第10話 権力の驕り(ペトルス王子視点)
エリュシオンとアシュフォード伯爵家の協力関係が崩壊したという情報が届いた。伯爵は、エリュシオンとの交渉すら満足に出来なかったようだ。
このまま放っておけば、伯爵家は没落の一途をたどるだけだろうな。もともと、没落寸前の危機だった。そんな状況で運良く、エリュシオンという収入源を手に入れた。それを失えば、前に戻るだけ。伯爵は、とんでもない失敗をしてしまったな。
だが、伯爵家の失敗は、俺にとっては絶好の機会でもある。奴らが築いた関係を、この隙に俺が横取りしてやろう。
焦りは禁物。確実に計画を進めていく。そのために俺は、エリュシオンの中でも特に有望と噂されている若手芸術家、ルーカスを呼び出した。
初対面の彼は、真面目そうな青年だった。だが、社会経験の浅そうな若造だ。権力と財力の前では、誰もが屈服するものだろう。
「よく来てくれた、ルーカス。早速だが、我が王家に協力してくれ。正当な報酬は惜しまん。好条件で迎え入れてやろう」
俺は穏やかな口調で持ちかけた。ルーカスの返事を聞くまでもなく、取り入る算段をいくつも思い描いていた。まずは彼を手に入れて、それからエリュシオンの仲間を順番に取り入れていく。最終的に、ヴィットーリオにも認めさせる。そういう算段。
「申し訳ありませんが、お断りします」
だが、彼の答えは俺の予想を裏切るものだった。ルーカスの瞳には、これまで見たことのない強い意志の光が宿っていた。
「何だと?」
思わず声が荒々しくなる。そんな答えは予想していなかった。拒絶の言葉に、俺の自尊心は深く傷つけられた。
「俺たちが求めているのは、エレナ嬢の評価だけです。金を得るために創作しているわけではありませんので」
ルーカスの言葉は、あまりにも意味不明だった。評価を得るため? 大金を出すと言ってやっているのに。
「ふざけるな! あんな小娘の評価など、なんの意味もないだろう。この俺が金を出すと言っているのに、それでも断るというのか!」
王家からの申し出を断るなど言語道断。常識をわきまえぬ若造め。だが、ルーカスは微動だにしない。まるで石像のように冷たい表情だ。
「いくら喚いたところで無駄です。俺の決意は変わりません」
「お前のような下賤の者が、俺の命令に背くというのか! 命令に従わぬ者には、牢獄か死刑台が待っているのだぞ!」
俺は本気だ。脅しではない。王家の権威を軽んじる行為は、即座に処罰されるべきなのだ。
「ならば、殺してみろ」
「……っ!?」
ルーカスの声は低いが、揺るぎない意志を感じさせた。その態度に、俺は我を忘れそうになる。
「そんな非道な振る舞いが知れ渡れば、民衆はあなたに反発するだろう。誰もあなたに協力しなくなる。無意味な脅しだと、わかりそうなものですが」
俺は歯噛みした。確かに、エリュシオンの影響力は強大だ。下手に手を出せば、反感を買うことになりかねない。
だが、ここまで言われて折れるわけにはいかない。俺は王子なのだ。誰にも舐められるわけにはいかないのだ。
「……覚悟は決めたようだな。ならば、お前の家族を牢獄に放り込んでやる」
俺はルーカスの弱点を突こうと、彼の家族を人質に取ると脅した。だが、ルーカスの反応は変わらない。
「残念ですが、その脅しは通用しません。俺には血縁の家族がいないのです」
「な、なんだと……!?」
予想外の事実に、俺は動揺を隠せない。家族がいないだと?
「あるいは、エリュシオンのみんなが俺の家族です」
ルーカスの眼差しは真剣そのものだった。その瞳には、仲間を思う熱い想いが宿っている。
「もし彼らを脅そうとすれば、エリュシオン全体があなたに敵対するでしょう。無駄な努力だと思いますが」
俺は唇を震わせた。怒りと屈辱で、体中の血が逆流するようだ。脅しが通用しないばかりか、逆に脅されているような気分。最悪だ。
「……いいだろう。死ぬ覚悟があるというのなら、望み通りにしてやる」
俺は絞り出すように言葉を吐き捨てた。とにかく、目の前の男だけ後悔させてやる。死刑を執行する。どうにかして、エリュシオンと敵対しないような理由を考え出そう。
その時、部屋の扉が不意に開いた。
「まだ話している途中だ! 勝手に入ってくるな!」
俺は怒鳴りつけた。だが、開いた扉の間から、召使いの恐れをなした声が響く。
「も、申し訳ありません。ですが、……お客様が、どうしても今すぐお話ししたいと」
何を言っている。今すぐに出ていけと言おうとした時、扉の向こうから騒がしい物音が聞こえてきた。
「お、お待ちください! まだ、お話の途中で……」
そんな制止の声を振り切って、一人の男が部屋に入ってきた。
「お、お前は……!」
俺は彼を知っている。いや、知らぬ者はいまい。
「失礼します、ペトルス王子」
低く抑えた声が、静寂を切り裂いた。
「勝手に大事なメンバーを勧誘するのは、おやめください」
ヴィットーリオだ。怒りを孕んだ鋭い眼光が、俺を射抜く。その風貌は、まるで怒れる獅子のようだ。
「ヴィットーリオ様!」
ルーカスが感嘆の声を上げた。師を慕う弟子の眼差しだ。
「あまり無茶をするんじゃない、ルーカス」
ヴィットーリオはルーカスを諭すように言った。だが、その眼差しは俺から離れない。まるで獲物を狙う猛獣のようだ。
くそっ。なんで、こんなことに。だが、俺は王子だ。まだ、交渉の余地もあるはず。ここは落ち着いて対処しよう。そうすれば、上手くいくはず。
【試作】才能の園 〜婚約破棄された令嬢と芸術家集団の絆~ キョウキョウ @kyoukyou
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