美少女を落とした男

『7月2日火曜日、今日の天気は――』


 周囲の音をシャットアウトするために流したラジオの中からは、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 お気に入りのラジオ番組を聞いている時間は、変わらない平和な日々を象徴しているようで大好きだ。

 中学3年生の春まではラジオなんてまったく聞いていなかったが、受験期に深夜勉強のおともにする間に欠かせない友人になっていた。


 そんな、ラジオを数少ない友人とする高校2年生、口平くちだいら莉有瑠りあるは朝礼前のざわついた教室の中、ボッチを決め込んでいた。

 今日のトピックを聞き流しながら、教室で独りを決め込む俺のことをクラスメイト達はどう思っているのだろうかと考えてみる。


 独りで寂しいやつ? 友達の居ない寂しいやつ? イヤホンで寂しさを紛らわす寂しいやつ?

 おい、寂しいやつとしか思ってないじゃないか。

 べ、別にそんなことねえし。友達のラジオがいるもん!

 

 友達のいない寂しさを紛らわすため、星座占いに耳を傾ける。


『本日の星座占い1位の方は……おめでとうございます! てんびん座のあなたです! 本日のラッキーカラーは青。何もしなくても周囲の人達の注目の的に――』

「お、1位か」


 10月生まれの俺、大勝利である。

 ラッキーカラーは青か。

 今日使うマーカーは青にしよう。

 そう思って筆箱を覗くと、なんと残念、青マーカーを忘れていた。


 さてどうしたものか。俺は普段星座占いにそこまで熱くなる質でもないが、せっかく乗り気になってしまったし中途半端にしたくはない。

 それなら誰かから借りればいいかと思い……借りることのできる友達がいなかったことを思い出す。はは、涙が出てきた。


 そういえば絵とかだと涙って青色で塗られることがあるよな。

 もう泣いておけばいいかもしれない。


「口平君、少しいいですか?」


 女子生徒の声だった。

 チッ、羨ましいな口平。俺だって朝から女の子とお喋りした……口平?

 はて、このクラスに俺と同じ苗字のやつはいたかと考えてみる。


 俺の目の前河西、真後ろ佐藤。

 あ、いないわ。


 どうやら俺が呼ばれているらしいことに数秒のラグを経て気付き、振り返ってみると少しだけ戸惑い顔の女子生徒が立ってた。

 

「あの、大丈夫ですか? なんだかぼーっとしていましたけど……」


 クラスの端でひっそりと暮らす、異邦人と何ら変わらない俺に対しても丁寧な物腰で接してくるのは見知った顔だった。というかクラスメイト。

 

 名前は確か、鶴ヶ丘つるがおか翡翠ひすい

 長い黒髪が絹のような輝きで腰まで伸び、その手入れの行き届きようだけで生真面目な性格だというのが伺える。

 クラスメイトに話しかけているだけだというのに背筋はピンと伸びており、真っ直ぐと俺の目を見て話していることからも、俺とは育ちが違い過ぎると痛感するような、THE大和撫子ガール。

 柔らかい笑顔がお似合いの彼女は、俺と同じきらきらネームなのにまったく名前負けしない美しさを持っていた。


 そういえば、鶴ヶ丘さんは学年一の美少女と名高い人ではなかったか。

 廊下で話している人たちからそんな会話を拾ったことがある気がする。

 そんな有名人が何の用事だろうか。


「えーっと、聞いてますか?」


 にしても整った顔をしている。

 ツンと経った鼻、喋るたびに瑞々しく揺れる唇、長く伸びたまつ毛。

 僅かに色付いた桜色の頬も、そよ風でも揺れるほどに軽い前髪も、宝石のように輝く丸く大きな瞳も。

 その一つひとつが一級品なのに主張は控えめになっていて、おたがいを高め合うことで顔の完成度を一層高めている。

 福笑いに正解があるのなら間違いなく彼女であり、果物いっぱいなのに味に統一感のあるトロピカルジュースは彼女の顔の黄金比を参考にしているに違いない。


 兎にも角にも、色々と詰め込んでしまえば本来はごちゃごちゃになるところを、彼女の顔は完璧なバランスに整えられている。

 こんな言い方は失礼かもしれないが、精巧に作られた人形のように完璧な顔立ちだった。


「く、口平君? あの、私の顔に何か付いていますか?」

「……はっ! あ、な、なんですか?」

「えっと……少し用があったのですが、大丈夫ですか?」


 気付けば、鶴ヶ丘さんは間近から俺の顔を見上げていた。

 こんなに綺麗で大きな存在に見えた彼女だが、背丈を比べてみればどうや俺の方がある程度大きいらしい。心配そうな上目遣いには、その距離が近いことも相まって思わずドキドキしてしまった。

 というか、顔見過ぎた……。

 思わず1歩後退り。


「い、いや、なんでもないです! いきなり話しかけられて、戸惑っちゃって……。ほ、ほら! 俺って普段は教室で独りだから!」


 俺氏クソ早口ッ!

 普通にコミュ障丸出しじゃねえかッ!

 え、俺こんなに喋るの下手だったのか? 一応毎日話をする相手はいる。だから喋る機会が無いわけではないのになんでこんなに会話能力が絶望的なんだよ。


 あ、友達いないからか。


 なんて考えていると、鶴ヶ丘さんがクスクスと笑い始めた。

 俺の姿はそんなに滑稽に映っただろうか。いや、滑稽だろうな。

 普段教室のすみっこで独りを決め込み、イヤホン付けて透かしているくせに、いざ話しかけられただけでこんなに動揺している。

 早口でまくし立て、果てには言わなくていいようなことも口にする。

 正直、馬鹿にされても仕方ない。そんな風に思っていたのだが。

 

「口平君は面白い人なんですね。大丈夫ですよ、そんなに慌てなくても」


 なんと不思議な事だろう。

 恥ずかしさのあまり目を逸らし、笑顔だってどうせ小馬鹿にするようだと思っていた。でも、その言葉に驚いて思わず見てみれば小馬鹿にするどころか、楽しそうに、何なら少し嬉しそうに笑っていた。

 俺の失態が嬉しかったわけではないと信じたい。


「改めまして、お時間よろしいでしょうか」


 そんな笑顔を浮かべたまま、柔らかい口調でそう言われた。


「あ、はい」


 波立っていた心を落ち着けられてしまう、そんな感じがした。

 鶴ヶ丘さんには人を引き寄せ、耳を傾かせるだけの力があるということなのだろうか。流石は学年一の美少女と言われるだけのことはある。


 その言葉は丁寧で、それから放たれる言葉への予兆を全く感じさせないものだった。

 だからちょっとだけ、その言葉を聞いた俺の顔は間抜けになっていただろう。いや、ちょっとじゃないかも。


「いきなりですが、私のパートナーになってはいただけないでしょうか」


 その言葉があまりに大ダメージ過ぎて、俺に発生したダメージ硬直えぐいことになってる。


 数秒経ってもまだ理解できていない。

 目の前で親を殺されたような衝撃が全身に走っていた。あ、父さん母さん勝手に殺してごめん。これからも長生きしてね。


 じゃなくて。

 待て、落ち着け俺。何かの勘違いである可能性を考えろ。いや、勘違いに違いない。

 パートナーと言われてしまえば恋人関係が頭をよぎるが、普通こんなところで告白するか? 否、するわけない。それ以前に鶴ヶ丘さんが俺に告白するはずがないという観点もあるが悲しくなるので考慮しないものとする。

 そしてパートナーという言葉には恋人関係以外にも無数に想像できる関係性がある。まずは、そこの可能性を探らなければ。


「え、っと。なんのパートナー?」

「あ、すみません。説明不足でしたね。今月末に控えている学園祭の体育部門、その男女ペア二人三脚のパートナーです」

「……」


 知ってた。

 知ってたけど、一瞬でも淡い期待を抱いた俺のことを過去に戻って刺し殺したい。ていうか今からでも殺してくれ。

 

 なんて自虐している最中に気付く。

 いや待てよ、と。

 男女ペア固定の二人三脚のパートナーって、それだけで十分幸せなのでは?

 

 だって、誰かと一緒に出場しろと言われているわけではない。パートナーになってくれって言われているんだ。

 つまり、一緒に出て欲しい、一緒に走って欲しいという意味だ。

 鶴ヶ丘さんみたいな人気者の有名人と二人きりで何かができるって、十分どころか最高峰の幸せはないだろうか。


 流石星座占い1位、俺の人生において空前絶後の幸運が訪れた。


「私の友人にパートナーになってくれそうな人がいないかと相談したところ、口平君が適任だと紹介してくれたんです」

 

 その相談相手とやら。俺は俺の人生の中で最大級の感謝をお前に送る。


「失礼ながら、最初は口平君のことを適任だとは思えませんでした。ですが、口平君の特徴を聞いているうちに、私にピッタリだと思ってしまったんです。私にはもう、あなたしかいないんです!」


 学年一の美少女と呼ばれる人に、あなたしかいないんです! なんて言葉をかけられて喜ばない男がいるだろうか。いや、いない。

 いたとしたらそいつは己の愚かさに生涯後悔し続けるべきだ。

 何が言いたいかといえば、めっちゃ嬉しい。


 マジで今日運良すぎないか!? 朝一からこんな、告白まがいのことが起こるとか! 今の発言の一部始終だけ抜き取って目覚ましアラームで流そうか。残念ながら録音はしていないのだが。


「もち――」


 嬉しさのあまりもちろんと言いかけた言葉を、ぐっと飲みこんだ。

 いや待てよ、と。

 ここで鶴ヶ丘さんの提案を受け入れることは簡単だ。ここまで懇願してくれているのだ。引き受ければ喜んでくれるのは間違いない。

 でも、でもだ。

 学年一の美少女の相手が本当に俺でいいのか?

 答えは簡単、否だ。


 学年一の美少女と噂され、皆からの人気者である鶴ヶ丘さんが俺みたいなボッチ、陰キャ、コミュ障その他多数の寂しい肩書を持つ俺と走る光景など、誰が望んでいるのだろうか。

 女子たちからは神聖を汚すなという非難の嵐が、男子からは嫉妬と殺意の籠った矢が襲ってくること間違いなしだろう。


 これは一見俺への幸運に見せかけた罠ではないのだろうか。

 こんなことを考えるのは鶴ヶ丘さんに対してあまりに失礼なのは重々承知の上なのだが、考えれば考えるほどリスクが大きすぎる。

 今も、クラス中から視線が突き刺さって来るのを感じる。


 何でお前?

 金払ってんの?

 さては脅したな?

 死んだほうがいいだろなどなど、様々な心の声が聞こえ――マジ泣くぞ。俺の視界を涙で青く染めてやろうか。


 で、だ。

 俺が取るべき最善の選択肢を考えることにする。

 鶴ヶ丘さんを傷つけることなく、それでいて俺に被害がない。あわよくば鶴ヶ丘さんと仲良くなれるような妙案は……。

 お、これならいけるのでは?


「えっと、口平君?」

「鶴ヶ丘さん!」

「は、はいっ」


 俺が突然発した大声に、鶴ヶ丘さんは驚いて目を見開く。

 おっと、気分が高まりすぎた。これは失敬。

 俺は1度深呼吸をして、紳士を心がけて口を開く。 


「お誘いは嬉しい。だけど、今回は断らせてもらえないかな?」

「そ、それは、なぜでしょうか?」


 当然、鶴ヶ丘さんからは疑問が返って来る。

 クラスメイト達も 

 

 ふざけてんの?

 断るとか馬鹿か?

 調子乗ってんだろカスゴラァッ!

 一生己の過ちを悔いてろよ。

 100回殺すなどなど様々な――マジで泣いて良いかな!?


「いやほら、俺なんかよりもっといい人いるんじゃないかなって」

「で、ですが! 私は、口平君のことを!」

「あ、でも、もちろん断るだけじゃないから」

「え?」


 これが俺が考えた最高の案。

 俺が一緒に走るというのは正直コンテニューが何回可能でもゴールできる未来が見えないので断らせていただく。

 その上で――


「一緒に探すのを手伝っていうのはどうかな。まあ、もしそれでも見つからなかった時には俺が責任を取るって感じで」


 そう! 一緒に走るペアを探すのだ!

 これならペアを見つけるまでの間鶴ヶ丘さんと一緒にいられるだけでなく、探した結果見つからなかったのなら消去法、つまりは仕方なかったという結果になるのだ。

 それにペアに出来るのはクラス内の男子だけ。話からして足の速い他の男子には先に聞いてみたのだろうし、あわよくば一緒に二人三脚に出ることも可能なのだ!


 俺、天才!


「どう、かな?」

「そうですね……分かりました、そうしましょう」

「おおっ!」


 思わず小さくガッツポーズ。これで俺の身の安全も確保され……あれ? なんか突き刺さる視線の数が増えているような。気のせいだろうか。

 そんな疑問も、鶴ヶ丘さんの声が聞こえればどうでもよくなってしまう。


「では」


 声に応じて鶴ヶ丘さんを見ると、そこには今まで美しすぎてまともに見ることのできなかった笑顔が、所狭しと輝いていた。


「これからよろしくお願いします、口平君」


 俺だけのための笑顔、最高です。


 鶴ヶ丘さんの笑顔がまぶたの裏に残り続けた1日が過ぎ、その日の放課後。

 帰り支度を終えて教室を出ようとしていた俺の肩に柔らかい手が触れた。


「口平君、ちょっと待ってください」

「鶴ヶ丘さん? どうかした?」


 相変わらず柔らかい物腰の声だった。

 俺が振り返って見ると、今日1日の疲れを全く感じさせない笑顔を浮かべた鶴ヶ丘さんが見上げてきていた。

 なんかちょっと、近い? いや、これくらい普通か? 学校で誰かと話すことが少なすぎて、やっぱり距離感が分からない。ボッチの弊害である。


「連絡先を交換しませんか? きっと、何かしら役に立つと思うので」


 にこっ、と笑顔を浮かべる鶴ヶ丘さんは、QRコードを映した画面を向けてきた。つまりはフレンド登録しようというわけだ。

 フレンド、つまりは友達。俺が飛びつかないわけも無く。


「確かにそうだな! えっと、ちょっと待ってて!」


 とっても元気に言ってしまった。

 なんだよ今のテンション、夏休みが始まった小学生か。

 羞恥心に襲われながら、同じくらい恥ずかしいチャットアプリを開く。

 というのも、フレンド数が3である。


 両親と妹。

 履歴を見れば恐らくはお使いのお願い2割、妹からのダル絡み7割、その他1割になっていることだろう。

 マジでこんなの人に見せられたもんじゃねぇ。


 でも、使わないことには鶴ヶ丘さんとフレンド登録できないので、QRコードを読み取る画面まで移動する。

 危ねぇ。

 一瞬開き方を忘れかけ、フレンド追加の機能をほとんど使った経験が無いことがバレるところだった。


「えっと、これでいいのかな?」


 俺がフレンド登録の手続きを済ませると、鶴ヶ丘さんは画面を見つめて嬉しそうに頬を緩めた。


「はい、ありがとうございます。また後程ご連絡しますね」


 なんて言うか、めっちゃ可愛かった。

 なんでそんなに嬉しそうにスマホを抱き抱えるの? 大切な宝物みたいに扱うの? いや、スマホのお値段は高いだろうし大切なのは分かるけど、なんかこう、勘違いしちゃうだろ!

 もしかして俺とフレンド登録できたことが嬉しいのかな、とか。

 あ、そんなわけございませんね大それた考えを持ってごめんなさい今なら幸せなまま死ねます。


 ではない。

 よくよく考えてみればこれはゴールではなくスタートだ。だって、これから俺と鶴ヶ丘さんの二人三脚のペア探しが始まるのだから!

 なんか、今からすっごい楽しみになって来た。


 俺が輝かしい未来に胸弾ませていると、鶴ヶ丘さんは笑顔を崩さないままにお辞儀した。


「それでは、私はこれから塾がありますので。口平君、また明日お会いしましょうね」


 それはとても丁寧な口調で、普段の俺ならば距離を感じてしまっていたかもしれない。

 でも、鶴ヶ丘さんの言葉は一切の不快感を抱かせず、むしろ優しく包み込むような抱擁感を与えてくれた。

 そんな鶴ヶ丘さんの背中を見送ってから、俺も帰ることにした。


 あまりに衝撃的なことがありすぎて、俺は油断していたんだと思う。

 まさか、帰宅した俺にあんな悲劇が起こるなんて。

 

 俺の1日は、まだ終わっていなかった。

 今日のイベントは消費しきっただろうと思って家の扉を開いたその瞬間――


「ただい――」

「おかえしーっ!」

「なんの!?」


 ――何年も積み重ねた恨みを晴らすような叫び声が聞こえて来た。

 そして、人間弾丸が飛んできた。


「ぐふぇっ!?」

「りあるお帰り! ……あれ、りある?」


 俺を玄関の扉へと叩きつけた張本人は口平くちだいら杏里あんり

 小学5年生の実妹で、お気に入りのシュシュで結んだサイドテールがチャームポイントの自称地元のアイドルである。

 そんなアイドル(笑)の突撃を受けた俺は、後頭部をぶつけることだけは避けたものの、背中を打ち付けた痛みに悶絶していた。

 杏里はそんな俺の痛みも知らず、俺の上にまたがって肩を揺すってくる。


「り、りあるが! りあるが倒れた! 誰がこんなことを……っ!」

「てめぇだろうが……」

「あっ、生きてたんだね! よかったぁ」

「よくないが?」


 そんな突っ込みを入れながら、杏里の体を軽く抱き上げて俺の上から退かし、俺も立ち上がる。

 背中が痛い……。


「なあ、杏里」

「ん~? どうしたの~?」

「人が帰って来たときはな、おかえりって言うだけで、抱き着いたりしないものだからな?」

「え~? だってお兄ちゃんに抱き着きたいんだもんっ!」


 もんっ、じゃねぇ。こっちはダメージ負ってんだよ。


「あれ? お土産は無いの?」

「何で学校に行っただけなのにお土産があると思った?」

「無いならおにいちゃんなんていらない~っ!」

「酷いなおい!?」

「じゃ、お菓子食べてくるね~っ!」


 なんとも自由なやつだ。

 俺を玄関に置き去りにし、杏里はリビングの方へと消えた。


 地元アイドル系モンスター杏里が去った今、俺の着替えを邪魔する者はいない。

 階段を上がって自室に入り、部屋着に着替え終わったところで着信があった。

 はて、こんな時間に誰だろうか。


 気になりながらもスマホを開くと、俺は思わず周囲を見渡した。

 当然、誰もいない。

 それを確認して一呼吸置き、届いたメッセージを確認――


「なにしてるの?」

「うおおおおおおおぉぉぉっ!」

「なになに!? 宝くじでも当たった?」


 突然背後から話しかけられ、思わずベッドへ頭から突っ込む。

 振り返ってみればプッチンするプリンを左手に、スプーンを右手に持つ杏里がいた。

 

「な、なんでもない!」

「ええ~っ? あんりも気になる~」

「気にならない!」

「なんでりあるが決めるの~?」

「気にならないものは気にならないっ!」

「ぶ~、りあるのケチ~っ! プリン食べちゃうからねっ!」

「どうぞご自由に!」

「ふんっ」


 杏里は頬を膨らませて怒りを露にする。そして口を尖らせ、プリンを頬張りながら部屋を出て行った。

 神出鬼没属性持ち地元系アイドル杏里が去った今がチャンスだ。


 開かれたチャットアプリに書かれた名前は、鶴ヶ丘翡翠ひすい

 丁寧にフルネームで書かれ、アイコンが宝石のアカウントこそ、星座占い1位の効力によって手に入れられた学年一の美少女の連絡先……っ!

 今後使うことがあるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、まさか当日のうちに連絡を貰えるなんて!


 身に余る光栄に胸躍らせながらも、あまり長い間待たせるのは申し訳ないと内容を確認する。


『こんにちは、鶴ヶ丘です。本日は朝からお騒がせしてしまって申し訳ございませんでした。改めて二人三脚のペア探しの件、よろしくお願いします』


 一見すれば堅苦しい、しかし見方を変えれば誠意の籠った文面に、俺は何カ月もねだり続けたおもちゃを貰った子どものように喜んだ。

 何ならベッドの上で転がりまわり、全身に迸る嬉しさを動きで表現する。


「しゃあああぁぁぁーっ!」

「やっぱり宝くじ当たったっ!?」

「うおおおおおおぉぉぉぉっ!?」


 こうして俺、口平莉有瑠りあるの下らない日常に唐突な変化が訪れた。


『7月3日水曜日、今日の天気は――』


 例え人間関係に変化があろうと俺、口平莉有瑠の朝のルーティンは変わらない。

 

 ざわめく朝礼前の教室で、今日も独り窓の外を眺めながらラジオを聞いている。

 周囲の人々は友人と談笑を楽しんだり、スマホでゲームをしたりする中、独りだけレトロな趣味を持つ俺が孤独になるのは必然のことかも知れなかった。

 ラジオ、新しいのに買い替えようかな。

 と、そんなことを考えているとスマホが震えた。


 さて、この時間の着信となると考えられる相手は2人。 

 まずは母さんだ。帰りに買い物をしてこい、というお達しは1カ月のうちに何度か受けることがある。

 次に妹。今日帰ったら一緒にスマブラやろうねとか、マリカやろうねとか、ゼルダ無双やろうねとかだろうか。どうせ俺も放課後は暇しているので毎度分かったと返している。

 1つ疑問なのは、小学校ってスマホ禁止じゃなかったっけ? である。


 そんな風に相手を予想し、的中させるという遊びは友達が少ないからこそできることだと思う。相手が多すぎたらどう頑張っても当てられないからな。

 友達が少ないことの数少ないメリットの1つだ。

 嘘、たぶんメリットではない。


 そんなことはさておき答え合わせ、とスマホを取り出すとまさかの相手で少し驚いてしまった。

 いや、少しどころじゃない。


 思わず相手の名前を読み上げた。


「鶴ヶ丘、さん?」


 目の前で親が殺されたような衝撃再び。確か今日のお弁当はハンバーグだったよね、いつありがとお母さん。お父さんも家計のためにいつも頑張ってくれてありがと。


 その衝撃に思わず首を振り、連絡主を探し出す。

 確か鶴ヶ丘さんの席は俺の後ろの方だったと振り返れば、スマホを覗いていた鶴ヶ丘さんが不意に顔を上げた。

 しっかりと視線が合ってしまい、数秒の沈黙が流れる。


 これはあれだろうか。

 連絡したからってこっちを見るな、という意思の表れなのだろうか。確かに協力関係にはなったけれど友達になったわけではないのだ。

 不用意に視線を向けるのもよくないと思って目を背けようとした時、鶴ヶ丘さんが爆弾を落とす。

 なんと、小さく左手を振ってきた。


(うおおおおおおおぉぉぉっ! めっっっっっちゃ可愛い!)


 他の人には見えないように、本当に小さく手を振るのだ。その仕草のなんと可愛いことか。

 普段の達観した様子からは考えられない小動物感。

 あれか、いつもはつんつんしている野良猫が急に甘えてくるような感覚なのだろうか。

 朝から心臓に悪い、いや、悪すぎる可愛さである。心臓止まりかけた。


 俺は立ち上がって叫びそうになるのを何とかこらえ、手を振るのも恥ずかしかったので小さく頷いてそれに返し、姿勢を正した。

 いや、マジでやばいな……。


 分かる。これが鶴ヶ丘さんにとって、協力者へと送る最低限の誠意なのだと。

 きっと、協力を申し出てくれたのだから挨拶くらいするべきだろう、と思ってのことなのだろうけど、それでも嬉しいことに変わりはない。

 自分で言うのもなんだが友達が絶望的に少ない中、俺に挨拶をしてくれる人は限りなくゼロに近いのだ。何ならマイナス。

 そんな俺に鶴ヶ丘さんが挨拶してくれるなんて。

 もしかすると、俺は明日死ぬのかもしれない。


 俺の頭の中簡単に人が死に過ぎているのでは?


 そんな興奮冷めやらぬ中、鶴ヶ丘さんからの連絡を確認する。


『本日の放課後、ペア探しの件でお話がしたいのですが、お時間いただけないでしょうか。すでに準備は済ませてありますので、あまりお時間もかからないかと思います。どうかよろしくお願いします』


 相変わらず丁寧な文面だった。

 でも、それだけ本気で取り組んでいるということが伝わってきて、その分俺も頼りにされていると思えてくる。

 思い上がりかもしれないけど、それでも鶴ヶ丘さんに頼りにされる感覚は嬉しかった。


 ◇ ◇ ◇

 『鶴ヶ丘翡翠』


 《7月3日》


 鶴ヶ丘翡翠 午前8:03

 本日の放課後、ペア探しの件でお話がしたいのですが、お時間いただけないでしょうか。

 すでに準備は済ませてありますので、あまりお時間もかからないかと思います。

 どうかよろしくお願いします


 リアル 午前8:03

 こちらこそよろしく

 後で詳しい場所と時間も教えてくれると助かる


 鶴ヶ丘翡翠 午前8:04

 承知しました。

 本日は他の人の迷惑にならないよう、空き教室を見つけて活動しようと考えています。

 先生に確認し、使用許可が下りましたら放課後に声をかけさせていただきます。


 リアル 午前8:04

 分かった


 ◇ ◇ ◇


 ……少し端的に返しすぎただろうか。

 いや、これくらいでいいか。

 浅葱にもいつもこんな感じだし、何よりがっついていると思われたくない。

 純粋に悪印象を抱かれるは嫌だというのもあるが、せっかく頑張っている鶴ヶ丘さんを、俺の態度で怖がらせたくない。

 頼りにされたからにはしっかり力になってあげたいし、迷惑になるのも嫌だ。

 鶴ヶ丘さんが不必要なことを考えなくていいように気をつけていかないとな。


 まあ、モテモテと噂と鶴ヶ丘さんだ。

 告白されたことも1度や2度じゃないかもしれないし、男への耐性も高いだろうから、怖がられるかもなんて気にしすぎるだけ損という可能性もあるのだが。


「よし、自分で言ったからには頑張らないとな!」


 誰にも聞こえないような声量でそう意気込み、星座占いを聞き忘れたことなどどうでもいいと思えるくらいの喜びを胸に今日も1日頑張ることにする。

 そう決心した俺は、放課後が楽しみすぎて授業の内容が頭に入ってこないのだった。


 そして迎えた放課後。

 今日1日、授業中ずっと今この時を楽しみにしていたということもあり、イヤホン越しに流れてくるMCおすすめの曲も、リラックスできるとコメントされていたのに心なしか弾んで聞こえる。


 そんな浮ついた心を持て余していたところ、優しく肩を叩かれた。


「口平君、今よろしいでしょうか」


 イヤホンを外して振り返れば、そこには優しい微笑みを浮かべる鶴ヶ丘さんがいた。

 

 相変わらず美しい顔だ。

 座っている俺に合わせようと少しだけ屈んだときになびくように揺れる黒髪とか、顔にかかった前髪を退ける仕草とか。

 何から何まで繊細で、触れてしまえば壊れてしまうガラスのような美しさを常に持っている。

 そんな危うさでさえ我が物として使いこなす、高校生とは思えない毅然きぜんとした姿。まさに芸術作品。


 そんな人に声をかけられたというだけで、正直ドキドキしてしまっている。


「あ、うん。大丈夫」

「良かったです。それでは、少しだけお時間をいただければと思います」


 笑みを深めてそんなことを言われたら、断れる男はいないと思う。

 何なら前のめりにイエスを叫ぶ。

 例え、初めから断る気が無かったとしても!


「もちろん」


 意気込みすぎて真顔で答えてしまった。

 そんな俺にも鶴ヶ丘さんは優しく返してくれる。

 

「ありがとうございます。それでは移動しましょうか」


 ラジオの再生を止めてアンテナを下ろし、ラジオとイヤホンを持って鶴ヶ丘さんの後ろを歩く。

 確か、空き教室を見つけてそこで話をしたいということだっただろうか。

 空き教室に向かうまでの間、何人かとすれ違うその度に視線を感じる。


 あいつ誰?

 まさか一緒に歩いてるの?

 いやいやストーカーだろ。

 通報するべきかななどなど、今日も俺を泣かせに来ているとしか思えない視線が飛び交っている。というか突き刺さってくる。

 しかし今日の俺は昨日の俺とは違う。なんと言っても、鶴ヶ丘さんと一緒に過ごす時間が約束されているのだ。

 その優越感だけで、思わず泣きそうなほどの悲しみも、楽しみにとっておいたプリンを妹に食べられたくらいの悲しみにまで軽減される。


 そんな地味にメンタルが揺さぶられる攻撃を受けながら――受けたのは俺だけだと思うが――俺と鶴ヶ丘さんは空き教室へとたどり着く。


「では、早速ですが相談させてもらってもよろしいですか?」

「言い出したのは俺だし、遠慮なんてしなくていいよ」

「そう言って貰えて心強いです」


 一先ず、机を2つ向かい合わせにして席に着く。

 俺は手荷物のラジオを机の上に置いて、鶴ヶ丘さんは何枚かの紙が入ったファイルを置いた。


「それではまず、私が探したい人についてご説明させてください」

「うん、聞かせて」


 それから鶴ヶ丘さんに説明して貰った内容としては、足が速く、背丈は鶴ヶ丘さんと離れすぎず、放課後に一緒に練習が出来る人ということだった。


「……俺じゃないか?」

「はい、なのでお願いしたんです」


 鶴ヶ丘さんからそう言われてやっと気づいたくらい、無意識のうちに呟いていた。

 それほどまでに俺は条件にピッタリなのだ。


 足の速さにはそれなりの自信がある。身長も鶴ヶ丘さんより大きいとはいえ5cm程度。放課後は常に暇。大いに適任である。


「で、でも、他にも当てはまる人がいるんじゃないか?」


 そう。

 この条件、案外緩いのである。俺の身長は言ってしまえば平均だから似たような身長の男子は多い。後は足が速くて暇な人を探せばいい人だろう。

 ただ、そんな俺の安直な疑問くらい鶴ヶ丘さんには分かりきっていたようで。


「そう思い、先生に頼んで2年2組の生徒の人たちの資料を頂いたんです」

「おお……凄い行動力だな」


 俺が言うと、鶴ヶ丘さんは机の上に置いてあったファイルに手を伸ばした。

 そして3枚の紙を取り出す。


「こちら、年度初めに行われた体力測定の記録です。そしてこちらが身長、こちらが所属している部活動です」

「なるほど。これらを見比べて、3つの条件に当てはまる人を選んだってことか」

「はい。足の速さは50m走の記録で私と同程度以上の人、具体的には7秒より早い人ですね」


 さらっと言ったが顔が綺麗で佇まいが洗練されているだけじゃなくて足も結構速いのか。

 流石学年一の美少女と呼ばれるだけのスペックの持ち主だ。


「身長は私の身長の5cm前後。ちなみに私は167cmですね」

「じゃあ俺の他には……10人くらいか?」

「そうなりますね。最後に部活動ですが、今回は功績が少ない部活動の方、文化部の方、部活動に不参加の方を対象にしたのですが……」

「さっきの50mの記録も合わせると……いないな」

「はい」


 50m走で7秒より早く、身長が条件に合い、部活動も条件に合う生徒は2年2組にはいなかった。

 しかし、鶴ヶ丘さんも俺の苦笑いには気付いているのだろう。


「小耳にはさんだのですけれど、授業中は手を抜いているんだとか」

「手を抜いているわけじゃない。やる気が出ないだけだ」

「同じだと思いますよ?」


 冷静な突込みだった。

 真面目な性格の鶴ヶ丘さんに知られてしまったのだ。もしかして授業中に手を抜いていることを注意されるのかと思ったのだが、鶴ヶ丘さんはそんなことはしなかった。


「反応を見るに口平君が走ることにあまり気乗りしないのには理由があるみたいですね」

「どう、だろうな。まあ聞いて楽しい話ではないと思うけど」


 だからといってどうしても言いたくないというわけではない。教えてくれと言われたら教えることを渋ったりはしないだろう。

 けれど、鶴ヶ丘さんは追及してこなかった。


「なので、お話しいただかなくても構いません。その代わり、二人三脚では本気を出して、私と一緒に頑張ってもらえないでしょうか」

「……え? いや、俺は一緒にやるって言ってな――」

「候補がいなかったら、一緒にやってくれるんですよね?」


 なぜだろう。

 鶴ヶ丘さんの笑顔は何度も見て来たのに今回の笑顔からは凄い圧を感じた。 

 美人ってすごいな、どんな顔しても綺麗だ。

 じゃなくて。


 候補が、いなかったら。

 それは確かに俺が言った言葉だ。責任を取るとまで言ったはず。

 そしてたった今、俺の他に適任者はいないと判明したところ。


 ……。

 どうやら俺は、初めから答えの決まっていた茶番に付き合わされていたらしい。

 ただ、こんな俺のために誠意的に対応してくれた鶴ヶ丘さんに嫌悪感を抱くことはなかった。

 どうやら本当に頼りにされているようだし、こうなったら断る理由もない。


「分かった……責任を取らせてもらう。これからよろしくな」

「はい、よろしくお願いしますね」


 こうして、俺は鶴ヶ丘さんと二人三脚のパートナーになったのだった。


 内心、まだまだ理解が追い付いていなかったりする。

 だってそうだろう。昨日まで赤の他人――まあクラスメイトではあるのだが――だったのが、今ではパートナー同士だ。

 

 どうやら解散の流れになったらしく、プリントを集め始めた鶴ヶ丘さんを見て俺もラジオを手に取る。

 一瞬イヤホンを着けるかどうか迷って、まだ一緒にいるのに着けるのは失礼だよなとやっぱりやめる。


 俺たちの他に誰もおらず、静かな時間が少しずつすぎて行くのに耐えられなくなった俺は、片付け終えた様子の鶴ヶ丘さんに話しかける。


「あ、あー、今更なんだけどさ」

「え? ああ、はい、どうかしましたか?」


 鶴ヶ丘さんは、どうやら俺から話しかけられることに驚いているらしい様子だった。

 それもそうか。いつもクラスでは静かにしてるし。あまり会話が好きじゃないと思われていても不思議じゃない。


「結局、どうして俺なの? って」

「ですからそれは、条件に」

「じゃなくって。だって、俺以外にも選ぼうと思えば選べただろ? わざわざ、教室の隅で独りっきりの俺を選ばなくたって」


 雑談の話題として提供したのは、実際に俺が気になっていたことだった。

 こういうとき、気の利いた世間話ができないのが友達おらずの悲しいところ。

 誰と誰が付き合っているだとか、だれだれ先生彼女いるらしいよとか、まったく知らん。


 で、話を戻すが、鶴ヶ丘さんに聞きたかったのはそういうこと。

 俺でなくとも、部活があろうとも運動部の男子を指すことはできただろう。確かに普段は部活動で忙しいだろうけど、学園祭が近づけば優先させてくれるはずだ。

 身長だって練習期間が長ければカバーできるはず。

 結局何が言いたいかといえば、俺という外れ枠を選ばなくても、他にいくらでも選択肢はあったのではないかということ。

 俺のこんな意図がどれくらい鶴ヶ丘さんに伝わったのかは分からなかったが、鶴ヶ丘さんはそれなりの時間、顎を抱えて考え込んだ。


 てっきり、鶴ヶ丘さんはこういうときにぱっと答えを出せる人だと思っていただけ驚いた。

 だって俺1人説得するための準備をこれだけ徹底する人だ。何かを選ぶには、それ相応の理由を備えているのだと思っていたから。

 まあ、もしかすると本当に消去法で、それをありのまま伝えるのが失礼だと思って何かこの場を凌ぐ言葉を探しているのかもしれないが。


 数秒の間が過ぎ、これ、この話題出さないのが正解だったのではと後悔し始めていたとき、鶴ヶ丘さんが顔を上げた。

 そして、少し落ち着なく視線を揺らし、頬をほんのり赤く染める。


 ……え? 何その表情。

 俺は脳内フル回転モードに突入し、現状理解に努める。

 いや、こういう反応って普通告白するときとかされたときとか、そんなときにする反応だって。

 なんで今? 絶対今じゃないよな!?


 一瞬、もしかしたら俺のことが好きなのかもしれないなんて妄想も浮かんだが即却下だ、あり得ない。どうして鶴ヶ丘さんがほとんど初対面の俺に惚れる理由がある。

 自慢じゃないが、顔は中堅かそれ未満だ。

 噂になるほどの美少女である鶴ヶ丘さんが、俺を選ぶわけはない。


 回答。

 分からん。


「その、笑いませんか?」


 俺がフェルマーの最終定理張りの難問に唸っていると、鶴ヶ丘さんははにかんで聞いてきた。


 その、恥ずかしさを隠そうとして作り出した少し無理のある笑顔ですら可愛いのだから本当に非の打ち所がない。

 でも、そんな鶴ヶ丘さんが笑わないか、なんて聞いてくるとは。一体どんなことだろうと思って頷くと、鶴ヶ丘さんは意を決するように一呼吸し、真剣な表情で俺を見上げる。


 まさに告白3秒前な構えにドキドキしてしまう。

 告白されるわけではないと分かりきっていても、どうしたって緊張してしまう。そんな風に見えてしまうというだけで期待できるのだから俺はコスパがいいのかもしれない。


「私、実はあまり男性の方が得意ではなくて……口平君は大人しくて、優しい人だと聞いたので」


 最初こそ真剣な表情だったけれど、口にするとやっぱり恥ずかしかったのだろうか。

 鶴ヶ丘さんは段々と気まずそうにそわそわし始め、最後には、電気が付いておらず、少しだけ薄暗い教室の中で頬を掻きながら、この教室全体を暖色の明かりで包めるような輝きではにかんだ。


 さあ、ここで問題です。

 確かに今の言葉は告白ではありませんでした。

 しかし、学年一と称される美少女に優しい人だと言われた一般男子生徒の気持ちを答えなさい。


 答え? 

 そんなの分かりきってるだろ。


 嬉しすぎて死にそう。


 いや、いやいやいや!

 何!? やっぱり鶴ヶ丘さん可愛すぎるだろ! 

 学年一と美少女と噂される理由が分かる。

 これだけ可愛くて、告白されたことだって少なくないだろう鶴ヶ丘さんが実は男があまり得意ではなくて、その上俺を選んだ理由が優しい人だと聞いたから?

 そんな喜びを胸のうちで歓喜するだけで留めた俺のことを、俺は生涯褒め続けようと思う。


 大人しくて、という部分から察するに危害を加えてこなさそうという考えもあるのだろうが、何にしても嬉しいことに変わりはない。だってつまり、他に10数人いる男子の中から俺だけを選んでくれたのだから。

 もしかするとわらにも縋る思いだったのかもしれない。それでもやっぱり、嬉しいことに変わりはなかった。

 もしこれが昨日の星占い1位の効果が持続しているのだとしたら俺は毎年あの日のことを誕生日よりも盛大に祝福するぞ。


「私、本当は怖かったんです。男女での二人三脚、女子の中で足が速いからって皆に言われて参加を決めたけど、男の人と話すことも苦手な私で本当に良かったのかって」


 皆に言われて、ということは、もしかして本当はやりたくなかったのだろうか。

 鶴ヶ丘さんは成績が良く、運動神経だって平均より上。

 そんなスペックの高さも評価されてかクラス委員も任されている。

 もしかすると、押しに押されて断り切れなかったのかもしれない。


 俺もいざというときは推しに抗えきれずにイエスを口にしてしまうタイプなので気持ちはよく分かる。

 そんな状況で任されたことに、心から前向きに取り組もうと思っても中々気持ちが入らないものだ。


「ですから、ペアを自分で選んでいいと言われたとき、絶対に後悔しない相手にしようと心に決めたんです。せめて、後悔ばかりにはならないようにって。そんなときの最期の希望が口平君でした」


 ……そんな状態で断ったのか、俺。

 少し申し訳ないことをしてしまったかもしれない。

 そう思うと少し心が痛かったのだが、鶴ヶ丘さんの次の一言で気にする方が申し訳なくなってしまった。


「ですから、責任を取るとまで言ってもらえたとき、嬉しかったんです。一緒に探そうと言ってくれた、連絡先も交換してくれた。私にとって、初めて自分から連絡先を交換した男の子だったんですよ?」


 あれ、ちょっと待て。

 俺告白されてる? されてるよな? 

 あ、されてないか。


 いや、重要なのがそれが告白か否かではない。

 そう思えるか否かであり、俺がそう思ってしまった結果、心臓の音がやばいということ。

 マジで心臓うるさすぎ。ヘッドフォンで爆音ヘビメタ聞いてるのかってくらいうるさい。

 音量マックスで静か目のリラックスできる曲聞いてウトウトしていたときに流れ始める激しめのJ-POPくらいうるさい。


 いったん俺の語彙力が無くなるくらいうるさいことは分かっていただけただろうか。誰に聞いてるんだろ。


 男の子だったんですよ? ではない。

 惚れるから止めて欲しい。


「もしかしたら、本来はこんなことを本人に話すのは正しいことではないかもしれません。ですが、口平君には本当に感謝しているんです。宣言通り、責任を取ってくれると嬉しいです」

「まあ、それは。俺でよければ、ちゃんと最後まで付き合うから。いやになったらいつでも言ってくれていいし」

「いえ、やると決めたことはやる主義ですので」


 胸を張ってそう言う鶴ヶ丘さんは、楽しそうな笑顔を浮かべる。

 

「これから一緒に頑張りましょう。そして、一緒にゴールを切りましょう。もちろん、肩を並べて」

 

 人によっては何言ってんだよって突込みが入るような臭いセリフも、鶴ヶ丘さんが言うとそんな感じがしないのが不思議だ。いや、逆に不思議じゃないのかもしれない。きっと、鶴ヶ丘さんみたいな人が言うべきセリフだから。

 だって、こんなにも似合っている人は他にいない。


「私にとっては色々初めてのことばかりになると思います。それでも、見捨てず最後まで一緒にいてくれたら嬉しいです」


 両手を胸の前で重ねて、吸い込まれるような笑顔を浮かべた鶴ヶ丘さんは、いつもの毅然とした態度とはちょっとだけ違うあどけなさを放っていて。

 やっぱり俺は見惚れてしまった。


 本気で嬉しくて、本気で喜んでいる時に思わず零れてしまったような、そんな笑顔。

 そんな笑顔を引き出せた理由は、それからどれだけ考えても分からなかったけど。


 でも、理由なんて分からなくてもいいのかもしれない。

 だって、こんな俺が、鶴ヶ丘さんのそんな笑顔を引き出せたのだから。


 その後、また明日と言って鶴ヶ丘さんをは分かれた。

 また明日、か。もう何年もまともに口にしたことがなかったかもしれない。

 浮ついた心を抑えつつ、笑顔の余韻を残しながら帰路へと付いた。


 頭の中に残り続ける笑顔を見ていたら、家に着くまではあっという間だった。

 なんか、いつもと同じ家を見上げているのに、まるで新築の豪邸を眺めているような感覚だった。

 脚色されまくった景色にお別れを告げて、俺は家の中へと入った。


「ただい――」

「お帰りなさいませお兄ちゃんご主人様っ!」

「お兄ちゃんご主人様!? ぐふぇっ!?」


 完全に油断していた。

 例え俺と鶴ヶ丘さんの間に関係の変化があろうと、こいつには何の関係も無いのだった。

 目の前で待ち構えていた杏里からタックルを受けた。

 そして、どこから影響を受けたのか分からないセリフを俺の上で告げてくる。


「お飲み物は何になさいますか? お水? ウォーター? それとも、お、ひ、や?」

「全部、一緒だ……」


 背中痛てぇ……。


 とりあえず杏里を退かし、立ち上がって鞄を拾う。


「じゃあ、水をもらえるか?」

「え~? 水くらい自分でくんでよ~」

「じゃあなんで聞いた」

「えへへっ~」


 何が楽しいのか知らないが、杏里は笑顔を浮かべてリビングへと消えて行った。

 まったく、元気なやつだ。

 

 普段ならもうちょっとイラついていたが、鶴ヶ丘さんとパートナーになれた今の俺は器の大きさが違う。

 妹の間違った愛情表現くらい、仏の顔を1回消費することでこらえて見せよう。

 残機は2。


 それから着替えを済ませ、鶴ヶ丘さんから連絡があるかもしれないとスマホとにらめっこを続ける時間が延々続き。

 しかし来ないまま夕飯を食べ、お風呂も済ませてリビングに向かう。


 時計を見るとすでに9時過ぎ。

 

「父さん、シャンプー切れてたから補充……あれ?」


 首を振って当たりを見渡してみると父さんも母さんもおらず、寝間着姿の杏里がソファの上でスマホをいじっているだけだった。


「杏里、父さんたちは?」

「ん~? お部屋の掃除するって2階行ったよ?」

「ふ~ん。杏里は何してたんだ?」


 聞いてみると、杏里は、よくぞ聞いてくれました! と言わんばかりに嬉しそうな笑みを浮かべてスマホを取り出す。


「あのねあのね! りあるの噂見てたの!」

「俺の噂? どういうことだ?」

「これ!」


 杏里に示されたのは、俺も知っているチャットアプリ。ちょうど昨日から今日にかけて鶴ヶ丘さんと連絡を交わしたそれ。

 ただ、杏里が開いているのはどうやらグループチャットの画面らしい。色々な人の名前が並んでいる。


 これがどうかしたのだろうか。

 俺の噂とかよくわけが分からなかったが、とりあえず見てみるかと画面を覗き込み、会話をさかのぼる。

 そして、驚愕した。


「なんじゃこりゃ!?」


 どういうわけか、俺の名前が上がり、噂されていた。

 会話を何度も見直すのだが、見れば見るほど心当たりがあるものばかりが書かれている。

 なるほど、客観的に見ればそう見えていたのかと冷静に判断する俺がいる中、やはり驚かずにはいられない。


 学年一の美少女とお話ししたらその美少女を落とした男と噂されているんだが!?

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今まで告白すらされてことがないのに学年一の美少女とお話ししてしまった翌日にその子を落とした男として噂になっているんだが!? シファニクス @sihulanikusu

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