終幕 枯野抄

旅に病みて勇者は荒野に夢を見る

享年26歳、騎士ホプラス・ネレディウスの若すぎる死は、彼を知る世界に衝撃を走らせた。


勇者ルミナトゥスの親友として、世界を救った彼の葬儀は国葬になり、墓は彼の住んでいた、ラズーパーリの教会跡に作られたが、彼の形見の剣(遺体は見つからず、熱で変形した剣だけが、辛うじてみつかった。)は、ヘイヤントに出来た記念館に飾られた。


勇者ルミナトゥスは、一年後、傷を癒してくれたディアディーヌ王女と結婚し、そのさらに一年後、国王クレセンティス12世の病死により王位を譲られ、一代限りの(彼の血しか引かない者には王位継承権がない。)王となり、勇者王ルミナトゥスと呼ばれた。


ルミナトゥスの治世は、弟である宰相ヴェンロイドの他、後に騎士団長となるクロイテス、副団長となるガディオス、アリョンシャといった優秀な部下たちと共に、貴族の専横を押さえつつ、貴族にも庶民にも、そして孤児にも公正な国造りを目指した、革新的な時代となった。


在位四年目の年、宰相ヴェンロイド師が、新魔法の実験で事故死。王妃ディアディーヌが、その八ヶ月後に、王子を出産して死亡した。王子はピウストゥスと名付けられた。


ルミナトゥスは、義理の妹に当たる、バーガンディナ姫と再婚した。バーガンディナ姫は、二人めの夫に先立たれ、すでに二人の娘がいた。ルミナトゥスは王位の継続、バーガンディナ姫は娘二人の地位堅めと言われ、二人に子供は出来なかったが、夫婦仲は友好的だった。


在位10年目、王妃バーガンディナが急性の肺炎で死亡した。何年も前に猛威を奮った春風邪の強化版が流行った年だった。


ルミナトゥスには、さらに王妃の妹の、イスタサラビナ姫との結婚話が持ち上がったが、彼女は「素行に問題がある」と評判が悪く、話は流れた。


在位18年目、ルミナトゥスは、イスタサラビナ姫の恋人と噂されるテスパン伯爵の仕掛けたクーデターにより、死亡した。テスパン伯は、すぐにカオスト公(先代の甥で、イスタサラビナ姫の最後の夫)により駆逐され、イスタサラビナ姫は地方の城に軟禁された。


ルミナトゥスは享年44歳。墓は王家の墓地ではなく、ラズーパーリのホプラス・ネレディウスの墓所に埋葬され、墓碑銘には「勇者ルミナトゥス・セレニス」と生没年が記された(在位年の記載はなし)。遺言によるとも、カオスト公の画策に寄るとも言われている。


ルミナトゥスの死亡時、14歳の王子ピウストゥスは行方不明だった。クーデターと同時に、ルミナトゥスと行動を共にしていたガディオスは死亡、クロイテスは王女二人、クラリサッシャ姫、レアディージナ姫を連れて、ヴェンロイド領に逃亡、アリョンシャは行方不明だった。アリョンシャが王子を連れて逃げたとされていた。


ルミナトゥスの死の二年後の現在、王位は仮の女王としてクラリサッシャ王女が継いでいた。彼女は、神官職を辞する事を硬く拒否している。政略結婚を画策し、ピウストゥス王子の王位継承権に対し、「ルミナトゥス王と似ていない」を根拠に、否定の工作をしているカオスト公に対して、ささやかな抵抗を見せていた。


クロイテスは、騎士団長の立場で大貴族のため、クラリサッシャ王女について、王都に戻った。レアディージナ王女は、ヴェンロイド男爵(ルミナトゥスの宰相だったアプフェロルドの従兄弟)の息子との婚約を理由に、男爵領に残っていた。


このように、王子の行方不明に終息する一連の騒動のため、コーデラ王国の内情は緊張をはらみ、治安も悪化した。


しかしながら、民衆は、このような中でも、太く、逞しく生き抜いて行った。




旅に疲れた勇者達は、荒れ野に散り、眠っていた。やがて翌朝を迎えるまで。


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勇者達の翌朝・旧書 L・ラズライト @hopelast2024

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