第18話 病谷
陸上やスケート競技で、一人の選手が前人未踏の壁を打ち砕く記録を出すと後を追うように多くの選手が同じように壁を破り始める——というのを何度か見たことがある。
『Devil's Souls RTA any% Glitchless』カテゴリにおいては長らく『五十三の壁』があったそうだ。しかし先日、顔も知らぬライバルであるkenzoがその壁を壊した。
夏休み最終日、僕らもそのボーダーを超えるべく新たなチャートを持ってタイム計測に挑んでいる。しかし、やはり一筋縄ではいかない。
千早さんの制限時間はおよそ四時間。
道中で大きなミスが出て良い記録が出ないと確定した場合は“再走”と言って最初からやり直しをすることもある——というか、ほとんどはそうなる——ため、まず制限時間内にタイム計測までたどり着くかという問題がある。
開始から二時間半、千早さんは未だ一周も完走出来ていない。
「千早さん、制限時間近づいてますが体調は大丈夫ですか」
慣れないチャートだからか、はたまた谷の練習に重きを置きすぎたのか、ここまでの千早さんは普段難なく走り抜けていく序盤での失敗が最も多かった。
彼女がミスをしてゲームをリセットする度に、こちらが焦燥感と緊張でどうにかなってしまいそうだった。
普段はゲームをしながらでも楽しそうにお喋りすることも多い彼女も、今日はずっと真剣に画面とコントローラーに意識を集中させている。
「ふぅ……うん。大丈夫。むしろノッてきた」
再走の度に彼女の瞳は爛々として、口元は不敵に持ち上がっていく。逆境でこそ、千早シロは愉快そうに笑うのだ。
今、間違いなく彼女の集中は極限に至った。
部屋の空気はピンという音が聞こえそうなほど張り詰め、彼女にあてられたのか僕の胸にも期待感が湧き上がってくるのを感じる。
「タイマー、いつでも大丈夫です」
「すぅ……はぁ……いくよ」
千早さんが“Newgame”を選択する。同時にPCのタイマーを始動させる。こちらのモニターにはPS3のゲーム画面をキャプチャーしており、まさにRTA動画という体をなしている。
速やかにキャラクタークリエイトを済ませ、ムービーも当然スキップ。僕が時間をかけて踏破したチュートリアルエリアの敵を全て無視して駆け抜けて〈散開の尖兵〉の攻撃を受けて死亡する。これが本来の想定された正規ルートだ。
拠点に飛ばされまたストーリームービーやらが始まるが全て最速で終わらせ、初めのステージ“王城”へ。王城も被弾無し、ミスなし、迷いなし。ここまでは理想的な走りで王城のボスまで辿り着いた。
「ボス霧くぐってちょい歩き、上向いて、火炎瓶いち、に、さん……よん。完璧じゃない!?」
画面に意識は向けたまま、千早さんは思わず声を上げた。実際、その気持ちが分かるくらいには完璧な瓶投げだった。たった四つのアイテムでボスの周囲を固める守りが七割削られて弱点が剥き出しだ。
僕が初めてチャートを見せて貰ったときに雑だと感じたボス戦のムーブも、ここまで完璧にその通り熟して理想通りになってしまうのだからもはや笑えてくる。
最初のボス討伐の予想タイムは八分、しかし今は——およそ七分、ほとんど理論値だ。
先ほどまで、このステージで何度か再走していたこともあってこの結果は本当に僕の心を落ち着けさせた。
『千早さんの練度は一朝一夕で揺らぐようなヤワなものじゃないです』
一昨日自分が当然のことと思って発した言葉が脳裏に浮かぶ。やはり、その認識に間違いはなかった。集中状態の彼女ならば、既に身に付けた箇所は問題なく突破できるだろう。
そこまでは僕が居なくても彼女一人で辿り着いた境地。
坑道を駆け抜け、ダッシュ致命で敵をすり抜ける千早さんを見ながら、計測開始前の会話を思い出す。
『kenzoさんに勝ちたいのは気持ちとして理解できます。でも、少しこだわり過ぎにも思えるのですが何か理由が?』
『それがね、勝たなきゃダメなんだよ。彼もRTAFesにデビソで参加しようとしているんだ』
『同じゲームのエントリーが重なった場合は……?』
『もちろん、いい記録を持っている方が優先されるだろうね』
そしてついに、僕という存在の意義が試される。
いくつもの難所を乗り越え、理想的なタイムで辿り着くは
毒に侵された土地に捨てられた者達は腐り果てる。そんな彼らの苦悶の呻き声が幾重にも重なる、病魔の具現のような土地。
この場所を制覇したとき、千早シロと僕のRTAFesへの道はようやく一歩踏み出されるのだ。
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