ナオミ×ホープ ②

 昔はここまで酷くなかった。二度の流産と東欧戦争勃発が、ホープの葛藤にダメ押しをしてしまった。

 母親は、クレムリンが政権中枢に置きたがった女だ。民間人ではないだけにタチが悪い。


 その時、ポコンと赤子がお腹を蹴った。「分かってくれる?」ナオミの独り言に、お腹の中の赤子が、さらに強く反応した。

 大事にお腹をさすったナオミは、リビング隅の小さなスペースに立った。

 産まれることの出来なかった我が子に祈りを捧げる。二人の子はルツ、セトと名付けられた。


「貴方たちからも、お父さんに言ってくれない? 仲直りしてって」


 ピンポーン――


 ふいにチャイムが鳴って、ナオミは顔を上げた。じっと玄関を見る。サファイアブルーの瞳が、収縮を繰り返した。


「おーい。ローストビーフを持って来たぞ、開けろ」


 外に居たのはヨシュアと7sだった。瞳をきようさくさせれば、玄関キーがカチリと音を立て開く。

 ナオミは、死神の子だった。死神を親に持つ父と死神を受胎出来る母の間に産まれた。


 賑やかな音を立てて入ってきたヨシュアが、ブルネットをかき上げた。勝手に開け閉めする扉を横目にはばかることなく呟く。


「お前の異能って、現代技術から追いつかれてるよな」

「それ、地味に傷つくから言わないで」


 週に一度は食事を共にする。ナオミは酷い味音痴だった。母親譲りだ、とヨシュアは思う。塩の塊を食べても「美味しい」なのだ。

 妊婦にそれはデンジャラス過ぎる。

 ヨシュアはタッパーをダイニングテーブルに置くと、キッチンに向かった。ワイシャツのままエプロンをしてスープを作っているホープに話しかける。


「こんばんは。ミネストローネ、作ってるんだ」

「昇進おめでとう、ヨシュア。少し食べていくか?」

「もちろん」


 身重のナオミは、楽な姿勢でダイニングチェアに腰掛けている。7sが、手際よく持ち込んだ惣菜を並べた。

 湯気を立てたミネストローネが、鍋敷きの上に置かれる。

 

 ダイニングテーブルに座った7s達は、目を合わせようとしないナオミ夫妻を見て、またかと心底呆れていた。

 

 ホープの頑なさは、幼馴染み全員にとって頭痛の種だった。


 そうでなくとも戦況は刻一刻と悪化している。子供が生まれるというのに、両親を切り捨てているとしか思えないホープの態度は、皆を困らせた。


 ――いい加減にしろよ。もう二年だ。

 

 業を煮やした7sが、ついに語気を荒げた。ホープにとって唯一無二の親友だからこそ言える、本当に耳の痛くなる言葉だ。

 

「お前さあ、しっかりキレてんだよ。ガチで親が憎いんだろ?」

「そんな事……過去は水に流したよ」

「嘘だね」


 ピシャリと言い放つブロンドとは対照的に、口角をあげたホープが、静かにスプーンを置いた。金色の瞳を7sに差し向ける。誰が見ても、怒っている。本人だけが違うと言い張っているのだ。

 

 7sの代わりに、ヨシュアが応えた。両肘をテーブルに着いて指を組む。


「お前の両親に非はない。彼らを使っていたのは僕だ。何故、僕に怒りをぶつけない」

「ホープ、怒るのは悪い事じゃないよ。私達の子供の前でも、そうやって笑うの? 目が怖いよ」

「もう黙ってくれよ……」

 

 繕った笑みにヒビが入る。突破口を見つけた7sは更に煽った。学生の頃、まだ友人ですらなかった頃そのままに。

 

 ――頑迷なんだよ、バカ。自分は全部分かってますって顔をして、良い子でいようとしやがって。


「なんだって? 万年反抗期。父親にはなりたいけど、大人にはなりたくないってか」 

「ハァ?」

 

 温厚なホープからは想像もつかない舌打ちが聞こえる。次に放たれたのは、親友にしか言えない叫びだった。

 

「黙れよ、7s! お気楽に育ったお前なんかに何が分かる!」

 

 ついにカインが感情を爆発させた。テーブルを乱暴に叩き、立ち上がる。7sを指差し声を荒げた。

 

「親父は俺にナイフを握らせたんだ! 俺は、戦士の血が流れてると喜んで訓練をした。テロリストの息子だぞ。どれだけ普通の家庭と違うんだ? 思い出すだけで吐き気がするんだよ!」


 まだ言い足りないのか、興奮した口からは犬歯を剥き出しになっている。ナオミは静かに立ち上がると、ホープの顔を両手で包んだ。柔らかくてふかふかの手のひらが温かい。


「今、許さなくていい。だけど命がなくなったら、機会を永遠に失っちゃうよ」


 ホープは妻の言葉に耳を傾けながらも、心がとぐろのように渦巻くのを止められなかった。話を終わらせてしまいたい。言い訳を探した彼は、臨月の妻を見た。


「でも、お前の身体が心配なんだ。陣痛が始まるかもしれないだろ?」

「聞くに堪えない。止めろ、ホープ。これ以上、ナオミを真綿で締めるな」


 ヨシュアの低い声に、場の空気が一瞬で凍った。かつて巨悪だった者特有の迫力に気押されたホープ。彼はついに諦念して口角を下げた。

 

 出産前の祝いにおおよそ似つかわしくない、冷え切った宴の席。

 身重のナオミを困らせている。ヨシュアの言う通りだ。

 

 普通に固執しているのは、俺だけ。

 皆、課せられた運命は重いのに。

 それでも、一生懸命生きているのに。

 

 唇を噛んだホープは、ナオミ、ヨシュア、7sの顔を見た。 

 それはまるで、コップから溢れた水のようだった。積年の想いが濁流のように押し寄せてくる。口が言葉にするのをやめてくれない。

 

 最早、悲鳴のようなホープの本音がこだました。


「どうして心の準備も出来てないのに、一方的に真実を告げたんだ! 俺は墓場まで持っていってほしかった。親が人を殺したなんて話、聞きたくなかったんだよ!」


 その時、ナオミが額をホープの額に擦り付けた。それは、最愛の証。ずっと傍にいると言う誓いだ。何度も擦りつけては、真剣な眼差しで夫を見つめる。

 

「愛してるから辛いんだよ。本当に血が憎いならこうして……」ホープの手をそっと導く。「子供を作ろうなんて考えないでしょ」

 

 優しく溶けるように、ナオミの温かさが彼の心に沁み渡ってゆく。やがてホープは妻の肩に顔を埋めた。

 涙を堪えるホープに、ヨシュアがファビュラスなハンカチを投げてよこす。7sが隣で小さく頷いた。親友として語りかける。

 

「親と向き合ってやれよ。あの人らも人間なんだからさ」

 

 黙って彼らの言葉を聞いていたホープは、ついに決心がついたように口を開いた。


「……分かった、両親のところへ行く。ちゃんと話をして、連れて帰るよ」

 

 その言葉を聞いて、全員の口から安堵の溜め息が漏れ出た。束の間の沈黙の後、シャツの襟元を正したヨシュアが、蕩々と告げた。

 

「入国は安心すると良い。偽名での参加だが、戦果を認められた。彼らの国籍はもうソビエトではない。正規のルートで、入国を認められた」


 ヨシュアはこの話を殆どしなかった。水面下で動いていた事を初めて知った7sが、目を丸くする。

 と同時に、長らく続いた緊張が解れて急に眠気が襲ってきた。

 見ればナオミも同じなのか、酷く眠たそうな顔をしていた。

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