第11話 MOTHER



 両親不在の中お邪魔していた友人宅の家主に遭遇するという場面。普通なら何か悪い事をした気になったり、気まずくなるところだが今は状況が状況だからか、妙に頭が働いて最も伝えるべき情報だけが口から飛び出した。


「シロさんが吐血しました。ただ本人は大したことないと。薬を取ってきて欲しいと頼まれたのですが他に必要なものはありますか! あっ泥棒ではないです!」


 千早さんの母親は面食らったように目を見開いた後、頭の中で何か合点がいったのか「なるほどね」と小さく頷いた。それから、いそいそと靴を脱ぎ手提げバッグを無造作気味に置くと真っ直ぐに階段を上がり始めた。

 あまりにスムーズで付いて行く足を踏み出すのが少し遅れてしまった。


「きっと楽しくなりすぎちゃったのねー。えーっと、君は速水君で合ってる?」


 二階に上がる途中、突然名前を呼ばれて少し驚いた。だが千早さんが僕の事を親御さんに伝えているのは、よく考えれば当然の話だ。


「はい。速水悠生です」


「あの子、ゲームの話が出来る相手も中々居なかったから一昨日からずっとはしゃいでて……ごめんなさいね。多分君への配慮とか疎かでしょ? その上病気まで、驚いちゃうわよね」


 申し訳なさそうに言い、そして困ったように笑うその態度は——すごく普通だと思った。

 自分の子どもの至らないところに過度な養護はしない。だがその声色からは揺るがない愛情が伺える。そんな普通の親で居られることが、僕には途轍もなく凄い事に思えた。


「吐血は驚きましたけど……千早さんに歓待されてることは嬉しいです。新しい事を知るのも楽しいですし、振り回されるのも、うちに奔放気味な妹居るので慣れてますから」


「やだ、いい子過ぎない? 凄くしっかりしてるし、本当にシロちゃんと同じ歳? うちの子にヤな事されたり言われたらちゃんとワタシに言うのよ。あ、ワタシ千早紗枝って言います」


「は、はぁ……ありがとう、ございます?」


 よく分からないが認められた、らしい。

 紗枝さんは満足そうに頷くと、ノックも躊躇いもなく流れるようにゲーム部屋のドアを開けた。


「遅いよー悠生くん。私がどうにかなっちゃってもいいのかー」


 ソファーにふんぞり返りながら千早さんはブーブー文句を零した。

 絶対心配不要なくらい元気だ、この人。


「あら、甘えちゃって。かまって貰えるのが嬉しくても血とか見せるのはダメよー、普通はビックリするんだから」


「ママ!? なんで、というか別にかまってちゃんしたわけじゃ——ケホッ、ケホ!」


「はいはい落ち着いて。薬の前にちょっと診察しますからねぇ。速水君、スマホのライト貸してくださる?」


「は、はい!」


 不意打ちの母親登場は流石の千早さんも驚いたらしく、紗枝さんの触診を大人しく受け入れていた。

 ワタワタとスマホの懐中電灯マークをタップして渡すと、紗枝さんは慣れた手つきで千早さんの喉を覗き込んだり、熱を測ったり、関節を曲げたり……とにかく熟練されたスムーズな動きだった。


「ママは看護師なの。凄いでしょ」


「なるほど、道理で」


 興味深く見ていたからか、千早さんが誇らしげに答え合わせをしてくれた。それを聞いた紗枝さんは困ったように笑う。


「なんでアナタが偉そうなのよ、もう。発熱も無いし喉の腫れも軽微……これだけ元気だし、大丈夫ね。でも念のため今日は安静に。パパにも一応報告しておくから夜にちゃんと見て貰おうね」


「えー! 安静って、ゲームもだめ? 悠生くんに通し練習見て貰おうと思ってたのに」


「この前動画撮ってたじゃない。お手伝いしてくれる人がいつでも見れるようにって」


「そうだけどー、録画とリアタイじゃ臨場感が違うでしょ。ねっ、悠生くん」


「えっ、いやどうでしょう」


 他所の家のプライベート感満載なコミュニケーションに巻き込まれると流石にたじろいでしまう。

 特に母親を前にした千早さんは普段以上に我が儘なお嬢様という雰囲気で傍に居ると落ち着かない。微妙に住む世界が違う人という感じがするのだ。

 それと、やはり千早さんのRTAが親御さんにも受け入れられている事実は中々違和感がある。少なくとも我が家の堅物な両親では受け入れられないだろう。


「困らせないの。じゃあママは様子見に来ただけだから、また病院戻るわね。速水君、色々とありがとね。今度良かったらご飯でも食べていって。パパも会いたがってるし。ねっシロちゃん」


「そうだね。パパ、震えて喜んでたんだから」


「いえ、そんな。まだ何もしてないですし……でもありがとうございます」


「シロのこと——いや、二人で楽しい思い出いっぱい作ってね」


 去り際、紗枝さんが飲み込んだ言葉が何だったか。なぜ声に出すことを躊躇ったのか。なんとなく理解できてしまったが、僕は何も知らないふりをして「はい」と可能な限りハッキリと返事をした。

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