三日月の都

8.三日月の都 (ホプラス)


コーデラ王国は、唯一の全能神「ユーザース」と、その最後の代弁者である聖女コーデリアを信仰する「デラコーデリア教」の発祥の地とされる、王都コーデラ(ヘイヤント説もあり)を首都とする「聖王国」だ。


デラコーデリア教の前身はアルコーデリア教と呼ばれる。現在はコーデラの「正教会派」、ラッシルの「北方派」、その他「東方派」「原典派」「列島派」と様々な派閥がある。一神教だが、地水火風の四大精霊の古い信仰の取り入れや、ラッシルの烈女王エカテリンの行った宗教改革の内容を含むかどうか、聖魔法の神官制度があるか、等で、制度や聖職者の位置付け等が異なるが、聖典は共通となる。


コーデラは、制度上は政教分離をとっている。教会の紋章は三日月とオリーブの実、王家の紋章はツルバラとオリーブの葉、騎士団はオリーブの冠、魔法院は雛芥子の花とオリーブの葉となっている。


ラッシルと異なり、異民族の自治領はなく、狩人族の土地のような場所でも、分類上は、王家か大貴族の所有となる。自治を認めているかどうかは、領主による。


政治は議会制で、大貴族(王家から重要な土地を貸与されていて、かつ一定以上の私有地を所有)と市民代表(騎士団長、一定以上の宮廷魔術師、高位の聖職者や学者など、特定の地位にある者達。地方在住者も王都の市民権が与えられるため、こう呼ばれる。)による議会の上に、王が君臨している形になる。


王家から土地を与えられず、私有地だけをもっている地方貴族(エスカーのヴェンロイド家など)や、土地の有無によらず、爵位の低い下級貴族は、原則議会に入れない。ただし、エスカーのように、地方貴族だが宮廷魔術師、といった場合は、市民代表としての参加は出来る。


現在の国王はクレセンティス12世で、他界した王妃との間に四人の子がいた。長男クリストフ(クリフト)、長女ディアディーヌ(ディニィ)、次女バーガンディナ(ガディナ)、三女イスタサラビナ(タッシャ)である。長男クリストフは死亡したため、現在の第一王位継承者はディニィになるが、神官長との兼任はできないため、どうなるか展開の読めない部分がある。バーガンディナ姫の舅にあたるカオスト公は義理の娘(夫にあたる息子は故人だが、その弟との再婚を計画中)に、国王の叔父にあたるザンドナイス公はディニィ(独身の神官を降りて、結婚する前提)に王位を継がせたがっている。


ディニィ自身は、そういう「曖昧な部分」を「利用」し、自ら複合体を倒す旅に出ている。




王都に「帰還」する前、僕達は、ナンバスの家に帰宅した。ラールに「さらわれた」ままだったので、本格的に長期に渡って留守にする準備をするためだ。


一応、ギルドの仲介で借りてる家になるので、管理委託を申請したり、各種配達の停止なども行う。


滞在は五日程度だが、最終日は王都からエスカーが迎えに来て、泊まっていった。その前の日は、ヘイヤントで、市の最大級の夏祭り・「ジオン祭」(古代宗教の祭りだが、現在は伝統行事として残っている)があり、ルーミと二人で行ってきた。昼は炎天下の中を、楽隊や人形を乗せた30騎余りの山鉾を、手動で引きながら市中を巡行し、夜は三体の古代神の輿を肩に担ぎ、昼とは異なるルートで、これまた市中を巡る。


エスカーもどうせなら、祭りの日から来ればいいのに、と言ったら、前に一度、前夜祭に来て、熱射病で倒れた、と答えがかえってきた。


「それに、あんまりお邪魔するのも、新婚家庭に乗り込むみたいで、気が退けまして。アリョンシャが、『三年以上なら既に新婚とは言えないから、気にしなくても』と勧めてくれたんですが。」


「お前、兄貴をネタに、その手の冗談は寄せ。」


僕は笑うしかなかった。ギルドメンバーがからかって、「愛の巣」と言うことがあり、聞き流していたが、今の僕の耳には痛い。


「そういえば、教会に引き取られた最初のころ、僕と、兄さんの部屋、一緒でしたね。夜中に目をさまして、兄さんがいないと、探しに、よく、ホプラスさんの部屋に行きましたよ。」


「しょうもない事を覚えてるなあ。」


「今は一人でも眠れるんですね。大人になりましたね、兄さん。意外です。」


ルーミがエスカーを小突き始めたので、話題を変えるため、、アリョンシャとガディオスと、エスカーが知り合った切っ掛けを尋ねてみた。


宮廷魔術師になって最初の日に、王宮が広くて道に迷っていたら、新人の騎士が案内してくれた。それが、ガディオスとアリョンシャの二人だった、そうだ。


「ディニィとも、その時に知り合ったのか?」


「姫とは、僕が魔法院に入って直ぐに、神殿の庭でお会いしました。道に迷ってて。」


ルーミが、迷子か、泣いてたのか、とからかっていた。



その夜は、エスカーをルーミの部屋に泊め、ルーミは客間(ほぼ物置)で寝る予定だったが、僕の部屋に来てしまった。


気持ち良さそうに安心しきって眠るルーミの傍らで、僕はまんじりともしなかった。


翌日、僕達は王都に向かった。控えめに入った積もりだったのに、大勢の見物に囲まれて、王宮まで進んだ。


ガディオスとアリョンシャが迎えに出てくれた。去年、ヘイヤントで会ったが、その時はルーミはいなかった。


アリョンシャが、


「ディアディーヌ様が『狩人族を味方に付けた』って、すごく盛り上がってて。君達も、是非、盛大に迎えよう、と言うことになった。」


と説明してくれた。


ガディオスは、


「エス…ヴェンロイド師に会った時、『誰かに似てるな』と思ったら、ルーミ君だったんだな。並べて見ると、目元は違うが、鼻から口元が似てるな。」


と感想を述べた。


団長・副団長にも、久しぶりにお会いした。待遇について、お礼を言う。団長は、


「今まで気づいてなかったのか。君らしいと言えばそうだが、家計と家事を握られてしまうと、頭が上がらなくなるぞ。」


と忠告をくれた。家事は主に僕が、と言ったら、笑っていた。


騎士団の知人と会う他、ディニィとエスカーを通じて、国王陛下を始めとする王族の方々、宰相閣下、重臣の方々に紹介された。


キーシェインズの話題は、出なかった。エスカーは、探索を魔法院で担当しているし、最初は騎士団で討伐隊を組もうとしたから、「みんな」知っているが、将軍に敬意を表して、あえて言わないんだろう、と語った。


しかし、いなくなった少女達は、結局一人も戻って来ず、骨も見付からなかった。発表しない方針に決まったなら、僕一人がこだわっても仕方ないが、事件の展開にはキーシェインズ本来の人格が反映され過ぎている。恐らくは後継者として育成したという、将軍にも、責任の一端はあるのではないだろうか。ルーミの件を差し引いても、個人的にすっきりしない結末だった。


しかし、この王都滞在期間は、全体を通して見ると、短いが平和な一時だった。




たった一つの事件を除いて。




   ※※※※※※※




そうゆっくりしてもいられないんじゃないか、と、ルーミが僕にささやいた。その話を聞いたその時。




王女三人が、ドレスアップして並んだ。最年長のディニィは、薄いブルーのレースの、夏服にしては襟の畏まった服、アクセサリーは銀と水晶のティアラと、揃いの耳飾り。色彩は大人しいが、それが金髪と青い目を、美術品のように引き立てている。


バーガンディナ姫は、夏らしいデザインの、黒に近い紫のシンプルなドレス、ディニィの物とは異なるデザインのティアラに、金の耳飾りと首飾り。三人の中では、唯一、髪の色が濃く、金色が映えている。ディニィと並ぶと、彼女のほうが姉に見えるほど、大人びた雰囲気があった。


一番幼いイスタサラビナ姫は、艶のある濃いピンクの生地の、肩と胸元を大胆に開けたミニドレス、宝石類は全て紫で、アンクレットだけ銀。ティアラの代わりに、波を打たせて垂らした髪に、紙でできた赤い髪飾りをつけていた。口紅の赤も鮮やかだ。髪は赤毛気味のブロンドだが、眉と目は栗色だ。上流の女性は、あまり髪の色を変えないと思ったが、最近の流行りらしい。


ディニィは神殿育ちだ。バーガンディナ姫は王宮で、亡くなった王妃の家庭教師をしていたパドール夫人が、イスタサラビナ姫は前国王シシュウス7世の「最後の」公式寵姫・テスパン夫人が教育した。だから「母役」の好みが反映されているようだ。。


ここは野外劇場、僕はディニィ、カオスト公の次男ヨルガオードがバーガンディナ姫をエスコートして、王族席に着いた。イスタサラビナ姫だけは、テスパン伯爵(テスパン夫人の弟。本来のテスパン夫人は、つまり彼の妻は、若い頃に他界。)の席で、仲良し(テスパン家に引き取られた、遠縁の兄妹。)といたがったので、そちらに行った。


「ねえ、お姉さま。タッシャには、公の席での振る舞いを、きちんと教えられる教師を付けたほうがいいわよ。去年のほうが、まだお行儀良かったわ。」


と、バーガンディナ姫がディニィに言った。同席していたザンドナイス公夫人が、彼女に賛成し、


「本当、貴女達があのくらいのころは、『身に付いて』ましたよ。あの子だけ、母親の顔を知らないからと、陛下も甘やかすから。だいたい、あの服は何?いくら流行りだからって。あれじゃ、去年の、風船みたいなドレスのほうが、まだ品があるわ。」


と言った。夫人はテスパン夫人とは、仲が悪かった。しかしディニィは、


「確かに、最近、変わってきましたね。テスパン夫人は、もっとふんわりとした可愛らしいドレスを着せたがるほうでしたのに。そういえば、今日はお姿がなく。」


と不思議そうに答えた。


もともと派手好きだが、教養のある礼儀正しい夫人で、だからこそ、前王の寵姫という立場にもかかわらず、末の姫の世話をまかされた、という評判だった。


「昨年の冬から、ご病気で、寝たり起きたり、とはお伺いしている。新しい教師も、考慮はしているよ。」


ザンドナイス公は、そう言うと、話題を今夜の演目と、新人のテノールの評判に変えた。


僕達は、オペラに招待されていた。


ラッシルの国民的作曲家チャフスクの、若い頃の二幕物の短い作品だが、今回、コーデラの新人指揮者サルテスが、新脚本で甦らせた。


もともと、曲は良いのだが、脚本が極端に悪く、アリアや序曲の単独の演奏はあっても、上演される機会がなかった。しかし、これは、当時の政治情勢のために、脚本がズタズタにされた為であり、最近の研究で、ようやく原典の脚本の全貌が明らかになった。


研究を元に脚本を再構成し、楽曲の順番を入れ替え、「新版」で上演する、という触れ込みだ。


招待されたのはパーティ全員だが、僕はディニィのエスコートを引き受けたので、王族の席にいた。他の皆は、向かいのボックスにいる。ルーミとラール、キーリとサヤン、ユッシ。エスカーだけ、魔法院で用事があるため、いなかった。


次の探索のために働くエスカーを残して、こういう席に着くのは気が引けたが、一つ楽しみな事があった。


僕が養母から教わり、ルーミに歌っていた子守唄、実はこのオペラの中の一曲が独立した物だった。勿論、子守唄になるにあたり、歌詞は変更してあるだろうが、元の歌を聞くのは初めてだ。


あらすじは以下の通りだ。


北方のある国。ヒロインは国王の一人娘で、「太陽の娘」と呼ばれる美貌の持ち主。大臣の息子との結婚を控えているが、彼女は、自分の護衛の青年と恋をしていた。国のために、と諦めるが、大臣の息子は、邪な父と結託し、元々の姫の婚約者候補だった、隣の国の王子を暗殺していた。それを知った恋人同士は、駆け落ちする。ここまでは第一幕で、改悪されていない部分。


改悪が入るのは第二幕で、駆け落ちして森で暮らす二人の所に、大臣の息子がやってくる。暗殺されたはずの王子が、実は姫の今の恋人で、姫を誘拐して「うらみ」を晴らそうとしていた。姫の事は愛しておらず、既に庶民の娘と結婚までしている。大臣の息子は、実は真剣に姫を愛していて、彼の秘密を姫に教える。


ラストは、大臣の息子が決闘で勝つが、姫は死んだ恋人の後を追って死ぬ。大臣の息子は、倒した青年の妻に殺される。これで終わり。


一幕での人物像が二幕頭で既に崩れ、性格が激変するうえ、事件が唐突、整合性がなく、後味が悪い。


オリジナル版では、恋人同士は真剣に愛し合っていて、青年は自分の身分を隠して、姫と幸せになるために、森でひっそり生きていく決心をしていた。彼と秘密結婚する庶民の女性は出てこない。大臣の息子はあくまでも卑劣で、嘘をついて恋敵を陥れようとするが、失敗し、決闘にも負ける。ラストは、国王が出てきて、全てを許して大団円。


これもどうかと思うが、不自然さはまだ少ない。第一、ハッピーエンドを期待して簡単に作られた筋書きに、皮肉なラストを無理にくっつけても、余計ちぐはぐなだけだ。


今回は、庶民の女性の役は残し(メゾソプラノの役がなくなるため。)、大臣の息子は悪役だが姫を愛していて(バリトンの見せ場を作るため)、「現代的な」大団円になる…と事前情報が出ていた。


舞台はスムースに進んだ。ヒロインの姫のゴールデンブロンドの鬘の形がやや不自然なこと、大臣役が声量不足なことが気になった。また、夏場は弦楽器が響かないためか、元のスコアによるか不明だが、バックが金管楽器と金属製の鍵盤楽器による演奏になっており、僕は聞きなれないので、かなり違和感を感じた。ただし、歌は良かった。


そして第一幕の終わり、駆け落ちした二人が、暗い森に入るシーンで、あの子守唄の曲が流れた。




“(テノール)


闇を払い


未来を照らそう


貴方に寄り添い


思いを繋ぐこの時




夜明けまで


同じ星を見ながら


貴女を守り共に眠ろう




星に誓う


二人の愛を


愛しい人よ


星が消えても


僕は側にいる


君を守って生きる




(ソプラノ)


私に誓って


貴方の愛を


私の側にいて


私も貴方を支えて生きるから




(二重唱)


星、いいえ、貴方の(貴女の)


瞳に誓う


この世でたった一人の


私の(僕の)大切な人


何を捨てても悔いはない


今宵、夜明けまで


一つの心で




闇を払い


未来を照らそう


貴方に(貴女に)寄り添い


思いを繋ぐこの時


心安らかに、愛しい貴方(貴女)…”




拍手喝采。だが、僕は拍手どころではなかった。


…この歌、こんな歌詞だったのか。思わず頬が熱くなる。


子守唄らしいキーワード、「闇を払い」「夜明けまで」「安らかに」が入ってはいるが。




《夜が終わるまで


そばにいるから


安らかにお休み


守ってあげる


愛しい子よ…》




子守唄として覚えていたのは、この程度の短い歌詞の繰り返しで、曲としては、テノール独唱と二重唱の一部をくっつけたものになる。僕は、当然、子守唄以外の意味で唄った事はない。


だが、知らず知らずに、子供の頃から、ルーミに対する思いを、切々と枕元で訴えていたのか、と、息苦しい気持ちになった。


二幕も無事に終わり、招待客だけ、隣接したホールで、飲み物や軽食をとる。


なんとなく、ルーミと顔を会わせるのが気まずく、彼を探さずに、ディニィと一緒にいた。


僕はハーブ入りソーダ水を、ディニィは、薔薇色のお茶を飲んでいる。


神官は神酒を頂く習慣があるので、意外に強い人が多いと聞いている。


「今日は護衛じゃないから、飲んでも構いませんよ。」


と言ってくれるが、


「魔法耐性のせいか、酔えなくて。ルーミに『飲み過ぎるな』といつも言ってる手前、自然と飲まなくなった。」


と答えた。そのルーミは魔法力の割りには弱いが、ラールと酒で張り合いたがるから、飲み比べの時は後が大変だ、と説明した。


それから、僕はディニィに、子供の頃の話や、ルーミとこなしたクエストの話をした。ディニィも、色々と話してくれて、今、心配している事を相談してくれた。


カオスト公が、バーガンディナ姫の再婚相手に、自分の次男を勧めていて、彼女は受けるつもりでいるようだが、ディニィは、不安に思っている所がある、と。


バーガンディナ姫の亡き夫・マクスオードと、その弟のヨルガオードは、顔立ちはよく似ているが、性格は正反対である。マクスオードは、物静かでおとなしく、美術や音楽を楽しんだが、ヨルガオードは、乗馬や狩り、武術を趣味とする、明るい性格だ。


「ガディナは、ヨルグのこともよく知っているので、その辺りは承知しているけど、先々、顔が似ているぶん、かえって違う所が目についてしまうかもしれません。」


先ほどまで、一緒にいた、ヨルガオードの様子を思い出す。殆どしゃべらず、むしろ大人しい印象だ。バーガンディナ姫が、大臣役のバス歌手には、声量だけでなく、歌唱力も問題があるようだ、とコメントした時、彼はただ黙っていて、自分の意見は言わなかった。


武人タイプなので関心がなかったのかも知れないが、姫にも関心がないのではないか?


ザンドナイス公とカオスト公は、王位継承について意見が対立している。それで緊張したのかもしれない。


僕がコメントしようとした時、騒ぎが起きた。


ライトアップされたホールの庭園の方で、悲鳴が聞こえた。駆けつけると、イスタサラビナ姫が、ラールに抱き抱えられていて、見知らぬ女性が二人、姫に回復をかけている。その姫は、ドレスと髪飾り、髪の一部が焦げていた。


暗い方からルーミと、これまた見知らぬ男性が二人、走って戻ってきた。


ルーミはラールに、「見失った。」と言い、それから僕とディニィに気付いた。


「よくわからないんだが、火の玉ぶつけて、逃げた奴がいる。俺とラールは、庭に出ていて、悲鳴が聞こえたから、駆け付けた。」


ルーミの答えを聞いて、彼と一緒に「犯人」を追った一人が、ディニィに気付き、イスタサラビナ姫を治療中の自分の妻は、中央消防局付きの専任の魔法医師で、自分は局長である、と自己紹介してから、


「私はセレニスさんの近くにいて、ちょうどその茂みの所で、魔法の火が光るのを見ました。


まさか、魔法で放火、と思った瞬間、悲鳴が聞こえました。」


と説明した。続けてもう一人、本日のバス歌手の息子と名乗る男性が、


「恋人と茂みの所にいたら、すぐ隣で火が出たから、彼女が悲鳴を上げた。暗かったから顔は見てないが、飛び出した誰かが、私たちを突き飛ばして逃げた。」


と語った。


主催者サイドは、魔法を使える警備員を多数いれていた。劇場から会場に移る段階ではチェックも厳しい。


ライトアップの庭は、恋人同士がよく行く場所なので、遠慮してあまり見回らないという風潮はあったが、招待客以外が、入り込むのはまず無理だ。


イスタサラビナ姫は、


「テスパンのおじ様に、綺麗な庭が近くで見たいとお願いした。おじ様が飲み物を取ってきてくれている隙に、火の玉を服に投げつけられた。」


と述べた。


テスパン伯と養子二人は火魔法使いなので、色々と噂は流れたが、彼らには動機がない。


カオスト公の陰謀説も流れたが、彼にも動機がないのは確かだ。ただ、この後、テスパン夫人は病気を理由に教育係の任を解かれ、カオスト公と懇意な、カンパナ伯爵の夫人が、イスタサラビナ姫の教育を引き受ける事になった。


カンパナ伯爵夫人は、裕福な庶民向けだが、規律のしっかりした私立の女子高の、特別講師を何年も引き受けており、実績は確かな人だった。末の姫の教育に頭を抱えていた人々にとっては、怪我の功名になっただろうか。


ルーミを始め、みんなとは、オペラの話はしなかった。サヤンが、ラストがハッピーエンドで良かった、と軽く言っていたが、彼女のお気に入りは、二幕のテノールのアリアだった。


ルーミとラールは事情聴取されたが、二人も顔は見ていない。


「お姫様が、あの様子だろ。気を取られて、追いかけるタイミングが遅れた。」


と、ルーミが悔しそうに語った。口には出さなかったが、彼は、犯人は政治がらみではなく、キーシェインズと似たり寄ったりの趣味嗜好の持ち主だと見ていた。


ディニィが妹を心配し、毎日、王宮の彼女の部屋に通って過ごした。バーガンディナ姫も同様だが、彼女は、妹に対して少し手厳しく、妹の年で、大人の恋人同士が行く所に出入りしたがるのに問題があり、そういう頼みを聞くテスパン伯もテスパン伯だ、おまけに、暗いところに妹をほっておいた…と不満を述べていた。


しかし庭園は別に、恋人同士に限定された場所ではない。


そういえば、ルーミはラールと庭園にいた。さりげなく理由を聞いてみると、


「ラールが、藤の花が好きと言うから、確か、この庭園、藤のレリーフのある、柱が有名だったな、と思ってさ。」


と答えが反ってきた。多少色気のある理由に、内心穏やかではなかったが、


「そういえば、垂れ桜のレリーフもあったな。お前も誘えば良かったよ。」


に、なんとなく、ほっとした。




そして秋になり、早々とイスタサラビナ姫とカンパナ夫人の不仲が囁かれるようになった時、風の複合体の場所がわかった。








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