第14話 覚悟
『―――!』
『―――、――』
『―――!――』
…あれ、なんだ?周りが、騒がしい…。
もう朝になったのか、とレイが目を覚ますと、そこには澄んだ風が吹き抜ける、暖かな日差しのさした草原だった。
「あれ…、さっきまで………?」
さっきまで、何もない暗い公園にいたはずだ。しかしここには錆のついた遊具が一つも見当たらない。レイは首を傾げたが、それと同時に、何か不思議と温かいものに包まれているような感覚がした。
レイは、草原に立っている。一人で、立っていた。
その時、どこからか草を踏み分ける足音が聞こえてきた。
「レイさん!」
「っ……、え?」
突然後ろから声をかけられ、レイは肩を跳ねさせながら振り返る。どこかで聞いた、澄んだ女性の声。そして、その声を発した人物は、どこかで見た、煌びやかなドレスで着飾った、明るい少女だった。
明るい。以前見た時よりも、数倍明るい表情をしている。
「……以前?」
「この度は、本当に、本当に、ありがとうございました!」
レイの疑念をよそに、その少女はガバッと勢いよく、しかし優雅にお辞儀をした。
「…ええっと……?」
理解できない光景に目を白黒させていると、今度は周りからたくさんの声が降ってきた。
「レイさん。あなたは命の恩人です。本当に、ありがとうございました!」
「もう、レイ様には感謝の意しかないです!」
「嬢ちゃん!この前はマジで助かったぜ!」
…え?…あ、れ……?
「レイ、お疲れ様!今日もいい狩りっぷりだったよ!」
「レイ…すまない。でも、本当にお前がいてくれてよかった。ありがとう!」
「レイ君、君は本当に私の期待を悠々と超えていくね。すごいよ。」
えっ…ちょっ…!
「レイ兄ちゃん!また遊ぼうね!」
「レーイー!まじサンキュっ!おいおい、照れんなよーっ!」
「ほら、お前ならできるって、俺言ったもんな!」
これ……全部……!
「私たちがついてるから!思いっきりやっちゃって!」
「レイちゃん!あーりーがーとーうー!」
「ふふっ。こんな僕と、一緒に旅をしてくれて、ありがとう!レイ!」
どこかで聞いたような声。どこかで聞いたような言葉。
「…みんなっ……!」
今まで、転生するたびに助けた人たち、一緒に過ごした仲間たち……。
「そう、だよ……。数え切れないほどの感謝も、期待も、信頼も、全部本当は大切にしたかったんだよっ!」
もう会えないから、もうその声は聞けないから、と心の中で割り切っていたはずだった。たとえ会えたとしても、レイのことは覚えていないはずだから。
「それが悲しくて、辛くて…!でも一度聞いた言葉はずっと消えないから…!」
それを、重荷に思って、勝手に捨てていた。忘れて、なかったことにしようとした。自分の痕跡を消した上で……、その平和な世界が誰によって作られたものなのか、みんなは気にしなくていい。
今まで、どこかで起きていた争いなんか、なかったかのように、過ごしてほしい。
……けれど、本当は、もっとみんなと一緒に過ごしていたかった。その世界に、レイという異分子を受け入れてくれるような仲間の中に、ずっと、いたかった。
「……あ、記憶………。」
ルセが、戻したのだろうか。
まだ、レイの周りからは、レイへの言葉がたくさん聞こえてきている。それをちゃんと受け止めたいのに、笑って返したいのに。
「あ……、あぁっ……。」
涙が、止まらない。
腕で拭っても拭っても、それは溢れ出て止まらない。
「…だから、戻したくなかったんだ……。」
いつか、この無限のような転生も終わる。そして、きっと自分もその時は死ぬ。今までの、死んでもすぐ次の生が始まるなんてことが、なくなる。
それがわかっているから。もう辛いなんて思いたくないから。
その前に消えたいなんて思いが、揺らいでしまわぬように。彼らの声を……仲間を、楽しいことを、一切忘れて、これ以上生に執着するなんてことがないように。
「でも……違う、よな。」
そうやって、最後の人生を途中で降りてしまったら、そんな彼らの声に応えられなくなってしまう。それは、みんなを裏切る行為に等しい、じゃないか……!
「レイ!元気で!」
「また無理なんかしちゃダメだよ?」
「これからも、頑張れよ!」
「適度に、ね!」
「レイ!生きて、また…また、会おうね!」
あぁ、そうだ。俺は応援されて、心配されて、支えられて………!
いくら、それに無理に答えたくなってしまいそうで……、嫌なはずの転生を繰り返して、自分の中でもう苦しみたくないなんて考えて…。
――お前は本当に、いつも孤独だったのか?
「ははっ。そう…そうだよな。」
この記憶を…大切な人たちを、仲間を捨てて、勝手に孤独を感じてたとか……。
「俺が、バカだったよ……」
レイは、彼らの方へ、顔を上げる。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっているが、嘘偽りのないと思える笑顔であった。
彼らは、手を振って、少しずつ少しずつ、ふんわり消えていった。
◆◆◆
今度は、現実世界で目が覚めた。レイの瞳に、朝の明るい景色が映る。数時間前と変わらない場所にいるはずなのに、印象がガラリと爽やかな方へ変わっている。
しかし、どこか視界の端が歪んでいる。遊具の形が、少し曲がっている。
その時、レイは自分の頬を伝う何かに気づいた。
記憶の…夢の中で流した涙は、現実でもとめどなく溢れていた。
「ごめん……。みんな……。」
涙と共に、レイはそう言葉をこぼした。
と、不意に、レイは自分のすぐそばに誰かがいるのに気づいた。
「全く……。手間をかけさせて……。」
不機嫌そうな黒猫―ルセだった。
「ルセ……。度々、すまなかった。俺が弱いばかりに……。」
「本当だ。私が見守っていて正解だったな。最初から、無意識下でも抱えているその大きすぎる意志で、お前はお前自身に潰されるんじゃないかと思っていた。」
「はは……。全てお見通しってか。」
さすが、ルセだ。とルセに聞こえないように呟く。
そうしてずっとうずくまっているレイを見て、ルセが呆れた声を出した。
「ほら、早く帰れ。みな、家でお前を待っている。さっさと割れた魂を一つに戻すぞ。」
「………あぁ。」
ルセに返事をして立ち上がったレイは、自分の体が少し軽くなったような感覚を覚えた。肩の荷が……それも、勝手にとてつもなく重くなっていた荷が、降りたようだった。
昨日と同様に、レイは走る。しかし、今日は隣でルセも共に走っている。家へ向かって、清々しい風を感じながら。
「…お前は……私の作った分身体で出歩いたんだ……。魔力を辿れば…すぐに居場所なんかわかるに決まっている…。別に…無理に追いかけずとも…すぐに…」
黒猫は、走りながらぶつぶつ何かを呟いていた。その目の端には、きらりと光るものがあった。
猫の状態だからわかりにくいが……もしかしてルセ、泣いてる……?
レイが走りながらも、じーっとルセを見つめていると、
「なっ……!そんな見てんじゃないわっ!」
「いてっ」
黒猫から猫パンチをお見舞いされた。
◇
思っていたよりもそう遠くない場所だったのか、小一時間走ると、すぐに家に着いた。
一度深呼吸して、ゆっくりとドアを開けた。
「玲っ!」
その瞬間、薫がレイに飛びついて、優しく抱きしめた。
「あ、ちょっ…薫、動けないって………」
「どこ行ってたのぉ…!心配したんだからぁ!」
レイの声を聞いていないのか、泣き叫ぶように話す薫は、レイを包む腕にぎゅっと力を入れていた。
「ごめん…。ごめんって。ほんとに…。ごめん、薫。」
「うぅぅ…、玲ぃぃ……!」
二人が玄関で座り込んでいると、
「あっ!玲じゃん!玲いるじゃん!!!」
「玲ちゃん…!よかった、戻ってきたんだ…!」
そう言って、リビングの方から二人の少女が現れた。
「彩華、紬希!来てたん……うぇっ」
久しぶりに会う友人に驚きの声を上げた瞬間、今度は彩華も玲に飛びついてきていた。紬希は、団子状態になっている三人を優しく見つめながら、ゆっくり歩いてきた。
「昨日の夕方に、突然大きな音がしたから…。何だろうって思って外見てみたら、ちょうど玲ちゃんが飛び降りてたし…。それに、こっちもこっちで薫ちゃんが大変なことになってたから…。」
「玲と同じ見た目してるのに玲じゃない人いるし!なぜかロエル様もいるし!しかも何にも話さないし!」
なるほど。紬希と彩華がどういう経緯でここに来たのかわかった。きっと、薫のことを慰めていてくれたのだろう。………ん?
「あの二人は……?」
「……二人はまだ玲の部屋にいるよ。一応、まだロエルと玲の関係は彩華たちにも隠してるから、今は出て来られないんじゃないかな。」
彩華の言葉に疑問符を浮かべていると、薫が二人に聞こえないくらいの小さな声で、玲に囁いた。
「えっと、もしかしたら邪魔になるかもしれないから…。一旦、私たちは戻ろうかな。ね、あやちゃん。」
薫の行動に何かを察したのか、紬希は彩華を玲から引き剥がしてそう言う。
ちょっと、パワフル……。
「えぇ!?そんなっ!まだちょっとしか!」
「少なくとも、薫ちゃんとの二人の時間邪魔しちゃ悪いでしょ。」
「うぅ……。」
彩華は少し抵抗していたが、紬希の言うことに従って、玲の顔を見つめながら隣の部屋へ帰って行った。紬希もそれに続くかと思ったが、一度振り返って玲に顔を寄せ、
「…でも、ちゃんと、後で全部教えてね?玲ちゃん。」
と少し低めの声で言い、くるりと出ていった。
「………」
「玲?」
一瞬レイは身震いをしたが、薫の呼びかけに頭を切り替える。
「薫。……もう大丈夫。ロエルが、待ってるでしょ?」
「うん。そう、だよ。ちゃんと、みんな待ってるよ。」
レイは立ち上がると、薫の手を引いて中へと入った。
「っレイ!君は……!?」
玲の部屋へ入った途端、ロエルがガバッとその場から立ち上がった。その表情は仮面で隠されており、読み取ることはできない。
「ごめん、ロエル。心配かけた。悪かった。」
「レイ……。」
彼は仮面を外さない。今、その顔はどんな感情を表しているのだろう。
レイにはなんとなく予測はついていた。きっとロエルはそれを隠しているつもりなのだろう。しかし、声から滲み出るその感情は、隠しきれていない。ただ、レイは心から悪かったと思っているからこそ、それを指摘するなどということはしなかった。
ロエルの表情を気にした直後、ふと、自分の頬が少し強張っていることに気づく。
「ふっ。」
思わず、笑みが溢れる。…何に対しての笑みか。
自分の愚かさへの嘲笑だ。少し、緊張していたみたいだ。こうして帰ってくることで――一度拒絶したにも関わらず、またすぐに目の前に現れることで、自分の仲間が、どう思うのか。少なくとも、さっきの薫の態度で、わかるだろう。それに、前世を共に過ごしたロエルのことだって、わかっているはずだ。
だから、きちんと言わなければならない。薫と、ロエルがいる、今この場で。
「レイ。覚悟は、決まったのか。」
先ほど、気づいた時にはもういなくなっていた黒猫が、再び玲の机の上に座っている。そして、レイは黒猫の言葉に力強く答える。
「あぁ。決まった。薫。ロエル。俺は…私は、この世界で生きる。そして、『全ての世界を救う』。この世界でも、できる限りの力を尽くす!」
それが、たとえ夢物語だったとしても、この世界でだって、私は一人じゃない。
「っ!玲っ!!うん、生きよう!私も……私も、手伝うから!」
「…っ、レイ。僕もいる。僕もいるから、また……君と……!」
薫が、玲の親友の彼女が、玲の宣言に応えた。そして、ロエルも、涙交じりの震えた声で、レイに応える。
その仮面の下は、涙でいっぱいにならないのだろうか……とレイはおかしなことを考えてしまったのはやむを得ない。
「おかえり、レイ。」
そう声をかけたのは、これまでずっと見守りに徹していたレイ・フェルザリアだ。
「…あぁ、ただいま。」
「君の選択は、間違ってないよ。だから、これからは自信持ってね。」
玲と同じ容姿で、同じ声で、優しく話す。
自分と同じ記憶を共有している相手。いや、彼は自分自身に他ならないのだが、玲にとっては、他人のような気もしていた。自分と全く同じ感情を共有できる他人。それ故に、この別れが少し寂しい。
「僕は、ずっと玲の中にいるからね?僕はずっと見てるよ。」
「あぁ、わかった。」
レイ・フェルザリアと同じ高さにある視線を交わす。
黒猫はこちらへ歩いてきて、二人の間で止まる。
「―――――――」
黒猫が、何かを呟くとともに、あたりが白く光った。
「バイバイ、玲。」
「っ!あぁ、じゃあな。」
白い光に、視界が遮られる。魂の片割れ――玲が入っていた方の分身体が、音もなく崩れ去った。その瞬間、玲は体から離れ、独特の浮遊感を味わった。そして、小さな二つの魂は、互いに溶け合い、融合し、七瀬玲の肉体へと宿った。
レイは、心のどこかに小さく空いていた穴が埋まっていくのを感じた。今までのレイの記憶と、レイ・フェルザリアの記憶が頭に浮かび上がる。
……お互い、大変だったな。でも、良い事だって、ちゃんと、あったんだな。
目の前の白い光が収縮していく。
◇◇◇
玲の顔が、硬いものから朗らかなものに変わったように見えた。
「これで戻ったはずだ。レイ、調子はどうだ?」
「…あ、あぁ…。平気だ。」
玲は、落ち着かない様子で自身を見回している。
薫は自分の目に溜まった涙を拭った。こうして自分の目で見える通り、そこにいる玲は、ちゃんと玲だ。
「これで、もう私は、〈転生の女神〉としての仕事を終えた。あとは、お前が足掻くだけだ。」
「あぁ、わかってる。」
「だから……もう、私はこれ以上お前のそばにいる必要はないな?」
「……っ」
黒猫――ルセ神の言葉に、玲が目を見開く。ルセ神は、そうするのが当たり前、というように話していた。しかし、薫には、どこか寂しさを隠しているような声にも聞こえていた。
「そう、だな。今まで…」
「えっ、ちょっと待って!」
今、玲は何を言おうとしてた?本当に、それでいいの?
思わず玲の言葉を遮ってしまった薫は、玲のどこかを向いた、わずかに震える瞳を見つめた。
「……かお、る…?」
「えっと、ルセ、様?あの、この家にいることって、できないんですか…?」
玲の瞳は、驚愕の色に染まった。
「え、いや…、それって、ルセを、黒猫として飼うってことか?」
「えっと、だめ、かな?」
『黒猫として飼う』、という表現になってしまうのは、仕方がないのだろう。しかし、玲たちの話によると、その中身は女神様だという。神様をペット扱いしてしまう、ということに薫も引けを感じてはいるが、それを気にしている場合ではない。
「僕も、ルセさんにはここにいて欲しいです。今まで、レイを見守ってきたあなたなら、レイの助けになってくれる。そうでしょう?」
ロエルの半ば強引な一押しで、ようやく黒猫は口を開いた。
「まったく…。別に私は猫だというわけではないんだが……。まぁ、この世界ではほぼこの姿でいるだろうしな……。」
やれやれ、とため息を吐く黒猫は、玲の方を向いた。
「いいだろう。レイが良ければ……これからもレイの面倒を見ることにしよう。」
「はっ!?ルセ、お前まだ私といるつもりかよ…。ってかお前が黒猫ってことで飼われんだから、面倒見られるのはそっちの方だろう!」
黒猫の好返事に、玲のテンションは明らかに高くなった。
そんなことを言っている玲だが、内心喜んでいるのだろう。薫は、素直じゃないなぁ、と言い争いを繰り広げる二人を見て微笑んだ。
「じゃあ、決まり!」
薫のその声に、黒猫と玲はピタッと口論を止めた。そして静かに、お互いにまっすぐな視線を向けた。
「……ふむ。ではレイ、これからもよろしくな。」
「…あ、あぁ、ルセ。…これからも、よろ…し…」
その瞬間、玲はふっと体の力が抜けたように倒れた。
「玲っ!?」
咄嗟に、ロエルが玲の体を受け止めた。
意識はない。また、何かあったのだろうか、と薫とロエルは顔を見合わせる。そこに、
「心配いらない。いきなり魂の形が戻ったんだ。それに対する、身体の当然の反応だろう。別に大したことはない。」
そっぽを向いた黒猫の、冷静な声だった。そして、少し温かみを増した声で付け足した。
「…それより、レイ自身も疲労が溜まっているだろうし、寝かせてやれ。」
「そうですね。」
「…なんだぁ、びっくりした。」
薫はそっと、胸を撫で下ろした。
ロエルは玲を部屋のベッドに寝かせ、
「ごめんね。レイの無事も確認できたことだし、僕はこれで帰ることにするよ。一晩明けちゃったし、部下も困っているだろうからね。少し話したいことがあるんだけれど、それはまた今度にするよ。」
「あ…うん。ロエル、ありがとう!」
「ふふっ。うん、またね。」
結局、ロエルは昨日の夜仮面を着けたっきり、外さずにこの場を去っていった。
「……ふぅ、よかった…。本当に。」
そう呟いて玲の方を向くと、久しぶりに見るような、穏やかな寝顔をしていた。そして、その上に黒猫が丸まっているのを見て、思わず笑ってしまった。
そして薫は、二人を起こさないよう、ゆっくりと部屋を出ていった。
◇◇◇
玲が目を覚ますと、その頬に一筋の涙が流れていた。
何か、温かい夢を見ていた気がする。それと同時に、謎の喪失感が胸の中に広がっている。
カーテンを開くと、強い光が玲の潤んだ瞳をより一層輝かせた。
「…ん、朝…?えっと…昨日は…」
玲は大きく伸びをして、曖昧な頭を回そうとする。
あぁ、そうだ。昨日は、魂を元に戻したんだった。それで……その後ずっと寝てたのか。
また丸1日寝てたのか、と心の中で笑いながら、部屋のドアを開けた。
転生される世界で、甦る記憶に後悔を染める 天海湊斗 @azarashi_y
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