第39話 本と醤油

 −未知流−


「本当に大丈夫なのですか」

「こんな底なし井戸に落ちたら死んじゃうわ」

 ルイードとナディシア、それにジュールが見送りに来た。


 今日は、ここに来てちょうど一年目だ。ジュールは束ねた長いロープを肩に担いでいる。

「もし向こうに行けなかったら、大声で叫んでください。僕がこれで引っ張り上げます」


 あの『井戸』の前でお別れをした。


「この井戸は、落ちない井戸って呼ばれてて、手を入れても何かに当たって入らないのよ」

 ナディシアはそういって手を井戸の中に差し出した。入らない。慶太と私の手は入る。


 日本人しか入れないんだ。転移装置は、日本としか繋がってないから?

「そっか、だから子どもが落っこちる事故とかなかったんだね」


 科学を知らない人々は、不思議な現象を何でも受け入れる。


「もしこっちに戻ってくる方法が分かったらきっと戻って来ます」

「そうしてください。お待ちしています」

 ルイードが俺と未知流の手を順番に握り、それから左胸に手を当ててお祈りの言葉を唱えた。

 ナディシアとジュールも同じ動作をした。


「じゃ行こう。頭から落ちるのは怖いから、足からな」

 慶太は私の手を握って井戸に足を掛けた。私は背が低いのでやっと届く感じだ。慶太が少し引っ張ってくれて縁に腰掛けた。後ろから三人が支えてくれた。


「一、二の三」

 私たちは跳んだ。


 ☆○


 私は自分の部屋のベッドの上で目覚めた。

「私生きてる?」

 

 枕元には、寝る前に読んでいたエッセイがあった。真ん中辺にしおりが挟んである。綺麗なちぎり絵の表紙だが、私は読む時は表紙の上に菓子折りの包み紙を被せている。表紙を汚したくないからだ。


 いつも着て寝る高校時代のジャージを着ていた。

 充電器からスマホを外して、日付を確認した。二千二十四年五月六日(月)午前六時〇八分

 異世界で目覚めた時から一日しか経ってない。

 えっ?あれは全部夢だったの?

 えっ、月曜日? 仕事は? ああ、祝日か。


「リーン、リーン」

 スマホに着信があった。黒電話の音を着信音に設定してある。画面には『慶太』と出ていた。


「もしもし、慶太?」

「未知流?無事だったんだ!」

「うん」

「未知流、逢いたい」

「私も」


 二時間後、私は東京の慶太のマンションの最寄駅にいた。

「未知流!こっち」


「ちょっと歩くけど」

「大丈夫」

 一年ぶりに履いたパンプスは、足にフィットして歩き易かった。


「ごはん、まだだろ?パンとコーヒーでいいか。美味しいパン屋が途中にあるんだ」

「コーヒー、飲みた〜い」

 一年以上飲んでない。


「狭いぜ」

「東京だもんね。仕方ないよ」

 慶太の1LDKのマンションは、小綺麗に片付いていた。



「あの国の神として君臨してた有馬って人は、慶太の子孫だったのかな」

「さあな」

星丸ほしまるってキラキラネームだよね」

「今から三百年後の名前だぞ。きっと何でもありだ。プンプン丸とか」

「バッドばつ丸」

「殺生丸」

「伊賀のカバ丸」

「何それ、知らないぞ。おじゃる丸‥‥‥これいつまで続けるのか」


「それが神様のシンボルだったなんて」


「それより俺の子孫って事は、お前の子孫でもあるって事だろ?」

「えっ?」


「俺たちの子孫だ。俺たち、結婚する運命にあったんだよ、未知流」

 慶太は私を真っ直ぐに見つめて言った。


「そ、そうかな」

 私は思いっきり照れて応えた。


「さ、そうと決まったら、婚姻届出しに行くぞ」

「えっ?」


 えええ〜っ、プロポーズは?指輪は?片膝ついてパカッは?



 −慶太−


 目覚めたら自分の部屋だった。学ランではなく、異世界で目覚める前に着て寝たフリースだった。高校生ではなく三十五歳の俺に戻っていた。


 向こうで一年暮らした筈なのに、一日しか経ってなかった。あっちの一年はこっちの一日なのか?


 すぐに未知流に電話して合流し、その日のうちに区役所で婚姻届を提出しようとしたが、未知流がプロポーズがなかったとゴネたのでまだ出してない。


 ☆○


「未知流、お前どうする?」

 二週間後の週末、未知流はまた俺のマンションにいた。俺たちはまだ別々に暮らしている。この二週間、俺たちはそれぞれの職場でいつもの日常を過ごしていた。


「慶太は行きたいんだね」

「うん、会社で働いて分かったよ。あの生活に戻りたいし、みんなに会いたい」


「また戻ってくる?」

「‥‥‥一緒に行ってくれないのか」

「‥‥‥仕方ないなぁ、もう」


 行く前にやっておきたい事があった。

 俺は未知流に頼み込んで、二人で区役所に行って婚姻届を提出した。片膝指輪パカッは約束させられたが。


 ☆○


「持って行きたい物はないのか」

「スマホ」

「バカか、電波ないから使えないぞ」

「分かってて言ったのに。懐中電灯は?電池だからいいでしょ?」

「科学技術で作られた物はダメだ。自然に反する」


「じゃあ、本」

「本ならいいよ」

「一旦帰って持ってくるね」

「早くしろよ。手に持てるだけにするんだぞ」

「分かってるって」


 ☆○


「あんた、何持って行くの」

 未知流は本を十冊、布のバッグに入れて持って来た。

「醤油」

「へ?」

「もっと美味しい焼き鳥を食べさせたいんだ」



「やり方が正しいか分からんが、やってみるしかない」

「そうだね」


 俺たちは狭いベッドに横たわった。俺は醤油のペットボトル、未知流は本が入ったバッグを持って。


「向こうに一年いたのに、こっちで一日しか経ってなかっただろ」

「そうだよね。ほんとに私、長い長い夢を見ていたんじゃないかと思った」


「同じだ。そうなると、向こうの一年がこっちの一日なら、こっちで二週間も経ったから、向こうは十四年後かも知れんぞ」

「ええ〜っ、長老亡くなってるかもじゃん!」


「かもな。さあ、念じろよ。ロンデン王国に一緒に行きたいって」

 俺たちは手をしっかり握りあって目を閉じた。


 ☆○


「成功だ!」

 俺たちはまた井戸のそばにいた。俺は醤油をちゃんと握っていた。未知流もバッグを持っている。


 すぐに教会に向かった。

 教会では、ルイードが迎えてくれた。

「おお、生きていたのですね。よく帰って来てくれました」


 十四年も経っているとは思えない。ルイードは全く変わっていない。

「えーっと、あれからどれくらい経ちました?」

 恐る恐る訊いてみた。

「あれからとは?」

「俺たちが井戸に入ってからです」

「二週間ですよ」


 よかった!あっちの二週間はこっちの二週間だ。



「またここで働かせてください」

 二人で司教に頼みこんだ。

「もちろんいいですとも、今度は正式に報酬を出して雇いましょう」


「俺たち結婚したんです」

 ルイードは、一瞬目を見張ったが、すぐに微笑みに替えて言った。


「それはおめでとう御座います。それじゃあ家がいりますね。この辺りで探してみて下さい」


 その後、ナディシアとジュールにも会って再会を喜びあった。ナディシアは泣いて喜んだ。長老(生きてた!)とエンゾとノーディンも歓迎してくれた。ロイスや他の子ども達も抱きついてきた。


 俺は三十五歳に戻っていたので、「老けた?」とみんなに言われた。老けたんじゃない、これがデフォルトだ!


 俺たちは教会の近くで空き家を見つけ、格安で手に入れた。お金持ってたのかって?マリエンヌを助け出す事ができた功労金として、ブライスコート伯爵家からたんまり貰っていたのだ。


 日本には一度戻って正式に退職手続きをし、それぞれの家族に結婚の報告をした。


 国王に挨拶に行った。

「決まったら教えてくれと言われていたので来ました」

「ずっとここにいてくれるんだな」

「はい」

「それはよかった。いつでも遊びにきていろいろ助言してくれ」

「助言だなんて畏れ多いことです」

 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る