伊賀編

第1話 世良田二郎三郎、伊勢に上陸する

 家康との別れを済ませた世良田二郎三郎一行は。服部半蔵の手引きにより浜松を離れ、伊勢を経由して伊賀へ入ろうとしていた。


 元々、伊賀は徳川家とは縁も薄く、信長の支配の及んでいない地。そのため、二郎三郎が身を潜ませるにはうってつけの地だった。


 また、家康の配下、服部半蔵が伊賀の勢力に対しコネを持っていたということもあり、半蔵のつてを頼れば伊賀の在地勢力に対し二郎三郎を匿ってもらえるよう交渉ができると考えていた。


 しかし、伊勢に上陸すると、二郎三郎を取り巻く状況が一変した。


「織田軍……!? それもあんなに……」


 伊勢の町には数千に及ぶ織田軍が陣を構えていた。今にも戦が起きそうな物々しさに、一同が息を呑む。


「まさか、殿が落ち延びたことが信長に知れたのか……!?」


「いや……」


 二郎三郎の視線の先。そこでは、織田軍が山林に向け兵を進めようとしているところだった。


 どうやら織田軍の目標は二郎三郎ではなく、山の方にあるらしい。


 ひとまず安心した永井直勝がほっと息をつくも、すぐに服部半蔵が声を挙げた。


「奴ら……伊賀へ兵を進めております!」


「それでは、我らが伊賀へ向かっては……」


「織田軍と鉢合わせ……いや、下手をすれば、織田と伊賀の戦に巻き込まれてしまいましょう!」


 二郎三郎一行に暗雲がのしかかる。


 ただでさえ田舎の弱小大名である徳川家では、二郎三郎ほどの人物を匿ってもらえる場所は限られる。そんな中、家臣のつてを頼り微かな希望を見出したのが伊賀の地であった。それなのに、徳川領を出て早々行き場を失うことになるとは、思いもしなかった。


 永井直勝と服部半蔵に悲壮感が漂う中、二郎三郎があっけらかんとした様子で言った。


「半蔵、織田軍に先んじて伊賀に入ることはできるか?」


「え? ……ええ、近道を知っておりますゆえ、半日もあれば伊賀へ入れます」


「殿……まさかとは思いますが、この状況で伊賀へ入ろうとしておられるのですか!?」


「ああ」


 何てことのないように話す二郎三郎に、永井直勝が声を張り上げた。


「見たでしょう、先ほどの織田軍を! あれだけの兵に攻められては、伊賀はひとたまりもない! 負けるのは目に見えておりましょう!」


 僅かにムッとする服部半蔵をよそに、二郎三郎が言った。


「だから行くんだろ。……もし平時に入れば、俺は故郷を追われた罪人か、他国の間者にでも思われるのがオチだ。……だが今伊賀に入れば、強大な織田軍を相手に共に命を賭けて戦った盟友になれる。どこの馬の骨かもわからぬ他国者から、一気に伊賀者の信を得られるんだ。……こんな好機、逃す手はないだろ」


「しかし……」


 永井直勝がなおも口ごもる。


 二郎三郎の言ってることは、一応は筋が通っているように思える。思えるのだが、それにしては危険が大きすぎる。


 会ったことのない伊賀の者から信用を得るためだけに命を張るなど、これでは博打が過ぎるではないか。


「殿、やはりここは……」


「どうせ伊賀へ入るんなら、手土産の一つでも持っていきたいな」


「手土産、にございますか?」


 服部半蔵が尋ねる。


 と、織田軍を見ていた二郎三郎がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「……いいこと思いついた。半蔵、織田軍の旗を盗んで来れるか?」


 二郎三郎の真意を悟った服部半蔵がハッとした。


「……! 難しいですが、できなくはないかと」


「決まりだな。すぐに盗ってきてくれ」


「はっ!」


 服部半蔵が足早に織田軍の陣へと消えていく。


 半蔵の背中を見送ると、永井直勝が抗議の声を挙げようとした。


「殿、やはり……」


「まったく……半蔵のやつ、真面目だよなぁ。俺の御守おもりなんかしてる場合じゃないってのに、律儀に親父からの命を守ってさ。……本当は誰よりも伊賀の危機に駆け付けたいってのに、それを押し殺してやがる。……真面目で、不器用な男だよ」


「……!」


 ここにきて、永井直勝はようやく二郎三郎の真意に気がついた。


 二郎三郎が伊賀に加勢しようとしているのは、伊賀者の信を得るためだけではない。


 『二郎三郎の護送』という任に縛られて身動きの取れない服部半蔵に、伊賀に加勢する口実を与えるために、二郎三郎はわざと危険の中に身を投じようというのだ。


「殿……! あなたという人は……!」


 自分の命が危ういというのに、迷わず家臣の想いを酌み危険の中に身を投じる。


 そんな二郎三郎の漢気に、永井直勝は感極まっていた。


 二郎三郎が生きていると知れてはいけない以上、この先、幾度となく危険な目に遭うかもしれない。それでも、自分は死ぬまでこの世良田二郎三郎という男に仕えよう。


 そう決心するのだった。

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