第3話 クエスト発注


 吸い込まれるようだった廊下も電気をつけてしまえばいたって普通の光景だ。目の前にはリビングや洗面所などに続くであろう扉がいくつかと、右手には上階へ続く階段がある。中に入って初めて気づいたがかなり立派な家だ。

 一種の自己防衛機能なのか、かえって冷静に周囲を観察している自分がいる。


 ふと靴箱の上に目をやると、小洒落たフォトフレームに入れられた家族写真が沢山飾られていた。

 髪色や目つきこそ違うが千早さんをそのまま大人にしたような母親に、眼光の鋭い厳格そうな父親——千早さんの目つきは間違いなく父親似だ。そしてどの写真でも微妙な表情で下手くそな笑いを浮かべる娘。いかにも年頃の一人娘と両親の微笑ましい家族旅行の記録という雰囲気だ。どれも最近撮られたものに見える。


「その写真の私、どれも疲労で酷い顔だから、そんなにジロジロ見られると恥ずかしいな」


 自覚している以上に凝視していたらしく、千早さんに遠慮がちに咎められてしまった。

 ハッとして振り返ると、彼女は写真と同じような困ったように目を細めて笑っていた。なんだか先ほどまでの居丈高な不良然とした姿と随分印象が違くて驚いてしまう。

 

「す、すみません。えっと、家族仲良いんですね」


「パ……父がどうしても旅行したいと煩くてね。遠出は嫌いなんだが、まぁ普段迷惑ばかり掛けているからね、せめてもの親孝行さ」


 普段はパパ呼びで、それを恥ずかしく思っているようだ。そして家族を大切にしている。

 少し彼女の人間味のようなものが見えたからか、頭の中で鳴り響いて止まなかった警戒音が弱まっていくのを感じる。

 しかし、どれだけ家族思いでも他人の個人情報を調べて悪びれもせず陳列する奴ということには変わらない。“頼み事”が何にせよ、それは常に念頭に置いておくべきだろう。


「なるほど、お父さんが……あの、今更ですが今日ご両親は」


「不在だね。さっ、そんなことより上がって上がって。ハイこれスリッパ。最終チェックポイントは二階、具体的な話はそこでしよう」


 あっけらかんと答えて階段の方へ歩き出してしまう千早さんの背中を、僕は思わず呼び止めた。


「待ってください! 僕が言うのもおかしいですが、初対面の男を両親不在の家に上げるのは色々と危険では」


 至極当然の発言だったはずだが、千早さんは「あー」と、まるで今初めてそのことに思い至ったような気の抜けた声を上げた。

 そして三和土たたきで立ちすくむ僕の方へ二、三歩歩み寄ってきた彼女はまじまじとこちらの顔を覗き込みながら答える。


「君がそういう類の人間には見えないし、まぁ私の見込み違いだったらそれは私の責任。なにより、私の貧相極まる身体に欲情できる変態は稀有だと思うよ」


「欲じょ……ッ! 僕が言いたかったのは防犯的なことで! それにソッチ目的だとしてももっと危機感は持った方がいいですよ!?」


「ククク、中々初心で可愛い反応するね。もっと堅物人間かと思っていたよ。リアクションが良い人は好き。私達はいい友達になれそうだね」


 まるで会話になっていない今のやりとりで一つの確信が生まれた。

 彼女の中には確固とした考えや答えがいくつかあって、それに関しては誰が何を言っても曲がることが無いのだろう。

 僕が頼み事を断らないことも、この家で変なことをしない事も彼女の中では確定事項なのだ。

 鋼のように堅固な意思——それが対話が困難の理由であり、僕が彼女に感じていた存在感や威圧感の正体かもしれない。


「はぁ……なんかもういいです」


 そんな相手に真っ当なコミュニケーションを仕掛けようというのは土台無理な話だ。少なくとも今の僕にはそれを可能にするだけの根気も理論武装も無い。

 千早さんは僕の降服宣言を聞いて満足気に頷くと、再び軽い足取りで階段の方へ歩み出した。僕は一つ深い呼吸をしてからローファーを脱いでスリッパに履き替えた。


「ときに悠生くん。ゲームは好き?」


 幅広な階段をゆっくりと登りながら彼女はそんなことを聞いてきた。


「ゲームですか? 穂香ほのか——妹に付き合わされて昔は結構やってましたけど。それがなにか」


 ただの雑談だろうか。しかし彼女がそんな意味のないことをするのには違和感がある。

 というか、さり気なく僕のことを下の名前で呼んでいる。もしかして本当に友達に昇格させられたのだろうか。


「初披露の相手としては微妙なところだけど……致し方ない」


 こちらの回答にやや不満の意を示しながら、彼女は階段を登ってすぐ左の扉をゆっくりと開けた。


「おお……! 凄いゲーム部屋ですね」


 その部屋でまず目に付くのは壁の一面を占有する棚いっぱいに詰まったゲームソフトとグッズの数々だった。

 促されるまま部屋の中に入るとさらに凄まじい。左側の低めのデスクにはモニターが二つと複数種類のコントローラーらしきものが置かれている。その脇にはゲーム本体がいくつも綺麗に整列しており、モニターの対面に置かれたソファにはゲームキャラクターと思われるぬいぐるみなどがひしめいていた。

 ゲームに詳しくなくても思わず感嘆の息が漏れるくらいには迫力のある光景だ。八畳ほどの一室は生活感皆無で全てゲームに関するもので埋め尽くされている。

 だが千早さんは僕の反応に納得いっていない様子だ。


「うー、絶対ちゃんと伝わっていない! この部屋にどれだけの夢とロマンが詰まっているのか! ほら、この『ヨッキーアイランド』のサントラとかプレミア付いてて手に入れるの大変だったんだよ?」


「えっと、すみません。凄いとは思うんですけど、知識がないもので……あと、正直いいかげん“頼み事”が正体不明過ぎて気になってしまって。まさかゲームで対戦しよう、とかじゃないですよね?」


「当たらずとも遠からず、だ。そうだね、そろそろちゃんと話そうか。無理のある言い掛かりをつけてまで君を呼んだ理由を」


 残念そうにしていた彼女は一つ咳払いをすると、これまでにない真剣な顔で言った。


「速水悠生くん。君には私のRTAを支える、相棒になって欲しいんだ」

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