第13話 大切なモノ


 話し終わって、レイはなんだかホッとしたような、けれどどこか寂しいような感情を抱いた。自分が、どんな経験をしてきたのか。それをどう感じてきたのか。まだ一部しか思い出せてはいないが、それでも莫大で、整理のつかないような苦しみを、誰かに吐き出してしまいたかったのかもしれない。

 その場には、沈黙が流れている。

 当たり前だろう、とレイは苦笑する。

 こんな話、人によっては信じすらしてくれないだろう。誰も、この記憶も感情も、簡単に想像できるわけがない。

 次に出てくる言葉はなんだろうか。薫やロエルがこの話にどう思ったのか、ただそれが怖くて仕方がない。レイは1人、それを表に出さないように、静かに目を閉じた。その寸前に、薫の手が固く握られているのが見えた。


「その……。」


 最初に沈黙を破ったのは、ロエルだった。

 その口から、どんな言葉が出てくるのか。レイは頭の中で、様々な可能性を思い浮かべた。


「何から言えばいいのか、正直わからないいんだけれど……。」


 その言葉の節々に、慎重さが伺える。無意識に瞼に力が入る。


「まずは……。レイ、お疲れさま。……なんて、言いたいかな。」


 それは、レイが考えもしなかった、冷えた手を温かくほぐしてくれるような、優しい言葉であった。

 レイは思わず、閉じていた目を大きく開いた。


「あっ、いや…。ちょっと、偉そうなこと…言ってるかな。でも、…君は、たとえ、その思いが他の人にうまく伝わっていなかったとしても………、君が、人々を救ったっていうのは、事実なんだろう?……それに、君は僕にとっても英雄だよ。」


 ロエルの慌てたような口ぶりに、レイは小さく笑みをこぼした。そして、少し潤んだような瞳を下に向け、


「…そっか。……ありがと、ロエル。」


 と小さく口ずさんだ。

 その瞬間、レイの中では、初めて形を持った、達成感のようなものが広がっていた。


「…それで、なんだけれど。君の話で考えると、二つに分かれた魂の一方は七瀬玲に、そしてもう一方の片割れは……」

「僕だよ。」


 ロエルの言葉に続いて、レイ・フェルザリアが声を上げた。


「…なるほど。レイの魂が二つに割れた結果、一方はこの世界に、もう一方は他の異世界に転生した。けれど、異世界に行った方は殺されてしまったから、この世界の玲の体へ引き寄せられた、ということだね。」


 ただ、レイには一つ疑問があった。全ての世界を渡ったはずのレイの魂の片割れが、なぜあの世界へ転生したのか。まだ全ての記憶を思い出せたわけでないレイは、あの世界へ転生した時の記憶も未だないのである。そのため、自分が以前あの世界で何をしたのか、全く見当がついていない。

 まぁ、それよりも、だ。


「これ、一つの魂が分かれた状態だから、私の魂は普通の魂よりも小さくなってて、体積的には一つのバッセルに隙間ができることになるんだよ。そこに、死んだレイ・フェルザリアの魂がねじこんできたんだ。………そりゃあ、あんだけ苦しまされるわけだよなぁ。」


 レイは、数日前の、自分が入院していた頃を思い出した。もう二度と経験したくないような悪夢の連続。

 …あれは、本当に辛かった。

 思わず、身震いしてしまう。正直、前世までの記憶で経験したことの方が辛いものが多いわけだが、そんな覚悟もない中で味わせられたあれは、まさに地獄であった。

 しかし、だからといって…。


「……玲が……無事で、本当に良かった……!」


 薫が、安心したような表情で、そんなことを言う。レイの中で、少しの罪悪感が芽生えた。

 ………まだ、なんだよな。

 レイは、うつむいて苦い顔をした。しかしすぐに、キッと顔を上げて、すました態度を取る黒猫の方にきつい眼差しを向けた。


「…お前が、レイ・フェルザリアを殺さなければ良かっただけなんだ。こいつの姉のような存在だったって言うんなら、殺す以外の選択肢もあっただろう?なぁ、女神。」

「何を言う、レイ。多くの人を救うと言ったお前が救われずどうする?」


 レイの冷たい声に、黒猫は当然のように反論する。しかし黒猫の言葉は、レイには理解できなかった。

 …俺が、救われる………?


「はぁ?あいつを殺して、俺が救われたとかほざくのか?つい最近まで、そのせいで俺が苦しんでいたって言うのにか?」

「わかってないな。疲労で割れた魂。片割れは全てを捨てて最後の人生、もう一方は他の世界で暴走。……はぁ。全く、見ていられるわけがない。……あの頃のお前は、どこへ行ったのか……。」


 黒猫のさも呆れたかのような声に、レイは肩を振るわせる。


「確かに、あいつの暴走を止めてくれたことは感謝してるよ……!?けどさ、だけどさ……!!」

「え、えっと、あの…!ルセ、さま…?」


 レイの荒々しい声が勢いを増す中に、遠慮がちな薫の声が飛び込んだ。

 レイはハッとして薫の方に目を向ける。薫は驚きと戸惑いの入り混じった表情で、目を泳がせていた。

 そうだ、ここには薫とロエルがいるんだ。冷静さを失っている場合じゃない。

 レイは一度深く息を吐いて、気持ちを落ち着かせようとした。


「えっと…、玲の…『最後の転生』って、どういうことですか……?」

「いや、それは、俺は全部の世界に転生したから……。」


 2人に余計なことを聞かせたくない、そんなことを考えて、レイは女神が答える前に口を挟んだ。しかし、薫はレイが何かを誤魔化しているのに気付いたのか、レイのセリフを途中で遮り、


「じゃあ、ここが最後の世界ってこと…?」


 薫の疑問に、レイは口を止めた。

 ……なぜ、俺はここが『最後の世界』だとわかったのだろうか。

 しかし、レイにはその答えをすぐに出すことは叶わなかった。


「でも、まあとにかく……ルセの〈転生神の加護〉で自動的に全ての世界に転生されるようにされていたし……。ルセが最後だって言うんならまぁそう言うことなんじゃ…。」

「お前、やはりまだわかってないな。」


 曖昧な言葉を並べるレイに、再び女神が水を刺した。


「そもそも、お前は加護のせいで『自動的に転生する』などという認識でいるようだが、あれはレイ自身の意志でそうなったんだぞ……?」

「は?」


 一瞬、レイの思考が止まる。

 意味がわからない。女神は何を言っている……?俺自身の……意志?


「お前は、私が加護を与える時点で、『全ての世界を救いたい』という意志を持っていた。自分では意識していなかったかもしれないが、あの世界における加護は、人の深層意識にある願いを叶えるものだったのだ。だから、お前は全ての世界へ転生した。」

「そ……そんな意志、最初の頃しか持っていなかっただろう!?」


 レイは、噛み付くように反論した。そんなレイに、女神は冷静な目を向ける。


「いいや、お前はずっと、心の隅に抱えていた。強い意志を、形を変えながら、ずっと宿らせていた。」


 琥珀色の鋭い瞳に見つめられ、レイは何も言い返せなくなってしまった。

 自身の神が言うことだ。ずっと自分を見守ってきたものがそう言うのだ。いつも反抗的な態度をとってはいるが、本当は今までのサポートに感謝していて、信頼を寄せられる、唯一の仲間だ。

 レイは、女神の言うことを信じたくなかった。信じられなかった。

 自分が、まだそんな幻想を抱いていたということを、誰にも知られたくなかった。


「だというのに、お前はそれも含め、全てを捨てた。お前の記憶も能力もその意志も、初めっからなかったことにしようと、放り投げた。」

「……っ。あぁ、そうだよ…………!」


 認めざるを得ない。薫とロエルの、大切な人たちの、前だというのに……!

 レイは、ぎりっと歯を食いしばり、苦悩で顔を歪ませた。


「そんなことが、許されるわけがない。これくらい、お前にもわかるはずだ。」

「………」

「全てを拾い、魂の片割れと共にお前の元へ戻したのは私だ。」

「………」


 2人は、今の状況をどう思っているんだろう。今の自分が、その目に、どう映っているんだろう。

 そう思っても、レイはもう、確かめる気力はない。代わりに、ずっと沈黙を貫いている王の方を見る。彼の視線は、真っ直ぐ黒猫に向けられている。その目に、揺らいだものは一切ない。

 あいつは……同じ魂なのに、なんで平然としていられるんだろう。自分と同じ記憶を持ち、同じ感情を共有しているはずなのに。

 レイは、今すぐにでもその場から逃げ出したい気持ちを、なんとか抑え込んでいた。

 しかし、それを実行しなかったことを、すぐに後悔した。


「はぁ…、いつまでそんな不完全な状態で……、魂が割れたままの状態でいるつもりなんだ?このままでは………」

「っ……!それ以上……!」


 言わせては……聞かせては、いけない。

 しかし、女神は制止の声を無視して、最後まで言い放った。


「このままではお前、すぐに消えるぞ?」

「…………っ!」


 一瞬で、レイの頭は真っ白に染まった。

 事態を見守っているしかなかった二人も、これには反応せざるを得ない。


「……えっ?……そ、それって……!?」

「はぁ!?レイ、一体どういう………!?」


 思わず二人の方へ体を向けた途端、何かを問うような視線が、レイに鋭く突き刺さった。その痛みに、レイは息を詰まらせた。


「ど、どういうことか、わからないけど……。とにかく、だめだよっ……!」


 薫は目の端に涙を滲ませて叫ぶ。その瞳が、その声が、レイの胸を深く抉った。


 ――君にそんな顔をさせたいんじゃない……!


 吐く息が震える。うまく音にすることができない。


「レイ、君はっ……!」

「玲お願い、どうにか……」


 ロエルと薫が、すがるような目を向けてくる。レイは、拳を握りしめた。

 だから…、だから、嫌だったんだ……!


「んな話、ここですんなよ……!」


 震えそうな声に、力を込めて叫ぶ。


「このような場でないと、お前は取り返しのつかぬ判断をするだろう?」


 女神は一人、呆れたような声色で話す。

 薫とロエルは、今の言葉で意味を完全に察したようで、今にも崩れそうな表情をしている。

 …わかっている。私が消えれば、薫やロエルが悲しむことになるくらい、わかっている……!でも、それ以上にもう、………俺の生きる気力は尽きている。


「余計なこと、すんなよっ……!俺はもう、消えたいんだよ……!放って置いてくれよ……!」


 レイは、多くの転生を、人生を繰り返してきた。もうやりたいことは無くなってしまっていた。

 だから、玲の体をもらってくれるのなら、それはそれでありがたい――というのが、獣人のレイに対しての考えであった。

 しかし、そんな思いで向けられたレイの視線に、王は思いがけぬ言葉で返した。


「レイは……よく無意識に、自分の記憶を消してた。周りの人から自分を消しただけじゃない。レイ自身からも……。本当は、大切なはずの……。レイなら、1番大切にしたいはずの記憶も、捨てていたよね。」

「は……?なんだ…それ…」


 なんでそんなこと……お前が知って……?


「ふむ、そうか。私はそれも戻したつもりだったが……。自分で壁を作って受け入れなかったのか。」


 黒猫は、一歩ずつレイの方へ歩み寄ってくる。

 レイは、まだ全ての記憶を思い出せてはいない。王のいう記憶とは、そのうちの一つなのかもしれない。

 しかし、そうでないことを、レイは悟っていた。

 すでに甦っている記憶の中に、ところどころ抜け落ちているものがあるのだ。そこに、大切にすべきだった感情があったというのなら……。


 ―知るべきじゃない。


 レイの直感がそう告げていた。

 レイには、それがどんな記憶なのか、全く想像ついていない。しかし、それを思い出してしまえば、どうなるのか。

 黒猫は、レイのすぐ側にせまってきている。


「ならば、今直接、思い出させてやろう。」

「やめてくれっ!!!」


 反射的に、大きな声を出していた。


「……!玲…!?」


 驚いた薫の声に、レイは一歩、怯えたように後退する。


「俺は…、私はもう、生きたくない…!これ以上生き続ければ……、みんなに甘えて、さらに生き延びたくなる……!こんな、誰を傷つけるかもわからない……こんな俺が……!」


 声を絞り出すように言葉を紡ぐ。


「っ…レイ…!」


 ロエルが、優しさの混じった声で名前を呼び、こちらに一歩近づく。


「……っ!」


 ロエルが恐る恐る手を差し出してくるのが、レイにはわかった。

 しかし、その直後、レイはくるっと素早く後ろを向いて、外へ飛び出していた。


「玲っ!?」


 薫の呼び止める声が聞こえたが、レイはそれを無視し、ドアを開けて、そのまま5階から飛び降りた。前世までの能力が備わったこの体なら、身体能力も上がっているため、こんなことで怪我を負うレイではない。

 すとんっと軽く地面に着地すると、そのまま振り返ることもせず走り出す。

 レイは誰の視線にも触れたくないという気持ちから、どこかの世界で手に入れた〈認識阻害フォールト・ビジョン〉の魔法を発動させた。これによって周囲の人間は、レイのことを認識しなくなるが、そもそもレイとすれ違うような人はほとんどいなかった。




「あ……もう、日が暮れる……。」


 レイはポツリと呟く。

 一体どのくらいの時間走ってきたのだろうか。ここはどこなのだろうか。

 どれだけ走っても疲れない体に、レイは嫌悪感を抱いた。しかし、体力が切れなくとも、レイの気力は尽きている。どこかわからない街の中、すぐ近くに公園を見つけたレイは、薄汚れた木のベンチにうずくまった。

 辛い…。走るのも、動くのも、考えるのも…、もう辛い。精神的に…辛い。


 誰もいない、鮮やかなオレンジに染まる世界に、たった一人取り残されたようだった。春の夕方は、思っていたよりも寂しく、肌にあたる少し冷えた空気が、より一層レイの孤独感を際立たせた。

 ……みんな、心配している、かな…。探してるのかな…。


 きっと、こんな遠くまで来てしまっては、すぐに見つかることはないのだろう。自身の招いた状況ではあったが、レイは凍てつくような寂しさを感じていた。


「ごめん……。みんな……。」


 一滴の涙を零し、そのまま眠りに落ちた。

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