第15話 握手


「まず私は遺伝子のなんちゃらで生まれつきのザコでね。幼少期はそれはもう吹けば飛ぶような存在だった」


 それは、自身の人生を強烈に制限する原因について語る一文目とはとても思えない始まりだった。


「ザコって……同じ病気の方に失礼ですよ」


「ふふふ、多種多様な名前の長い病気を併せ持っていた私と全くお揃いの人はそうそう居ないさ。ほら」


 言いながら千早さんはスマホの画面を見せつけてくる。そこには彼女がこれまで受けてきた手術の名称と思しき文字列を書き連ねた紙と、その余白部分にピースサインを添えた写真が映っていた。

 A4の用紙いっぱいに複雑な単語が念仏のように羅列されているそれは、意味は分からずとも彼女の闘病が壮絶だったことを示していた。


「私の父は医師でね、残念ながら私の症状のほとんどは専門外だったが伝手を辿りに辿ってあらゆる処置をした結果、今この時まで私は生きている。この時点で普通じゃ考えられない奇跡だ。この写真は全部の手術が終わったときに撮った記念のやつだね」


「それは、本当に奔走したんでしょうね。千早さんのために」


 写真で見た千早さんのお父さんは如何にも厳格そうで、『どうしても旅行したいと煩くて』という彼女の発言と不揃い感があったが、今ではその心情を想って複雑な気持ちになってしまう。

 僕なんかが推し量るのも失礼なくらい、立派でカッコイイ人だ。


「感謝してもしきれないさ。それでも二十歳まで生きれれば上々って感じだったそうだ」


「でも、半年……なんですよね」


「あっ、厳密に言うと最短で半年、持って一年らしい。どちらにしても来年のRTAFesは厳しいから私と君にとっては変わらないけど」


 ——変わります。

 

 心では漠然とそう思っても、僕の口からそれを言うのはお互いの為に良くない気がした。僕と彼女は友人でも、まして恋人でもない。ただの協力者だ。

 それに、僕はこんな話を聞いても未だに近い未来彼女が死んでしまうことをどこか非現実的に感じてしまっている。


「余命に関しては、まあこれだけ軟弱な身体だ。新しい病気が発生することもあるってことさ。手術と服薬で普通の生活する分には支障はなくなったけど、慢性なんたらかんたら——そんな感じの名前のやつで私はなんやかんやで死ぬらしいよ」


「軽い……“インフォームドコンセント”ってありますよね。本人が覚えてなくて大丈夫なんですか? 色々と」


「やれやれ、君もまだ私という人間の理解度が足りていないようだね」


「そりゃあ出会って三日目とかですから」


 僕の返答が気に召さなかったのか、彼女は「やれやれ」とわざとらしく呆れたように首を振ると胸を張って堂々と声を上げる。


病名そんなことに割くほど私の脳内リソースに余裕はないッ! 名前を呼ばれたら弱体化するわけでもなし、短く可愛い“きゅんぽ”みたいな名前だったら覚えてあげてもいいけど。病名って複雑で気が滅入る単語しか使わないから嫌いだね」


「それはそれで嫌でしょう、『死因:きゅんぽ』になりますよ」


「うわっ、それは確かに嫌かも……って、それはどうでも良くて。こっから本題。“RTAに影響のある症状について”ね」


 自分で言い出したのに、と反論が出かかったが彼女の言う通り話が本題に入ったため喉の奥に引っ込める。

 

 少し緩みかけていた気を引き締めて背筋を伸ばすと、彼女は真剣な顔で人差し指を一本立てて話し始めた。


「まず最初に言うと、直近の手術の後から私の総体力は著しく減ってしまってね。集中して練習できる時間は四時間が限度。休み休みでも累計六時間ってところだ。これが第一にして最大の問題——“制限時間”」


「なるほど。千早さんの認識としては、必要な練習時間はどれくらいですか?」


「許されるなら寝る時間以外はずっと練習したいところだよ」


「言うと思いました……確かにそれは他人を頼ってでも効率化と練習の密度向上が必要ですね。他の問題は?」


 こちらから積極的に聞いてくることは想定していなかったのか、千早さんは一瞬目を見開いてから「いいね」と小さく呟いて軽く口角を持ち上げた。


「第二の問題は“体調のブレ”だね。今日の吐血みたいに、何かの拍子で抑え込んでる症状が出ることもある。これはどちらかと言うと本番で来ると困るって感じ。あと君をびっくりさせちゃう」


「それは、僕よりご両親に相談すべき問題かもしれませんね。とりあえずよくある症状と応急処置を教えてくれれば、驚きはするでしょうけど対応はできるかと」


「そうだね、ママに頼んでおくよ。本番は、ブレが来ないことをするしかないかなー」


 なんとなく、彼女が“お祈り”という言葉を使うのは意外だった。

 如何にも無神論者っぽい雰囲気はあるが、考えれば幼少から何度も命の危機に直面することはあっただろうし、節目に都合よく軽い気持ちで神頼みをする僕なんかよりもよっぽど信心があるのかもしれない。


「あっ、そうそう。RTAでランダム要素が上手く噛み合うように願う事を“お祈り”って言うんだけどさ、私本当に運悪くて悉く悪いパターン引くんだよねー。これも先に言っとく!」


 信心、とかではなさそうだ。

 少しでもしんみりした気持ちを返して欲しい。


「覚えておきます——他にはどんな問題が?」


「んー、太陽光に当たり続けると肌が腫れるとか、物理的に走るのは心肺機能的に無理とか……まっ、この辺は関係ないね。となると以上かな? おお、挙げてみると案外少ないし余裕だね」


「いえ、僕からすれば充分すぎるくらいですよ……もしかしてこの前学校来たのって相当無茶してましたか?」


「まーね。でも君に会う事は必要だったし、リターンの割には小さなリスクだった」


 千早さんの言葉には全部頭に『RTAのために』とか『私のために』が付く。これはここ三日で得た教訓だ。

 それでも、それが分かっていても……彼女が僕に会うためにリスクを取ったという事実は少なからず僕の心を揺れ動かした。


「やっぱりやめたくなった? 今なら、やっぱなし! もアリだよ。私の説明不足もあったしね」


 顔を見れなくて視線を外した僕に対して、何か勘違いしたのか、彼女はニヤつきながら問いかけてくる。断らないと知っている顔で。


「いえ、昨日の時点で覚悟は決めてましたから。それに思った以上に僕の役割が明確なのは有難いです」


 RTAについてもデビソについてもまだ学ぶことは多いが、その魅力の一端には既に触れた。

 同情でも義務感でもなく、やはり僕は僕の意思で千早さんのことを手伝いたい。


 そう自覚して、気が付く——自分以外の誰かの為に全力を尽くしたいと思ったことは生まれて初めてかもしれない。


「それじゃあ本契約ということでいいのかな?」


「はい。可能な限り励みますので、千早さんは最高の走りを見せて下さい」


「君も存外我が強いね。前向きなのは嬉しい……あっ、そういえば敬語は癖? 友達というのはタメ口で喋るのが一般的だと思っていたけど」


「あくまでパートナーということで、出来ればこのままで」


 これは僕のための一線だ。いつか訪れる別れの時のための、後ろめたくて情けない線。


 千早さんはそんなこと気にしないと思っていたが、どうも不満なようでジトッとした目でこちらを睨みつけてくる。


「まぁ……今はいいか。関係性にショトカはない。んっ」


 唇を尖らせながら、彼女は右手をずいと差し出した。


「これくらいなら良いだろう? 改めてこれからよろしくね、悠生くん」


「こちらこそよろしくお願いします。千早さん」


 慎重に握った彼女の手は見た目通り今にも折れそうだったが、掌にはいくつものタコが凹凸を作っていて、力強かった。


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