第12話 一秒でも面白く

 

「——いいお母さんですね。大人の余裕を見せつけられた感じです」


 紗枝さんが部屋を出てから再び二人きりになったゲーム部屋で数瞬の沈黙が流れた後、僕は溜め込んでいた言葉を吐き出した。

 看護師さんということを差し引いても、あのゆったりした動きや穏やかな喋りからは想像できない手際の良さはある種の職人技を見ているようだった。


「うちのママが素晴らしいのは大前提だから置いといて、二人のときに何か余計なこと言ってなかった? あの口軽星人は」


 千早さんはソファに身体を起こして、足をブラつかせながら少し不安気に聞いてくる。

 何か彼女が気にするような話をしていただろうかと思い返そうとするが、いっぱいいっぱいだった事もあってあまり詳しい内容は思い出せなかった。


「思考が千早さん最優先だったので、具体的な会話までは覚えてなくて。すみません。でも変な話はしてなかったかと」


「ふーん、そっか。ふーん……それならいいけどぉ」


 なんだか覇気のない返事だ。期待していた答えではなかったのだろうか。

 少しでも思い出せないかと記憶を遡っていると、千早さんは起こしたばかりの身体をまたゆっくりと倒し、ソファのへりの盛り上がった所に乗せてこちらを見上げながら柔らかく笑った。


「心配してくれてありがと。それとごめんね、汚い物見せちゃって。私の感覚がバグってるの忘れてたよ」


「バグってるんですね……でも大丈夫で——ああ、いや」


 今なら、自然な流れで聞けるのではないだろうか。彼女を苦しめ、無慈悲な制限時間を課したものについて。


「千早さんが罹っているのは、どんな病気なんでしょうか? 話したくないことだったらすみません。でも、これからの事を考えるとちゃんと把握しておきたいです」


「そうだよね。その辺おざなりにしちゃってたし、またビックリさせちゃったら悪いから別に話したくないってことはないんだけどー」


「けど?」


 千早さんは身体をうつ伏せになるようにひねり、両手を顎に添えて不満そうに唇を曲げた。それから交互に膝を折って戻してを一定のテンポで繰り返すその寝姿は、まるで我が儘なお嬢様のようだ。服装も加味すると疲れ切ったOLにも見えるが。


「んー、ただ喋っても面白くないかなって。楽しくない話題だし」


 待った末に出てきた言葉もまた勝手というか、彼女の独特な価値観を基準にしたものだった。彼女はおそらくRTAを除けば快不快こそが思考の物差しになっているのだと思う。


「別にエンタメ性求めてないから大丈夫ですよ……というか、そういうことを楽しく話すのはなんというか、不謹慎では」


「今更何言ってるのさ。本人がこの感じだよ? 余命の話簡単にしたり、血反吐見せびらかす人間に不謹慎とか……ねぇ?」


 ——その辺りが軽いという自覚あったのか。意外だ。


「それに人間いつかは死ぬんだし、病気とか関係なくさ。だったら悲観的にエンディングばっかり気にしてないで、道中は一秒でも面白い時間になるようにした方が幸せじゃない?」


「そう、ですね……間違いないと思います」


 本人は何でもない事のように言っているし、実際一般論に近い主張かもしれないが、やはり重みが違う。若者らしい軽妙な声色に対して考えは終活に勤しむご老人のそれだ。

 この人生哲学がきっと彼女のあらゆる行動の根底にあるのだろう。そのブレない芯こそが間違いなく、僕が彼女から端々に感じる輝きの正体だと改めて確信した。


「あっ、死ぬで思い出した。悠生くんがデビソやってみようよ! どうせ基本的な操作方法とかは近いうち実際に触って覚えて貰おうと思ってたし。ほら、モニターの前にあるコントローラー持ってここ座って」


 千早さんは死生観の話と同じトーンで突然ゲームの話に舵を切る。そしてもぞもぞと身体を動かしてソファに一人分のスペースを開けてポンポン叩いた。

 

 ——いや逆か。ゲームと同じテンションで自分の生き死にの話をしていたんだ。この人は。


 やっぱり異常だ。どうかしている。だからこそ、魅力的だ。本当に、なんて楽しそうに笑うんだろうかこの人は。


「やるのはいいですけどさっきの話は——」


 言われた通りにPSプレイステラ3のコントローラーを持ってソファに腰を沈めながら——何故か千早さんの頭がこっちを向いていて緊張感があった——大事なことを確認する。結局病気の詳細は何も聞けていない。

 こちらを眩しそうに見上げる彼女は子どもが悪戯を仕掛けて、バレるのを待っているような表情をしていた。


「うん、ちゃんと話すよ。悠生くんが最初のボスを倒せたらね」

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