風の通い路
10.風の通い路 (ホプラス)
アレガノズ近郊の町や村には、小さくても、必ず医院・病院があり、医師がいた。昔、騎士団養成所のダストン医師から、地元の富豪が病院を建てまくって、一気に医療の後進地域から、先進地域になった、という話をきいたことがある。
アレガノズ山岳協会からは、
「これで閉山前に少し取り返せる。」
と感謝された。
その夜は、アレガノズに宿を取った。イゼンジャ家の当主が、屋敷に泊めてくれるという話だったが、当主の娘のリィ夫人が、結局、心臓発作で倒れ、慌ただしいので、こちらから、やんわり断った。
イゼンジャ医師と微妙に顔を会わせにくいので、ホテルのほうが気楽だった。
夕食後、名物の濃いワインを出されたが、飲まない三人(僕、エスカー、サヤン)は、お茶を飲んだ。
ディニィが、少し、ワインに足を取られたので、部屋まで送る。送る時、ラールに声をかける。ラールは、
「またの機会にね。」
とルーミにいい、僕と二人で、ディニィを送った。
「ルーミと何か約束してたのか?」
とラールに聞くと、
「始めて飲む酒だから、飲み比べをね。」
と答えが返ってきた。
その後、僕は自分の部屋に戻った。
お茶は失敗だった。この地方の物は、色が薄いが、反面強く、疲れているのに眠くならない。少し落ち着きたくて、バルコニーに一人でいると、隣のバルコニーから、ルーミが声をかけてきた。
「ノックしても出ないと思ったら、そんなとこに居たのか。」
僕の返事を待たず、バルコニーを乗り越えて来る。
「ドア、開けるから。」
「いいって、早いし。」
二階なので、大した高さはないし、実に乗り越え安いバルコニーだが、向かい側には、山を背景にして、もう一軒、ホテルと食堂がある。見とがめられたら、確実に不審者だ。
結局、乗り越えてしまったルーミは、バルコニーから僕の部屋に居座る。何がしたいのだろう。
「ノックした時にいないから、ディニィの部屋にいるのかと思ったよ。」
「…そんなわけ、ないだろう。相手は王女様なんだから、そういうのは冗談でも…」
「でも、二人とも、最近、仲いいじゃないか。よく話してるし。」
そう言われてみれば、そうか。しかし、社会情勢の話とルーミやエスカーの話しかしていない。
「王都の情勢の話はよくしてるけど。同期の騎士で、既に故人になった人もいるから、そういう話とかね。後は…エスカーの小さいころの話しとか、お前の話とか。」
「俺の?」
「クエストの話、かな。珍しいらしいよ。」
ルーミは、「ふーん」と言ったきり、良くも悪くもない機嫌、と言った表情をしている。
僕は、ルーミに言われて、彼の話を聞いている時の、ディニィの様子を思い浮かべた。
生き生きとした表情、輝く瞳、明るい声。
ああ、そうか。ディニィは、ルーミを見ていたんだ、僕と「同じ色の瞳」で。
ルーミの様子を見る。気にしているようだが、僕に妬いているんだろうか。ルーミの好みは、年上の黒髪、長身の女性だ。今まで出来た彼女が、みなそのタイプだ。それから考えると、ラールが好みだが、彼女とは姉と弟のような物で、恋愛の欠片も見えない。だから、「安心」していたのだが、飛んだ伏兵がいた。
だが、僕に、嫉妬する資格はない。僕は、「友人」、今も昔も、これからも。
「気にしなくても、そういう事はないよ。一応、腐っても騎士だから、彼女は、忠誠の対象だ。」
せめて、友人としては、彼の心を軽くしてやろう、そう思って、答えた。しかし、彼からは、
「別に、俺も、そんなんじゃないよ。エスカーから聞いた話が気になったから。」
と返ってきた。
カオスト公は、ディニィを独身のままにして、バーガンディナ姫と自分の息子を結婚させ、やがては自分の孫を王位につかせたがっている。ザンドナイス公は、ディニィを結婚させて、彼女を王位につかせたがっているが、相応しい婿選びに難航している、という。
「お前なら、騎士だし、文句ないだろ。でも、カオストっておっさん、腹黒そうだから。何かしてくるかもしれないし。」
僕は笑った。ほっとしたせいだ。ルーミは、笑われたのが面白くなくて、ふくれ面をした。
「ごめん、笑ったりして。だけど、騎士でも、そういうのは、貴族の騎士だけだよ。カオスト公も、そこまで暇じゃないよ。彼の息子が、僕たちの代わりに、ディニィを守って戦えるわけじゃ、ないだろ。ああいう人は、僕たちの利用価値は買ってると思うよ。…それに、バーガンディナ姫は、お年の割に、しっかりした、利発な方だ。そうそう、傀儡にはならないタイプとお見受けしたよ。」
なんとなくだが、この時、僕とディニィ、ルーミとラール、なんて考えが、一瞬浮かんだ。だが、それは、ない。浮かんだ者は、選択肢にすらならず、消える。
ルーミは、
「まあ、いいや。」
と平坦な調子で言った。
「本題はそれじゃないんだよ。次の事なんだけど。」
「もう、見付かったのか。」
「まだだが、次は火か土だろ。これから冬だから、土の増幅期になる。でも火だとしても、一番厄介な、攻撃魔法が補強されるだろ。場所にもよるけど、人を借りたほうがいいかも、と思って。」
それは僕も少し考えていた。だが、鍾乳洞や山の風穴であれば、投入する人数には限界がある。それを見越してのこの編成でもある。
一瞬だが、僕が指揮をして、ディニィのために、一軍を動かす姿を想像してみた。騎士として、忠誠を誓う、姫君のために。
変な事を考えるなあ。ディニィが絵に描いたような、姫らしい姫だからだろうか。
「そうだな。明日、ディニィとエスカーに相談してみようか。」
なんとも、ありきたりの返事だ。確かに、僕たちだけで、どうなる問題ではないが。
「今日の、レンジャーの人だけどさ。」
ルーミは、僕がまだ思案中に、いきなり、話題を変えてきた。
「あの人、風の彼女とは、別に恋人同士じゃなかったってさ。幼馴染みだけど。彼女は、あの医者の恋人だったんだって。」
イゼンジャ医師の半生はそこそこ有名で、医師不在の故郷の村の、役に立ちたいっていう、「友人」について、田舎に移り住んだ。医療費がバカ高くて、医者の少ない島国の出身で、家族を病気でなくして、孤児になった、という理由で、無医村勤務を希望していた。
でも、ここで、名家の婿になり、病院をいっぱい建てて、大勢を救う、という、本来の夢の実現を果たした。
そのため、「友人」との未来をあきらめたのは、完全に彼の意思だったかどうか、わからない。
医者の顔を思い出してみる。ライトブラウンの髪に、ほっそりした、色白の長身の青年。この辺りは、騎士団の友人のスイ・アリョンシャの出身地だ。彼は黒髪で、目も黒い。風の宿主は銀髪だったが、ガイ、ロイ、リィ夫人、地元の人たちは、だいたい黒髪だ。
毛色の違う、都会的で知的な青年は、街から殆ど出た事のないお嬢様にとって、夢の王子様にでも見えたのだろうか。
「麓に彼を運んだ時、おじいさんが言ってたんだけど、ちょっと前まで、北壁には、冬でも、事前審査無しで、誰でも挑戦できた。二人とも、父親はそれで亡くなった。彼女の母親は、その後、遭難者の救助で、彼の母親は、『山に関係ない人』と再婚して出ていった。両親がいない、祖父に育てられた者同士、子供のころから、ずっと仲が良かったらしい。髭があるから老けて見えたけど、彼のほうが、少し年下らしいよ。」
いつの間に、あの老人とそんな話をしたかな、と思ったが、僕とディニィが、あの場で倒れかけたリィ夫人を見ている間、ルーミは老人たちと話していたようだ。
「なあ、ホプラス。」
「ん?何?」
「俺が先に死んだら、お前、どうする?」
何を急に、とルーミを正面から見直す。極めて真面目なオリーブグリーンの両目が、僕を見つめている。
「僕も死ぬよ。」
言ってから、まずいと思った。真面目な様子に、つい本音が出た。
「…俺は、お前が先に死んでも、自殺なんか、しないぞ。多分。」
「お前は、それでいいんだよ。だから、僕のために、死なないように、気を付けてくれ。」
僕は、精一杯、余裕を見せて微笑んだ。ルーミは、決まりが悪くなったのか、なんだかまるで、照れたように、うつむいた。
その時、隣の部屋のドアを大きくノックする音が聞こえ、エスカーが、
「兄さん、鍵開けて。」
という声が聞こえた。ルーミは、「あ、しまった。」と一言、バルコニーに戻ろうとしたが、向かいの宿のレストランが閉まっていて、明かりがないため、ドアからでた。
「悪い、窓から入ったから、鍵を中に置いたままだ。マスターキー借りてくるから、待っててくれ。」
「はあ、窓から通い路、ですか。ロマンチックですね、無駄に。」
ルーミは「そういう冗談は…」と言っていたが、この場合は仕方ない、と思った。
エスカーの引用した古詩は、「一陣の風になり/貴女の窓辺に/夢の通い路」というものだった。
僕は窓の方を見た。明かりは殆どないが、夜目にも雪が銀に輝く。
銀色の風は、どこに通うだろう。カーテンを揺らした一陣の風に、そんな事を思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます