第14話 才能の片鱗


『YOU DIED』


 踏みつけられ、吹き飛ばされ、叩き潰されること延べ三十三回。

 がむしゃらにやっても無理だと観念して最初の十回を敵の動きを覚えることに費やした成果もあって、徐々に勝ちの目は見えてきたが、その分やられたときの虚脱感は増していく。

 途中から自分でやるようになったやり直しロードもすっかり手癖で出来るようになってしまった。


「おおー、残り三割ってとこだね。過去一だ。攻撃パターンは全部頭に入った感じするね」


「ですね……でも後半になると集中力がどうしても緩んで、千早さんは長時間集中するときどんな思考してます?」


「目の前の敵の事考えてるよ? 集中してるからね。あとはスタミナとか?」


 それができないから聞いているのだ。と不満たっぷりな顔で彼女を見下ろす。相変わらず彼女は隣で寝転がったまま、時折茶々を入れてきたり無様にやられるとクスクス笑ったりと愉快そうだ。

 異性とここまで接近する経験は無いのに、不思議と緊張したり心臓がドキドキしたり……そういった甘い感情は驚くほど湧かない。ただ彼女の鼻を明かしてやりたいという気持ちだけが大きくなっている。


 不満の念を向けられていることに気が付いたのか、千早さんは画面を見ていた顔をこちらにひねって続ける。


「真面目にね。全部の攻撃パターンを頭に並べておいて、わずかな予備動作も見落とさずにそれに合わせて自分の行動を決定する——それだけに集中するんだ。そしたら負けない」


「言うは易しですよ……はぁ、僕はまだインプットが足りないですね」


 常識だろ。とでも言いたげな彼女の不遜な言説も、今では少しだけ理解できてしまう。敵が恐ろしく強く、乗り越えるのが困難な状況こそ一瞬たりとも敵から目を離してはいけないのだ。それで何回やられたことか。


「悠生くん、まだ攻撃と回避の時に“このボタンを押すぞー”って考えてる?」


「いや、さすがにそろそろ頭に入りましたよ」


 かれこれ一時間半はひたすらこのキャラクターを操作しているのだ。もう特別に意識しなくとも操れる。


 ——まさか、そこまで僕にゲームセンスがないという嫌味だろうか? いや千早さんはそんな回りくどい表現使わなそうだ。


 そんな僕の小さな疑心暗鬼を押しのけるように、彼女はこちらに向かって腕を伸ばしてきた。その手は親指以外がピンと伸びていて、スラリと四本の細指と、その向こうに見える彼女のしたり顔が僕の視界を占拠した。


「それなら、多分あと四回で勝てるよ」


 絶対の自信がありそうな予言だった。

 何を根拠にとか、三回は絶対負けるのかとか、言いたいことはあった。だがそれ以上に僕の中で燻っていたある情念——勝利への渇望が燃え盛るのを感じた。


 ——絶対に三回以内にクリアしてやる。


「もちろん毎回勝つつもりで真剣にやればだけど……そこは心配なさそうだね」



 霧をくぐる。 三十四回目。

 敵の体力を残り二割まで削ったところで敵の動きにばかり気を取られた結果、スタミナ不足で回避が出来ず死亡。



 霧をくぐる。三十五回目。

 半分削ったところで欲張って攻撃し過ぎて回避が間に合わず死亡。



 そして三十六回目。一度大きく息を吸って、止める。脳に酸素を満たす。集中していると頭がボーっとしてしまう。恐らく呼吸が浅くなっているからだ。気休めでもいいから脳に回す分の酸素を確保する。


 敵の体力ゲージは見ても意味がないから見ない。とにかく相手のモーションと自分のスタミナだけに意識を割く。基本はひたすら敵の周りを反時計回りに歩き続ける。すると右手の斧による薙ぎ払いが少しのモーションで回避できる。攻撃は欲張らずに二回ずつに留める。スタンプ攻撃後だけは余裕があるから三回。これをひたすらに徹底——。


 攻防を繰り返している内に、コントローラーに指先の神経が直結したような新たな感覚を味わった。それは、僕が生まれて初めてゲームに“没頭”した瞬間だった。


「うん、期待以上だ」


 千早さんの方から何か声がした気がした。でも、僕を鼓舞するようなBGMが耳を占拠していてよく聞こえなかった。


 何度ローリングをして、何度剣を振っただろう。頭にぼうっと霧がかかるような感覚がしてきた。集中力の限界だ。

 そして、一番喰らいやすい薙ぎ払い攻撃を慎重に回避して、後隙に攻撃を入れた瞬間、ボスが今まで一度も見たことのない挙動をした。


「まだ攻撃パターンが……!?」


 咄嗟に回避しようとローリングをするが、攻撃は来ない。それはボスの体力が尽きて消滅するモーションだった。


「おめでとう! いやー、文字通り最後まで油断なし。まさか倒したことにすら気づかないとは。恐るべき集中力だね」


「勝った……のか。え、これ不意打ちでもう一体降ってきたり、蘇ったりしませんよね?」


「ククク、既に立派な“デビソ脳”だね。そいつはそういうの無いから大丈夫。それよりほら、ウィニングランだ。先に進みなよ」


 千早さんの言う通り、ボスを倒したことで出入口の霧が晴れて先に進めるようになっている。

 進んでいくと、その道には回復アイテムやよく分からない石が沢山落ちていた。恐らくご褒美、ということだろう。それらを拾っていくうちに徐々に「勝った」という感覚と、それに伴う高揚がじわじわと湧いてきた。

 それと同時に、あの攻撃はもっと綺麗な躱し方があったのではないか。とか、もっと強攻撃を活用するべきだったとか……喜びの何倍も反省点が浮かんでくる。


 ああ、確かにこれは千早さんの言う通り脳みそが染められてしまった。


「——ん? “そいつは”ってことは、他のボスは蘇ったりがあるんですか?」


「まぁまぁ、その辺は後で私のRTA動画送るから自分の目で確かめてよ。本当は全編初見プレイさせたいし観たいんだけど……悠生くんの主題は別だからね」


「なるほど、恐ろしいゲームだ……でも人気の理由も、千早さんがこのゲームを選ぶ理由も理解できました。これはやるのも見るのも面白いですね」


 僕の言葉に千早さんは心底嬉しそうに「でしょ!」と笑った。

 また血を吐かれても困るから声を張らないで欲しいところだが、喜びを共有してくれているのを止めるのは難しかった。


「あれ、なんか雰囲気の違うところに出ましたね——ん?」


 アイテムを拾いながら一本道を歩いていると、なにやら操作が効かなくなってムービーが始まった。

 チュートリアルが終わったから何かストーリーに関わる話でも始まるかと思って見ていたが、どうにも雰囲気が物々しい。新たなステージは溶岩地帯が近いのか画面は薄赤に染まり、火の粉が舞う。


 そして、そんな中歩を進める主人公の前に巨大な龍が現れて——主人公を


「はぁ……!?」


 画面には見慣れた『YOU DIED』の赤文字が映り、茫然としている内に更にムービーが始まる。どうやらこれが来ると思っていたチュートリアル後のムービーらしい。


「あの、なぜ僕は殴り殺されたのでしょうか? あとなぜ龍がパンチを」


「ぷふふっ! いやー、ナイスリアクション。そして改めてようこそデビソの世界へ。パンチは竜神様からのありがたーい激励の喝だと思っておいて……ふふっ、いい顔してたなー」


「見たい反応をまんまとしてしまっているような……ふっ、でもあれは驚きますって」


 彼女は笑いながら、「期待以上だから安心してよ」と続けた。安心はできないが、こうして誰かとゲームをして笑い合うなんて本当に久しぶりで、なんだか彼女のことが少しだけ理解できるようになったと錯覚してしまいそうになる。

 だが、僕が本当に知りたいことはこの先にあるのだ。


「千早さん。最初のボス、ちゃんと倒しました。だから、お願いします」

 

 病気とか、余命とか、彼女は気にしないのかもしれないが、僕にとってはやはり口にするのが憚られる言葉であることに変わりない。

 彼女の方もそれで意図を汲み取ってくれたのか、寝ていた身体をゆっくりと起こし、真面目な顔付きでチラリとこちらを見て言った。


「約束だからね、説明するよ。私自身は割り切っているけど、言った通り楽しい話ではないからそこはよろしくね」

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