懐獣は墜つ

@arigaK10

1.懐奇現象

夜も深く、音のない世界の中で一つ、缶スプレーを振るカラカラという音が響く。

ある1人の少女はグラフティアートを満足のいくまで描いていた。

その世界は彼女1人だけだった。

「そろそろ移動すっかなー。」

と呟き、彼女は横のフェンスを登り、建物の窓枠に足をかけ、真上の高速道路の入口付近に出た。すると、辺り一面が眩く色つき始める。夜が明けたらしい。彼女は目を細めながら、その幻想的にも見える景色に見蕩れていた。辺りの建物は半壊し、そこら中に散らばった硝子やコンクリートが産まれたばかりの朝日に照らされている。そんな世界の終わりのような景色に感嘆し、気分転換に舌を軽やかに鳴らす。彼女の頭の中に、耳を通して周囲50mの景色が流れ込んでくる。すると、そこにはあるはずのな直方体がまぁまぁな速度で近づいてくる。車だ。もう目視でも確認できるくらいに近づき、衝突間近のとこまで迫っている。

「やばっ!!」

とっさに身を隠そうにも、ここは高速道路の上。周りには何も無い。とっさにフードを深く被り、道路の脇に避けた。

間一髪避けられ、安堵の息を漏らし、その車のナンバーを見ようとしたが、見えなかった。彼女は生まれつき極度の弱視でほとんど見えないのだ。かわりに耳がコウモリ並に良いので音の反響で物体を理解する“反響定位”となるもの、すなわち“エコーによる周囲の把握”ができるようになった。

一旦息を整え、もう一度その景色を見渡した。しかしそれもまた、欠伸に遮られてしまう。

「そろそろ帰るかなぁ」

と、独り言を呟きながら足を家路に向けた。


2139年 9月1日 日本

日本政府、いや、旧日本政府は第198代目首相『新島 綺瀬斗(にいじま きせと)』による度重なる不況や政治的失敗、自然災害を原因とし、再建不可能と判断された。しかし、この現状を打開すべく、第199代目首相『八木畑 兎羽司(やきはた とうじ)』による、『ゼロから日本を再建する“新日本再建設及び構築計画”』が計画された。聞こえはいいものだが全くそんなことは無い。むしろ人道に大きく反するもので、内容は「東京とその周辺の人口及び社会環境を抹消し、また1から建て直す」というもの。これにより、東京とその周辺は“政府厳重監視下区域”通称『AuGs(オーガス)』となり、一般人の立ち入りは禁止された。これにはもちろん国民の反感を買い、全国各地でデモ活動が起きた。しかし、新日本政府はこれを

「今の新日本において、全て邪である。」

と判断、公表し、新日本政府によるデモ活動の排除、すなわち国民の追放及び大量虐殺が行われ、47都道府県全てに新政府基地が建設され、数少ない国民の監視、治安維持を行っている。これにより、国民の人口の約8割が海外への渡航や減少し、今現在も減少傾向にある。


2145年5月17日6時21分 新日本

その時、彼女は家路の途中だった。とはいえ、家路と行っても道では無いが。彼女は目にも止まらぬ速さで閑散とした家々の屋根を飛び走る。今の日本に人はいない。ここはAuGsから7kmとぼ離れた所にある “元”集合住宅地、いわゆるマンション。彼女はここの3階の一室に住んでいる。

いつ崩れてもおかしくない、というか、この建物の4割近くは崩壊し、瓦礫の山になっているが、この一室付近だけは割と綺麗に残っている。水道電気などのインフラはAuGs付近のため残っているので、風呂や洗濯はできるし、お金もかからない。彼女は隣の背の低い一軒家の屋根からマンションのベランダへ降り、遮光用のトタンをどかし、ベランダに靴を脱いで、窓を開けた。

「たーだいまー…全く、誰もいないっての。」

そう思っていたが、キッチンの方から物音がする。しかも今発した声で人影が1つあるのが分かった。影は女性っぽいが、分からない。政府の人間かもしれないが、そうでないことを願い、ゆっくりと近づく。そして死角から飛び出しその人影に金属出できた切れないナイフを向けて

「動くな!!」

と一喝すると、そこには薄汚れた白衣を纏った可憐な女性がキッチンの戸棚を漁っていた。その女は一瞬鋭い眼光で睨みつけ、顔を少し緩めていた。

「あんた、誰だよ!」

「ねぇ、食べ物ない?」

「質問に答えろ、話はそっからだ。」

「食べ物をくれない?話すことは話すからさ。」

このままでは埒が明かないので警戒しながらカバンの中に入っていた補給食を1箱あげた。

「くれるんだ、やはひー。んまいえほれ。(やさしー、うまいねこれ。)」

「んなこたどーでもいい、質問に…」

「喉もかわいたわ、なんかない?」

間髪入れずに好き勝手やってくれる。こいつはほんとに誰なんだ。しかし、埒が明かないのでカバンから飲みかけ水を取り出し、投げ渡した。

「なんでもあるねーそのバッグ。…んはー!生き返ったよ、ありがとう。」

「そんで、あんた何者だよ。」

「ごめんね、遅くなってー。私はクレイだ。一応さっきまで政府の人間だった。」

やっぱり政府か、と思い身を構えたが、クレイは両手をあげ、戦闘する意思はない。

「だったって、どういうことだ。」

「そのまんまさ、逃げてきたんだよ。」

「逃げてきた?」

どうやらここから6km先の新政府基地の研究員で、監視員の目を盗んで逃げてきたらしい。

「なんで逃げてきたんだ?」

「そりゃ、なんていうか、もうこの国って終わってるじゃん?だから政府とかにいても意味無いかもって思ったら勝手に身体が動いていたよ。」

「でも、良く逃げれたな。背も高いし、何より髪も肌も白い。」

クレイの身長は彼女より少し高いくらい。たぶんすぐに見つかるはず。

「それを答える前に、私からも質問していいかな?」

たしかにこちらから一方的に聞きすぎた。

「なんだ?」

「名前はなんて言うの?」

彼女はその質問に少しぎょっとした。そして少し考えて、

「えーっと、こはく、、きょうこ。そう九白京子だよ。」

「なぜ今、考えたんだい?」

「えーっとほら、こんなとこだから人に会うことなんてないからさ。」

「…なるほどね。」

クレイは少し俯き、何か考えている、いや、何かを思い出している。

「まぁいいか、そこでもう1つ質問いい?」

「何?」

「ここに住まわして貰えないかい?」

「は?」

あまりにも予想外な質問に思考が止まる一緒に住むなんて、今までしたことない。あったとしても、記憶になんかない。

「なんで、いま会ったばっかのあんたと住むわけ?」

「まーそーだよね。だけどさ、外もあんな状態だし、私さっきまで政府側の人間だったし。だからお願い!このとおり!」

クレイは顔の前に手を合わせてこちらの答えを待っている。

あまりにも図々しいが、悪い人では無さそうだし、自分以外の人と話したのはほぼ初めてだから少し、ほんの少しだけ嬉しかった。

「まぁ、いいよ。」

「ほんとに!?」

「でも、あたしが言うことは守ってよ?」

「そりゃもちのろんだよ!何すればいい?」

と意気揚々に盛り上がるクレイに

「じゃあまずその汚ったない服を洗って、ついでに風呂も入って。」

と、クレイを指をさしながら言った。ちょっと驚いていたが、すぐ納得し風呂場に行った。どうやら家に入った時に探索したから場所が分かるらしい。そういえばクレイは不法侵入者だった。しかし、いまのこの国には法律はない。あったとしてもないようなもの。

京子もそれと同時にリビングのソファに倒れ、沈んだ。顔を横にして、壁掛けの時計を見ると、時刻は午前6時22分。さすがに寝ることにした。目を閉じ、息を整える。

「ねー?京子ちゃん、だっけ?」

それは一瞬にして無に帰った。とんだ厄介者が来たと言わんばかりのしかめっ面で京子はお風呂場に出向き、半ギレで言う。

「今度は何?」

「シャンプーとリンスってどっち?うわっ、舌打ちしないでよー酷いなー。」

無意識に出ていたようだ。指でシャンプーを指さし、「あっこっちがリンスね。」と抜かすクレイに限界が来そうだったが、なんとか耐えた。

リビングに戻り、少しだけ埃っぽいソファに横たわる。「調子狂うぅ。」とうなされて、呼吸は次第に一定のリズムに落ち着いた。


5月17日 14時12分

突然睡魔がいなくなり、ぱっと目が覚めた。その勢いのまま、体を起こし、足を床につけようとすると、足の裏に柔らかい感触があった。視線を床に向けると、そこにはクレイが仰向けでぐっすり寝ている。政府から逃げてきたのだから、疲れが溜まっていたのだろう。彼女は踏まないように足場を選んで、荷物の整理をした。今日調達してきた食糧、飲料水、洗剤、その他もろもろをそれぞれの棚にしまう。ついでにリビングの片付けもしようと思ったが、クレイを起こしては悪いので先に朝ごはん(昼ごはん)を作ることにした。

今日は“いつものとあるスーパーマーケット”に行って来たため、カップラーメンをいくつか持ってきた。持ってきた水を鍋につぎ、ガスコンロで沸騰させる。

ここら辺はガスも電気も水道も全て新政府によって止められている。

人口をゼロにするため。おかげでほぼ全ての本州の人間は九州、四国、北海道や、アメリカなどのに引っ越しを余儀なくされた。

地味に長い3分が経ち、蓋を開けるとカップラーメン特有の良い香りが立ち上った。するとそれと同時にクレイも起きてきたようで

「おはよー…今何時―?」

と聞いてきた。まだ出会って1日も経っていないのに、この緊張感の無さには少し呆れもあるが、それが逆に今まで一緒に暮らしてきた感があってそれはそれで楽しかった。

そんなことを考えながら時計を見て答える

「今14時半前ー」

「げっ、結構寝たなー。お、美味そうなのあんじゃーん」

「あんたのも向こうにあるから持ってきな」

「うえ?ほんとに?気が気くぅー。」

人と話すなんてほぼ初めてで、こんなにも楽しいものだと思わなかった。すこし照れくささもありながら、出来たてのラーメンをすする。

「おー?随分とご機嫌だねー」

「…なにが?」

「いーや別にー?」

どうやら顔に出てたようだ。クレイが両手にカップ麺を持ちゆっくりテーブルに置く。

「楽しそうな顔してるね。」

「そうかな。」

「うん。めっちゃ楽しそう。」

「あたしって、そんな顔に出てんの…」

クレイは麺を少々下手くそにすすりながら言う

「やっぱなれないんだよねー“すする”って」

「…どういうこと?」

「あれ、言ってなかったっけ?ワタシニホンキタノサイキンヨ。」

「え?…あ、やっぱり?」

「やっぱりってなんややっぱりって」

「いや逆にその見た目で純日本人って言われたら違和感…」

クレイは背丈があり、綺麗な透明感のある肌にキラキラした白髪で全体的に白い。

「いつここに来たの?」

「んーっと確か10年前くらいかなー。」

「ん?今何歳なの。」

「え?それ聞いちゃう?」

この渋り具合、この見た目、20後半だな。

「ここまで来て言わないはないでしょ。」

小悪魔のような悪い顔で彼女は聞く。クレイはそれに対し、明らかに渋い顔をして声を捻り出した。

「…去年…28…。ぐはっ。」

「何ダメージ食らってんの。…ってことは今年29か。結構結構だな…」

「結構とかいうな!!こっちだって歳とりたくてとってるわけじゃねーの!!!」

ここで1つ、疑問が生じるクレイは今年29で、日本に来たのが10年前、つまり18、19の時に日本に来た。高校生くらいの年齢で日本に来るなんて家の用事以外考えられない。

「でもちょっと待ってよ。19の時に日本に来るって何があったの。」

「来たのは18ですーーー。」

外国から来たのに日本人に馴染みすぎている。この話は本当なのだろうか。

「話を逸らすな。何があったの?」

これもまた渋々と、話を焦らす。

「実はね…実は私とんでもなく頭がいいんだよね。全然嫌味とかじゃなくてさ。ほら、ギフテッドって知らない?」

「ぎふてっど?」

「ちっさい時からとんでもなく頭が良くって、飛び級に飛び級を重ねて、18の時にはもう大学で人間心理学と並行して電子工学系の研究をしてた。その時にいろんな免許だったり資格を取ってたら突然日本に留学研究員として来ないかって連絡が来て、そんなこんなで来たって感じ。日本語は結構難しかったよー?さすがにね。」

「んあ?」

本当に同じ言語だろうか。全体の3割ほどしか理解できない。

「つーまーり、いろいろあったってこと!これなら分かるっしょ?」

「あー、あん。」

完全に箸が止まっていた。そんな放心状態の彼女にクレイは質問をした。

「じゃ今度はきょーこちゃんのこと教えてよ。」

「え、えぇ、あたし?!」

彼女はいままでにない焦りを見せる。体温も上がり、汗もかいてきた。しかし、そんな彼女を優しく見守るクレイの瞳が、彼女の口を開けさせた。

「あたし、実はほとんど記憶が無いんだ。お母さんもお父さんもおじいちゃんもおばあちゃんも見たことない。物心着いた時には1人で日本はこんな状態で。でも、メンタルだけは折れなかったから、なんとしなきゃってなって。学校?とか行ってないけど、自分で色んなところに行ってある程度の常識は手に入れられた。今ではもうこの世界での生き方も分かって、余裕もできたし、結果オーライだよ。」

「そっか。大変だったねー、きょーこちゃん。」

するとクレイはすっと立ち上がり、彼女の横にきて、両手を広げ彼女を優しく包んだ。

「へっ…?」

声を出そうとしたら、声帯に息がかからず、腑抜けてしまった。途端に、彼女の視界は一瞬にしてぼやけてしまった。

「きょーこちゃんはいままでよく頑張ったよ。でもここからは私もいるから。」

「何。」

彼女の頭の中は何も無くなっていた。さっきまで食べていたラーメンの味ですら、クレイによってかき消された。

彼女は初めて、“優しさ”を思い出すように知った。

どのくらいだったのだろうか。カップ麺はとっくに伸び切り、冷めてしまった。


「ごちそうさまでした。」

時計の針だけが鳴る部屋に、明るい声音が雰囲気を壊す。

クレイはゴミ箱にカップ麺のゴミを捨て、身につけているポケットの中を探る。すると中からブルーベリー味の飴を取り出し、袋から開けて口に放り込んだ。

クレイはスキップ気味で彼女の元に向かい、後ろから抱きしめた。

「なんか抱きやすいね、きょーこちゃん。」

「だからなによ」

「べーつにー?あー寝れるわこれ。ねていい?」

「勝手にすれば。」

そう吐き捨てるように言い、クレイの胸の中で消えるように泣いた。彼女にとっては生まれて初めてであり、非日常なのである。なのに、なぜか懐かしく感じる。

気がつけばもう夕方の中盤で、空は茜色に染まりきっている。

彼女はこの時間をどう感じているのかは分からない。が、もう当分は家から出ることは無いだろう。

どこか、懐かしいような物悲しさがありつつも、逆に、初めて会ったとは思えないような居心地の良さに何故か京子は違和感を感じられなかった。



2158年5月31日

クレイと出会ってだいたい2週間がすぎた。結構同居には慣れ、お互い居心地はとても良さそうに見える。

時刻は21時半を回っている。

夕飯が終わり、クレイは先に風呂に行った。

一方彼女はソファに深く座り、考えていた。

何をかと言うと、消耗品がなくなりつつあるのである。今まではそうなったら1人で外に出かけるのだが、今現在クレイが家にいる。彼女を連れていくことも考えたが、さすがに建物から建物へ飛び、走り、逃げる“パルクール”などできるわけがないだろう。家に留守番を頼んでも良いのだろうか。1人家に置いていくのも少々可哀想で、気が引けている。

「きょーちゃーん。風呂上がったよー。」

「んぇ、早くない?…え?もうこんな時間?!」

ふと時計を見ると時刻はとっくに半を過ぎていた。

「なんか考え事?珍しいね」

「いやぁ…消耗品が無くなってきてて、明日出かけようかと思うんだけど…」

「あー行ってきていいよ?全然。あたし銃持ってるし。」

「はい?初耳ですけど??」

そう言って、椅子にかけていた白衣の内ポケットから拳銃とマガジンを出てきた。全くこの女はやべーのをポンポン出してきやがる。

「あちゃー、これも言ってなかったか。悪い癖だねー。」

「…。」

「そ、そんなに睨まないでよ。悪かったって。」

「まぁいいよ。わかった。じゃあ明日ちょっと行ってくるね。」

「そういえば、きょーちゃんはなんも持ってないの?」

「だって人となんか会わないし…いやそんなことないかもな。」

現に彼女はクレイと遭遇している。しかも自宅で。

「じゃあ持っといた方がいいんじゃない?」

「まーそれもそうだけど。万が一があっても逃げればいいし、今はいいかな。」

「そっか。何時くらいに出る?」

「今出てもいいかも。」

「へ?」

現在時刻21時48分。夜中ではあるが、彼女にとってはメリットの方が多い。なぜなら彼女は目がとても悪いが、夜に出れば万が一政府の人間に会っても相手も視界が悪いので五分五分になる。しかも彼女には「反響定位」があるので八分二分くらいになる。

彼女は素早く着替えと準備を済ませた。

「まじで行くの?」

「何かと夜の方が都合がいいからね。前出た時もこんくらいだったし。」

「ふーん。じゃ気をつけてね。行ってらっしゃい。」

「うん。行ってきます。」

彼女は玄関から夜の街へ足先を向けた。

外にでると気色の悪い生ぬるい温風が彼女を包み込む。この空気を自宅に入れまいと素早くドアを閉め、ぼちぼち歩き始め、走った。



数十分ほど走り、着いたのはスーパーマーケット。しかし、ここのスーパーマーケットはひと味もふた味も違う。なぜならここは「国営政府基地生活用品倉庫」通称“第16倉庫”と呼ばれる所なのである。いつもなら正門に警備が2〜3人くらいいるのだが、今日は何故か居ない。念の為周りを散策してもいた痕跡すらなかった。

おかしいとは思いながらも取ってすぐ帰るだけなので静かに中へ入った。

しかし、それは間違いだった。なんといつもは外にいるはずの警備が室内に、しかもいつもの数倍はいたのだ。彼女は直ぐに倉庫から出て、扉から息を切らしてそっと覗き込む。耳を済まさなくても警備員の足音がまちまちに響き聞こえる。

「チッ、、どうすっかな。」

軽い舌打ちをしてこれからどうこの倉庫を攻略していくか考えていたのだが隠れていた扉から警備員が覗き込んできた。扉の真反対にいる警備員には気がつけなかった。

「うぉっ!なんだお前!!ここがどこか分かってんのか!」

「クソっ、これでも食っとけ!」

「うわっ!!!!!」

ここ、国営第16倉庫はギリギリAuGsに入っているのでその中にいる民間人は全て外に出すか殺すかとなっている。

彼女は考えるより先にカバンからスプレー缶を取り出して警備員の顔に噴射し、倉庫の中へ入った。途端に倉庫の中が赤い光とともにサイレンが響いた。彼女は物品が入ってある棚によじ登り警備員が何人いるのか観察をし始めた。

「1、2、3、4…なんでこんな多いんだ?」

8、いや10はいるだろうか。でも確かに、かなり広い国営倉庫に警備員3人は少ないと思う。彼女は警備員に警戒しながら物品棚からいろいろ物色していった。

しばらくするとサイレンは止まり、赤い光も消えた。が、外から車のエンジン音がかなり聞こえてくる。3、4台だろうか大型そうな車のエンジン音が倉庫の中まで響いてくる。すると話し声が聞こえてきた。

「侵入者が?なんでわざわざここに入ってくんだよ。」

「多分食料とか盗みに来たんだろ。人はへったとは言え、まだ少なからずいるからな。」

「それならまぁ…んでその他に情報は?」

「今のところはスプレーをかけられた奴しか見てないからなんとも言えんな。」

「なるほどな…。」

どうやら彼女の情報はまだわかっていない様子だ。しかし、このままでは時間の問題なので早々と収集し倉庫を出た。

まだ夜は深い。


数十分たっただろうか。多分それくらいは走ったり歩いたりしていた。

しばらくして、屋根の上を伝いながらのんびりと歩いていると

「動くな!とまれ!!死にたいのか!!」

という怒号とともに後ろから聞こえてきた、と思ったのだが、後ろに振り返っても誰もいない。彼女はフードを被りかけていた手を止めた。もしやと思い屋根の下を覗いてみると20mくらい後ろから警備員とは違う装備を着た明らかに政府側の人間と、それに追われる小汚い青年が走ってきていた。一瞬その走っていた青年の目は青く光った気がした。明らかに絶体絶命な青年を何故か放っておけなかった彼女は政府の人間が走ってくる地点を予想してスプレー缶を投げつけた。それはカンっと音を立てた途端にビビッドブルーの煙幕が爆発した。青年は1回止まって確認している様子だったがすぐに走り去っていった。

その時、彼女は明らかな違和感に気がついた。青年の足が速すぎる。50m6秒くらいのペースでもうほとんど見えなくなってしまった。政府の人間は機動力のありそうな軽装備で、割と足は速いが、それでも青年の方が上である。それに興味が出た彼女は足音を頼りに追いかけてみることにした。実は彼女も生まれつきのスピードスターだったのである。

屋根を伝って空中を駆け舞う。建物と建物の間を飛び、壁も飛び、彼女は微笑んだ。久しぶりの運動を楽しんでいるようだ。本来の目的を忘れそうなくらいスリル満点な街の上を駆け回る。

まるで広大な海を渡る鯨のように。

大きく、荒天した大地を滑る。


しばらくして、足音がぴたりと止まった。それに合わせて彼女も足を休めた。どうやらあの青年はこの辺にいるらしい。そして、探し始めようと屋根の上から下を覗いてみると

「「え」」

青年が室外機の上で寝ている所と目が合ったのだ。それも距離50cm。4秒ほど、双方固まっていたが、青年が先手をとり逃げようとはね起きたところをすかさず彼女は怪我をしないようにそっと自分のいる屋根の上に押さえつけた。瓦がカラカラと落ちていく。思ったより力が入ってたようだ。

「どーも、さっきスプレー缶を投げた人です。あたしは悪いやつじゃないよ。」

と、身柄を押さえつけて言っても信憑性は無いが、本当のことである。しかし、青年は、目に涙を浮かべながらふるふると首を振っている。

すると、辺りが徐々に明るくなっていく。夜が明けてしまったのだ。だが、そんなことは気にすることは出来ず、

「あ、あ!ごめんってば!泣かないでって、、えっとこうゆうときどーすりゃ…」

彼女は焦りに焦りまくる。なんせ、これでも生まれてから会った民間人で2人目だから。クレイで多少人付き合いには慣れているとは言っても、そう上手くは行かない。

とりあえず、青年が落ち着くまで建物の中で休むことにした。


2158年6月1日6時31分

青年がようやく落ち着いてきたので、彼女は安堵の息と共に質問をなげかけた。

「ねぇ、君、名前は?」

「…。」

無視だろうか。彼女の質問にうんともすんとも言わない。

「ねー?名前は?なんて言うの?」

「…。」

どうやら聞こえていないらしい。何故だろうか。その瞬間彼女は全て察した。多分彼は耳が聞こえないのだろう。そこで彼女は埃と塵にまみれた床に質問を書いた。

[きみのなまえは?]

それに気がついたのか彼はポケットから紙のようなものを渡してきた。

「さかまた、、とら??」

こくっと彼は頷く。この青年の名前は 坂俣 虎(さかまた とら)と言うらしい。

[音が聞こえない?]

少し間が開き、こくっと頷く。とりあえず、場所を変えたかった彼女はこの坂俣虎と言う青年を家へ持って帰ることにした。

思わぬ収穫にもほどがあるなと思いつつ、足早にその場を去っていった。


かなり遠くまで来ていたらしく、いつもの倍か、それ以上の時間がかかってしまった。直線距離でだいたい18kmといったところか。今日は色々ありすぎたし、なにより、まだ政府以外の人間が近くに居たことは大きい。幸い、彼は自分で歩けたため、担ぐ必要はなかった。


「ただいまー。」

「はーいおかえり。って、え?」

「拾ってきた。」

「…。」

青年は気まずそうだ。

「えぇ…。まぁでも、より賑やかになるね。いいことか。」

相変わらず楽観的なクレイは無理そうに納得した。

「そうだな、あーでも、こいつ耳聞こえないんだよね。どーしたらいい。毎回紙に書くにも紙が無くなっちまうよ。」

「そんなことより、まず中に入んな?見つかったらシャレになんないよ。」

ベランダで喋りすぎてしまった。青年を置いて。彼女らは足早に中へ入っていった。


2158年6月1日午前9時36分

ひとまず家に帰れたことに安堵しながらも、新しい仲間が増えたことに喜びを感じながらも、まずは休憩をしなければならない。その仲間というのが坂間虎という青年。京子と同い年そうな出で立ちで、けれどどこか大人びている。ただ、彼にはちょっとしたというか、特徴がある。

1つは耳が聞こえないこと。もう1つはかなりの美人であることだ。モデルのような、身長、体型に汚れてはいるが、素質ある肌と長い髪、それとどこか悲しげのある、放っておけないような感情を立たせる青い目と目元。どこをとっても90点いや98点の身なりで、クレイと京子はこそこそと目配せをしている。そんな女達を静かに訝しんで見ている虎は何か伝えたそうにソワソワしている。それに気づいた京子は手をちょいちょいっと気を引かせ、どうした?っと聞く素振りをした。すると彼はなにか書くような素振りを見せ、クレイは即座に、白衣のポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、虎に渡した。数秒の時間が経過し、虎は文字が書かれた紙を差し出した。それにはこう書かれている。

[僕は坂俣虎 君たちは何?]

クレイはこの文を読むと直ぐに同じページに何かかいて、京子にペンと一緒に回した。

[白い方がクレイで、]

と書かれていたのでその続きに

[そうじゃないのが京子だよ。]

と書き、虎に渡した。虎はゆっくりメモ帳を取って、文字を読むと、

「よろしく、クレイ、京子、そしてありがとう。」

と、しどろもどろに話した。クレイと京子は彼が話したことに驚いていた。クレイはともかく、京子は彼と会ってから声を聞かなかったからである。

「しゃべった!?」

と京子が驚愕し、口元を片手で抑えながら信じられないという目でクレイを見つめる。クレイもこれには驚き京子と目を合わせた。

「黙っててごめん。僕は別に生まれつき聞こえないわけじゃない。そうかも知んないけど、だんだん聞こえなくなった感じだから話せはするんだ。」

所々手話を交えながら(身振り手振りでもある)話をする虎に対し、なるほど、という顔の2人を申し訳なさそうに見渡す虎の青い目は小さく輝いていた。どこか活気に満ちたような、そんな輝きだった。そんな彼を置いて他2人は虎に興味津々で、別の意味で目を輝かせる。しかしその雰囲気は虎のぐぅーという腹の虫のせいで一変してしまった。

和やかに笑う2人と静かに恥と苛立ちを感じる1人。

「ご飯食べよっか、さすがにお腹すいたよ。」

それから3人は家に残っていたちょうど3つの軍用カレーとレーションを食べながら、話の続きをした。


数十分たち、虎をお風呂に入れることになった。見た目が良すぎて忘れていたが、普通に服とかが汚いので洗濯も兼ねて綺麗にすることになった。京子がシャンプーやボディソープなど色々教え、足早にクレイのいるリビングに戻ってきた。京子の顔はうっすらと桃色になっていて、それをクレイは指摘すると半ギレでかかってきたのでクレイは割とマジめに謝った。虎がお風呂に入っている間に京子は荷物をストックし、次の外出予定を考えている時、お風呂場から虎の声が呼んでいる声が聞こえた。

「京子さーん、服何着ればいいんだ?」

「あ、たしかに何着せよっか。」

まだ虎が来ていた服は洗い終わってはいるが乾いてはいない。

「きょーちゃんか私の服貸してあげるよー。」

とクレイが言ってきた。

「どっちがいい?」

「クレイさんの借りてもいいかな、京子さんのは多分着れないと思うし。」

「オッケー持ってくるね。」

と、トントン拍子で話が終わってしまったのが何か京子は納得いかず、少し変な気分になった。そして少し不機嫌になってしまった。

風呂から出た虎はより一層色気がまして思わず京子とクレイの顔を固めた。そんな彼女達を不思議そうに首を傾げてタオルで頬を拭く。京子は我に返り、

「じゃああたし入るねー。2人でなんか喋ってて。」

と言い、風呂へ行ってしまった。


「って言われてもなー、あ、そういえばどうして京子と出会ったの?」

「あぁ、食べ物を探して歩き回ってたら急に黒いやつ4人くらいに追いかけ回されて、そしたら僕のすぐ後ろが青い煙幕が広がってて、そのまま逃げてたら京子さんに捕まったんです。」

「なんとまぁアグレッシブ過ぎない?京子ってそんな足速いの?」

「うん、僕も結構早いと思うし、前も何回か黒いやつに追いかけられても逃げ切れてるから自信はあるけど、京子さんはそれよりも速いです。」

「そうなんだ、でもそんな感じするわ。」

「捕まえられた時、壁の横についてる室外機の上に隠れてたんだけど、バレてたんですよ。あれはなんでなんだって思ってて。足音が止まったのでバレたんでしょうか。」

「それは京子に聞いてみるしかないねー。そんなこんなで出会ったってわけか。」

その後、京子が風呂から出てくるまで、お互いの他愛のない会話がつづいた。


「あーーーあ、今日はつかれたなぁーあ。いつもの倍は疲れてるなーー。でもまさか、まだ人がいたなんてねーー。え、痛ってここ擦りむいてんじゃん。」

「(そういえば、虎のことを追っかけてた奴ら、今まで見たこと無かった連中だな。動きやすそうな黒いモビルスーツみたいな。なんなんだあれ。追いかけられたらちょっときついかもなー、何とかしないと。)」


「出たよー。」

「あ、おかえりーちょっと長かったねー。」

普段なら20分もかからないらしいのだが、時計を見ると入り始めた時から40分ほど過ぎていた。

「あーちょっと考え事―。」

「珍しいじゃん、どしたの。」

「ねぇ虎、あんたを追っかけてたヤツらってさいつくらいから見かけてた?」

「えっと、確か半月前くらいかな。」

「どうりで見たことないわけだ。」

どうやら虎を追いかけてた政府軍らしき隊は新しく政府が作り上げた部隊のようだ。それは京子にとって、良くも悪くもない情報であった。スリルを体で感じ、楽しんでいる彼女にとってはいい事なのだが、必ず生きて家に帰らなければならない彼女にとっては悪い事である。

「そいつらについて詳しく聞きたいんだけどさ、なにか他のことは分かる?」

「えっと、足が結構速くて、壁も登ってくるし、機動力が高い。着てる服とかはあんまり見てないけど、黒が多いね。」

「なるほどな、次出る時は気をつけるか。」

話の中の機動力なら京子に負けず劣らずの部隊であるが、彼女は余裕そうに次の外出日を決めている。人数が1人増えたことにより減る食料の量も増えるため、次はより多くの物資を持って帰ることになるため、少し悩んでいたのだが、彼女は閃いてしまった。

「ねぇ、虎、あんた走れんだよね。」

「え、うん」

「次出る日、一緒にいこうか。」

「え?」

虎は驚いていた。けれど、どこか嬉しかったし、安心した。京子はそんな彼の目を見て、楽しみが増えたような喜びを感じた。

「私はやっぱり1人なんだねー別にいいけどさ。」

「ごめんねー、でも家を守ってくれるのはありがたいよ。」

「そこは任してよ」

「頼もしいね。」

「でも、ほんとにいいの?僕を連れてっても。足手まといにならないかな。」

「大丈夫だって、戦うわけじゃないし、それにあたしがついてる。」

「そっちの方が頼もしいじゃない?」

「クレイもそう言ってるし、それに、1人いるだけでも心強いからさ。」

実際、今まで1人でしかできなかった、逆に言えば、2人なら出来たことが出来なかったのだから、2人いれば食料もより多く獲得出来る。

「うん、行くよ。ていうか、行きたい。京子さんと一緒に。」

どこか夢を叶えた少年のような輝きの目で、京子をふっと見つめる。クレイとの会話で疑念が尊敬に変わっていった虎には、とても喜ばしいことなのだ。そんな目に思わず、すぐに目を逸らしてしまった。

「じゃあそうゆうことで。次出る日は1週間後とかだと思う。いつもより早いけどしょうがないね。」

「じゃあ私はここを少し点検するから、みんなは先に寝てていいよ。疲れたでしょ。」

このマンションはいくらインフラが整っているとはいえ、約半分は崩壊しているため週ごとに点検をする必要があるのだ。

クレイはそのため、表玄関からドアをゆっくり開けて外へ出た。

「分かった。じゃあ虎はソファで寝ていいよ。あたしもちょっと外の空気吸ってくるからさ。」

「分かった、じゃあお先に。ありがとう。」

虎との会話の後、クレイに続いてリビングを出ようとしたが、クレイは先に外に出ていたらしく、姿がなかった。一応外の空気は吸えたので手で支えていたドアを閉じ、中へ戻った。

この時の京子は、記憶には一切無いが、身に覚えはあるようなノスタルジックな感覚が染みていて、不思議さよりも違和感が強くあった。ずっとこのまま、この感覚を味わっていたいと、その感覚に異常なまでの執着を彼女は覚えたのだ。それと一緒に、何かをすれば成功するという自信と、何かをしなければという使命感に駆られ、気づけば家を窓から文字通り飛び出し、どこかへ行ってしまった。

窓を開けた音は、虎にも聞こえ、飛び起きて、今すぐ追おうかと思い立ったが、彼の理性はそれを止めた。

「クレイさん!」

「うわぁ!なに?!」

「京子さんがどっか行った!」

「はぁ?!」

ちょうど部屋に戻ってきたクレイは、驚きのあまり、顔を顰めた。ただ、今何をすべきかはそこにいる2人には分かっていた。

「早く追ってきて!」

「クレイさんはどうする?」

「私はここにいる。留守番は必要でしょ。その代わり、ちゃんと連れてきてね。」

「分かった、行ってくる!」

「あ、ちょっと待って。」

クレイは虎を呼び止め、少し小さめのリュックを渡した。

「これ、京子のだから、持って行って。」

「あぁ、わかった。行ってきます!」

そう言って虎は、数少ない手がかりを元に方向を粗く突き止め、眩しい陽射しの中に消えた。



6月1日13時11分

蒸し暑い陽射しの中、彼女はとっくにAuGsの中にいた。

「(何やってんだ、あたし。正面から行ったって、潰されるだけなのに。)」

彼女は自分がどんなに無謀なことをしているのかを認知していた。しかし、我武者羅に空を駆けていった。とてつもない速さで、うねり、跳び、回り、まるで地を擦り走る蛇のようだった。案の定、AuGsには政府軍の基地やら何やらでごろごろいて、気づかれては無いものの、いつ見付かってもおかしくないし、あの機動部隊がいれば、限界が来るだろう。

「(今ならまだ帰れるのは分かってるけど、あそこに行かなきゃ。)」

不思議な焦りと高揚が彼女をよりかき立てていた。まだ速いままで、そのまま消えてしまいそうなスプリントは、誰の目にも止まらなかった。


一方その頃、虎は結果的に言えば京子との距離2kmの所まで追いついていた。ただ、道は複雑で、直線距離が2kmなだけで、彼にはそこを突き進める勇気と実力はなかった。だが、彼は彼の中の最高速度で彼女へ追いつこうと、驚くほどの速さでAuGsの中を駆け巡った。ただそれは、あまりいい結果を産まなかったのである。

「おい!誰だ!あいつを捕まえろ!」

「やっべぇな。」

虎は追っ手を撒くために全速力で道を縫い駆け、ある路地裏に身を潜めた。そのおかげで撒けたのだが、その路地裏には不自然に漂う切れ切れの黒いカーテンと、その隙間から覗ける大きめなダンボール箱があった。そこから1人の老人とも言いきれないが、小汚い人がカーテンから顔をのぞかせた。

「まだ、ここら辺に人が居たなんてな。」

虎は何故ここに人がいるのかも、相手に心の隔たりを感じなかったのにも、気味が悪くて、怖気付いてしまっていた。見た目は40にも見えるし50後半にも見えるくらいの老人で、京子に拾われた時の虎のような姿であった。

「なぁ、坊や。そう怖がるな。おまえに聞きたいことがあってな。日本は、変わったか?」

思ったより声が周りに聞こえるほどの大きさで、少し焦ってしまったが、この老人が言ったことには、含みがある。

「変わったって言うか、変わり果てたって言うか。」

そう言うと、老人は勢いよく鼻で笑った。

「そうか。おまえは何しにここに来た?」

「ある人を追って、そしたら追われて、ここに隠れてきた。」

「そうかい。まぁ、俺にゃ関係ないね。さっさと行きな。」

「あぁ、ありがとう。」

「ありがとうだ?俺はなんもしてねーっての。ほら、さっさと行った行った。あーでもでも待った待った。またここに来てくれよ。退屈しのぎにゃちょうどいい。」

「あぁ、うん。また来る。」

そう言って虎は、多少無愛想になってしまった挨拶を返し、京子の元へ走り去った。

「あの坊主、どっかで見たことあんだよなぁ。まぁいいや、今はまだ寝てよう。」

そのつぶやきは彼には聞こえるはずもなかった。


数分ほど走って、休憩して、走ってを繰り返して10分ほどたった頃、背中に振動を感じた。ブーブーという機械的なバイブレーションだった。1度立ち止まってクレイから貰ったリュックを漁ると、その振動源は耳につけるデバイスのようなものだった。試しにつけてみると、虎は耳が聞こえないはずなのに、音が聞き取れたのだ。

「虎くん!聞こえる?そうなら返事して!」

その声はクレイだった。

「な、なんだ?」

「よしビンゴ!聞こえてるね!賭けで入れたけど、気づいてくれてよかった。」

「なんで聞こえるの?」

「骨伝導デバイスだから、振動を直接感覚器官に送ってるから。今はそんなことはよくて、京子には追いつけそう?」

いくら2150年代と言っても、便利なものは残り続けるようだ。クレイは安堵と共に未だに焦りを混じらせた声色で虎に言う。

「いや、全然。方向も大体でしか分からないから、このまま行っても厳しいと思う。警備も厳重だし。」

ここはAuGs。今の新日本国の中で最も厳重に管理されている区域に京子は突っ走り、虎は居る。

「じゃあそのデバイスの横についてるスイッチ押してみて。」

「スイッチ?これかな。」

すると、左耳に着けたデバイスから右目の方までレンズが出てきて、レーダーのようなグラフとバッテリーが画面に出てきた。

「うわっ、なにこれ!」

「凄いでしょ、そしたら京子ちゃんの位置が見れると思うんだよね。」

「ほんとだ。でもなんで?」

「京子ちゃんがお風呂から出たあとに着てた服が次の外出着るって言ってたヤツで、位置がわかるように発信機つけてたんだ。ここに来て運が味方してくれたよー。」

クレイは歓喜の声をあげ、虎もその技術に興奮していた。

「なにそれ!すげーよクレイさん!」

「あとあと、敵の位置も分かるから、避けながら進めば安全に追いつけるよ。頑張ってね。」

「わかった!」

それに勇気づけられた虎は、足早に京子を探しに戻った。

京子との距離は、約3.5km。


「ふぅ。もうちょっとだな。」

京子は家から20kmほど離れた所にいた。そこはAuGsのど真ん中に位置する、一昔前までは『皇居』と呼ばれていた神聖な場所の近くにいた。しかし現在はその周りはより厳重になっており、誰1人その中に入ったり、見もできないように壁で囲まれている。しかし、用があるのはそっちではなく、そこから2kmほど離れた『国会議事堂』と呼ばれた場所にあるのだ。現在は『新日本国運営会議場』と呼び方が変わっているが、役割的にはさほど変わらない。

「こんな国、絶対間違ってる。こんな、ゴミの掃き溜めみてぇな暮らしがしたくて、この国に生まれてきたわけじゃねぇ。あいつらと、幸せになりたいんだ。」

そう独り言を漏らしながら、ガラクタまみれの都市街を闊歩していた。

これこそが、数時間前に彼女が感じた使命感である。しかし、それも束の間、彼女の決意もどこからか知らない声に遮られてしまう。

「ちょっと。止まりなさい。」

いつもの彼女なら絶対に止まることは無いが、この時は気まぐれか、目的へ突き進む足を止めた。振り向き、声がした方見ると、建物の屋上から紺色の衣装を身に纏い、長鍔の帽子を深く被り、その人の身長より少し短めの何かのケースを肩から下げていた。

「なんだよ。あたしは急いでんの。」

「そんなの見れば分かります。なぜこんなとこに来たの?ここは危険よ。今すぐ引き返しなさい。」

「そんなの見ればわかんだろ。ここのリーダー殴りに来たんだよ。こんなゴミの掃き溜めみてぇな国にいつまでも居てられるかよ。」

そうその人に吐き捨てると、その人は憐れむような目をして言った。

「正しいわね。私も同意見よ。けど、それは今じゃないわ。引き返しなさい。」

「今やらなきゃ、変わんねぇだろ。」

ムキになって言い返していると、屋上の人はいつの間にか彼女の背後8mに降りていた。大きな帽子のつばを、細い指がきつく押さえつけている。

「教えてあげるわ。ここは第2地区と決められていて、AuGsの中で最も危険な地区なの。なぜならここは『会議場』に最も近いから、政府軍に見つかれば直ぐに捕まるわ。」

「そんなの、逃げればいいじゃん。」

その人の異質さに、うっすらと武者震いをしながらも、返答した。

「それもそうだけれど、あなたの速さなら捕まってしまうわ。」

「はぁ?そんなわけねぇだろ。いままでも逃げ切れてたし。」

「ただ突っ走って逃げれたらいいけど、そうはいかないわ。AuGs内の軍装備は一般的な地方の兵装備とは訳が違うのよ。人間を超えた加速や、跳躍、透明化などするものもある。それから逃げ切れる人間なんてい存在しないわ。」

強い覚悟と希望の中に、小さな絶望の種が植え付けられたような感覚だった。本当に逃げ切れるのか、逃げられなかったらどうなるのかという不安が、彼女を遠くから睨みつけた。それに京子は縮こまっていると、遠くの方から彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「京子さん!」

「え?虎?なんで。」

「急にどうしちゃったんですか。」

虎は息を荒くしてそう吐き捨てた。彼の声色は安堵に包まれていた。

「ちょっと、あなたたち本当に何しに来たの?そんなに大きな声も出して、見つかるわよ?」

「この人は?」

「あ、たしかに。」

そういえば、両方名前を知らなかった。聞いてる場合ではなかった。

「あんた、名前は?」

「名乗る時は自分から、マナーの基本ね。」

「うわっやりずら。あたしは琥珀京子。」

「私は一浦眞冬よ。」

「僕は坂俣虎。初めましてだけど、あなたはなぜここに?」

その質問をした瞬間、眞冬は虎を目掛けて方からかけていたなにかのケースを投げた。すると、それは虎の横に逸れ、空間に鈍い音を立てて落下した。

京子と虎は、何が起きたのか分からなかった。転がったケースの横には所々透明になった軍の人間がそこに倒れていたのだ。彼女はその兵を素早くケースと足で押さえつけた。

「君たち!何してる!早く逃げろ!!」

それが敵だとわかったのは、それを聞いてからだった。2人は来た道をもどるように何も言わずに全力で駆け出した。


「(少しでも時間を稼がないと、きっと捕まってしまう。)おいくそったれども!こいつがどうなっても知らんぞ!」

そう怒号を上げ、ケースから拳銃のようなものを取り出し、倒れた軍兵に向けた。それでもなお、彼女に向かって突進してくる。そいつは明らかな透明化をしていたが、彼女には意味がなかった。それにやや怯んでしまった彼女は突進してきた兵を避け、建物の上へと移動した。重い舌打ちと共に更なる怒号をあげようとした瞬間に、真横にあった電信柱の拡声器から警報音とも違うサイレンが爆音で鳴り、彼女はそれを即座に破壊したが他にも至る所にある。

「やぁ諸君。おぉっとこれは、客人かな?」

その拡声器から一斉に、渋い男の声がAuGsに響いた。

「あぁ、そうとも。どうやってここまでこれたのか分からんが、歓迎しよう。ようこそ、“我が偉大なる国”へ。」

そう言って、不敵な笑い声と共に彼らの訪れを喜んでいるような声を上げた。

「相変わらず、ふざけたこと言いますね。こうなってしまったら、護衛するしかありませんね。」

そう呟き、彼女は彼らの元へ消えた。


数分前

「京子さん、どうするんですか!」

「わかんない!とりあえず逃げる!」

終始素っ頓狂な京子に振り回される虎の顔に不満はなかった。彼にあったのは京子と家に帰ることしかなかった。

しかし、すんなりと帰れればいいものの、騒ぎを聞き付けた機動兵が数人、四方八方から押し寄せてきた。

「逃げられると思うなよ!クソガキども!」

怒号を上げながら京子たちのすぐ後ろを追いかけていた。今にも手が付きそうになった時、機動兵から見ると京子が突然視界から消えたと思うと、下顎に強烈な打撃を感じその目には夕暮れになりかけの太陽と空があった。

「ぐがっ、」

「あんまクソガキをなめんなよ?」

「京子さん!これ!」

思い出したように虎はクレイから貰った京子のリュックを投げ渡した。

「忘れてたんだこれ!ナイス!」

そう言いながらリュックの中からスプレー缶を手に取り、足元に投げつけると辺り一面を白で埋めつくした。そして京子は感覚で虎の手を掴み、煙幕の外へ駆け出した。

「最初からこれすれば良かったんだ。」

虎は感嘆しながら、京子を尊敬する目で見ていた。

「これで暫くは安全に逃げれるはずだ。」

その途端、煙幕が不自然に揺らぐのを2人は感じ、本能のままに前へ進んだ。

「良くもやってくれたなガキ共!」

「クソっ、なんで見えてんだ!」

機動兵の装備によるもので、煙幕越しにも見えたのだろう。しかし、咄嗟の煙幕と2人の瞬発力のおかげで少し距離を稼具事が出来た。後ろを振り返り、少しの安堵を感じると、目の前40mの拡声器付きの電柱からサイレンがなった。それが終わったと思うと、続けざまに40から50程の男の声が聞こえた。

「やぁ諸君、おぉっとこれは、客人かな?」

「客人ってあたしらのことを言ってんのか?」

「あぁ、そうとも。どうやってここまでこれたのか分からんが、歓迎しよう。ようこそ、“我が偉大なる国”へ。」

「偉大なる国だと?ふざけたこと言いやがって。お前は一体誰だ!」

「私の名前が知りたいか。結構。だが、まだその時ではない。ひとつ言うなら、“全知者”とでもいうか?それも結構。」

「はぁ?なに調子こいてんだ!今すぐぶん殴りに行ってやるよ。」

「結構。だが、今の敵は私じゃない。もてなしてやれ、諸君。」

拡声器からノイズが消えたと思うと、後ろから数人の足音が高速で迫ってくる。

「京子さん!こっち!」

それらを躱し、帰り道がわかる虎を追って走り出した。

「なんで方向が分かるんだ?なんかつけてるのか。」

「はい、クレイさんに貰ったんです。」

かなり便利なもので、家はマーキングされているので方向と位置が分かる。このままいけばもうすぐ“連絡橋”に着くはずなのだが、行き止まりになっている。

「なんで、行き止まり!?」

「なぁ、ここ登るのか?でも、じゃないと捕まっちまう。」

「そうなんですが、なんでだ?」

「あんまりそれを過信すんなよ。道がなかったら登ればいんだよ。あたしが虎を上にあげて、そしたら虎があたしを引っ張ってくれれば登れるでしょ。」

よくある共同作業だが、にしては壁がやや高い気もする。しかし、それしか方法がないので虎は京子の案に渋々ながらも賛成せざるを得なかった。

「さぁ早く行った行った。」

京子が手を前に組んで踏み台の姿勢をとり、虎を煽ると、虎は助走をつけて見事に壁の縁を掴み登ることが出来た。次は京子が登る番なので虎は手をめいいっぱい伸ばしているが、京子は登るどころかぴくりとも動かない。

「京子さん?何をして、」

「ここでさぁ、“4人”返り討ちにしたら、かっこいいと思うんだ。そう思わない?」

虎の呼びかける声に被せるように京子はそう言い放った。虎はその台詞を理解するのに数秒かかったが、虎のデバイスには敵を示す赤点が見えた。

「バカっ!!!!!」

虎の口から咄嗟に出たのはそれだった。京子は軽く上に飛び上がり、空中の何かを両手で掴み、ドスッという鈍い音を膝蹴りの姿勢とともに響かせた。

「「「「「?!?!」」」」」

その場にいた京子以外が全員驚愕し、時が止まったようだった。しかし、虎だけは壁の上から飛び降りて、京子の左側に見えた歪みに向かって勢いのまま踵を落とした。それに合わせて着地した京子は右側の敵の膝に垂直に蹴りを入れ、体勢が前に崩れた敵の顔目掛けて足を振り上げ蹴った。それから、その勢いで跳ね起き、左には向かず、前方向の敵に向けて後ろ回し蹴りを食らわせた。しかし、敵は左には飛ばず、そこには壁をけったような手応えがあった。それは虎も全く同じように後ろ回し蹴りを反対側から食らわせていたのだ。虎は壁の上から飛び降りた後、透明化していた敵を見つけテイクダウンを仕掛け、目の前の敵に回し蹴りをしたのだ。これらは全てが噛み合った奇跡だと思った、しかし京子は全て分かっていたような顔をしていた。そんな表情を読み取った虎は不思議に思った。

「京子さん、なんでわかってたの?」

彼女は膝蹴りを食らわせる前、確かに4人と分かっていた。

「あれ、言ってなかったっけ。音の跳ね返りを見れるんだよ。虎が上から叫んでくれたおかげで、あやふやだった人数と位置が確実になったって訳。それにしても、ナイスカバーだよ。ありがと。」

虎は納得とともに、その能力に感激していた。

「あんま舐めてんじゃねぇぞ!!」

それもつかの間、すっかり油断していた2人の背後から怒号とともに残党が掴みかかろうとしていた。2人は足を動き出そうとしたが、虎が遅れを取り、足を掴まれ、絶体絶命だった。京子はスプレー缶を取り出そうとしたが、残りはひとつもなく、文字通り絶体絶命になってしまった。

「離せよ!!」

「もう逃がさねぇぞガキ、骨まで粉にしてやるからよぉ。」

残党は虎に馬乗りになって殴りかかろうとした。

「やめろ!!」

京子がそう叫んだ瞬間、残党の側頭に風穴が空き、虎の上に倒れ込んだ。


数分前

「なかなか数が減らなかったですね。あの方々は、もうあそこまで行ったのですか。」

眞冬は、京子たちを逃がした後、そこに群がってきた政府軍たちをたった一人で蹂躙した後だった。

「後ろは、4人。いや、その後ろに1人いる。彼らはその1人に気づいていないようですね。まぁ、これも役目のひとつでしょうね。」

そう呟くと、眞冬は肩にかけていたケースの先に人差し指の腹を押し付けた。

<生体認証 確認 アクセスを許可 半自律式対物兵器搭載型人工知能 Lynx 起動>

そのケースは音声とともに解放され、下から支柱が3本と、上からは逆さの銃器が出現した。彼女は残弾の確認と鈍く、厚いコッキングを済ませ、銃器を構えた。

「ごきげんようLynx、調子はいかが?」

<良好 外れることは無いでしょう>

「相変わらず、頼もしい限りだわ。あの敵見えますの?」

<環境測定結果 気温25℃ 湿度48% 風向き 東に1m/s 距離 544ヤード ゼロイン調整 完了 実行します>

「待ちなさい、その機能廃止できないのかしら?」

<了解 コンボショットの停止を確認>

「それで良いですわ。」

彼女とそれは阿吽の呼吸で一方的な戦闘態勢を確立し、密かに敵を仕留めようとしていた。そして、彼女達の目に虎に馬乗った兵が映った時、思いのまま引き金を引いた。銃身と共に轟音が揺らぎ、兵の頭に横から風穴を開けた。それから数秒して

<射撃数 1命中 1 残りの標的数 0 状況終了 薬莢を残さぬよう注意してください>

「了解、帰りましょうLynx。」

<了解 システム終了>

銃は再びケースに戻り、彼女はその場を後にした。最後に「また会いましょう。」と呟いて。


虎はとまどいながらも、のしかかる兵を退かせて起き上がる。

「虎、大丈夫か?怪我は?」

「なんとか大丈夫です。それより、何が起きたんだ。」

2人は疑問の渦中に居た。さっぱり分からずその場に留まることしか出来なかった。ひとまず敵兵は居なくなったようなので、帰路に着くことにした。


数十分程歩いていた。何も話せず。まだ出会って1日なのだから仕方ないと思っていた虎に、耳のデバイスから着信音がなった。

「もしもし?虎くん?生きてる?」

クレイが心配そうな声色で安否を尋ねてきた。

「あぁ、クレイさん!無事です。京子さんも。」

「良かった、今は、第5地区にいるのかい?!そんなとこまで行ってたの?」

喜怒哀楽が全て詰まった応答が虎の硬かった表情を少し砕けさせた。

「ん、虎、クレイと話せるのか?」

京子はこのデバイスについて何も知らないし、虎の長い髪の毛で分かりずらかったため、彼女にとって初耳である。それについて、虎のデバイスからクレイが疑問に答えた。

「せいかーい。この虎くんの耳につけてるやつから通話出来るんだ。多分そのリュックの中にもうひとつ入ってるよ。」

京子は背負っていたリュックをごそごそと漁ると、虎と同じようなものが出てきた。付けてみると、今日この視界にはうっすらと線が浮かび上がるだけだった。

「あー。たぶんあたしこれ向いてないかもだわ。目悪いからさ、でも通話できるのは助かるな。」

「そういえばそうだったね。それなら横のボタン押してみて?」

言われた通りそれを押すと線が視界から消えて、元に戻った。けれど通話は続けられている。

「あ、戻った。これならいいかも。」

「でしょでしょ。じゃあまずは、早く帰ってきな。案内は私がするよ。」

「そうゆうのなんて言うんだっけ?ナビゲーター?」

「そうそう。ナビゲートするからちょっとまっててねー。」

通話の向こうでノートパソコンのタッチパネルを擦る音が微かに聞こえ、そのまま案内を始めた。それに伴って、彼女らは再び、帰路に足を向けた。


道中、一行は今までAuGsの深部にて起きたことについてで盛り上がっていた。その話の始まりは虎からであった。

「なんで急に飛び出したんですか?居心地が悪かったとか?」

「いや、全くそう言う訳じゃないんだ。」

「じゃあ尚更どうしてなんだい?」

「いや、なんつーか上手く言えないんだけどさ、あたしが素直に感じたのは、強い拒絶だったんだけど、あ、いや、別にそういう意味の拒絶じゃなくて。無くなることへの拒絶?みたいな。もう失いたくないなって感情があったんだ。でもそれが何を失いたくなかったのかはわからないんだ。」

京子は実際、懐かしさと幸福感に異常な執着があった。

「てことはつまり、『失うことの拒絶としての反動』が、今日の疾走の原因ということ?」

「でも、何を失いたくなかったんでしょうね。時期的にも、僕に関わりがあるのかも知れませんし。」

「ほんとにごめんな、迷惑かけて。」

「謝らないでいいよ、誰にでもそういうことはある、とまでは言いきれないけどさ、ほら、若気の至りというかさ。ね?」

「そうです。なにもしないで生きてるだけよりも、ずっと良いですよ。それにしても、『第2地区』でしたっけ?あそこの敵は何か、異質そのものでした。僕がいたとこじゃ、あんなの見たこと無かったです。」

「あーそうそう!けどよ、あんな奴らを1人でなぎ倒す奴もいたよな。名前なんて言ってたっけ。ひとうらまふゆ?」

その名前を口に出した瞬間、クレイの声色が今までの雰囲気を縛り付けた。

「ちょっと待って、一浦眞冬、聞いたことあるけど、うぅ思い出せない。」

先程とは打って変わって、真剣で必死になっている。

「クレイ、知ってんのか?なんで知ってんだ?まさか、あいつも『元政府』?」

するとクレイは2人の耳が飛び出るような声量で発せられたのか、ノイズキャンセリングで上手く聞き取れなかったものの、最後の言葉だけは聞き取れた。

「あー!そうだ!思い出した。私の『後輩』だ!」

「「後輩!?」」

江戸川を渡る線路の上で2人は思わず立ち止まった。

「待て待て待て!ちゃんと説明しろクレイ。どういう事だ?」

「それもそうですけど京子さん、歩きながらないしましょう?」

迂闊にも止まってしまった京子は、咳払いを挟んで足を動かした。

「んで、どうゆうことなんだ『後輩』って。」

「あれはだいたい7、8年前、私がまだ大学4年の時かな、私より上の成績で飛び級してきた人がいるって話題になったのよ。」

「じゃあ、その人が?」

「いんや、その人の親友が眞冬くんなんだ。」

「「?」」

いまいち繋がりが見えてきていない2人を通話越しに感じながら、クレイは続けた。

「でも眞冬くんは私たちほど頭良くなかったから、2人で家庭教師みたいなことをしてたんだ。そしたら懐いたって感じかな。」

なるほど、という顔をしながら2人は歩いていたが、京子はまた立ち止まってしまった。

「でもその頭のいい方はどこいったんだ?」

そういった途端、クレイは通話越しでもわかるほど神妙になって続けた。

「あー、それは話せば長くなりすぎる。帰ってきたらのお楽しみだよ、それは。」

「「(なんか、含みがある…。)」」

「と、り、あ、え、ず、早く帰ってきてねー。まだAuGsなんだからさ。帰り道はその端末それぞれに送ってあるから。じゃーねー。」

それを最後にクレイは通話から外れたようで呼びかけても応答がなかった。

「えーなんだよ、クレイのやつ。なんかやな感じしたな。」

「何があったんでしょうね。まぁ今は言われた通り帰りましょう。」

「そうだな。」

そう言っていつの間にか立ち止まっていた2人は歩き始めようとしたのだが、またしても京子が何か話したそうに踏みとどまった。

「あ、じゃあ勝負しようよ。」

話したそうな何かとは、これのようだ。

「なんのですか?」

京子は果てのない江戸川の上の線路の向こうを指さした。

「この飽きるような直線、勝負したくなるだろ!」

「まさか。」

「「かけっこ、」だ!」

小学生のような挑戦に、2人は少しの興奮を感じた。

「受けてたちやしょう。手加減します?」

「おうおう、言うねぇ。するわけねぇし、させるわけねぇよ。」

2人は意気揚々と、利き足を同じ線路の枕木にあてがった。すると、なにか思いついたように虎は肩の力を抜いて言った。

「じゃあどっちか勝ったらなんかしますか。」

京子は数秒黙り込んだ末、ピンと来たようでそのまま答えた。

「じゃあ、あたしが勝ったらタメでいいよ。」

虎は思っていた答えと違くて顔が固まり、京子は言った後に薄く顔を赤らめて、切り替えの音頭を「よーし、やろうやろう」と手を3回叩いて取った。

それから京子はカバンから出しにくく、見えにくいところにあった空っぽのスプレー缶を、果てしない線路の地平線に投げた。

スプレーが地面に着いたのが見えた瞬間、虎はえぐれるような踏み切りで前方に駆けた。京子もそれと同時に、しかし、虎とは真逆に軽やかに踏み切って虎の躍動する背中を視界の片隅に入れた。

「(やっぱり、こいつめちゃくちゃ速いな。しかもパワーもえぐい。おもしれーじゃん!)」

京子は不敵な笑みを浮かべ、腕と足の振りを更に加速させ、さっきよりも本気になったようであった。虎はと言うと、自分の全力のスタートダッシュのすぐ後ろにまさか京子が追いついていると思えず、戸惑っていた。そこに追い打ちをかけるように加速する京子に、感覚だけだが目を見開いた。

「(どうなってんだこの人、なんで追いついてきてる?なんで抜かそうとしてる?だめだ、追いつかれる!)」

終始全力の虎に対して、右肩上がりに速度をあげる京子は、依然として余裕があったように思えた。江戸川の端がもう横目に見えなくなる頃には、京子の目に虎は映っていなかった。1人は膝に手をつき息を切らし、もう1人は両腕を上にあげて下ろしながら、2、3度深呼吸して落ち着いていた。

「ふぅ、あたしの勝ちだな。どうだ?“初めて”人に抜かされた気分は。」

「くっそ悔しいよ。これ以上ないほどに。京子さ…京子はなんでそんなに余裕そうなんだよ。」

「体力には自信あるんだよ。」

「それにしてもすぎるよ。」

「じゃあタメだなって、もうなってるし。にしても虎、すげぇな。あのスタートダッシュはつい見とれちまったよ。」

昼が長くなったとはいえ、もう夕日が沈みかけている。その西日を後ろに、京子は上機嫌で話す。

「なぁ虎、これからもうちにいてくれないか?」

その顔は夕日にも負けないくらい輝いていた。

その言葉は、真っ直ぐ虎に届いた。

「もちろん。京子たちと、これからも一緒に過ごしたい。」

それにつられてか、夕日のせいか、虎の顔もまた、輝いていた。

「だからまずは“僕たち”の家へ帰らないとね。」

「あぁ、そうだな。帰ろう、一緒に。」

この時京子は、再びある感情に迫られていた。クレイに抱かれた時と同じ、懐かしく、居心地の良さから来る親近感。

しかしそれは彼女の記憶の中では存在しない、するはずの無いもの。

懐かしくて、居心地良くて、ずっとそこに居たくなるような、別れを許さないようなもの。

2人の会話の一瞬の間に、後ろの誰かが京子に話しかける。

«…!!»

「何?」

京子は振り返っても、どこにも、だれも居ない。立て続けに奇妙なことが起こっていることに、気味が悪くなった京子は、目の奥にざっと幕が降りたように感じた。

「どうした?」

「今、なんか聞こえたんだ。」

「どんな?」

「いや、わかんない。」

京子は音と認識したことに間違いは無いのだが、その音が声なのか、物音なのか分からなかった。

「またなんか変なことしない?」

彼女は数時間前急に家を飛び出したのだから、虎はすこし身構えたように見えた。

「しないよ、誓って。」

虎はふっと微笑んで、2人はまた会話に戻った。

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懐獣は墜つ @arigaK10

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