第8話 家畜と九九

 –未知流−


 ロイスは孤児院の農作業や家畜の世話、炊事にも慣れ友達もできたようだ。普通の十歳の子どもらしい遊びもやっている。向上心があり算数の理解も早い。ただ、時々遠い目をして何か考え事をしている様子なのが気に掛かった。


「何か心配なことがあるの?」

「あのね、えーっと、あ、この計算を教えてください」


 ロイスはそう言ってさっきやったばかりの計算問題を指し示した。ちゃんと分かっていたようだけどなぁ。不審に思いながら教えてあげた。

 

 彼らが畑で育てている野菜は、日本で見られる物に似たようなのもあるし、見たことない野菜もある。まぁ、元の世界でも海外に行くと見たことない野菜や魚介があるので、それはすんなり受け入れられる。


 昆虫食の文化がある国もある。ここはそうでなくて良かったと思う。好き嫌いはあまりないけど、昆虫はちょっと‥‥‥。食わず嫌いと言われても仕方ない。


 グリームという野菜はこの国では一番ポピュラーな根菜で、冬の季節以外いつでも収穫できる。葉っぱも茎も根っこも全て食べられる全能野菜だ。根っこはジャガイモに似ていて、用途もほぼ同じだ。


 他にもダイコンに似た根菜、キャベツに似た葉野菜などもあるが、まだ名前を覚えられない。


 家畜で一般的なのは、カポランと呼ばれる山羊と羊と豚の合いの子のような動物だ。ん?三つでも合いの子って言っていいのか?


 カポランもまさに全能だ。

 ふさふさした羊のような体毛は、刈れば織物に使える。皮は皮革製品に、肉は食肉に、乳は飲料に、腸は腸詰に、角は加工して筆の軸とか、むちの持ち手などいろいろな製品に(ちなみにこの国にハンコの文化はないが、あれば材料になっただろう)、ひずめは煎じて胃薬になるらしい。


 さらにいえば糞尿は肥料として役に立つ。まさに家畜の中の家畜、キングオブキングである。肉は臭みがなく美味しいし、乳は牛乳とほぼ変わらない。


 これで、卵を産んでくれたら言う事無しなのだが、卵はニワトリに似たヌーツという鳥が産んでくれる。


 子ども達は、互いに助け合い教え合いながら作業をしている。年長の子どもは年少の子どもの親兄弟代わりのような関係だ。


 自分達で作った野菜の収穫のコツや草抜きのやり方、カポランに与える餌の作り方を教えたり、イタズラした子をたしなめたり、良いことをした子を褒めたり。自分達が先輩達にされてきたことが後輩達に上手く伝えられていく。


 食事も自分たちで作る。孤児院専属の職員もいるが、ノーディン院長曰く教育の一環で、子ども達の方が主だった仕事をしているし、手慣れている。


 なるほど、これらの経験は卒院したあと役に立つだろう。院長のいうことにも一理あった。少しだけ反省。でも算数も必要。


 算数教室でも得意不得意の分野が人によって別れてくると、お互いに教え合い、助け合っている。じつに微笑ましい光景だ。


 掛け算九九はとにかく声に出して唱えることが重要なので、子ども達は競い合うようにして、何か他の作業をしている時も唱えている。鼻歌を歌いながら仕事をしているようなものか。


 興奮して声が大きくなり過ぎた時は院長からうるさいと叱られている。算数教室を開くことに難色を示していた院長は、子ども達のこんな様子を見て少しずつ認めてくれている。



「この掛け算九九というのを、うちの子どもにも教えて貰いたいわ」

「そうそう、私もそう思っていたのよ」

 ボランティアで通ってきている地域の人たちから、自分たちの子どもにも九九を教えて欲しいと言われた。


 ルイードに相談すると、時間を作って教えてあげてくれと言われた。孤児院とは別件だからノーディンの許可は必要ないと勝手に判断した。

「地域貢献は教会の使命です。無料の講習会を開きましょう」


 ルイードは私たちに負担がかかりすぎないように他の仕事を減らすべく手配してくれた。まさに理想の上司像である。


 教会の隣にある集会所で、地域の子ども達向けに九九の授業をすることになった。ボランティアさんたちの働きで情報が伝わり、多くの子どもが集まった。



 –慶太−


「僕にも算数を教えて貰えないですか」

 ある日ジュールが遠慮がちに問い掛けて来た。


 ジュールは幼い頃に親から身売りされ、学校には行ってない。元より子どもを学校に通わせられるような裕福な家庭だったら子どもを売ったりしない。


「もちろんいいよ! 子ども達と一緒じゃあ恥ずかしい?」

「一緒でいいです。恥ずかしくなんてないです」

「炊事もあるからなぁ、ナディシアと相談しないと」

「はい。訊いてみます」


 一緒にナディシアの了解を貰いに行った。

「そりゃいい事だわ。計算が早くなるといろいろ便利だわよ」

「ありがとうございます。頑張って勉強します」

 ジュールは、嬉しそうだ。


「その代わりここはケイタかミチルが手伝ってくれるんでしょ」

「もちろんです。火加減見るの頑張ります!」

 ジュールは子ども達と一緒に算数教室に参加する事になった。


 集会所での九九の授業は、主に未知流がやった。未知流の方が子どもの扱いが上手いし、公務員としての経験から市民への対応も慣れている。週に二度、夕方から、二十人ほどの子ども達に掛け算九九を教えた。


 彼らは孤児院の子ども達とは違い、学校にも通っているので、この国の覚え方で九九を教わっている。ただし、日本で教わるような語呂合わせでの覚え方ではないので、暗記の苦手な子どもはこっちの方がいいみたいだ。楽しそうに暗誦している。


 未知流はこの授業の時だけスカートを履く。何か彼女の中で区別があるのだろう。

「んー、先生って呼ばれるし、キチンとしてる方が良くない?」

「確かに」

 じゃあ化粧もすればいいのに。


 地域の住民は、無料の講習会に参加できるお返しにと自分の店の商品や自宅で取れた野菜を寄付してくれるようになった。それはもちろん教会で利用された。


 思わぬ形で、お世話になっている教会や地域の人たちに恩返しができて、未知流も嬉しそうだ。

 掛け算九九教室は、口コミで広がり、もっと増えそうな予感がする。


 未知流に集会所での仕事が増えたので、教会や孤児院の仕事を俺が多めに分担することになったが、理想の上司ルイードの気遣いにより、日本で働いていた時ほどは辛くはなかった。

 ルイードがウチの会社の部長だったら良かったなぁ!


 ある日算数の授業のあと、ロイスに呼び止められた。

「あの、先生」

「ケイタでいいぞ」

「ケイタ先生、ええっと」

 先生って呼ばれるのは少しくすぐったい。


「どした、質問か?」

「いえ、あの‥‥‥やっぱり何でもないです」

「なんだ、どうした?」

「‥‥‥あの、シチハシジュウニでしたっけ?」

「五十六だ、覚えにくいとこだけどな」

「そうでした、ありがとうございます」


 おかしいな、ロイスはとっくに全段覚えていたはずだが。他に何か言いたいことがあったのではないか。そう感じた。


 談話室で未知流にそのことを話したら、未知流も前に似たようなことがあったと言った。今度ちゃんと聞いてやろう。

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