(最中)


 寄せては返す。

 返しては寄せる波。

 その波の音を思い返しながら、いつも私は耐える。


 ――気持ち良いだろう?


 痛いよ。ずっと、唇を噛みしめて、耐えていた。辛い、って思う。圭汰はこの瞬間も、私を見ない。ただ、自分の欲望に素直なのは分かる。


 ――俺の、大きいだろう?


 分からないよ。だって、他の人だどうかなんて知らないよ。奥まで異物を突っ込まれる感覚。痛みしかない。ズキズキズキズキ、ただ痛いだけ。痛い。それなのに、執拗に射る。本当はいますぐ逃げ出したい。ココに居たくない。でも組み伏せられて動けない。


 だから、波の音を思い出す。

 寄せては返す。


 返しては、寄せる、そんな波の数を数えて。時に、悶えながら。歯を食いしばって。だって圭汰は、私が吐息を漏らしたり、艶っぽい声を少しでも漏らせば、満足するから。

 電気を消してと、懇願しても圭汰には届かない。


 ――その顔、見たいんだ。

 恥ずかしいのもある。でも、それ以上にウソで塗り固めたメッキが剥がれそうで。


「……電気あかりを消して」


 無意識に。絞り出すように懇願していた。彼は、あっさりとベッド上のコンソールに手をのばす。光が消えた。カーテンが揺れ、PM16:04と表示していたベッド上の時計が16:05に切り替わるのを視界の隅で捉えながら――目を大きく見開く。


「……良いの?」

「あんたが、お願いしたんじゃん」

「そ、そうだけれど――」

「それに、さ」

「なに?」


 怖い、それ以上言われたら、怖い。潮流が変わった気がする。単調な波ではなくて。渦を巻き、潮が満ち。深く、深く。波が、強く岸を打つように――これまで経験したことがない、感覚が津波となって押し寄せて――びくん。


「電気を消したら、さ。くっついて、あんたを感じたら良いから」


 そう耳元で囁く。カーテンの隙間から、漏れる光。言う通り、彼の人なつっこい目と視線が絡まって――。

 体が跳ねた。


(え?)


 優しい。

 彼はどこまでも優しい。


 髪、頬、体の輪郭をふわりと撫でる。

 火がつく。

 まるで、線香花火。


 でも、じりじり燃えて。火花は落ちずに私の奥底で燻り続ける。


 もどかしい。

 足りない。


 全然、足りない。


「――」


 どうして?

 私は、戸惑う。痺れ? 悶え? 震え?


 何より、彼に呼ばれた私の名前に驚く――けれど、思考が追いつかない。


 声が漏れる。

 自分の声じゃないみたい。


 あぁ、馬鹿。私は本当に馬鹿。知らない人に身を委ねて、どうして安心しきっているんだろう。ただ圭汰の幻影を一瞬でも打ち消したいだけなのに――。


「好きだよ」

「え……? んっ、あッ――」


 息ができない。まるで波に足元を拐われ、そのまま水面に落ちていくようで。


(いつからだろう……?)


 好きって言葉を聞かなくなったの。

 私から言っても「あぁ」とか「うん」とか「恥ずいから、こんなトコで言うな」とか。


 手はつなぐ。

 デートもした。

 痛いからイヤだけれど。行為セックスだって。でも、ケイタからの言葉って――。


「――ッ」


 波を……波を数える余裕はなくなった。どんどんどんどん、波が押し寄せてくる。でも柔和フェザーで穏やかで。足りない、これじゃ全然、足りない。


 あいつなりに遠慮したのか、指先で唇で私の躰を探るくせに、私の口には一切触れない。


 ぼーっとして。

 おかしくなって。

 何も考えられない。

 波が、次から次へと波が来る。容赦なく、私を攻め立てる。


「海姉、好きだよ」


 私は目を見開く。

 波にもまれて。


 翻弄されて。

 このまま弄ばれるくらいならなら――と、私はあいつの唇を奪う。

 カーテンが揺れて、薄明かりがさして。


 あいつが目を大きく見開くのが見えた。

 唯一できた反撃。


 でも、以降は彼のターン

 波にもまれ、溺れ、無防備のまま触れられて。

 そして抉られる。


(変なの。私じゃないみたい――)


 本能むき出しで、声をあげて。

 その声を押し殺そうと、あいつにキスをする。


 それじゃ、全然足りなくて。

 さらに求める。

 足りない――から、さらに疼く。





 ――好きな人とエッチするの幸せだよね。


 あれは女子会で……ゼミで一緒の雪姫ゆきちゃんだっけ? 純真にそんなこと言うから、こっちが気恥ずかしくなっちゃう。。

 でも、って思った。


(彼氏とのエッチは怖くて、他人との行為にのめり込むの……最低じゃない?)


 きっと私は壊れている――そんな雑念も、やがて真っ白に消える。

 怖い……こんなの知らない。


 波が来る。

 大きいな波が。


 躰が跳ねて。

 震える。


 よろこんでいる。

 溺れて、沈んでいきそうな私を――。


 あいつが強く抱きしめてくれている。

 それが嬉しくて――私の意識は落ちた。







■■■





【19:55】


 ベッドサイドの時計を見る。


「寝て……た?」


 見れば、隣であいつが私を抱きしめている。

 二人、生まれたままの姿だった。


 白く意識が弾けた後――どうしてだろう、ずっと髪を撫でてもらった感覚があった。


 そんなところまで、圭汰と違う。

 ぎゅってしてもらうのが、こんなに満たされるなんて。


 圭汰なら、スマートフォンをいじるか。そのまま寝ちゃうか。寝たら圭汰って、いつも背中を向けちゃうんだ。昔からのクセだから、別に気にしないけれど。

 もしくは、すぐに二回目を求めるか――。

 私は起きて、着替える。


「ありがとう」


 うん、嬉しかったんだ。自分の知らない、一面を知ったこともそうだけれど。ギスギスした感情が、薄らいで。圭汰のことが、少しどうでも良くなったと思えるぐらいには、前を向ける気がした。


 メモ帳を破って、メッセージアプリのIDを書いておく。これは気の迷いだ。彼氏よりも、知らない男の子に感じて。そして狂って。本当に壊れているって思う。


 言ってあげないけど、彼はなかなかのイケメン君だって思うんだ。

 別に、私なんかに声をかけなくても、一夏のアバンチュールなんかできただろうに。それでも、私に声をかけてくれる気があるのなら、また溺れさせて欲しい。どうせ、私はもう内科がおかしいから。


「次からは、もっと可愛い子をナンパするんだぞ」


 つんつん、頬をつくと――。


「お前以外、いらねぇ……」


 寝ぼけている。

 きっと、本命の子がいるんだよね。


 私は自分の意志が揺らぐ前に、部屋を出たんだ。







■■■







 テトラポッドの上を、バランスを保ちながら、ステップを踏む。今宵は満月、波と蛙のビッグバンド。


 痛みを抑えるために、波の音を思い出すの馬鹿らしいって思えるようになった。ふしだらだって思うけれど、自分のなかの宝物にしようって、そう思えて。

 圭汰と、しっかり別れよう。ケジメをつけようって――。




うみーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 パタパタと走る足音。

 海に向かって、走るなんて青春じゃない。私の名前と一緒だけれど。ココに来る度、圭汰に名前を呼ばれて。


 ――お前じゃねぇよ。ココに来たことに感動してんの。


 そう言われたっけ。

 そもそも、名前を呼ばれなくなったよね。「おい」とか「アイツ」とか。友達の前でも、そんな感じで――。




「海姉っ! はやまるな!」

「へ……?」


 見れば、ナンパ師君が私に駆けよって――必死に引き寄せようとして――。


 つるんっ。

 私のビーチサンダルが滑る。


 こういう瞬間に、人間って肝心なことを思い出すものだよね。って妙に自分で感心しちゃう。


 人なつっこい笑顔。

 まるで子犬みたいって、思っていた子がいた。


 二歳年下の、子――。

 どうしても、保育園でお昼寝をしない男の子がいたんだ。


 私達が通っていた花園保育園では、年長組が、年少組の教室で、寝かせつけの係をする。そんな恒例行事の一幕で――。




 ――海姉が良い!

 そう言ってくれた子がいた。

 私が体をとんとん、リズミカルに優しく叩けば。不思議とぐっすり眠って。


 ――こいつ、海と結婚したいんじゃねぇーの。

 結婚したいのは、圭汰だよ。バーカ。


 そう心の中で、当時の私はモヤモヤしていた気がする。だって、あの当時の圭汰は、本当に女の子にもてたから。

 私は、なかなか入り込む余地がなかった。

 だから、特別になろうと必死だった気がする。


 そして、特別になろうと真っ直ぐに背伸びして。一生懸命な男の子がいた。

 その子の名前は――。






雷飛らいと君?」

「……海姉?」


 二人が次の言葉を紡ぐより、早く。

 私達は、どぼんと海に落ちたのだった。 

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