永井直勝が頭を下げる。
「……お主か? 弥八郎の客というのは……」
「それがし、世良田二郎三郎にございます」
「二郎三郎殿は儂とは旧知の間柄ゆえ、ご安心を」
「ふむ……」
まじまじと二郎三郎と永井直勝を眺め、本願寺顕如が口を開いた。
「おもてを上げよ」
二郎三郎と永井直勝が顔を上げる。
「よう参ったな。あの織田の包囲を潜り抜けてくるとは、大したものよ」
「お褒めに預かり恐悦至極にございます」
口ぶりでは二郎三郎を褒めているものの、決して本心は見せず、こちらの出方を覗っているのがわかる。
食えない男だ、と思った。
「……して、お主らは商いをしに来たのだったな」
「はっ」
「何を持って参ったのかの?」
「米を50俵ほど……いや、1俵配ってしまったので、49俵ですな」
「……配った!? 配ったと言ったのか!?」
「はっ」
突如、本願寺顕如が大笑いしだした。二郎三郎と永井直勝、本多正信が呆気にとられていると、しばらくして笑いが収まってきたのか本願寺顕如が尋ねた。
「プクク……おい弥八郎、配ったというのは本当か」
「はっ」
「クハハハハ! 我らの弱みに付け込み、わざわざ危険を冒して持ってきた米を配ったというのか!? ハハハハ!」
「法主様、落ち着いてくだされ」
「これが落ち着いていられるか! 見たことないぞ、そんな商人!」
再び笑い出す本願寺顕如に、二郎三郎がずいっと前のめりになった。
「ここにおります、そんな商人」
「ブハハハハ!」
再び笑い出す本願寺顕如。
しばらくして、ようやく本願寺顕如が落ち着きを取り戻すと、姿勢を正して向き直った。
当初の緊張した空気が弛緩していくのがわかる。
「いやはや、こんなに笑ったのは久方ぶりだ……。やるな、お主ら。ただ者ではないと見た」
「商人ですから、タダ者ではございません」
「クハハハハ!」
「法主様!」
本多正信に止められ本願寺顕如が笑いを押し殺す。
本願寺顕如に話をさせては埒が明かないと思ったのか、本多正信が話を進めた。
「二郎三郎殿は、持ってきた米を売り捌きに来たのであろう?」
「いかにも」
「どうでしょう、法主様。兵糧はいくらあっても困りませぬ。……ここは一つ、買ってみては……」
本多正信に尋ねられ、本願寺顕如が頷いた。
「あ? ああ、米ね。買うよ、全部。ここまで持ってくるのに苦労したことも鑑み、そうだな……200貫でどうだ」
「おお……」
思ってもみない金額に、永井直勝が思わず感嘆の声を漏らした。
元本が50貫とはいえ、単純計算で150貫もの儲け。
ここ数日の手間暇と船の手配にかかった金を差し引いても、かなりの利益である。
これだけ利益が取れれば、最初の商いとしては大成功である。
(殿、やりましたな)
永井直勝が小声で声をかけようとすると、二郎三郎が口を開いた。
「もう一声上がりませぬか。……それがしの人柄に免じて」
「ブハハハハ! 自分で言うか、人柄を! ……いいだろう、お主のツラの皮の厚さに免じて、250貫で買おう」
「!?」
上がったのか。この一瞬で。米の値段を。
ここに至り、永井直勝はようやく理解した。
タダで米を配り、結果的に本願寺顕如の心を掴み、いともたやすく値段を釣り上げてみせた。
これもすべて、二郎三郎の人徳のなせる技なのだろう。
(なんという人たらしだ……)
いつか何かやる人だとは思っていたが、自分の見立ては間違っていなかった。
そう確信する永井直勝なのだった。
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