第17話 新チャート
区間練習に重点を置き始めて三日、僕らは今日も今日とて谷を走る。
このステージは、ストーリー攻略上必ず通るのにしばらく歩けば毒状態になってバカにできないダメージを受け、移動やローリングも制限される上に敵は元気に襲ってくるという最悪の場所だ。
ここを設計した人間はとんでもなく性格が悪いと思う。
「やはり毒沼地帯がネックですね。敵を誘導するアイテム——“ソウルの残滓”でしたっけ。追加で拾いますか」
「通称残滓ね、安定取るならそれかなー。死ぬくらいなら寄り道だね。——ふぅ、一旦休憩しよっか」
コントローラーを置き、千早さんはスマホを取り出していじり出す。体力温存のために三十分に一度は休憩を入れているのもあってかなり余裕がありそうだ。
その間に今出た改善案をノートにメモしていく。RTA関連の情報やチャートを記したこのノートも既に半分以上埋まってしまった。
メモを終えペンを終えた丁度その時、隣から小さな呻き声が聞こえてきた。
「うぅー、順位抜かれた……kenzoめ」
体調のブレが来たかと身構えたが、どうやら他の走者の記録を見ていたらしい。
RTAには、海外の有志が作ったコミュニティサイトがある。主な役割は情報交換と“ランキング”だ。
走者はこのサイトに自身のタイムを記録動画と共に申告し、カテゴリ毎のランキングに載ることを目指すのだ。
kenzoは千早さんと同じカテゴリを走る日本人プレイヤーの一人。なんと現状、彼と千早さんが日本のトップを争って追って追われてしているという話で、それを聞いたときは流石に驚いた。
スマホの画面を覗き込もうとすると「ほら見て」と千早さんの方から見せてくれた。
「五十二分台ですか。千早さんの最高記録はたしか」
「53:42! 昨日まで横並びだったのにあやつめ、一気に一分も短縮しおった」
彼女は明言しないが、通し練習やタイム計測をしないと不安だと言っていたのは恐らくkenzoの存在も大きいのだろう。ライバルに置いていかれる焦燥感は少し分かる。
——やはり彼女の精神衛生も考えると、僕の提案は悪手だっただろうか。
記録が出ないという事がこんなにも不安を増長させるとは、正直想像以上だった。
ランキングを見なければいいと言うのは簡単だが、見てない間に大きく差を付けられたらそれこそ辛いだろう。
「千早さん、やっぱり——」
「でも今の私には悠生くんが居るからね。次の計測で大差をつけて吠え面かかせてやるから、ねっ!」
彼女は僕の弱気な声を遮って、屈託ない笑顔で力強く宣言した。
ああ、そうだった。千早さんは決めたら一直線なんだ。
この人と並んで進もうと追いかける僕が後悔に頭を悩ませている時間なんてない。道を定めたら進みながら次の最良を選び取る準備をするしかないのだ。
「はい……! 早速ですが残滓の入手場所について、今のルートだと難しいので谷の攻略順を後に回して——」
それから何度か検証を挟みがらの議論は白熱して何時間経ったか、気が付けばノートには新しいチャートが出来上がっていた。
「まだ僕には難しいと思っていたんですが……これ、一応形になってます、よね?」
「ククク、出来ちゃったね。まあ元々の型はあった訳だし、悠生くんも沢山勉強してくれていたから驚きはないよ。我々の積み重ねの成果だ」
千早さんを手伝うにあたって当初の役割にして一番難儀だと思っていたチャート作成だったのに、いざ完成してみるとそれは随分あっさりしたものだった。なんとなく、もっと劇的な場面をイメージしていた。
明確に一つの仕事をしたという実感が、じわじわと胸の奥から溢れてくるのが分かる。
そのとき、子どもの帰宅を促す町内放送が窓の向こうから聞こえてきた。僕にとっても丁度いい帰宅時間の合図なため、この時間に帰るのが通例になっている。
「キリもいいですし、帰りますね。チャートはテキストデータにおこして送ります」
「助かる! あっ、そういえば夏休みって明後日までだっけ?」
千早さんは突然思い出したようにそんなことを聞いてきた。
「そうですけど、もしかして学校行く気になりました?」
「いや、ない。行くとしても、もうちょっと涼しくなって体調と気が向いたらだね」
大きく首を横に振りながら千早さんは淡々と、しかしハッキリと否定した。
いちクラスメイトとしては、彼女に学校での思い出も少しくらい作って欲しいというエゴはあるが、相棒としては無理にとは言えない。
千早さんはスマホのランキング画面を指差しながら、今日一番の不遜な笑顔を見せた。
「せっかくだから明後日タイム計測しようよ! 夏休みの総決算ってことで、kenzoを超えようじゃないか」
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