試走

第16話 君の隣にいる訳は


 Real Time Attackリアルタイムアタック、縮めてRTAアールティーエー


 それはゲームをいかに早くクリアできるかを競う遊び方。また、それをするプレイヤーは“RTA走者”ないし“走者”と呼ばれる。

 たかがゲーム、たかが遊び。しかし走者は一分一秒、時にはゼロコンマ一秒を短縮するために心血を注ぐ。

 タイムが縮まったからといって何か賞与があるわけでもない。ただ理想を追い求めて、自らの誇りのために記録を残したいという渇望が彼ら彼女らを突き動かす。


 改めて、 これはRTAに全てを捧げた千早シロという一人の人間と、彼女に魅せられた僕の短くも忘れ難い記憶だ。

 




「悠生くん。今、何て言った?」


「もう一度言いますよ、千早さん」


 本契約の握手を交わしてから一週間が経った。夏休みも終盤、夏期講習も終わってここ数日は千早さんと過ごす時間は必然的に増えた。今日もソファで横並びに座り彼女の走りを見ていた。

 家でも千早さんから送られてきた実際にタイムを計測した動画を見たり、ネットにデビソのRTA動画やチャートを投稿している他の走者の方が居たのでそれを見て勉強したり、少しは理解が進んだと思う。


 そして今日、僕は千早さんに初めて“意見”をした。


「しばらく通し練習とタイム計測を止めましょう」


「や、やだーッ!」


 千早さんはそれに対して情けない叫びと共に僕の脇腹にパンチを打ってきた。ペチッという微かな音が辛うじてなる程度の弱々しい威力で、子どもが駄々をこねるように何度か繰り返すが、逆に手首をひねったりしてないか心配になる。


「痛っ、くはないですけど落ち着いて、また血反吐出ちゃいますよ」


「だって悠生くんが残酷なことを言うから……! 練習するなって、え? 遠回しに早死にしろって言ってる?」


「言ってません。通し練習の頻度を下げて“区間練習”に重きを置きましょう、という提案です。練習効率とタイム短縮のために」


 最後の一言に千早さんの身体がぴくっと震えた。そして、不満気な表情ではあるが、ソファの背もたれに身体を預けて腕組をして不遜ながら話を聞く姿勢にはなってくれた。


「詳しく聞こうじゃないか」


 さっきまで子どものように抵抗喚いていた人とは別人のような態度だ。切り替えの早さに少し笑ってしまいそうになるのを堪えて、彼女の方を見ながら昨夜何度も反芻した言葉を吐き出していく。


「通しは確かにタイムも出ますし、本番を想定した練習としては最適です。でも長時間の集中は千早さんの体力も消耗しますし、要所となるポイント一つ一つの練習密度が下がる。千早さん、“谷”のステージだけ特に苦手ですよね」


「うっ」


「逆に“王城”は殆どミスもなく、現状出来るほぼ理論値の走りができてると思います」


「えへへ」


 デビソは複数のステージで構成されている。それぞれに特色があるが特に“谷”と呼称されるステージは全体的に雰囲気が暗い上に毒沼などのいやらしいギミックが多い。

 ボスも絡め手を使ってくるため、真っ向勝負が得意な千早さんとは相性が悪いのだろう。王城はその逆だ——と言っても充分嫌なギミックはあるが谷とはジャンルが違う。


「つまり悠生くんの主張は、通しは非効率的だから止めて、区間練習に切り替えて苦手な所を重点的に練習しろってことで良いのかな」


「はい。僕が何度も尖兵と戦わされたときにやっていたセーブ&ロードを使えばそれも可能かと」


「もちろんできるけどもね……区間練習かー、そうだねぇ」


 千早さんは『理解はできるが受け入れ難い』という感じで、どうも煮え切らない。

 そもそも、ビギナーの僕がすぐに発想できるようなことを彼女が一瞬でも考えなかったとは思えない。

 だから意見を出したのは何か論理的な反論が飛んでくるだろうと、それも学びになるだろうと予想してのことだったのだ。


「なにか、通しにこだわる理由があるんですか?」


「単純に不安なんだよ」


「不安、ですか」


 それは全く想定外の言葉で、その意味を考えるために思わずオウム返しをしてしまった。

 彼女は組んでいた腕を解き、自らの指の凹凸を確かめるように撫でながら呟くように言葉を溢していく。


「昨日は一周走れても、今日はダメかもしれない。昨日は見極められた攻撃が今日は見えなくなっているかもしれない。せっかく身に付けた技も他の所を練習している間に忘れちゃうかも……とか、そんな不安のせいで一日一周は走らないと落ち着かないんだ。あとタイムが出ると“成長した!”感出るから安心する」


「なるほど、じゃあ問題ないですね。区間練習中心に切り替えましょう」


「ねぇ話聞いてた!?」


 千早さんは「私の気持ちなんてどうでもいいんだー」と情けない声を上げながら服を引っ張って僕の身体を前後に揺らしてくる。

 

 ——RTAが絡むと全体的に感情の振れ幅が大きくなるんだな、この人。


 僕は彼女の手を取って服から引き離し、そのまま真っ直ぐに彼女の目を見据えて言い聞かせるように出来る限りハッキリとした口調を意識して言葉を投げかけていく。


「客観的に見て、千早さんの練度は一朝一夕で揺らぐようなヤワなものじゃないです。それに練習する総合的な時間はむしろ伸びるので、それを熟せれば体力的にも不安を抱く必要はないはずです。タイムも不安なら一週間に一度は測りましょう。そして最後に一つ。


「えっ、えっとぉ、チャートづくりとか検証とか、あと私を褒めてモチベ上げてくれる」


「モチベの方は今知りましたけど……要は千早さんのもう一つの脳です。外付けSSD記憶媒体として、ルートもセットアップもグリッチも全部隣にいる僕が覚えますし、記録にもまとめます。だからアナタは安心して新しいことに挑戦してください」


 ゲームが特別上手いわけでもなくて、まだまだ勉強中の僕に今できることはそれくらいしかない。逆に言えばそれだけは自信を持って貢献できる。

 それで彼女の理想の走りに近づくのであれば、地道な座学も膨大な量の暗記も苦ではない。


 千早さんは僕の言葉に対してしばし考え込むような素振りをして、それから怪訝そうに口を開いた。


「——ねぇ、これ新手のプロポーズとかじゃないよね」


「違いますよ!? 君のSSDになるなんて告白があって良いわけないじゃないですか」


 思いがけない爆弾発言に思わず声が上擦ってしまった。

 その上彼女は「違うの?」と何故か引き下がってくる。


「今の千早さんは一人じゃないから役割を分担しましょうという話です」


「プロポーズじゃん」


「違います」


 そんな問答をしている内に彼女はまた余裕たっぷりで僕を振り回して笑ういつもの姿に戻ってきた。先ほど彼女が見せた弱気な姿、あれもまた千早シロの一面だ。

 

 僕はあの顔を少しでも晴らしていけるだろうか?


「まあ、ここまで熱烈に言われちゃったからね。とりあえず今週は通し練習もタイム計測も止めるよ」


「微妙に納得いかないですけど、はい。じゃあ、どこをどれくらいの比率でやるか決めましょう」


「そうだね! 谷を重点的にするのは確定として、次は“坑道”とか——」


 だが、不安に苛まれている余裕はない。考えて、考え続けてできることを全力でやって、その先にきっと答えがあるのだろう。

 

 僕は考えても仕方ない不安を胸の奥にしまいこんで、目の前の議論に集中した。

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