女神像
3.女神像 (ホプラス)
二人のギルド生活を始めた、最初の夏。ナンバスの湾に浮かぶ島の、古代神殿のお祭りの夜の事だった。
盆地のヘイヤントにくらべ、海に面したナンバスは、涼しいはずだが、その年は、最初から最後まで、蒸し暑い夏だった。魔法力を利用した空調はあったが、気温はそうでもなく、湿度だけ高い場合は、最新型でないと、利きが悪い。借家に備え付けの物は、少し型落ちしたものだった。
火魔法使いのルーミは、からっとした暑さには強いが、蒸しっとした暑さは苦手で、
「ナンバスにくれば、少しは涼しいと思ったのに。」
と、毎日、愚痴をこぼしていた。
「ナンバスの人たちはエネルギッシュだからね。熱気があるんだろ。」
日帰りのクエストが終わり、ギルド本部から、数ブロック程度離れた、家に帰る。この当たりは、ギルドメンバー用の借家街なので、街の中心部にもかかわらず、静かで、治安も良かった。
顔を売る意味もあり、連日ハードスケジュールだったので、明日から五日ほど休むことにした。祭りを見に行こうかと思ったが、神殿の島は、今夜は男性のみ、女性のみだと入場できず(もともと夫婦和合と家庭円満の古代神なので。)、誘えるほど親しい女性の友人もいないので、今夜は大人しく帰宅する事にした。
「あ、一味唐辛子、切らしてたな。買ってくるから、先に戻ってろ。」
と、ルーミは、来た道を引き返した。ルーミは辛いものは苦手、僕も極端なのはだめだが、ヘイヤントで何年か過ごした者にとっては、名物の一味唐辛子は、欠かせない薬味だった。
僕は一足先に戻り、明かりをつける。冷たいお茶でも用意しておいてやるか、と思ったその時、
「ホプラス!来てくれ!」と、家の外から、ルーミの声がする。急いで剣を取り直し、外に出る。ルーミは、俺の手を掴んで、島に向かう観光船やボートの出ている港に向かった。
「確か、こっちに。」
「どうした。だれか、探しているのか。何があったんだ。」
ルーミの様子が、あまりに真剣だったので、指名手配の賞金首でも見つけたか、と思った。
「さっき、凄い美人に道を聞かれたんだ。お前も、ぜひ、見せなくちゃ。」
一度に、全身の力が抜けた。
※※※※※※※
「あれだよ、ヘイヤントの美術館の前庭にあった、『永遠の美の女神』像にそっくりでさ。」
探してる間、ルーミは、いかにその女性が美しかったかを語った。
あの女神像は、新進気鋭の芸術家ミケル・ラングルが、「古今東西、誰から見ても、美しい女性」の像にチャレンジしたもので、現実には存在しえない、究極の理想像だった。
半信半疑だが、そこまでいうなら、見たい気もする。
港で、知り合いの、観光船の乗り口の女性に尋ねると、
「あの美人なら、ゴルゴテスの末っ子が、つれていったわよ。」
と答えが返ってきた。
「彼女は、島に渡りたいんで、同行者が必要だったみたいだけど、定期船の観光客枠も、もうないし、ボートを借りるか、個人で出せる船のある船頭と交渉するかしか、ないね、と答えたら、脇にいたゴルゴテスの三男が、つてがあるからと、連れていったわ。三男なら大して害もないだろうから、ほっといたんだけど。あんたたちの、知り合いだったの?」
それを聴いて、僕も本気で探す気になった。
ゴルゴテス三兄弟は、三人で活動するギルドメンバーだが、腕が良いのは、元傭兵(コーデラではなく、南方のガトラ王国の槍部隊)の長男のジオだけで、次男のデオは少し火魔法が使えたが、女好きの優男で、仕事中に依頼人に手を出しては、よくトラブルになっていた。三男ガオは、まだ14で、他の二人と比べ、年が離れていて、容貌こそあどけなかったが、賭けでよくずるをするため、ナンバスの公共の賭場からは、閉め出されていた。
連れていったのは三男だが、その先には、次男がいる。
教えられた方には暗がりがあった。人影を見て、ルーミが明かりを出した。
光の中に、ルーミの行った通りの女神像が、立っていた。足元に、美に捕らえられ、倒れ伏した信者を従えて。
例の彫像は黒石で、髪がなかったが、この女神像は、アラバスター製で白く、髪は長く、真っ直ぐ、黒い。すらりとした脚、均整の取れた体つき。切れ長の目は、薄い色をしているようだ。
「お姉さん、これ、あんたが独りで、やっちまったの?」
ルーミが、彫像に話し掛けた。
「凄い、強いんだね。」
「…ルーミ、呑気に言ってないで、助けてくれ。」
長男が情けない声を出している。
「自業自得だろ。なんだよ、三人揃って。」
「俺は止めようと…。」
僕は、長男から、傷を回復してやった。今、喋れるのは、彼だけだった。
「君も、出来るなら事前に思い止まらせるようにしないと。ギルドマスターから勧告されたばかりだろう。」
「すまん。」
傷らしい傷はない。当て身だろう。しかし、次男と三男はともかくも、長男は結構な腕だ。
それを、こう急所をあっさりか。
回復した三人は、そそくさと逃げた。三男が、覚えてろ、と言ったのだが、長男に叱責されていた。
「ホプラス、ラールと一緒に、島に行くけど、お前も来るだろ?」
「ラール?」
「このお姉さんの名前だよ。」
あらためて彼女を見る。切れ長の瞳はラベンダーブルー。国籍不明な美貌が、ますます例の彫刻を思わせる。
ラーリナ・ライサンドラと名乗った、そのラッシル系の長身の女性は、
「寺院の僧侶から、今夜中に受け取らなきゃいけない物があるんだけど、今日が祭りとは知らなかったの。」
と語った。
外国人にしてもかなり怪しいが、どちらかと言えば人見知りするルーミが、妙に彼女の事を気に入っていた。
「俺はルミナトゥス・セレニス。ルーミって呼んでくれ。でこいつは、ホプラス・ネレディウス。あ、そうだ。船がいるね。アンシルのとこなら、魔法動力のボートがあるから、話してくるよ。向こうに身内の船着き場があるから、入島も待たなくていいし。」
ルーミが駆けていってしまうと、ラールは、「ルミナトゥス?」と不思議そうに呟いた。僕は彼女の疑問がわかったので、
「男なんです。」
と、解説した。彼女は驚いていた。
ボートは、僕が動かした。一定以上魔法力があれば動くが、そのため、一般市民は、このタイプは借りない。
島につくと、アンシルの弟・ランシルが、俺たちを見て、
「いくらあんた達でも、今夜、二人で入れる訳には。」
と言ったが、ラールの姿を見て、
「ああ、女性がいるならいいか。」
と、通してくれた。
祭りは、こう言ってはなんだが、殆んど何もなかった。島の外のほうが、出店や花火で盛り上がっている。神殿にお参りをして、アミュレットと、特製の飴を購入する恋人同士で賑わってはいたが。
待ち合わせ場所とされている、神殿の裏手に回る。比較的高位の僧の格好をした年配の男性が出てきた時は、「しまった」と思った。「政治がらみ」ではないだろうか。ギルドは国境を越えて活躍するため、政治関係の依頼は受けない。彼女はギルドの本拠地に来ながら、ギルドで同行者を雇わなかった、しかもあの腕前だ。
とりあえず、会話に聞き耳を立ててみた。
「わざわざ申し訳ありません。急にぼっちゃまが、我が儘を申しまして。」
「構いませんよ、ラール様。あの方に差し上げるのであれば、その辺りで買うわけにもいかないでしょう。」
どうやら、高貴な「ぼっちゃん」のお使いで、飴を買いに来たらしい。しかし、飴自体は、今夜限定ではない。寺院の生産品ということであれば、1日の数が決まった限定品には違いないが、わざわざ入島制限の日に、女性一人で、お使いに出されたのだろうか。
彼女は、制限の事はしらないようだった。まあ女人禁制ならともかく、同行者を見付けるくらいは、たいした手間ではないと考えたのかもしれない。
とりあえず、政治がらみでは無さそうだ。
ラールが用事を済ませたので、帰ろうと、ルーミを探したが、見あたらない。呼ぶと、直ぐに姿を見せた。ついでに、飴を買っていた、という。
「いちおう仕事中なんだから、ふらふらするなよ。」
「あ、ご挨拶だな、入島書類に署名して、帰りの船の手配してたんだよ。アンシルのとこは、祭りに参加するから、店じまいだから、定期船で帰れって。この時間、帰る方は余裕あるから。」
差し出されたチケットは三枚。普通のチケットに、「ギルド扱い」「フリー」の判子が押してある。
短い船旅のあと、別れ際にラールは、代金を払おうとした。僕は、たいした事はしてないし、別にいいと言おうとしたが、
「三兄弟に、すでに払ってたよね。ギルドに言って、受け取っておくから、問題ないよ。」
とルーミが答えた。最後に、彼は、飴に着いてきた一対のお守りのうち(これも飴でできていた)、女性用のを、ラールに渡していた。
「それじゃ、ありがとう。」
と、終始無口でミステリアスだった女性は、彫像にはできない優雅な微笑みを残して、去って言った。
帰り道、ルーミが妙に上機嫌で、
「また会えるといいなあ。」
とまで言うので、
「お前、ああいう人が好みなのか?」
と聞いてみた。すると、
「うん。」
とあっさり返事が返ってきた。僕は思わず、「え?!」と叫んだ。
「だって、お前、あの顔に、あのスタイルだよ。お前こそ、何を平然としてるんだよ。」
ああ、別に一目惚れした訳ではないんだな。
平然としていた訳ではないが、例えば三兄弟のシーン、なんだか、歴史絵画のようで、現実味がなかった。
もう一対の飴のお守りは、一日食卓に飾られた後、ルーミの口に入った。島で購入した飴は、五日の休みの間に、これもルーミの口に入った。
休みが開けたら再び仕事続き、秋にルーミが、派手に声変わりした。とは言っても、分類としてはテノールに入る。僕よりもやや高い。同時に背も急に伸びた(骨が痛いと言っていたので、一時期、寝るときに脚をさすってやった。)が、魔法力の高さのせいで、男性的な外見にはならないだろうと、痛み止めをくれた医者が言っていた。
「魔法力高くても、ガディオスみたいな人もいるじゃないか。」
と、僕の騎士団の友人を引き合いに出して、残念がっていた。
「ガディオスは魔法はそれほど得意じゃなかったよ。騎士の条件はクリアしていたけど。もともと大男の家系と言っていた。魔法剣は、かなり威力がでてたけど。格闘が得意で、力が強かった。ほら、お前の友人のロテオン君、彼と同系の流派になるらしいよ。」
「そういえば、そんなことを言ってたな。ところで、お前は、どうだったんだ?やっぱり、あちこち痛くなったか?」
「13になった時に、何もかも急にきた。骨は痛くならなかったけど。喉がからっとした感じで、痛かった。魔法バランスが変わるかもと言われたが、そういうことはなかったな。お前は喉は?」
「全然平気。」
「ふうん、個人差があるもんだなあ。」
そして冬になった時、僕たちは、クエストに行った先で、ラールに再会した。
※※※※※※※
少々込み入ったモンスター退治に、六人パーティを組んで戦った。クエストは問題なく終わり、その土地のギルドで、解散&依頼終了手続きをとる。その時、「ついでに、急ぎで頼めないか。」と、帰り道のクエストを渡された。
麻痺能力のある、植物系のモンスターの森で、迷子になったペットを探す、というものだった。僕たちでは、探知魔法がないので、どうかと思ったが、場所は確定していて、そこを囲むモンスターが、意外に強いので、探知能力より、戦闘力を重視した、ということだった。
現地で、依頼人のフリーの冒険者と合流してくれ、と言われ、いってみたら、ラールがいた。
「驚いたわね。」
と、成長したルーミをしげしげと見ていた。
偶然の再開を喜ぶが早いか、クエストの説明に移る。
ラールは、ここの領主に借りるものがあって、ラッシルから出向いた。借り物はうまくいき、それは連れてきた運搬部隊が運び出したのだが、帰り際に、町で事件が持ち上がったので、頼まれた、と説明してくれた。
町長の飼っている小型アースドラゴンの雛が、森に逃げ込み、探しに行った世話係りの子供が戻ってこない。どうやら、春だけ使用する、薬草取りの小屋に逃げて、のろしを揚げたようだが、麻痺針草と言われるモンスターの森を抜けきれず、救助が進まない。
依頼では、ペットの回収となっていたので、子供の話は初耳だ。この付近では、身分の低い子供の人権は軽く、高級ペット以下の扱いをされているらしい。
「ペットより、子供の方を優先したいから、回収状態によっては、『失敗』扱いになってしまうかもしれないけど、損失分は払うから、協力して貰えるかしら。」
「損失分はいらない。喜んで協力する。いいよな、ホプラス。」
「もちろんだが、君も来るのかい、ラール。」
「ええ。こう見えても、風魔法と、飛び道具が使えるから。」
そういえば、彼女は強かったな、と初めて会った時を思い出す。
森に入る前に、塗り薬を一瓶ずつ持たされ、「刺にやられたら、回復を掛ける前に、これを塗るように」と言われる。
森は、ある程度奥までは、何も出なかった。進んでいくと、急に針つきの枝が、鞭のように向かってくるようになった。弱いが、これが四方八方からくる。
ラールは、風魔法メインで、近づき過ぎたものだけ、ナイフで応戦していた。ルーミは、森の中なので、意外に素早い枝に、火をつけるのを警戒し、魔法よりは物理攻撃をメインにする。と、僕は魔法剣で、範囲攻撃だ。
ラールは、僕が神聖騎士にしか使えないはずの魔法剣を使えたり、ルーミが剣も魔法も得意で、回復も使える事に、驚いているようだった。僕たちも、実戦に馴れた、高い戦闘力のラールには驚いていた。ただの金持ちの専属というわけでは無さそうだ。
小屋に到達し、戸を開けると、泣いている男の子が見つかった。人の姿を見ると、飛びついてきた。怪我をしていたが、麻痺針かドラゴンかはわからない。深手はなかった。骨も無事だが、弱っている。
傷は薬と魔法で直し、上着を脱いで、くるんで抱き上げる。ラールはドラゴンを拘束魔法で縛り上げるが、これも弱ってぐったりしていた。
「だいたい、ドラゴンなんて、ペットにしていいのか?」
ルーミが素朴な疑問を投げ掛けた。
「大都市じゃ、たいていは条例で禁止だが、法律上は、大人しい種族なら、雛のうちだけはいいはずだよ。…大人になる前に処分するか、専門家に引き取らせるかが条件だから、ペットにする人はあまりいないけど。」
ラールは、ドラゴンに薬を使い、静かにさせてから、持ってきた袋に詰めた。僕は子供を抱いた状態で、さらにドラゴンの袋を下げる。帰り道は、戦える者が、一人減るわけだが、出ていく時は、枝もあまり飛んでこず、楽だった。一度、背中に何か当たったが、見ても何もなかったので、そのままにしておいた。
町に戻ると、町長が最敬礼をして、ペットを受け取った。町長夫人は、袋詰めに何か言いたそうだった。子供は誰に渡したらいいかわからなかったが、メイドらしき女性が、医者に連れていく、と引き取った。
僕は上着を着て、先に歩く二人の後をついて、宿に行った。
宿の入り口で上着を脱いで、見ると、内側が真っ赤だった。背中を見たらしく、宿の主人が悲鳴をあげる。
「別にどこも痛くない…」
と言ったとたん、目の前が真っ暗になり、意識がなくなった。
※※※※※※※
小さい頃の夢を見ていた。
教会の前庭にルーミといた。
ルーミは、川に行こう、と言った。
家からルーミの弟のエスカーがでて来て、
《にいちゃーん、ホプラス、待ってよー。》
と、追い掛けてくる。
《あ、来ちゃった。ホプラスがもたもたしてるから。》
ルーミはエスカーを置いていこうとした。エスカーは、追い付こうとして転び、泣き出した。僕は助け起こして泣き止ませた。
《もう、泣き虫のガキなんて、おいていこうよ。》
《こら、そんなこと、いうなよ。》
《だって、そいつがいると、また川に落ちるから、遊べないよ。》
《今日は、川は無理だよ。昨日の雨で、水が増えてるから。ナナさんが焼いてくれたお菓子があるから、お祈りしてから、食べて、本でも読もう。》
教会に入りかけたその時だった。
《君たち、ここの教会の子かな?牧師さんは中かな?》
身なりの立派な男性が、二人訪ねてきた。ちょうど父が建物から出てきて、二人を見ると、はっとして、
《父さんはこの人たちと教会でお話があるから、二人を連れて、家に戻っていなさい。》
と、僕に言った。僕は父の様子が気になったが、言われた通りに、二人を連れて、戻った。
そして、ほどなく、エスカーはいなくなった。実の父親に引き取られたのだ。
ルーミは、「エスカーはどこにいった」と尋ねる事はなかった。ただ、自分が置いていかれた、ということは、感じていたようだった。エスカーの父はルーミの父とは違い、本人もそれは承知していたのだが。
夜、泣いているルーミのために、僕は子守り歌を歌った。
《夜が終わるまで
そばにいるから
安らかにお休み
守ってあげる
愛しい子よ…》
《ホプラス…》
《ん?何?》
《お前は、どこにも行かないよね…》
教会は僕の家で、むしろ、置いていかないでというのは、僕の台詞だが、
《うん、行かないよ。ずっと一緒にいる。》
と答えた。
ルーミは、あの時、なんと答えてくれたかな。確か、父さんが、様子を見に来て…。手に持っている灯りが…。
明かりが、目に痛いほど指してくる。カーテンの隙間から、日が漏れていた。
僕は、ベッドの上に、うつ伏せに、大きな枕を抱かされていた。
傍らの椅子に、ラールが座っている。彼女は眠っていたようだが、僕が目を覚ますと、彼女も同時に起きた。
「背中、塞がってるから、もういいわよ。」
と言われ、背中に怪我していたことを思い出した。
あの森の刺の枝は、まず獲物を傷つけて、その時に、わずかに麻酔効果のある毒を入れる。これには、血が止まりにくくする作用がある。ただ、この時点では、ほぼ血は出ていない。この状態で、森を歩くと、毒素を感知した、刺の枝の上の方にある、花の部分から、麻痺ガスが出る。このガスは、先に刺の攻撃を受けていなければ、なんという事はないが、受けていれば、傷口に触れたところから腫れ、ここでかなり出血する。
小動物だと、この時点で、麻痺と出血で動けなくなり、後は刺の木の、根の部分が地面から伸びてきて、地下にからめとられる。
「帰り道、子供を抱えたあんたを真ん中にして、私とルーミで前後を固めるべきだったわね。町に戻ってから倒れてくれたのが、ある意味、ありがたいと、医者がいってたわ。耐性があるのが幸いしたのか、災いしたのか、微妙なところだけど。」
改めて背中を見る。首の付け根から、左の腰、脚の付け根にかけて、薄いが、長い傷が伸びている。これだと、シャツが裂けているはずだが、森で見たときは、なんともなかった。
「襟から、刺が外れて入り込んだのかもね。これで一晩引っ張るのもレアケースだと言ってたかな。たいていは塗り薬で解決するらしいから。今回は子供を抱えてたから、無理はないけど。」
「そうか。とにかく、一晩ついててくれたんだね。ありがとう。…ルーミは?」
ラールは、部屋の反対側を指差した。
寝台に椅子を寄せて、ルーミが眠っていた。
「パニックおこして、大変だったのよ。医者も大丈夫だっていうのに。」
閉じた目は、泣いた跡がある。ああ、また泣かせてしまったな。再会した時を思い出す。
まだ少しくらっとするが、上体を起こした。
「たぶん、大丈夫だと思うけど、まだ傷むなら、枕元の薬をのんで。服を調達してくるわ。サイズはこれと同じでいいわよね。」
ラールは、傍らに丸めてある、血まみれの布を指した。それで改めて自分の格好に気がついた僕は、短く叫び、シーツを託し上げた。彼女は、
「大丈夫よ、余計な事はなにもしてないから。」
と、笑いながら出ていった。
肝の座った人だなあ。ラールとの初任務の印象はそれだった。
※※※※※※※
それから、数年にわたり、何かとラールとは縁があった。彼女はギルドメンバーでは無かったが、高貴な人物に仕えていて、その命令をまっとうするため、時々ギルドで人を雇った。
主人については、「年は同じなのに、利かん坊のぼっちゃんと、落ち着いたお嬢様の二人。本来はお嬢様の護衛のために、二人の父親から雇われている。」とだけ聞いていた。
それがラッシルの皇帝一家の事だと知ったのは、ずっと後になってからだった。
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