第6話 世良田二郎三郎、本願寺に行く

「俺たちは本願寺に米を売る。……毛利水軍が織田水軍に負けたおかげで、連中は米を得る術を失ってるんだ。……連中、喉から手が出るほど米が欲しいはずだぜ」


 二郎三郎の言を否定しようとして、永井直勝が呑み込む。


 言ってることは荒唐無稽ではあるが、利には適っている。


 たしかに、一向宗の総本山である本願寺であれば、信者からの寄付により膨大な銭が蓄えられており、彼らを相手に商売できるなら手堅く利益が取れるだろう。


 しかし、それには大きな問題があった。


「されど、本願寺の構える石山御坊といえば、佐久間信盛の軍が徹底的に包囲しております。ここを突破して、なおかつ御坊まで米を届けるとなれば、容易ではありませんぞ。最悪、命を落とすことも……」


「いいねぇ。大好きだぜ、そういうの」


 子供のように目を輝かせる二郎三郎を見て、永井直勝は心底後悔した。


 そうだった。こういう男だった、世良田二郎三郎とは。


 行く手が険しく困難であるほどやる気がみなぎる。そういう性分なのだ。


「それに、忘れちゃいないか? 俺たちがこの前までどこにいたのか」


「あっ……」







「本願寺に米を届けたい?」


 伊賀から石川五右衛門を呼び寄せると、二郎三郎は今回の計画を話した。


「バカ言っちゃいけねェぜ。あそこは佐久間信盛が鉄壁の包囲を敷いてるんだ。ネズミ一匹入れやしねェ」


 案の定、計画を聞いた石川五右衛門が難色を示した。


 佐久間信盛が包囲する石山御坊に侵入しようなどと、自殺行為だ。佐久間信盛は絶対に侵入を許さないだろうし、そもそも簡単に包囲を突破できるなら、本願寺が米不足で困るわけがない。


「だからお前に頼んでいるんだろ。……伊賀流忍者の上忍であるあんたなら、これくらわけねぇ」


「お前なァ……」


 石川五右衛門が呆れた様子でため息をついた。


 懐から財布を取りだすと、二郎三郎はそのまま永井直勝に渡した。


「よし、直勝は有り金叩いてありったけ米買ってこい。俺と石川殿は石山御坊に侵入する方法を探す」


「待て待て! 勝手にオレを頭数に入れるんじゃねェ!」


 当たり前のように片棒を担がされそうになり、慌てて石川五右衛門が拒絶する。


「そもそも、今回の話だってやるとは一言も言ってねェだろ!」


 石川五右衛門に断られるとは思っていなかったのか、二郎三郎がキョトンとした。


「そうか……いや悪いな。お前ならこれくらい朝飯前だと思ったんだが……。いや、無理ならいいんだ。石山御坊に侵入する方法は俺が考えるから、直勝は米を買ってきてくれ」


「はっ」


 再び二郎三郎に命じれられ、永井直勝が部屋を出る。


「ちょっ……待て待て待て! いつオレができないと言った!」


「? できないから断ろうとしてるんだろ?」


「あァ!? んなこと誰も言ってねェだろうが!」


「じゃあできるんだな」


「あったり前ェよ! この石川五右衛門様を甘く見てもらっちゃあ困るぜ!」


「よし、じゃあ石山御坊の方は任せたぞ」


「……あっ」


 ここにきて、ようやく二郎三郎の口車に乗せられていることに気づくと、石川五右衛門が固まった。


 よりにもよって、二郎三郎にいいように使われるとは思わなかった。


 伊賀では二郎三郎に負けないように自分も何か大きなことをやるのだと決意したばかりだというのに、その二郎三郎の下で働かされることになるとは思いもしなかった。


 自分が情けない。それと同時に、僅かに誇らしさが湧いてくるのだからタチが悪い。


 多くの忍びを抱える伊賀にあって、二郎三郎が真っ先に頼ったのが石川五右衛門だったのだ。


 すなわち、それは二郎三郎が伊賀で最も頼りになる忍びが石川五右衛門だと思っているからに他ならず、どんな難しい計画であろうと石川五右衛門ならばできると思ったからこそ、声をかけたのだろう。


 その事実に、石川五右衛門の胸が熱くなるのを感じた。


(バカ野郎……!)


 あくまで、上忍・石川五右衛門の力を試すため。石川五右衛門がどれほどの男なのか試すための試験なのだ。


 その試験をたまたま二郎三郎が持ってきただけなのであって、決して二郎三郎のためにやるわけではないのだ。


 そう自分に言い訳すると、石川五右衛門は石山御坊に侵入するべく計画を練るのだった。







 石川五右衛門の計画はこうだ。


 まず、人目につかない夜間の間に船を出し石山御坊に接近。川を上り堀まで入ると、そのまま城壁を上り侵入するというものだった。


 さっそく、船を手配すると、夜の間に堺から船を漕ぎ出し、僅かな明かりを頼りに石山御坊への侵入を試みた。


「まさか本当に侵入できるとは……」


 堀の上に船を浮かべ、永井直勝が呆然とつぶやく。


「今日が満月で助かった。文字通り、天が俺たちに味方してたな」


「バカ野郎。全部計算してたに決まってんだろ!」


 石川五右衛門が小声で怒鳴る。


 持ってきた米は20石ほどで、米俵に換算すると50俵分。1俵で成人男性一人分程度の重さがあるため、運ぶだけで重労働である。


 とりあえず1俵だけ船から運び出すと、石川五右衛門を船に残し、二郎三郎と永井直勝が城壁の中に上陸した。


「なんとか上陸できましたが、もう朝になってしまいましたな……」


「むしろ好都合だろ。寝てるところを叩き起こして商談するわけにもいかないからな」


 米俵を抱え、城内の中心部に向け二人が歩みを進める。


 ふと見ると、城内の至るところで瘦せ衰えた民が力なく横たわり、兵糧攻めの深刻さを物語っていた。


「やはり、本願寺は兵糧攻めが大分堪えていたのですなぁ……。されど、これも戦……。米を商うのなら今が好機……って、殿?」


 二郎三郎が永井直勝から米俵を奪うと、食事を用意している兵に米俵を差し出した。


「こいつで腹いっぱい食べさせてやれ」


「い……いいんですかい……!?」


「ああ。俺が許す」


 二郎三郎がそう言うと、兵士が神でも見るような目で二郎三郎に頭を下げた。


「殿! なぜ米を配ってしまわれるんですか! 我らは商いをしにここへ来たんでしょう!?」


「それはそうなんだが……」


 二郎三郎の視線の先。そこでは、瘦せ衰えた門徒たちが二郎三郎の配った米を美味そうに食べる姿があった。


「あれだけ腹を空かせた連中がいるってのに、見て見ぬふりしてたら罰が当たるだろ」


「それは……そうかもしれませぬが……」


 なおも納得のいかない様子の永井直勝。


 そこに、食事を食べ終えたと思しき兵が近づいてきた。


「あの……見ない顔ですが、あなたが米を持ってきてくださったのですか?」


「ああ」


「ありがとうございます! ありがとうございます! 実はここ最近、薄い粥しか食べてなくて……おかげで生き返った気分です」


「そいつは良かった。……腹が減っては何とやら、だからな」


「はい!」


 兵が嬉しそうに笑顔を向ける。


 すると、騒ぎを聞きつけてきたのか、二郎三郎の周りに人だかりができた。


「おれからも礼を言わせてくれ! あんたのおかげで助かったよ!」


「こんなにうまい飯を食ったのは久しぶりだぜ!」


「いいってことさ。大した事はしちゃいねぇよ」


 二郎三郎と永井直勝が人ごみをかき分けて進もうとすると、身分の高そうな男がやってきた。


「なんじゃ、騒々しい……。いったい何の騒ぎじゃ」


 二郎三郎の周りに集まる人だかりをかき分けると、やがて二郎三郎の姿を認め、


「お前……見ない顔だな……何者じゃ」


「俺は世良田二郎三郎。……堺で商人をやってるもんさ」


「商人?」


 身分の高そうな男がまじまじと二郎三郎の身なりを見つめる。


「……どう見ても武士ではないか」


「いろいろと事情があるのさ」


 詳しい事情を語るわけにもいかず、二郎三郎が濁す。


「怪しいやつ……さては、織田方の間者か……!?」


「お待ちください!」


 身分の高そうな男が刀を抜こうとしたところで、先ほどの兵が割って入った。


「この方を我らのために米を配ってくださったのです。決して怪しい者ではありません」


「なに……!?」


 男が半信半疑といった様子で二郎三郎を見つめる。


「米を売りに来たんだが、あまりに瘦せ細ってたもんで、見てられなくてな。……つい売り物の米を配っちまった」


「…………お主、本当に商人か?」


 二郎三郎が力強く頷く。


 普通の商人ならば、商品が高く売れようという時に売り物を配るわけがない。だというのに、世良田二郎三郎と名乗る男は自分が損を被ることも厭わず、あっさりと米を配ってしまった。


 この男、いったい何を考えているというのか……


「……ひとまず、お主らが商人というのは信じよう」


 身分の高そうな男が懐に手を伸ばすと、財布から銭を取り出した。


「この場は儂が立て替えよう。……米を配ったことは本当なようだしな」


「おおっ! 助かるぜ」


 二郎三郎が銭を受け取ると、ふと思い出したように顔を上げた。


「……そういや、あんたの名前を聞いてなかった」


「儂か……儂は本多正信と申す。身分というほどのものでもないが、法主様に献策する立場におる者じゃ」




__________________________


あとがき


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