盗難品に身を包み
襟裳ミサキ
老婆は語った___
「うちな、ずうっと夢やってん。村を出て、東京で暮らすのが。うちの生まれた村は、随分と暮らしにくいとこでな。一番近い小学校まで、山を越えて、一時間以上歩かないかんかった。何しろ子供が少ねえもんだから、生まれたときから、村のみんながうちのこと、知っててん。うち、それが窮屈で、嫌で嫌でなあ。十七になった春、とうとう村から逃げ出したんよ。お気に入りの服数着と、取り立てほやほやのバイクの免許証、それと、金庫から少しばかり拝借した数万円の資金をでっかい鞄に詰めてな。
何本も電車を乗り継いで、ようやく東京に着いたとき、別世界かと思ったんのを、ようく覚えとる。うちの村とは、全部が全部違うんや。
まず、東京にゃあ空がないんよ。あたり全部が建物に囲まれてて、月がどこかも分からへん。
それに、人の数が桁違いやった。あんな人数が同じ村に住んどるんに、東京の人はどうやってご近所さんの名前を覚えてるんやろうって、不思議やったな。
多かったんは人の数だけやない。店の数もやった。そりゃあ、うちの村にも店はあったさ。あったはあったが、東京の町にゃあうちの村数十個分、下手したら数百個分の店が溢れてたんよ。
うちは、すぐにでもどっかしらの店で住み込みで雇ってもらおうと思っとった。どこにも雇ってもらえないなんて状況は思いつきもせんかった。店はこれだけたくさんあるんやし、何しろうちは若いし、力があるんやからって、そう思っとった。でも現実はそう甘くなかった。都会にゃあ、若者はうち以外にもゴロゴロいんのに、親の押印もなければ、東京に住まいがあるわけでもないうちなんかを雇ってくれるところはどこもなかった。うちは、午前中は職探しに励んで、午後は酒落たカッフェイなんかでまどろみ夜は公園なんかをうろちょろする生活を、どんくらいやったっけ、まあ、少なくとも一月以上は送ってた。そんときにやあ、有金はここに着いたときの半分になっててん。それでも、職は見つからんかった。早く職を見つけんとって、焦ったところで、うちを雇ってくれるところなんてなかったんや。
いつやったっけな、梅雨の時期やったんしか覚えとらん。いつもみてえに仕事を探してて、その店でもいつもの如く断られたんや。お帰りくださいとだけゆって、見送りもしてくれんかった店主を恨めしく思いながら出口に向かったうちの目に、首飾りが飛び込んできたんや。店頭に飾られてたそれは、随分と綺麗やった。照明に照らされて、真珠がちろちろと光っててな。うちは、その首飾りに魅入られちまった。どうしてもそれが欲しくて、欲しくて堪らなくなったんよ。気づいたら、うちはポケットの中に手をグーにして突っ込んでて、うちの拳の中には、あの首飾りが握られててん。
値段は六千円ぽっちやったんやけどな、そんときのうちはとんでもないことをしちまったって思って、ずいぶんと憔悴しててん、あんなにたくさんお客さんがおったのに、誰からも見られてないわけない、うちはきっとお巡りさんに捕まえられて牢屋に入れられるんやって思うと怖くて、昼も夜も眠れんかった。
数日経ってな、うちはどうもおかしいと気づいた。うちは仕事を探す気にもなれんくて、ここ数日、ずうっと同じ町におったのに、お巡りさんはいつまで経ってもこうへんねん。それどころか、うちを探してる様子すらないんよ。そんでうちは気づいた、都会では何してもバレんのやって。
うちが住んでた村やったら、どんだけ人がいないように見えても、絶対に誰かが見てた。悪いことしたら、次の日にゃあみんなに知られててん。でも、東京の人たちゃあ、他人に興味がねえんだろうな。うちの盗みに気づいた人は、誰もおらんかったんや。そう思って安心したら、お腹が空いてきたんよ。数日間、なんも食ってなかったからな、当然や。
うちはてきとうな惣菜屋さんに入って、メンチカツとカニクリームコロッケをパックに収めて、付属のソースと一緒に輪ゴムで縛った。そんで服の下にしまって、店の外に出た。だあれも、うちになんにも言わんかった。うちは、自分が魔法使いだったんやってそんとき思った。うちは盗みの天才やったんや、って。
そっからは簡単やった。まずうちは、時計が欲しくなった。時間が分からんと、色々と不便やったからな。淡い桃色のな、数字の部分がローマ数字になった、可愛らしいのがあったからな、腕時計をもらってきたんよ。2万ちょっとやったかな。次に欲しくなったんは、服や。数着しか持ってなかったかんな。欲しいもんを試着したまんま店を出たら、すんなりと貰えた。
気づいたら、うちのもんは貰いものだらけになってた。うちが着てるものも、昨日食ったもんも、ぜーんぶ貰いものやった。
うちな、ずうっと夢やってん。何にも縛られずに、自由に生きんのが。自由が欲しかったうちにとって、東京はまさに理想郷やった。みんながみんな無関心やから、なんだってできる。噂話が大好物のおばさんは、ここには住んでへんのや。うちのことなんて誰も見てへん、うちは自由なんやと思うと、どうしようもなく嬉しかったんや。
ちょっと経って、アパートを借りることにしたうちは、今度は現金が欲しくなったんよ。家賃は貰いもんじゃ払えへん。金が必要やった。
うちは今まで貰ってたもんよりもうちっとばかり高えもんをもらうことにした。ごつい腕時計やら、でっけえ宝石のついた指輪やらな。ああいう店の監視は厳重やったな。でもうちは魔法使いやったからか、バレたのなんて数回や。見つかっても慌てんでええ、逃げたもん勝ちや。人混みに紛れれば、もう誰が犯人かなんて分からへんし、うちのことを捕まえることもできない。
もらったもんは、全部買い取り店で売った。そりゃあ、偶には怪しむような目で見られたこともあったわな。でも多分みんな面倒くさかったんやないかな、最終的には交渉に応じてくれた。うちはその金でアパートを借りて、水道代やらガス代やらを払ったり、銭湯にいったりした。盗みを始めてから、うちはようやく人間らしい生活ができるようになったんや。
何回も同じ店で盗ってたら怪しまれたかもしれんけどな、東京は広いかんな。うちは、同じ店には二度と行かんかった。最初の数ヶ月の間に派手に稼いでからは、まあまあな貯金額ができたかんなあ。日用品は今まで通りもらっても、無闇にでけえ盗みをするのはやめた。ちょっと経って、金が足りなくなったら、高えもんを貰う。そんで数ヶ月暮らして、足りんくなったら、また貰う。その繰り返しやった。貰いもんだけで暮らしてきたんや、十七の頃からずうっとな。それが、うちにとっての当たり前やってん。
なあ、うち、自分が魔法使いやと思ってたんよ。こんなんで捕まるなんて思うてなかったわ。最近のテクノロジーやっけ。すごいんやな、盗品に反応するゲートなんて。ピーピー鳴るわ、こんな若い店員さんが追いかけてくるわで、もう勝ち目あらへんわ。うちの魔法は、とっくに解けてたんやな。」
そういって、老婆は僕に笑いかけた。身分証によると、彼女は未だ還暦も迎えていないそうなので、彼女を老婆と呼ぶのは少々不適切かもしれない。しかし、彼女は実際より十は老けて見えた。やはり特殊な暮らしをしていると、歳のとり方までおかしくなるものだろうか。まじまじと見つめていると、照れたように目を逸らした女の胸元で、パールのネックレスが揺れる。
サイレンが段々と近づいてくる音がする。もうじき警察が到着するのだろう。さっきまでの話は、真実なのだろうか。それとも、彼女の妄想だったのだろうか。いや、それを考えるのは、警察の仕事であって、僕は関係なかったなと思い直した僕は、思考を放棄してぼんやりと机の上に視線を落とした。
机の上に並べられた盗品は五つ。牛乳ニリットル、メンチカツとカニクリームコロッケ。胡瓜が一本と、トイレットペーパーが六ロール。大盗賊の最後の獲物にしては、あまりにもくだらないなあと、僕は薄く笑みを浮かべた。
盗難品に身を包み 襟裳ミサキ @pudding319
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