風のエレメント
風の稜線
9.風の稜線 (エスカー)
風の複合体になった人物は、南方出身の元・魔導師で、シレリア・バレンシャといった。僕は面識はないが、師匠は知っていた。
南方のアレガ山脈の、難関の北壁の登山口の街として有名な、アレガノズの西に、「西の村」と呼ばれている、小さな村がある。アレガノズに出す肉や野菜を作っていて、近くには北壁の末端に当たる、面白い地形などもあり、やや変則にはなるが、なだらかな西側ルートにも入れる道があるが、基本は小さな農村である。
この村には医者はなく、教会の下級聖職者が、水の回復魔法を使えるため、長らく医師を兼任していた。しかし、彼は高齢で、跡継ぎの一人息子は、冬のアレガ北壁に挑戦し、早死にしていた。シレリアは、その娘にあたる。
医師になるために、アレガノズの学校に行ったが、風魔法の資質に優れていることがわかり、三年だけ、ヘイヤントとナンバスの魔法院で、回復魔法と医学を学んだ。攻撃魔法も学べば、王都への推薦があるのに、と惜しまれたが、彼女の希望は、あくまでも医師だったので、魔法医師の資格を取ると、故郷に帰った。医学生としてはとても優秀で、人よりかなり短い時間の勉強で、医師の資格をとった、という。
その時、魔法医師ではない普通の医師で、地方勤務を希望していた青年が、彼女について行った。恋人だったようだ。彼については、当時の情報が殆どなかったが、ネイト・マルンという名前は解った。シレリアに着いては行ったが、今は、アレガノズのイゼンジャ家の婿になり、妻の実家の財産で、近隣の無医村に医師を招き、病院を立てている、という、近況ははっきりしている。
なんだか泥沼の予感がしたが、シレリアは、その結婚の一年前に、隣接地域の、遭難した登山者の救出隊に加わり、「死亡」していた。冬に、季節外れの風のモンスターに襲われ、救出隊も数人が深い谷底に落下したが、彼女も、そのうちの一人だった。
その彼女が、今年の春先、行方不明になった場所の、近くの山で、登山者に目撃された。正確に言うと、何人かの登山者が、白髪の若い女が、浮かぶように山を歩いていた、と言っただけだったが、彼女の髪は白に近い銀髪だったため、アレガノズに伝わる頃には、すっかり、シレリアの魂が迷っている、という話になった。
これだけなら、山によくある錯覚話だが、その地域で増幅した風のエレメントが探索にひっかかり、調査の結果、複合体のものと判断した。
今度は善良な女性ということで、なんとなく躊躇われたが、そうは言ってられない。
宿主となったシレリアは、転々としながら、徐々に山奥へと移動している。エレメントの流れでわかった。一体は冬は殆ど閉鎖(冬に挑戦したがる、プロの登山家はいた。)なので、秋、できれば初秋のうちに何とかしたい。冬がおわり春になり、風のエレメントの増幅期なんかになれば、難易度が増してしまう。
師匠は、
「あの紳士・淑女が、手を緩めないように、お前がしっかりしろよ、エスカー。」
と、丸投げな励ましをくれた。
色々整えて、現地に着いた時には、初秋は終わっていた。
兄さんとホプラスさんは、場所を聞いた時は、何故かそわそわして落ち着かなかった。宿主の性質を考慮して、躊躇しているのだと思ったが、具体的な街の名を聞いた時は、二人揃ってほっとしていた。キーシェインズの例があるので、ちょっと追及してみると、仕事でこの地域に来たことがある、と、言い、
「聞いた後で、白い目で見るなよ。」
と変な前置きで話しはじめた。
「別件でパーティ組んでさ、一仕事して、宿で打ち上げしてたら、山の村から、女の子が降りてきて、『しきたりを悪用する人がいて、姉が恋人との仲を引き裂かれる。助けて。』と言われた。
その子のお姉さんには二人の求婚者がいて、一人は恋人、一人は違った。しきたり通り、山神の祠に、それぞれと行ったんだけど、違う奴と行った時に『山鳴り』があって、恋人と行った時には何もなかった。儀式は形式的なもので、鳴ろうが鳴るまいが、本当は関係ないが、鳴ったほうが、自分が正当な相手だと言い張って、村の古老を味方につけている、と言っていた。
正直、普通ならギルドで引き受けるタイプの依頼じゃないが、ホプラスが、『助けよう』と言うもんだから。」
依頼者の娘の話では、祠で特定の場所に立つと、『山鳴り』が起こるようになっているが、先に行った奴は、自分達が鳴らした後、空気の通り道を、悪い友達に頼んで、塞いだに違いない、という。
その時のパーティは四人で、もう一組は、若い夫婦者だった。兄さんが考えたのが、まず、夫婦者のメンバーに、結婚前の恋人同士を装って、挑戦してもらう。兄さんたちは、彼らの従者ということにして、『身分のある人のお忍び』を装う。
おそらく、ちゃんと鳴らすために、仕掛けっぱなしであれば、それを解除するだろう。
仲間が鳴らした後、姉と本来の恋人が、『再び挑戦させてくれ。それで駄目なら諦める。』と、再挑戦の意思表示をする。
すると、今度もまた、仕掛けをして、鳴らないようにするだろう。そこを捕まえて、前も仕掛けをしたのを白状させる。
「ちょっと面倒だけど、あくまでも、前の仕掛けを白状させるのが目的だから、仕掛けようとする所を捕まえないとな。」
本来の恋人同士に、古老を付き添わせ、見届け役として、兄さんとホプラスさんが付く。宿屋で休んでいるふりをした仲間が、仕掛け組を尾行し、取っ捕まえた。
しかし、古老は、誰がやっても鳴るのは、実はわかっていたが、これが公になると、イメージが悪くなって、観光資源が減る、恋人同士の結婚を認め、問題の青年達には厳重注意するから、ギルドには内緒にしてくれ、と言った。
「まあそういうことなら仕方ない、当初の目的は達したから、いいや、と帰りかけたときに、ホプラスが足を滑らせて、俺をまきこんで、思いきり、祠の山鳴りの足場にころんだ。…男二人の体重で、『今まで、効いたことも無いほどの大きな音』が響いた。」
音は二人の体重のバランスと総重量で決まるため、カップルによって、音色や音量は異なる。
「…爺さんに泣きつかれて、仕方なく、『実は俺たちも愛し合ってるんです。』という展開になっちまって…。今回、だいたいの場所を聞いたとき、さては、と思って、ホプラスと二人で蒼くなってた。…違う街で、ほんと、よかったよ。」
僕たちは、兄さん達を除き、大爆笑した。
「なんだよ、話す前に、『話しても白い目で見ない』って、約束しといて。」
「兄さん、『白い目で見ない』とは言ったけど、『笑わない』とは言ってませんよ…」
二人のおかげで、いい具合に緊張がほぐれた。
そして翌日。山は、上の三割ほどが雪、残り下方は紅葉になり、対比の見事な、鮮やかな色合いになっていた。例年は、今ごろは雪が半分、あと1ヶ月ほどで、雪のラインが全体の4分の3を超え、紅葉が冬枯れになって、春まで基本は閉山になる。だが、今年は、雪が遅く、麓では気温は例年どおりなのに、山では例年より温かい、そうだ。
北壁は、モンスターは出ないが、絶壁、西ルートは春はモンスターが出るが、全体的になだらか、ただし、秋の今の時期は、寒くなるので、一般人には閉じている。今年は、夏が終わったら、天候不順になり、上方で一部に土砂崩れが起きた。このため、今年は秋口に早々に閉じた、東からのルートは、やや険しいが、モンスターは冬に、麓の森にしか出ない。例年、今ごろは一般の登山客で賑わうが、今年は、魔法院の要請で、もう閉じている。南側には山脈が連なる。
僕たちは、西ルートから登る。頂上まで行ったり、ルートを征服するこだわりはないし、登山はキーリさんとサヤン以外はほぼ初心者だ。また、西側の三合目より少し下あたりから、見下ろせる位置に、天然洞穴があり、潜伏場所はそこの奥だったからだ。
西側の昇り口で、地元のレンジャーと落ち合う予定だったが、行ってみたら、男性二人が何か激しく口論をしていて、それを老人が止めていた。
「ネイトさん!ガイ!いい加減にしないか!もめるようなら、わしとロイ坊で行くぞ!」
二人は離れ、お互いそっぽを向いた。そのうちの一人、サヤンよりは濃いライトブラウンの髪の、長身で、やや、ほっそりした青年が、
「はじめまして。ネイト・マルン・イゼンジャです。医師です。本日は同行させて頂きます。」
と、穏やかに挨拶した。
彼が何者かは、僕は知っていた。しかし、他のメンバーは知らない。姫が
「レンジャーの方ですか?」
と不思議そうに言った。
「レンジャーは俺だ。」
ネイトの言い合い相手、ガイと呼ばれた黒髪の男性が、荒々しく言った。
「ガイ・サリンシャだ。山に入ったら、俺の指示に従え。死にたいなら別だが。」
髭は生えているが、なんとなく、ネイトより、年下のような若々しい雰囲気がある。ホプラスさんくらいの年か。
「西ルートは春にモンスターが出るだけで、なだらかな道だと聞いていますが。」
と姫が確認した。レンジャーの言い方もともかく、医師が付き添う事に対する疑問だろう。
これについては、老人が、
「ああ、気にせんで下さい。春のモンスターが、何故か出てる事は出てますが、みなさんなら大丈夫でしょう。…この二人は、シレリアと縁がありましてな。幼馴染みと仕事仲間ですわい。まあ、気にせんで下さい。…ロイ、水筒を準備してくれ。」
と、「気にせんで」を強調しながら、傍らの、僕と同じくらいの少年に、準備を促した。
僕は、ややこしい人間を連れていくのは反対だった。レンジャーは必要たが、今のメンバーからしたら、魔法の使えない医師が必須とは思えない。だが、姫が、同情したのか、「それではお願いします。」と言い、兄さんも「いいけど、戦闘の時は、俺達の指示に従ってくれ。」と通告した。
その上、ホプラスさんが、
「複合体の性質上、あなた方の事はわからなくなっているかもしれないし、彼女の意識があっても、おそらく、倒さなくてはいけません。それは覚悟しておいて下さい。」
と釘をさしつつ、同行を認めた。
ネイトとガイは「わかった」と言ったが、こういう約束が守られた試しがない。僕は、ネイトの方に、
「勘違いだったらすいませんが、奥様は以前、王都にいらした事はありませんか。イゼンジャていう名前は、どこかでお伺いした気が。」
と、でたらめを言ってみた。妻がいるのに、昔の恋人に拘る男、というレッテルにばつの悪さを感じて、いなくなってくれれば、と思ったからだ。だが、ネイトは、
「いえ、彼女は、体が弱く、王都には行った事がないので。」
と答えるにとどまった。
僕たちはゲストを二人連れて、山に入った。
道中は美しい紅葉だが、鑑賞する余裕はなかった。
モンスターは弱く、風属性が強化されてはいたが、僕がスピードダウンさせ、ホプラスさんが魔法剣、兄さんが火魔法で片付けた。
モンスターより、影響で凶暴になった鳥や狼(山犬?)のほうが、厄介だが、キーリさんの弓矢と、サヤンの気功が効いた。特に、気功は、当てれば倒さなくても、逃げていく。
ただ、敵が素早く、どこから来るのかわからないので、僕と姫、ゲストの背後はラールさんが警戒し、前方はユッシさんが守った。
やがて洞穴(風穴)にたどり着いた。本来のルートからは見下ろすようになるが、岩肌に自然の穴が無数に空いている。これがここの呼び物だと思ったが、ガイが、
「馬鹿な。なんだ、これは、増えてる。」
と呟いたため、エレメントの影響を知った。
宿主は、最終的に、ここに身を隠して、死ぬつもりだったのだろう。だけど、複合体の場合、水や食べ物がなくても、周囲から、エレメント力を吸収して、宿主の肉体は生かされる。そしてさらにエレメント力を生産するので、自然死を望んでも、まず無理だ。
「じゃあ、突入するけど…ガイ、あんたは、中には詳しいか?」
兄さんが、ガイに訪ねた。ガイは、「ああ」と短く答える。
「じゃ、俺達と一緒に、先陣で頼むよ。」
彼に何かあったら、帰り道は困るのではないか、と思ったが、帰りは、一度通った道なら、僕とラールさんの魔力を合わせれば、転送魔法(理由は異なるが、二人ともあまり得意でない)がなんとか使えるだろう。そう考えて、ネイトが自分も先陣に、などと言い出さないうちに、
「じゃ、僕たちは、離れず距離を保ってついて行きます。」
と、先に「通告」した。
風穴の中は、思ったほど寒くはなかった。場所と季節からして、日の差さない洞穴に、寒風が吹きすさぶ様子を想像していた。兄さんには攻撃より、暖房担当に回ってもらう事になるかもな、と思っていた。だが、実際は、穴から光が差しているせいもあるが、秋よりは春のような空気だ。
吹き抜けの中心に、巨大な繭のようなものがある。よく見ると、繭は糸ではなく、風で出来ていた。僕は、火魔法をぶつけて、糸を取り払った。
糸よりも透明に煌めく、銀色の髪。長くのびて、宿主を覆っている。まだ、少女のような、小柄な女性。
「シレリア!」
二つの声が同時に響く。宿主は微動だにしない。姫が、聖魔法を放とうとした時、ネイトが駆け出し、意識はせずに間に入ってしまった。姫は魔法を反らし、壁に当てた。複合体の髪が揺らぎ、ウィンドカッターが無数に飛んで来る。この強さとスピードだと、火と土で壁を作っても、火が着いたまま、突き抜けて来そうだな、暗魔法のスピードダウンは、このクラスにどうか、と考えているうちに、ホプラスさんが魔法剣でカッターの方向を反らし、
「中心を狙ってくれ。」
と、キーリさんに言った。兄さんが火を放ち、それを避けたカッターと本体の間に、道が見える。その道に、キーリさんが、矢を真っ直ぐ打ち込んだ。
「命中したようです。」
宿主は、頭部に矢を受けていた。此方を向く。目は虚ろだが、矢の影響は全くないようにも見える。再び、キーリさんが矢を放ち、今度は心臓を狙ったが、それて、左肩に刺さった。
「今のうちに。」
とラールさんが、風で盾を作りながら、僕と姫を促した。サヤンは、ネイトを押さえていて、ユッシが盾を構える。
姫は聖魔法を、僕は火魔法を、宿主に向けて放った。
エレメントは飛び散り、宿主は、膝を折って座り込んだが、またすぐ、エレメントが集まってくる。風、つまり空気とは完全に遮断は出来ない。水の宿主に比べて、供給源を断てないぶん、大いに不利だ。
「シレリア!」
一つの声。ネイトを見る。サヤンがとらえたままだ。声はネイトの物ではない。
「待て、私が。」
と、ネイトは捕まったままで、さっきの声の主に向けて声をかけた。
ガイだった。ネイトに向い、
「お前は何で来た。罪悪感だろう。だが、俺は違う。俺は、シレリアのために、来た。」
と言い、ゆっくり、宿主に近づいた。
「シレリア、約束を果たしに来た。俺はお前の側にいる。お前が、死んでも、ずっと。」
抱き締める。僕は、離れて、と言ったが、ガイは、
「構わないから、俺ごと射て。最初から、その積もりだ。」
と答えた。ラールさんが飛び道具、キーリさんが矢を番える。ホプラスさんは魔法剣の構えを見せたが、これは兄さんが止めていた。
僕は兄さんに、仕方がない、と言い、火魔法の最強魔法の準備をした。だが、うまく集中できず、もたもたしている間に、キーリさんの矢が、二人の心臓を貫き、姫が、聖魔法の最強技を当てた。
二人は崩れた。だが、宿主は、青い優しい目を「恋人」に向け、歌うような声で、回復魔法を唱えた。涙、そして笑顔。霧の体は、わずかに指す光の帯に、絡んで消えた。
兄さんとホプラスさんが、一番近いので、ガイに駆け寄った。
「おい、しっかりしろ。」
「傷は消えてる…。奇跡的に無事だ。起こして歩かせるより、このまま運んだほうがいい。」
ラールさんは、ひとっ飛びして、宿主のいた辺りを調べている。
ネイトは、泣きながら、何か言っていた。僕は姫に、
「終わったんですね、ここは。」
と言った。姫は、
「ええ。」
と答えた。
帰りは、山道を戻りながら、ラールさんと僕とで、転送魔法を小出しにしながら戻った。ただ、最後の方は、僕らも疲れてしまい、徒歩で進んだ。ガイはユッシが運んだ。
途中、姫が、転びかけたので、ホプラスさんと兄さんが、交代で支えたり、手を引いたりしていた。僕は、三人の姿を見て、何だか、胸が苦しくなった。
麓に戻ると、老人と少年の他、小柄な黒髪の女性がいた。ネイトは、彼女を見て、「リィ」と呟いた。
リィ夫人は、泣きながら、夫にだきついた。
老人とロイ少年は、ユッシさんに抱えられ、気絶しているガイに駆け寄る。姫が、二人に、気絶しているだけと説明して安堵させる。
ラールさんは、キーリさんと何か話していた。キーリさんが、「…思いきったつもりでも、人を射つのは、やっぱり後味が悪くて…」と言うのが聞こえた。
サヤンが、
「じゃまするのもなんだけど、ガイさんは、先生の病院に…」
と、抱き合う夫婦に促していた。
兄さんは、ホプラスさんに、
「さっきは悪かった。」
と言っていた。「とどめ」を止めた事だろうか。ホプラスさんの返事は聞き取れなかったが、兄さんに優しく笑いかけていた。
僕は一人で、風穴の山を振り返った。断崖の北壁と違い、西の稜線は優雅だ。
白い雪のヴェールに、花束のように鮮やかな紅葉。秋の風は、冬に向かう前の、最後の軽やかさを残して、僕たちの隙間を、吹き抜けて言った。
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