ナオミ×ホープ ③

 ようやく訪れた、親子の雪解け。その糸口。

 

 眠気を覚ますつもりが、半身をふらつかせてしまった7s。うっかり腕を棚にぶつけてしまった。音を立て、書籍が一冊、床に落ちる。


『人生二百年時代』著:ルーカス・イノウエ


「うおっ、ぶつかっちゃった。ごめんな」

 

 本を拾い上げた7sが、表紙を見て心底驚いた顔をした。鳩が豆鉄砲を食らったとはまさにこのこと。キョトンとしている。

 

「……ルーカス兄って、本を出したの?」


 7sは読書から最も縁遠い存在だった。パートナーの素っ頓狂な声に「家にもあっただろう」とヨシュアが呆れ顔で突っ込む。それまで張り詰めていた空気が一気に和んだ。


「義体化技術の論文だよ。障害者用装具から着想を得て、アップグレードさせたいんだと」

「私も実験に参加したんだよ? 死神の力を使って車を自動運転したんだから」


 赤い髪をねじったナオミが口を尖らせた。最初の単語で既に理解不能な7sは笑うのみ。頬杖をついたヨシュアがナオミをからかった。


「お前の能力って、本当に現代技術から追いつかれてるよな」

「言うと思った。もう、うるさいから黙って」


 ホープもバツの悪い顔をしていたが、普通に笑っている。ナオミとヨシュアは叔父と姪。メカニックオタクの技術談義に花が咲く。

 

 その様子に心和んだホープが、まずは両親に通話がしたいと立ち上がった。「いきなり会うのはまだ抵抗があるからさ」と照れた笑みを浮かべている。

 ナオミは安堵し切った表情で、秘匿回線からのアクセス方法を教えた。階段を上った夫は、スマホを手に寝室へ入って行った。

 

 一人手持ち無沙汰になった7sが、本をパラパラと捲っていた。中身はとにかく専門用語だらけで、何が何だかサッパリ分からない。しかし『人生二百年時代』というタイトルは、妙に気を引いた。

 

 ――本当にそんな時代が訪れるのかねえ。

 

 不意に、開いたページからメモがはらりと落ちる。ルーカス・イノウエのサインがしてあるそれには、一言『』とだけ書かれていた。


 兄として慕ってきたルーカスしか知らない7sの肌が粟立つ。異変に気づいたナオミとヨシュアも直ぐにメモを見た。


「ルーカス兄の字じゃん。なんなの、これ。ヨシュア、そっちに贈られた本にも挟まってた?」


 ヨシュアはナオミから手渡されたメモを眺めながら、心の奥底に言い知れぬ不穏が広がるのを感じていた。『死神は、この世からいなくなる』という言葉が、頭の中で何度も反響する。

 このメモがただの警告であるはずがない。ルーカスが何を意図しているのか、その真意を探る必要がある。

 

「死神がいなくなる……そんなこと、本当に起こるのか?」


 ヨシュアはメモをポケットにしまいながら、心に重くのしかかる感覚を振り払おうとした。今しがた、ホープの不安を取り除いたばかりだと言うのに。


 ナオミと同じ、キンドリー家の瞳――死神の目とも呼ばれる深い青に影が落ちる。


 ヨシュアはふと、自分が知る限りの世界について考えた。死神が存在することで保たれている秩序。もし彼らがいなくなったら、一体何が起こるのか? ヨシュアの心には、これまでにない恐れが芽生え始めていた。


 死神がいなくなる。それはすなわち、ヨシュアを除くキンドリー家全員が消える事も示唆していた。


「ルーカス兄さんは何を知っているんだ? なぜ今、このメモをお前に渡したんだ……」


 ただ分かるのは、かつての自分が好んだやり口だと言う事。

 新しい死神の介入を匂わせている。死神を殺せるのは、唯一、死神のみ。


 実験に参加したナオミも顔が強ばっていた。憮然とした口調で、独りごちる。


「クロエ姐の言ってた通りだ。ルーカス兄、変わった。典型的な権威主義者になってる」

 

 書籍にはクロエの写真と共に『愛する妻にじようする』と記されているのに。彼女の笑顔がどこか悲しげに見えるのは、ナオミだけではないはずだ。


「そんな話をしてたのか」

 

 ナオミは静かに頷き、クロエの辛い心情に思いを馳せた。彼女自身、次期特別顧客として指名をされている。それが、クロエの状況を悪化させるかもしれない。

 けれども自分がその役割を果たすことで、彼女を救える可能性だって同じだけある筈だ。


 心を決めたナオミが、澄んだ瞳でにやりと笑った。


「ガールズトークだもん。夫婦の間には色々あるんですよー。どう、ヨシュアも入る?」


 湿っぽいのは苦手と言わんばかりのサファイアブルーが、からからと笑う。大型犬を思わせる7sが眉を下げ、擦り寄った。


「俺を入れてくれ。屁理屈野郎と付き合う辛さなら、分かち合える」

「それ、僕の事を言ってるだろ」


 時は流れる。

 巨悪だった頃のヨシュアなら、決して警戒を緩めなかっただろう。けれども死神が人類の脅威となったのは、もう35年も前の話だ。


 時は残酷だ。

 死神と取引をする際、人命を対価とする行為は現在、禁じられている。


 時だけが真実だ。

 一度覚えた平和の味は、このままでいたいと思うに十分な甘美であった。

 

 ――考え過ぎだ。ルーカス兄さんが法を犯すなんて。かつての僕じゃあるまいし。


 ナオミもまた、真の異能に目覚める必要はないと考えていた。発現の条件は生命の危機に瀕する事。

 ただでさえ、二度の流産で辛い想いをしたのだ。敢えて命を危険に晒す気持ちにはなれない。


 何だかんだありつつ、幸せなのは事実なのだから。


「やっぱさ、平和なのが一番だよね」


 ナオミは、戯れ合っているヨシュア達を慈しむように見つめた。耳をすませば、夫が寝室から出てくる音が聞こえてくる。お腹には新しい命。


 クロエとルーカス夫婦が上手くいってない事を知るのは、ナオミと母アンナのみだった。スマホを手に取る。

 メッセージアプリには、クロエからのメッセージがあった。


『もしかしたら、離婚するかも。特別顧客の件だけど、再考してくれないかな?』


 それは見る度、ナオミの心に小さな傷を作った。


 クロエの置かれた状況はシビアだった。上手くいかない家庭、特別顧客としての責務、プルトのトリガー

 ナオミの目に切なさが宿る。


 ――クロエ姐、もう少しだけ待って。赤ちゃんが無事産まれたら、私もその痛みを引き受けるから。


 クロエは五人の子供を抱えて、もう15年以上、人間界と死神界の橋渡しをしている。夫婦の不和は、彼女の背景も確実に影を落としていた。

 

 それも夫と彼の両親とのすれ違いで、今日まで言えずじまいだったが。


 ――この子の命は何があっても、ホープと守るんだ。


 ナオミが心からの笑顔を浮かべた、まさにその時だった。酷く焦った様子の夫が戻ってきたのは。

 褐色の肌は青ざめて、黒みを帯びている。ワイシャツの襟元が乱れ、額には汗が伝っていた。

 

「どっちも秘匿回線に応答しない。暗号化メッセージアプリにも反応がないんだ」


 ヨシュアが素早く立って、ジャケットを羽織る。ぼうぜんと立ちすくんでいるホープの腕を引いてグイグイと歩き始めた。良く通る声が玄関まで響き渡る。


「直ぐにキングの所へ行こう。弟の能力なら救える。7sはナオミの側にいてくれるか」

 

 ホープの言葉で陣痛の始まったナオミが、それで良いと視線で訴える。7sには年の離れた弟妹がいる。妊婦の付き添いには慣れていた。


「ああ、了解だ。ホープ、大丈夫だからな。お前は過去を清算してこい」


 玄関を開けた時、ルーカスのメモがヨシュアのポケットから落ちた。不気味に舞って、行く先を妨害しているようだ。


』――夜空には暗雲が垂れ込め、愛する街は今にも雨が降り出しそうになっていた。

 


 -『ジョージ×クロエ×ルーカス』へ続く-




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(登場人物)

 ナオミ・キンドリー:35歳。キングとアンナの子。死神の能力者。夫は、レイラとカインの息子ホープ。身重で臨月。大学卒業後、突然海軍に入隊して家族と夫を驚かせた。現在は除隊して、次期特別顧客に指名されている。


 ホープ・イリック:35歳。顔立ちは母親のレイラ似だが、それ以外は父親のカインとよく似ている。素質と幼少期からの訓練でずば抜けた身体能力を持つが、普通のサラリーマンになった。ナオミの妊娠に幸せを噛み締めている。石頭。

 

 ヨシュア・キンドリー:35歳。本編ではキングの宿敵だった、一卵性双生児の兄。巨悪として地球をぶっ壊しかけた男。死神キングに救済され、二度目の人生を歩んでいる。冷徹っぷりは父親似。


 7s・スチュワート:35歳。ガチムチ脳筋警察官。身長190cm。幼稚園の頃からヨシュア一筋。アホの子だが、作品世界で一番の常識人。ヨシュアとは共に暮らして12年になる。

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