第2話 世良田二郎三郎、伊賀に入る

 天正6年(1578年)、織田信長の次男、織田信雄は伊賀の領国化を目論み、伊賀国内に巨大な城を築こうとしていた。


 これに対し危機感を覚えた伊賀の豪族は反織田で結束すると、城の完成を待たずに攻撃を行ない、信雄軍を伊賀から撤退させることに成功する。


 それに怒った織田信雄は、翌年の天正7年(1579年)9月16日、8000もの兵を揃えると伊賀に対し侵攻を開始した。


 かくして、第一次天正伊賀の乱が幕を開けるのだった。






 服部半蔵の手引きで伊賀に入ることに成功すると、二郎三郎一行は伊賀の有力者である百地三太夫の館に向かっていた。


 百地三太夫の元に通されると、まずは服部半蔵が口を開いた。


「拙者、服部保長が子、服部半蔵と申します」


「おお、保長の……」


 百地三太夫がまじまじと服部半蔵の顔を見る。


「……して、これから戦が始まろうという時にいかな用向きじゃ」


「伊賀が存亡の危機に陥っていると聞き、居てもたってもいられず馳せ参じた次第にございます。……つきましては、こちらをお納めいたします」


 服部半蔵が差し出した手土産を手に取り、百地三太夫が目を輝かせた。


「これは……!」


 服部半蔵が持ってきた織田軍の旗。これがあれば、織田軍に対し容易に同士討ちを誘うことができる。限られた兵力で織田の大軍を迎え撃つには有効な策だ。


 また、織田軍の手の者が同士討ちを誘う品を差し出すはずがないため、これだけで服部半蔵が味方なのだと確信するには十分な材料であると言える。


 受け取った旗を控えていた小姓に渡すと、百地三太夫の視線が二郎三郎や永井直勝に向けられた。


「して、そなたらは……」


「それがし、世良田二郎三郎と申します」


「永井直勝にございます」


「我ら訳あって、伊賀に加勢するべく参りました」


「……訳、とな?」


「…………」


 百地三太夫の問いに二郎三郎が沈黙で答える。


 これから命を賭けて戦に挑もうという時に、隠し立てをするような者を仲間に引き込むことはできない。


 百地三太夫は服部半蔵に向き直ると、申し訳なさそうに言った。


「……半蔵殿、悪いが……」


「お待ちください! この方は……」


「いいんだ、半蔵」


 弁明しようとする服部半蔵を制し、二郎三郎が続ける。


「それがしに不信を抱くお気持ち、ようわかり申す。……絶対に負けられぬ戦ゆえ、どこぞの馬の骨とも知れぬ者を味方に引き込むことができぬことも。……ですので、こうお考えください。どんな不利な戦場いくさばに放り込んでも痛くない者が手に入った、と……!」


「なっ……」


「ほう……」


 思いもよらぬ申し出に驚く永井直勝をよそに、百地三太夫が口元を緩ませた。


「フフフ……面白いことを申す……。これだけの大戦おおいくさを前に大言たいげんを吐くとは……。ただのうつけか、あるいは大言に見合う武を持ち合わせておるのか……」


「お戯れを。それがし、ただのうつけにございます」


 値踏みする百地三太夫に飄々と笑みを返す二郎三郎であったが、不意に二郎三郎の眼光が鋭く光った。


「……されど、うつけと呼ばれた信長も、桶狭間の地にて東海一の弓取りを――今川義元公を討ち取り申した」


「……己を信長と同じ才を持つ者、とでも申すつもりか?」


「滅相もない。……されど、大軍に攻められた折には、うつけでも置いた方がゲン担ぎになりましょう?」


 二郎三郎の返答に百地三太夫が目を見開いた。


 織田軍に攻められようとしているというのに、あろうことか信長のマネをしてゲンを担ごうというのか、この男は。


 なんたる傲岸不遜。なんとツラの皮の厚いことか。


「……気に入った。望み通り、お主には一番危険な任を任せよう」


「百地様!」


 抗議しようとする服部半蔵を制し、百地三太夫が続ける。


「ただのうつけとして死ぬか、信長のように土壇場で才を現すか……。期待しておるぞ、世良田二郎三郎……!」







 今回攻め寄せる織田信雄は伊勢を治める大名。それゆえ、攻め口も伊勢から軍を進められる阿波口、鬼瘤峠おにこぶとうげ、伊勢路口に絞られた。


 中でも、最も大軍を動かすのに適した伊勢路口からは織田軍の主力が攻め寄せることが予想された。


 そんな伊勢路口からの織田軍を迎え撃つ軍に編入されると、二郎三郎がニヤニヤと笑みを浮かべた。


「うまくいったな」


「いやいや、全然うまくいってないでしょう! どうして伊賀で匿ってもらおうという話だったのに、織田軍と戦うことになっているのですか!」


「永井殿」


 猛抗議する永井直勝に、服部半蔵が小声で耳打ちする。


「二郎三郎様のことだ。きっと、何かお考えがあるのではないか?」


「考え……?」


 服部半蔵が頷く。


「剛毅な方に見えて、本当は誰よりも頭の回るお方じゃ……。……おそらく、我らには見えていない、何か別のものが見えているのではないか?」


「……!」


 服部半蔵の言葉には思い当たるものがあった。


 先日の伊勢では、一瞬で織田軍の旗を手土産にすることを思いつき、服部半蔵の本心を見抜いて見せた。そして、今回は不信感を抱いていた百地三太夫を言葉巧みに言い包めてしまった。


 その二郎三郎が、何の考えもなく一番危険な場所に来るとは考えられない。


 きっと、何か考えあってのことなのだろう。


「空気がヒリついてきやがった。……この殺気、いいねぇ……。これだから戦はやめられねぇ……!」


「……………………殿、まさか……最も不利な戦場を申し出たのは……」


「その方が、絶対面白いだろ」


 オモチャを前にした子供のように目を輝かせる二郎三郎。


 頭を抱える服部半蔵の隣で、永井直勝は叫ばずにはいられなかった。


「バカ殿ぉ!!!!!!」

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