第10話 超分かる! RTA講座②
「っとごめんごめん。ちょっと脱線しちゃってたね。話を戻そう」
「いえ、面白かったです。帰ったら色々調べてみます」
ちょっと、と言うが三十分以上変なカテゴリ——途中からただ面白いRTAについて話していた。
例えば、可愛いモンスターを撮影するゲームで古いゲーム故の処理落ちを防ぐために走る時間の九割地面を眺めて過ごすことや、恋愛趣味レーションゲームを何故か目隠しして走るなど。
前者は効率を求めすぎてゲームのコンセプトが崩壊しているし、後者に関しては何を思ってそんなカテゴリを作ろうと思ったのだろう。
そういう話を聞くと、僕が持っていた印象以上にRTAは娯楽的な側面も強いらしいと気づかされた。
千早さんのようにアスリートの如くタイム短縮に勤しむ人、見る人を楽しませるためにエンタメに特化する人、どちらも同じ走者としてゲームに真剣に向き合っているのが興味深い。
彼女は「後でおすすめの動画送っておくね」と笑ってから一つ咳払いをした。
「まぁつまり、徒競走と障害物競走のタイムを比べたりはしないでしょ? 短距離走とマラソンも比べない。でもそれぞれに面白さがある。RTAでもカテゴリっていう区分を作って、その中で競争するんだ」
「ふむ、結構しっかり競技性がありそうですね」
「そう! そうなんだよー、まさに競技性を持たせるためにあらゆるカテゴリやレギュレーションが作られてるんだよ!」
何の変哲もない相槌でも、千早さんは過剰にも思えるくらい嬉しそうに反応する。準備の良さといい、今の彼女は相当はしゃいでいるように思える。本当に今まで好きなものを語る相手が居なかったのだろう。
——そういえば僕は、千早さんの境遇とかバックボーンをちゃんと知らない。余命の話すら詳しくは聞けていない。
いつかは知ることになるだろうが、今は彼女の子どものような笑顔を曇らせることは聞く気にならなかった。
「じゃあ、この“Glitchless”というのは? グリッチってあまり聞かない英語ですが」
「それもカテゴリを定める上で重要な、バグ利用の制限に関する部分だね」
「バグと言うと予期せずゲームが止まっちゃったり、昨日みたいに変な空間に行くやつですか」
「あれも確かにバグだけど、結局タイム短縮には繋がらなかったでしょ? 残念ながら。でもバグの中には著しくタイムを短縮するものもある。それこそ競技性を歪める大きな要因になるくらい」
彼女の言いたいことはなんとなく分かるが、イメージは湧かなかった。まずゲームのバグなんて普通にプレイしているだけではあまり縁がないものだ。
頭に疑問符を浮かべているのが伝わったのか、彼女はまた教師然とした凛々しい顔つきを取り戻してからトラックの厚紙とany%の棒人間を手に持った。
「さっきの説明で『とにかく早くクリアする』って言ってトラックを走らせたけど、本当の最速の経路は……こうだよね。これがバグ有」
言いながら彼女は棒人間をスタートからゴールまで、トラックのコースを無視して上から下に文字通り一直線に運んだ。
「なるほど、確かにトラックを走ってゴールしろと言われなければ……なんだかトンチみたいですけど。というか狙って出来るものなんですか、それは」
「出来るようにするんだよ。タイムを縮めるのに有用なら血反吐吐いてでも検証も練習もして体系化する。それが私。いや、RTA走者ってものだよ」
僕の疑問に対して千早さんは間髪入れずに、そして淡々とした声で答えた。まるで人が入れ替わったのかと思う程、その声は鋭く冷たいものだった。
驚いて顔を上げると見開かれた真剣な目と視線がぶつかる。形容し難い威圧感、すご味のようなものに当てられた身体が強張るのが自分でもよく分かる。
だが、それはほんの一瞬のことで、すぐにまた彼女の顔は先ほどまでの無邪気な笑顔に切り替わった。
「まあ! 私が走るのはGlitchless、つまりバグ無しなんだけどね! あっ、ちなみにバグ無しカテゴリでもとんでもないタイム短縮になるバグ以外は普通に使うし、むしろ見所の一つだよ。紛らわしいけど勘違いしないように」
「お……奥が深いというか、なんというか。結構フワフワしてますね」
まだ先ほどの威圧感の余韻が抜けていないのに、我ながらよく言葉を返せたと思う。
「まぁ細かいカテゴリはゲーム事に作られるしね。“自由”も醍醐味の一つってことで——ゴホッ、ちょっとごめんっ」
「だ、大丈夫ですか」
喋りの途中、千早さんは数度激しく咳込んだ。風邪をひいたときに出る体の底の方から込み上がる酷い咳だった。
細く小さい彼女の身体がその反動で倒れてしまいそうなのをハラハラするだけで何もできずただ見守っていると、徐々に咳は軽いものに変わっていった。
「ケホ——あー、あっ。見て、ホントに出ちゃった! 血反吐!」
彼女がこちらに見せてきた手のひらには、そのくぼみに沿って五百円玉くらいの血だまりができていた。
「血へっ、ええ!? そんな元気に言う事じゃないでしょう!? とりあえず座って……えっと、普段こういう時どうしてますか?」
「変な痛みも無いし、この程度の量なら大丈夫だよ。焦らないで。でも薬がリビングにあるから取ってきてもらえると助かるかな。ケホッ、テーブルの上に袋ごとあるからすぐ分かると思う」
混乱する僕を宥める彼女は至極冷静だった。その言葉や態度から、吐血が彼女にとってはさして珍しい事ではないと伝わって、なにかいたたまれない気持ちになってしまう。
ともかく、本人が落ち着いているのだから僕が混乱していてはいけないだろう。
「分かりました。すぐ取って来ますから楽な体勢に!」
「はーい。いひひっ」
「なんで笑ってるんですか……本当に安静にしていてくださいね!」
部屋を出る間際、ソファに寝転んだ千早さんはこっちを見て何故か心底楽しそうに笑っていた。
まさか揶揄われているのか、という考えが脳裏を過ったが流石に彼女もそこまで悪趣味なことはしないだろう。となると笑顔の意味が理解できなくて少し不気味だ。
一人で考えたところで答えは出ない。そうと分かっていても、千変万化する千早さんの表情が頭から離れなかった。
「失礼しま……リビング広っ。いやまず薬は、あれかな」
抵抗を覚えつつ、玄関から一番近い部屋が居間だとアタリを付けて開けると、上品な家具が几帳面に配置された洋間が目の前に広がった。分かっていたことだが、如何にもお金持ちの部屋という雰囲気だ。
その部屋の中でも特に目立つ、クロスの敷かれたダイニングテーブルの上に薬袋らしきものが置かれていた。
それ以外に候補になりそうな物も無かったので袋の上部を引っ掴んで早足に廊下へ出ると、ちょうどそのとき玄関の扉が開いた。
「えっ」
「あら、泥棒さん?」
そこには、千早シロをそのまま品のある大人にしたような女性が立っていた。
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