極悪非道人

油井 喜作

極悪非道人

「どうした?」作業机と向き合っていた僕が振り返るとさっきまで普通に話していた彼女がいつの間にか泣き出していた。

「何でもない」

「じゃ何で泣いてるんだよ」彼女の目は酷く赤かったが、涙腺がもう枯れたらしい。

「自分でも分からない」

「...」僕はこういうとき、気の利いた言葉を言えない。

「何もかもがうまくいかない」

「例えば?」僕は先を促した。」

「給料が低すぎるから金がすぐなくなるし、入社したときは続けば上がるって言われたのに3年目でまだ一回も上がってない。」彼女の目が再び堰を切ったかのように潤み始めた。

「転職するばいいじゃん」

「嫌だ、面倒くさい」

「...」僕は呆れて、またもや黙ってしまう。何で僕はこんな嫌な思いまでして彼女と付き合わないといけないのかとつくづく思う。ただ負担なく一緒に時間を過す願いはわがままなのだろうか。別れを言い切れないのはわがままなのためなのか、それとも彼女を傷つけたくない一輪の良心がまだ残ってるからなのか。

僕に会う前に、彼女は一回線路に降りようとして、腕を掴まれたらしい。これはびっくりするほどのことではない。僕だって車道に飛び出そうとしたところを彼女に止められて、ずっと一緒にいると約束させられた。その夜、また同じ約束をさせられ、「わかった」と適当に応じたら彼女は大袈裟に小躍りするほど喜んでいた。

「ずっと一緒!ずっと一緒!」とニコニコしながら精霊のように舞い回った。


これは重要ではない。重要なのは、今の彼女ならまた線路に降りかねない。今回も腕を捕まえられる保証はどこにもない。そうしたら、僕はどう思うのだろう。別れたいのに別れ話を言い出せないのは本当の気持ち。できれば向こうから言ってもらいたいが、相手はひどく僕に惚れている。本当にわがままが叶ったら、気が向いたら彼女と時間を過ごす、飽きたら別の女と遊ぶ、というのが理想だ。しかし、卑怯者な僕は浮気をしたりしない。先述の通り彼女を傷つけたくないし、ばれたら立場がない。

「じゃ、何にでもなれたら何になりたい?」僕はやっと沈黙を破った。

「ニートになって旅行に行きたい。」

「仕事を辞めれば?旅行に行きたかったら僕が全部払う」

「将来が不安になる。」

二人の分を稼いでやるから心配しないで、とは無論言えなかった。公務員として二人を養えないわけでもないが、素直にペコペコできない僕の出世街道がすでに断たれてると言っても間違いないだろう。それに自分も(今はそれどころじゃないが)再受験、転職、辞職、帰省、バイトも一応全部等しく視野に入れている。


そして、彼女が風呂に入り、この話が終わった。


翌日、勤務を終えると帰路から遠く離れたブックオフに寄って、長い間持ち主が見つからないまま落とし物ボックスに放置されていた話題の文庫本を二百五十円で売り飛ばした。週末は読み終えた書物や使わない機器等、金目になりそうなものも全部売り出したが総計金額が五千円にも至らなかった。


プレゼントでもらった以来、押し入れの中に眠っている七万円のコートや一回しか履いてない靴連れドクマーチンも売り飛ばそうとしたが流石に彼女に止められた。




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極悪非道人 油井 喜作 @YuiKisaku

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