第21話 千早さん家の今日のごはん
想定以上に良いタイムが出たことによる千早さんのハイも収まり、お父さんの怒りも紗枝さんの仲裁で静まり……それからあれよあれよという間に僕は千早家の豪奢なリビングで一緒に食卓を囲んでいた。
どうしてこうなった。
思い返すと、仲裁してくれていたはずの紗枝さんがいつの間にか僕が夕食を一緒に食べるように会話を誘導していた気もする。
流されるままこちらの親の許可も貰ってしまったし、もう引き返せない。
「いやー、紗枝のご飯はいつもながら美味しいな」
「もうっ、修治さんったらお上手なんだから!」
まず洗礼のように、対面に二人並ぶ他所の夫婦の、おそらく普段もしているであろう仲睦まじいやりとりを見せつけられる。
隣で同じようにそのやりとりを見ていた千早さんに目配せすると、彼女は向こうには聞こえないくらいの声で囁きかけてきた。
「いつもあんな感じ。知り合いの前で両親が堂々とイチャつくとこんなに居たたまれないんだねぇ。嬉しくない学び。ごめんね、悠生くん」
「ハハハ……仲が良いのはいいことですよ」
こっちは居たたまれないとか気まずいとか、それどころではない。今も内緒話しているのが良くなかったのか、お父さんの僕を見る目が明らかに鋭利過ぎる。
「速水悠生くん、手が止まっているね。料理が口に合わなかったかな?」
「い、いえ! とても美味しいです。アハハ」
「あらよかったわ。野菜中心だから若い男の子には物足りないかもしれないけど、遠慮なく食べてってね」
紗枝さんのご飯は実際とても美味しい。多分千早さんの為に考え抜かれた健康志向なメニューだ。一口食べるだけでそこに込められた確かな温かみを感じるような、そんな料理だった。
だが、正面からの無言の圧力で何を口にしてもじっくり味わうということが出来なかった。
——食べにくいなぁ!
最初の一言以外、お父さんが僕に向かって何かを行ってくることはなかったが、とにかくずっと視線を感じる。怖くて前は向けないがおそらく品定めのような事をされているのだろう。
千早さんはそんなことを全く気に留めていないのか「トマト好き? よしよし、しょうがないからあげるね」とか遠慮なく話しかけてくる。本当に空気を読んで欲しい。それに——。
「ダメですよ。お母さんが栄養バランス考えてくれてるでしょうし、ちゃんと食べましょう」
わざわざ紗枝さんが飲み物を取りに離席したタイミングで言ってきた辺り、千早さんも理解はしているのだろう。そして僕が拒否することも分かった上でのダメ元、もしくは冗談だったのか、「ちぇー」とわざとらしく口を尖らせて顔を歪ませながらトマトを口に運んだ。
その顔を見たら、少しだけ気が抜けて思わず笑ってしまう。もしかしたら、彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
「ごちそうさまでした」
終盤はずっと千早さんが先ほどの記録更新の話をしていたのもあって、和やかに食事が終わった。
せめて食器洗いぐらいはしようと立ち上がろうとしたとき、お父さんが「そのままで」と言うように手で制した。
なんとなく、さっきまでと雰囲気が変わったような気がする。
「その場の流れのようになってしまったが、二人から色々聞いていたからね、近いうちに君とはゆっくり話をしたいと思っていたんだ。速水悠生くん」
「——僕も、です。話すと言うより、謝らなければと思ってました」
「ほう? 先にそちらを聞こうか」
腹に響くような低音の声による威圧感。修羅場を乗り越えてきた大人の堂々とした態度だ。
激しく叱咤されようと、僕がこれからも千早さんの手伝いをするためにもハッキリと筋を通さないといけない事だ。
「千早さん——あ、シロさんの許可があったとはいえご両親不在のお家に何度もお邪魔してしまって、申し訳ないです。そしてこれからも頻繁にお家に上がるのを許して頂ければと」
これはずっと心の隅で気にかかっていた部分だ。
千早さんと紗枝さんの態度から千早家の中で話は通っているようだったが、それでも大切な娘がどこの馬の骨とも分からない異性と一つ屋根の下というのは決して良い気分ではないだろう。自分が親の立場だったら許容できないかもしれない。
そんな考えからの謝罪だったのだが、お父さんからは全く想定と違う反応が返ってきた。
「そんなことはどうでもいいわ! 俺のシロちゃんと仲良く抱擁し腐っていたことをまず謝れぃ!」
お父さんは急に威厳もへったくれもない半泣きの声で、子どものように喚き出してしまった。叱咤というよりは“駄々”と言う感じで思わずズッコケそうになる。
「そ、そんなこと……? いや、そちらも申し訳ないとは思いますけど! あれは不可抗力というか、僕はされるがままで。これまでもこれからも決してやましい事は——」
「そーだ。ハグし返してくれなかったよね! 私結構寂しかったんだけど、悠生くんは嬉しくなかったの!?」
「なにをうちのシロちゃん不安にさせとんじゃ速水貴様ァ! 道を同じくする同志ならちゃんと抱擁くらいしろ!」
「どっちなんですか!?」
千早さんの参入で完全に場の収集が付かなくなってしまった。
彼女の“自分の好きなものに関することは精神年齢が下がってしまう”ところは、完全に父親譲りだと確信した。
「あらあら、賑やかでいいわねぇ」
最後の希望である紗枝さんもニコニコ嬉しそうに笑うばかりだった。
結局防戦一方の口論はお父さんの息が切れるまで続いた。途中から千早さんは飽きてスマホをいじっていた。解せない。
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