あの島について

@natsuda

ある昔の友達について

 この島は日乃本のはるか南の方角にある。太平洋にぽつりとして浮かぶ。伊豆よりも、小笠原よりもさらに南に下ったところにある。

 

 私はあるジャーナリストなのだが、私のことはひとまず置いておいて、この島と、ある昔の友人について少し語ろう。


 私が今いるこの大きな島の南端には、私の昔の友達と共同生活を送る、彼らの集団が暮らす、大小いくつもの島嶼が存在する。私も私の昔の友達も、本島で育ったが、私の友達はいつからかその小さな島嶼で暮らすようになっていた。正確には年中暮らしているわけではない。友達と共同生活を送る「彼ら」と協力して、一年ごとにその島嶼と、本島の南端にある小さな町を、交代で住処を変えている。それはまるで見張り番を務めているようにだ。

 外からやってくる観光客が足を進めることが出来るのは、本島だけで、彼らはこの島の南端からそのいくつもの島嶼を、南に突き出た半島の先から指をくわえて眺めることしかできない。だがその景色は絶景だ。海にちりばめられたいくつもの島が、一つ一つが輝きを放っている。浮世絵師がもしこの景色を一度でも目にしたのなら、その景色を描くために、半年はひたすら筆を持ったままでいるだろう。


 その島嶼はかつてから霊場として、この島に漂う特有の、異質な雰囲気の根源となっていた。あの島には、約600年の昔、この島に文明人が記録を残し始めた頃から、多くの人々が死後に向かうべきと命じられた場所だった。この島にはほかに墓所はいくつかあるが、その殆どが、外からやってきた者たちのための墓場であり、彼らはその島に立ち入ることを許されない。決して許されない。断じて許されていない。彼らの血を持つものがその霊場へと骨を埋めるには、何代も子をなしてようやくその島に骨を休めることが出来る許可を得る。この事実は度々議論に上がる。人を選別するなど、この現代社会においてどうなのか、外から移住してきた人々もあそこに埋葬されることを認められるべきだ、と島内外の文化人が勝手に議論を始めてゆく。だが彼らには決して届かない。あそこはこの世界と違う。感覚的には断裂されており、その議論がされていることすら、彼らは何も存じない。


 彼らがそこに埋葬されているのは一種の宗教的動機が理由だ。この島には、この島特有の宗教があった。特別異なるものじゃない、多くは日乃本と同じで、八百万の神々が住み、死ねば行きつく先は黄泉の国。

 だがこの島の人々は、あの島こそが、黄泉の国の入り口なのだと、信じて疑わなかった。

 あの島は、ずっとそう信じられてきた。島の人々は、遺族でさえも、葬儀の際にしか立ち入ることを許されない。盆の時期は、この島の南端に設けられた、大きな宗教寺院に参ること、それだけだ。各々の家で経を上げることもする。でも、実際に骨はそこにはない。あの島嶼にある。遺族がその末代に至るまで、それを触ることもない。管理する必要もない。ただ俗世を離れた人々が、私の友人もその一人で、彼らが何百年も丁重に守っている。


 今日、改めてそこの話をするのは、とても大きな葬儀がこの島で執り行われるからだ。

 彼女は市長と知事を歴任した人間であり、希代の政治家だった。皆に人望があり、本人もそれに応え、この島の産業を活性化させ、圧力に屈しないその勇ましい姿勢は人々の矜持を呼び覚ました。

それでも命の終わりには勝てず、彼女は52歳という比較的若い歳で亡くなった。

そしてその葬儀が、今日行われる。それも大々的に執り行われるそうだ。島中が喪に服し、皆が将来に絶望している。口をそろえて言うのは、彼女以来の為政者など現れるはずがない、この島は以前と同じように元のみすぼらしいただの島に戻るのか、と。

 対立候補の台頭を許さないほど、彼女の支持率はとても高かった。無所属ながら、島人としての誇りを持っていた。国内外の如何なる圧力にも屈しなかった。そして彼女はとても美しく凛々しく、それでいながら生涯を通して独身を貫き、色めいた話も浮かばなかった。その事実が彼女の偶像としての価値をさらに高めていた。

 

 彼女の死は大々的に報じられた。その点で、彼女の葬儀とこの島に隠されたその宗教の存在についても、白昼の元に晒された。全国であの島はああいう島と、あることないことを囃し立てられている。この島にはそのほかにもいくつもの隠された秘密がある。そのすべてをいずれは多くの人間がいつか知ることになるのだ。その時、この島に隠された封印のようなものが解いてしまわれるのだろう。かつて高野山を開いた空海が、金剛峯寺の境内の隅々に至るまで封印を施したとされるが、それは近代文明と平穏の到来という目的によって解かれたのだ。

 彼女の死をきっかけとして島の内外との交流が活発になれば、やがてはその封印は解かれ、本土と同じようにこの文化も、それの核である信仰も、争いの時代を知らない若い世代から中心に捨てられていくだろう。信仰は争いの時代に、罪を犯さねば生きられない人々を励まし庇い、慰めるためのものだった。信仰が捨てられた時代に、この島がどんな姿かたちになっているのか。恐らくは日本と同じようになっているだろう。言い方を変えれば、日本国内にしてはゆっくりと流れていた時の流れが、指数関数的に速度を増し、やがては日本と同じようになる。追い抜くことになるかもしれない。でも、この島にしかないものが、永遠に失われると思うと、なぜかとても心が締め付けられるような思いだ。


 話を戻すと、私の友人はその島嶼で暮らしていると私は言ったが、彼は今墓守として墓所を管理している。島嶼は退屈で、毎日つらい修行をこなさなければならないため、誰も墓守としての将来を選ばなくなり、段々と墓守の数は減っていった。

若い世代を始めとして、宗教を捨てるものも多くいた。

 そんな時代に彼は墓守になるために、墓守としてその場に赴くことを決意した。

 

 最初私は辞めた方がいいと警告したのだが、もう決めたことだといい、そのまま彼は時も置かずその島嶼へと旅立った。それから、関係を断つことはなく、文を送り合っていた。できれば電話で話したかったが、その島嶼に電気はおろか、ガスすらなかった。

 交わす言葉は、墓守としての修練の日々はつらいか、そちらは娯楽が何もないから退屈ではないかと、他愛ない話だ。こちらのことを話すことはほとんどしなかった。  

 彼もそれを求めなかった。私は、彼に過去の選択を後悔させるような感情を、私がいる環境に対しての羨望や嫉妬といったものを、決して抱かせたくなかった。

 それが余計な配慮だとしても、私は自分が正しいと思うことをしたかった。


 ある時、思い切って、どうして墓守などになどなろうと考えたのか聞いてみた。辛い修行の日々が待っているというのはわかりきっているのに、なぜ選んだのかと、聞いた。

 返信には文頭に変わった花が咲いていた、先日の台風は強かったなどと書いていたが、

「生きるのがとてもつまらなくなった」

と最後に一言、とても丁寧な字で添えられていた。


 一年を経て、彼は島嶼を出て、島の南端にある街で暮らす。

 その時に会いに行った。会ってみたかったし、何よりその街に行きたかった。私はその年でその島にいるのは最後になる。来年には母親が再婚して本土に戻るのだ。

 彼が会うのを許されたのは、本島に滞在する最後の日で、その日の夕方に船で島嶼に渡る。俗世の人間と関われば関わるほど、後の修行に支障をきたすからだ。

 会って話したのは退屈な話だった。このラーメンは旨い、この間恩師と街でばたりと会って話をした、昔読んでいた漫画の作者が亡くなった。あまり時代めいた話はしたくなかったが、無言な時間が生まれるよりは、ましだろうと何でも話した。


 私がその街に向かいたかったのは、その街にあったひときわ大きな寺院に参拝しに行きたかったからだった。それには二つの理由があった。そこには島嶼に渡ることを許されない人々が、亡くなった人に弔いをささげられる唯一の場所だった。あの島嶼には幼いころ、何度も面倒を見てもらった祖父母が眠っており、島を出てしまえばもうここにはこれなくなるからだ。大人になれば何度でも、一人で来れるだろうが、その時私が、その島嶼に祖父母が眠っていると信じていられる純粋な信仰心を持っているかは微妙だったから、今行かねばならないと思ったのだ。


 私は神を信じなかった。八百万の神々も、西洋の唯一神も、姿を見たこともなければ、その声も聞いたことがない。だが死者を尊み、蔑むことを卑劣と思っていた。

 それは自由奔放な性格の母とは反面、知恵を与えてきちんと育ててくれた祖父母の、特に祖母の教育の賜物だった。

 神を信ぜずとも、神が大昔に死んだ死者の一人であれば、神に対し首を垂れる道理はあった。そのお方が本当に存在したのであれば、の話だが。


 生れてはじめてその寺院に参拝した。宗教を過度に嫌悪する母は初詣すら自分を連れて行ってくれなかった。そのくせクリスマスだのハロウィンだの祝いたがるのは、結局自分が特別な存在であることを自分自身で認め、それに酔いしれたいだけだ。

 母だけじゃない、大勢の人間がそう思っている。自分が何者かもよくわからず、それが何をすることかもよく知らず、ただ与えられたものを無心で食らう家畜のように、それが自分にとって刺激を与えてくれるのであれば何でも構わない。

 そうして孤独と退屈による、心の飢えを満たしていくのだ。


 寺院は町よりひときわ高い山の上にあり、境内に続く長い長い階段を振り返れば、その南の果ての町全体が見下ろせた。多くの参拝客がその階段を上り下りしていた。周囲を見れば、自分や友人と同じような歳をしているような若い人々が大勢いた。友達らしき人と路頭を汲んで会話に興じている者もいれば、親族と思わしき人とともに歩いている者も多くいた。彼らもみんな墓守とその関係者だろうか。

 途中で高い木々が頭上を多い、もう振り返っても町は見えず、青い葉が濃い影をそこに作っていた。階段を一番上まで登ると、石畳が敷き詰められている道がまっすぐと奥に続いていた。石畳から外れると、何年も積もっているだろう落ち葉が敷き詰められており、合間合間から木の根が垣間見えた。


 その石畳の道を50メートルほど歩くと、大きな門と高い塀で囲まれた場所があった。門は長年補修されていないらしく、ぼろぼろで塗装がはげており、柱の木は墨で薄く塗ったように色あせていた。その奥に、例の寺院の本殿が存在した。

  島中の人々が参拝に訪れる、格式の高い寺院にしては、質素でありふれた作りだった。外見はどこの町にもありそうな小さな寺院だ。それでも本堂はとても奥行きがあって、まるで弓道場のように奥が深いつくりになっている。その目が霞む程遠い最奥部に、一つ仏像のようなものが鎮座しているのが見えた。

 その仏像のようなものは正確には仏ではない。死人を仏というなれば、仏ではあるが。本堂の入り口の部分に、腰の位置に看板と一枚の写真が掲示してあった。

 それは、その奥に鎮座している像を、近くで撮った写真だ。

 

 侍のような恰好をしている。兜をかぶったその人の名前は三崎四郎矢住。この南の果ての島に初めてたどり着いた日本人であり、この島の歴史を始めた男でもあった。

それよりも前にもこの島には多くの人間が住んでいたとされるが、文字がないために

記録は残っていない。ただ一つ、彼が生前に残した、この島に住む人々について、村々を訪ね歩いて聞いたとされる、その生活や民俗信仰などを記した「弓良国(ゆらのくに)風土記」たった一つだけだ。


 ユラ、それが太鼓の人々の間で呼称されていたこの島の名前である。なぜユラなのか、ユラという言葉は何を示していたのか、正確にはわかっていない。最も濃厚な仮説は、ユが当時の言葉で私という意味で、ラは土地や場所という意味では、つまりユラとは私たちのいる場所という意味ではないのか、そういう推測が濃厚であると、今の小学校の総合の授業では教えているし、私もそう習って発表会などを催し発表した覚えがある。


 弓良国風土記によると、三崎矢住はかつて鎌倉幕府の重鎮だったらしいが、討幕派との戦いに敗れて敗走し、入水自殺をしようと試みた末にこんなところにまで漂流してしまったという。そしてただ一人、絶望に明け暮れた。当時のこの島は火山活動が活発で、いたるところ溶岩が噴出していた。草木も生えないこの島を見て、三崎矢住はここが黄泉の国なのかとさえも思っていた。しかしその力と知恵、武勇故に、島の先住民の人々に慕われ、やがてはここで国を作り上げていくも、彼自身は若くして亡くなった。日本に戻る日を夢見て、自分を苦しめた足利幕府を滅ぼそうと思い願って。


 記録上、三崎矢住があの島嶼に葬られた最初の人間ということになる。最もそれ以前にもあそこは死後の世界の扱いだったとされているため、それ以前にもあの場所に葬られた人間がきっといるだろう。彼の死後に、この島には二つの大きな神殿が立てられた。一つはこの寺院。そしてもう一つは、ここから遥か北北東、彼の住居があった場所に建てられた。その神社、その名前を有沙神社という。


 ここに来れば、彼の心が理解できるかもしれないとも思っていた。それがこの寺院に来たいもう一つの理由だった。

 ここには、すべてに絶望したであろう彼が、心惹かれた何かが存在するのだと。

 それを言葉で伝え聞いても、私の頭如きでは理解できないのだろう。そして結局は彼はこの何とも言えない雰囲気に惹かれたのだなだという、稚拙でありふれた曖昧な回答を私は出したくなかったのだ。だからこそ私はここにきて、五感を超えた感覚までして、彼が惹かれたものが何かを知りたかったのだ。


 それでも私はその中にいる何かの存在を感じ取れなかった。何もわからずじまいだった。でももしかして、それが答えなのではないかとも思った。


 ここにはだれもいない。誰の居場所でもない。死んだ人間がこの世界からいなくなるのであれば、死人の場所ですらない。 

 誰の居場所でもないからこそ、新たに自分の居場所として見定められたのか。

 それに身をゆだねたくなったのかもしれない。

 私が彼の居場所を作ろうとしても、彼を引き留めようとしても、そうか、何もかも、無駄だったのか。


 夕方、彼を岬まで見送りにいった。この南の果ての街の、その南の先にある岬周辺は鬱蒼と生い茂る草原地帯が広がっている。私はその中を二人で歩いていた。ほかにはだれも歩いていない。彼はまた戻らねばならない。あの島嶼に。


 草原が終わると、突然現れた崖下に、遠浅の砂浜がそこに現れた。細くて長い階段がそこへと続いていた。砂浜からはいくつもの桟橋が伸びており、そのうえで何組もの人々が、別れの挨拶を済ませていた。

 桟橋の遥か先には、例のいくつもの青い葉を被った島々が、そこにはある。


 右手を手すりに乗せて、階段を踏み外さぬように丁寧に降りて行ったつもりだったが、踏みどころが悪く、足を滑らせて腰を打ち付けてしまった。


いたたと腰に手を当てる自分に、彼は微笑みながら、手を差し伸べてくれた。


 いつもの君だ。誰にも優しく、決して人の悪口を言わず、傷つけない、天使のような君だ。

 ああ、やはり君は君なんだなと。


 そして、もう私と一緒にいてくれない、私の元に帰ってきてくれはしない、君なんだろう。


 手を強く握った。片方の手で、手すりをしっかりとつかみ返して、体を起こした。

 その肌のぬくもりは誰よりも優しかった。

 彼は私がどんな失態を犯そうと、庇い、慰めてくれた。

 私も同じようにしたかった。でも彼は何もかも完璧で、私がしてあげることなど何もなかった。そうして段々と私の周りには、氷が解けるようにして溝が出来ていくのがわかった。彼に対する羨望、自己嫌悪、嫉妬、そういった醜い感情だ。

 出来た溝を、彼は一生懸命埋めてくれた。気づいたら彼はそこにいて、穴を埋めてくれていた。

 

 そして今度は階段を丁寧に、着実に一段一段と降りていく。

 手は離したくなかったが、離さざるを得ない。

 これ以上自分の心を刺激したくなかった。


 砂浜に立った私たち。潮風が私たちの頬を撫でる。何かが私たちを抱きしめる。

 それが私たちの心と心を、つなぎとめてくれているような気がした。

 木張りの桟橋の上で、彼は順番を待っていた。船の時刻は事前の申し出の通りに決まっていた。まだ時間があった。まだ言葉を告げる時間はあった。


 ありがとうと私は一言、伝えただけだった。

もっといろんなことがあるはずなのに、もっと具体的な表現ができたはずなのに。

頭の中で糸がほつれているようで、言葉が思いつかなかった。

それでも私は、その言葉をひねり出した。つまらない言葉だ。


 こちらこそ と彼は返した。彼らしい答えだった。


 彼は船に乗って、岸を離れた。船頭が立つその奥の、その背中がだんだん遠ざかっていく。

 これで私と彼の物語は、ひとまずは終わりを迎えるのだ。

 遠い未来、動き出すかもしれない。それでも今のような経験をすることはないだろう。私と彼の物語は、もう紡がれることはないのだ。


 次あったときに、私は大人になっている。

 今よりもずっと大きな体躯で、発達した脳を載せてやってくる。

 その時の私は、今の私と同じであるとは到底言えない。私は怖かった。

 生物学的に同じ生き物であるはずなのに、感覚的には違う存在になっている。

 その未来の時間、今の時間の私は死んでいる。きっと。


 私もその島へ渡りたい。もしかしたらその島では時間の流れが止まるのかもしれない。その島では何千年も前から、何者も意志として存在しないからだ。

 でも私はその島へ渡れない。この身の尽きるまで渡ることは許されない。

 その理由は、私が生まれたのはこの島ではなく、ここから遠く離れた関西地方だからだ。母はこの島で生まれ外に出たが、離婚して島に戻ってきた。

 

 ずっと私が私について、思っていることがある。

 それは、私が私を卑下している原因の一つだ。

  

 私の体には邪な血が流れている


 誰もが心でそう思っている。それが子供であろうと、優しくする理由など彼らにはどこにもない。その子の父親は人を冷たくあしらい、母の一生を奪うことをして、今ものうのうとどこかで幸せに暮らしている。その血を継いだ私も、きっと将来はそうなるのだろう。周囲も、私も、そう思っているだろうとレッテルを張った。この島特有の排他的な感情がそれに拍車をかけている。私は心を閉ざして、目立たず、欲を出さず、なるべく人と関わらずに生きてきた。


 そんな私でも彼は優しく接してくれたのだ。彼もまた一人だった。孤立し無口だった私がいじめられなかった理由も、彼が神官の息子であり、町中の人間から羨望と尊敬の目を向けられており、誰が見てもいつも仲良くしている友達を傷つけたとなれば、厄介どころでは済まされない話になるからだ。

 私は彼をよすがにして生きてきた。そうだからこそ、私は彼に恩を返したいとできる限りのことをしたかったが、今の今まですべて空回りに終わったのだ。


 私は帰りのバスを待っていた。静かな夜、誰もいないバス停だ。

 空を見上げれば、いくつもの星々が、この島へと降り注いでいた。

 思えば、あの星をいくつ、彼と拾っただろうか。


 そのうちいくつを勿体なく、道端に捨てて行ってしまったのだろうか。

 

 みっともなく、私の目は潤んでいた。涙は流すまいと、堪えて。

 そうして私は最終の夜行バスで故郷へと帰っていった。


 今の私はジャーナリストとして、取材のためにこの島に戻ってきた。

 母が再婚したのち、その継父は優しい人で、私を大学に通わせてくれた。

 そうして私は以前よりなりたかったジャーナリストになった。

 すべてはただ一つの野望のために。


 もうすぐ葬儀が始まる。私はその光景を、テレビの生中継で眺めていた。

 中央の棺を超えて、その奥の壁には、きれいな女性の肖像が飾られている。

 しわ一つない肌に、整った顔、黒い艶のある髪。昔はモデルとして週刊誌にも出ていたらしい。昔の日本人は、みなああだったのかもしれない、その顔は、どこか人を懐かしく思わせている、そんな感じがした。この島の人々は、そんな彼女に惹かれたのだろうか。

 

 葬儀を終えて、私はテレビと部屋の明かりを消し、ジャケットを羽織ると、ホテルの部屋を飛び出した。廊下ですれ違った掃除係も、カウンターに座っている受付係もみなどこか悲しげな顔をしている。硝子戸をあけて外に出ると、道路は人々であふれているにもかかわらず、騒ぎ立てている様子はなかった。

 世間話の声すらも聞こえなった。


 葬列がやってくる道の先を目を細めて見つめていたが、あたりが突然騒がしくなった。辺りを見回すと、ある男性が殴られて、集団の中へ引きずり込まれて何度も蹴られていた。その男性の手にはカメラのようなものが抱えられていた。葬儀の模様は許可を得ない限り、原則として撮影禁止だと達しが出ていた。彼を可哀そうだと思い、咄嗟に動こうとしたが、すぐさま警官隊が集団とカメラマンの彼を取り押さえようとしているのを見て、体を揺らすだけに終わった。彼は額から流血しているようだったが、警官隊に腕を抱えられどこかへと運ばれていった。


 ここはこういう町だ。こういう島だ。

 気づいた。彼は今、この島の摂理に反することをしようとした。

 死者をフィルムという永遠の記録に残し、存在を確かなものにして、死という安らぎを得た人を辱め、命をつなぎとめようとしている。あの島嶼を抱えるこの島の住民の良心がそれを許すはずがなかった。あの島嶼によって、死を遠ざけ、尊いものにし、静かな死まで永遠の安らぎを与えさえしているのに。

 それは彼らが、死んでいるということを恥ずかしむものだと思っているともとれるのだ。


 この島には奇妙な空気が漂っている。

 

 私はこの島が嫌いだった。だから本土に渡った。そしてジャーナリストになった。


 墓守を務めた友達は今もなおあの島嶼にいる。

 

 私はいつの日か、この島に隠された秘密を暴いてみせる。

 この島を封じている結界を、解く一人となるために。


 そうすれば、この島にある一つの秘密のようなものが暴かれれば、彼を縛っている何かを解けるかもしれない。彼はこの島に帰ってきてくれるかもしれない。あの桟橋で別れた日に、止まった時間の流れが、再び動き出すかもしれないという、うたかたの夢を思い描いているのだ。


 そうだ。もう何も否定しない。

 私は彼を取り戻したい、その執念だけで、孤独の荒れた海をさすらってきた。


 さあ、この島に隠された謎を、今すべて暴き出して見せる。


 葬列が、段々と違づいてきているのが、遠目で見えた。

 沿道に立つ人々はみな、再び沈黙で、この島の秘密を覆い隠そうとしている。

 

 暴いて見せる。この島の秘密を、絶対に。

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