(事後)



雷飛らいと……くっしゅん?」


 雷飛君と呼ぼうとして、クシャミが出た。


「あのさ、ホテルに戻らない? まだ、その方が良いんじゃないって――」

「……大丈夫」


 意固地にそう言ってしまう。これで戻ったら、きっと私は制限がきかなくなる自覚がある。まだ、自分の体の芯が火照って、冷めないから。


(なにより、寝かせつけしてたあの子だよ?)


 記憶のなかの無垢な少年――その笑顔が、今も網膜に灼ついている。私、そんな子と……そう思えば思うほど、羞恥心がさらに昂ぶる。別の意味で、体の芯が熱い。先刻さっきから、そんな脳内反省会の繰り返しだった。

 と、雷飛君が、私をじっと見やる。


「……あのさ、海姉。俺をいつまで経っても、幼児ガキだと思っているでしょ?」


「そ、そんなことは――そ、それよりも、なんで、ナンパなんか。そういうのって、良くないと思うんだ。だって、君は――」


「だって普通に話しかけても、海姉は俺のこと憶えてもいなかったでしょ? それに俺は高校3年生。この夏で、18歳。社会は成人として俺を見なすから。だから、海姉。俺を子供扱いするなし」

「う……」


 見事に封殺された。

 と、そんな私に視線を向けながら雷飛君は、ふんわりと微笑む。どうしてだろう、そんな眼差しに釘付になっている私がいる。


「へ?」

「海姉、ちょっと話していかない?」


 雷飛君に手を引かれた私は、ただ小さくコクリと頷くことしかできなかった。





■■■






 テトラポッドの上、危うげなく座る、雷飛君。

 一方の私は、また滑りそうになって――雷飛君に抱き寄せられた。


「……ぬ、濡れちゃうよ?」

「さっき、二人でずぶ濡れになったじゃん」


 そう言って、離してくれない。

 私は、また落ちないようにと、雷飛君にしがみついて――とくんとくんと打つ。彼の心音を拾う。


 思わず見上げれば、月明かりが、まるでスポットライトのように私達を照らしていた。


「……俺はずっと、海姉を見ていたんだけれどな」

「それは……」


 申し訳ないと思う。正直、私は雷飛君のことを気にもかけていなかった。


「ま。海姉はクソ圭、一択だったから仕方ないよ」

「一択って……」


 いや、事実そうだったのかもしれない。お互いの両親に、微笑まし気に見守られて。いじめっ子から守ってくれた圭汰。


 圭汰あいつにできる恩返しは、世話を焼くことぐらいで。いつのまにか、ご夫婦と言われるくらいに、圭汰を気にかけていたし、アイツもそれが当たり前だったように思う。


「……俺ね、クソ圭に自分の気持ちを暴露された時があってさ」

「へ?」


「俺が中1で海姉達が、中3の合宿の時。ほら、引退したけど練習に付き合ってくれたじゃん?」

「えっと……? 圭汰のハンドボール部……の?」


 圭汰が弱小だったけれど、ハンドボール部に所属していて。私は、腐れ縁のおかげで、時々、マネージャーもどきをしていたんだった。でも……え?


「俺もそこにいたから」


 ニッと笑う。

 え? 待って。確かに、男子達がそういう会話トークをしていたことは知っている。





 ――男子って、バカだよね。

 ――でも、海ちゃんは圭汰君、一択だもんね。

 ――あれは照れ隠しよね。

 ――ねぇねぇ。聞いちゃった! ●●も海ちゃんのことが、好きみたいよ。

 ――男子は男子でしょ。私達は私達で盛り上がろうよ。

 ――海ちゃんが逃げた!


 そんな即席マネージャー軍団の女子会はもっとえげつないものではあったけれど――。


 その合宿の夜、私は圭汰に告白されたんだ。









「あいつ、海姉を『幸せにするのは俺だ』ってほざいたクセに。海姉に、こんな顔させて。絶対に許さねぇ」

「あ、あの雷飛君――」


「好きだよ、海姉。ずっと好きだった」

「あ、あのね。雷飛君、ちょっと落ち着いて。それって、一時の気の迷いだと思う。だって私、ナンパされてほいほい、ついていくような女だよ。君には相応しくな――」


 口を塞がれた。

 波が、寄せてテトラポッドに打ちつけて。

 波が、波が止まらない。


「俺は海姉にあんな顔させないし、誰にも渡さない。理想の幼馴染って言われた二人の間を裂くクズ野郎かもしれないけれど。俺の気持ちは変わらない。ずっと、俺は海姉が好きだったから」


「でも私、今の雷飛君のこと、知らないし――」

「なら知ってよ。俺のこと、たくさん知ってほしい」


「……本当に、私で良いの?」

「良いから言っている」


「私、実は独占欲強くて。甘えん坊だよ?」

「好きな人に、独占して欲しいって思ってもらうの最高じゃん。甘えてもらえたら、嬉しいしかないって」



 ――束縛ってキツいよなぁ。やっぱり、お互いの時間を尊重しないと。今さら、この年で甘えるとかないっしょ。そう思うだろ、海?


 真逆。

 全部、真逆だった。


 好きって言って欲しかった。

 甘えたいし、甘えて欲しかった。


 他の子と、仲良くするクセに。私には笑顔を向けてくれないのも。

 一生懸命、お弁当を作っても。美味しいって、言ってくれないことも。


 全部――最近の、圭汰は大嫌い――ようやくそう思えた。










「付き合ってよ、海姉。俺のこと知ってよ。俺が、こんなに海姉のことが大好きなんだって、伝え続けるから!」


 波が、波が打ち寄せる。寄せては、引いて。そして寄せて。打ちつけて――。



「……本当に私なんかで、良いの?」

「海姉が良いんだよ。ずっと、俺は海姉が好きだったんだから」



 じっと、私は雷飛君を見る。




「……こんな私で良ければ、お願いし、し……ます」


 どうしてだろう。

 ポロポロと感情が溢れて。こぼれて。視界が滲む。月光が乱反射して、うまく雷飛君を見られない。


「本当に?」


 雷飛君は目をパチクリさせて。

 私は、うまく言葉にできず。何度も何度も、コクコクと頷くことしかできなかった。

 刹那――するりと、雷飛君の手がすり抜ける。


「……え?」













 さっばぁぁぁぁぁぁん。

 散る水飛沫。

 雷飛君が、海に落ちたのだ。














「え、ちょっと? 雷飛く――」


「やったぁぁっ! やった! 俺の海だ! 海なんだ! YEAHイエーYEAHイエーYEAHイエー!」


 水面みなもから顔を出したかと思えば、ハイテンションにそんなことを叫ぶ。


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくで、泳いで。

 それから、リズミカルにテトラポッド上でステップを踏みながら、私のところに戻ってきたかと思えば――。


「好きだぁ! 海! 大好きだぁぁぁっ!」


 夜の海に大反響。まだ海岸を歩いている人達を全無視する雷飛君だった。ハイテンションに叫び続けるから、慌ててその口を塞ごうとして――私はのばした手を下ろした。


 それから、ゆっくりと口を塞ぐ――唇で。


 だって、今さらじゃない?

 私達、最後までしたんだもん。


たくさん、私を好きにしてくれるのなら。これぐらいで、動揺されたら困る。私は欲張りだから。言葉だけじゃ、とても満足できない。


 だから。

 かぷり。

 首筋に歯をたてた。


 波が引く。

 波が寄せて。

 ちゃぷんと。ちゅっと、水面みなもが揺れる。


「あ、ぁっ――海姉、何を……?」

「え? だって雷飛君って、子犬みたいだって、保育園の時はは思っていたの。ワンちゃんには、首輪が必要でしょ? だから首輪キスマークつけてみた」


 ふふっと、自然と笑みが零れる。


「な、な……せめて、幼馴染の仲を裂く噛ませ犬って言ってくれ! 子犬とか、絶対にイヤだっ!」


「んー。私とは別れているから、そんなラブコメみたいな展開は無いと思うな。それに、そういう視点で言ったら、私って最低系のヒロインじゃない?」


「……それなら、俺は竿役かよ」


「うん、雷飛君の竿、大きかったね。昔はお昼寝でトントンしたのに、今日は君に奥までトントンされたもん」

「そんなこと言うんじゃありません!」


 私のオヤジ発言に、なぜか雷飛君が赤くなっている。もう、本当に可愛いったら、ありゃしない。


「……というか、海姉。その手の のラノベ、読むのかよ?」


「圭汰は、オタクって言って嫌うけれどね。私は好きよ? 〝お隣のペテン師様にぐじょぐじょにされた件〟とか、電子書籍を買ったし」


「いや、それはマニアックな。俺も持っているけれどさ! タイトルに反して正統派だったけれど!」


 ほぅ? お主も既読だと……?

 変なところで、私は火がついた。


「それなら、今度はラノベプレゼンしようよ? 知らないだろう作品をプレゼンして、買わせた人が優勝ね」

「望むところ!」


 ぐっと、雷飛君がガッツポーズするのを見ながら――私は自然に口元が綻ぶのを自覚する。


(……こうやって、笑ったのって、何年ぶりだろう?)


 ずっと、頬の筋肉が強張っていた気がした。

 何か言えば、真反対に拒絶されて。

 何も言わない方が、丸く収まる。そう思っていたのに。




 雷飛君と、目が合う。


 ――分かるだろ?

 なんて、彼は言わない。


 知らないなら、知って。

 むしろ知りたい、って。そう言ってくれる雷飛君が、私に火をつける。





「ねぇ、

「なに、海姉うみね――」


「ちゃんと、海って呼んで。私を好きにさせるんでしょ?」


「……海」

「うん、合格」


 ちゃぷん。

 波が跳ねる。


 ちゃぷん。

 少し、雷飛の髭が痛いけれど――本当に大きくなったんだな、って思いながら。あぁ、まただ。波が、また波が押し寄せる。


 彼を抱きしめながら。


 何度も、何度も押し寄せる波に身を任せる。


 からん。

 どこか、遠くで空き缶が落ちた音が聞こえたけれど――そんなこと、どうでも良いくらいに。雷飛のキスは甘かった。







■■■






「……海?」




 幻聴でも、聞きたくない声――かすかに響いくけれど。

 でも、その声も。押し寄せる波に溺れているうちに、かき消えてしまう。


 無意識に、バスの終電時刻を思い出す。


(もう、間に合わないから――良いよね)


 波が、波が。どんどんどんどん、波が押し寄せる。この波、嫌いじゃない。自分が自分でなくなりそうで、怖いけれど。痛くない。もっと、欲しいって思う。


 爪をたてて。

 唇で痕をつけられて。

 もっと頂戴。そう思う私は、悪いお姉ちゃん――。





 雷飛の手を引く。

 波が。


 これまでにもないくらい、波が。

 私を包み込んで。











 水飛沫が、飛び散って。















 そして

 私を、攫っていった。 








   【おしまい】

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ヒロインがあまりに報われないから、噛ませイヌ君が全力で頑張るだけの話。わんわん。 尾岡れき@猫部 @okazakireo

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