エピローグ 後編

「納得いってなさそうな顔してるわね」


 見舞いを終え、二人は病院を出た。


「……別に」


 許されたこと自体は、良いことだ。

 イスカにデメリットはないのだから。

 もし問題があるとするなら、それはイスカの思想や信条に由来するものに他ならない。


「ま、私から言えることは無いけど、別にあの子は嘘吐いたりしてないと思うわよ」

「それは分かってる」


 ほんの一時とはいえ、記憶を覗いたこともあるのだ。どんな人間なのかは分かる。


「そういえば、例の穴の件なんだけど」

「……何だよ。そっちもちゃんと謝っただろ」


 これ以上、この話題を続ける意味もないだろうと、美琴が話題を切り替えた。

 切り替えた先も、イスカにとっては都合の悪い話だが、自業自得である。


「いや、また似たようなことされたら困るじゃない?」


 ちなみにバレた理由は単純で、蛇使いの男が自白したのである。

 仲間でもない男が庇ってくれるはずもなく、積極的に道連れにしようとして来たのは、残念でもなければ必然であった。そして、再びそれをされるのを美琴が警戒するのも当然だろう。

 疑うように見つめる美琴に、イスカはさらりと答えた。


「あぁ、あと数ヶ月くらいでこの街出るから、心配しなくても良い」

「ふぅん? なら良い……は!?」


 爆弾発言に、美琴がひっくり返ったような声を出す。


「で、出るって、引越すってこと!?」

「まあ、要はそうだな」

「え、だ、だって、茜に魔術を教えるって」

「声が大きい。自衛なら基礎で充分だし、基礎だけなら大して時間も掛からない。問題ないだろ」


 何も気にすることはない、とでも言いたげな台詞だった。


「きゅ、急にどうしてそんな」

「何で慌ててるんだ? いや、龍脈使うのも難しそうだし、財産も消し飛んだからな。本当はもう少し試したいこともあったけど、ぼちぼち実家に帰る」

「じ、実家って……そういえば今更だけど、何でこんな街に来たの?」


 龍脈を使おうとしていたことは知っているが、それ以外のことを何も知らないことに、美琴はようやく気付いた。

 聞かれたイスカは、答えるかどうかしばらく迷っていたが、どうせ出て行くのだから問題ないと結論付けた。


「目的は龍脈。龍脈が欲しい理由は、魔法使いになるためかな」

「魔法使いって……奇跡を起こす人とか言ってたっけ」

「そう。魔術師が目指さなきゃならないもの……なんだが、今時の魔術師は腑抜けててな。どうせ無理だからって誰もなろうとしないんだよ」


 心底くだらなそうに、イスカは自分以外の魔術師を馬鹿にした。

 曰く、魔法使いを目指すことよりも、権力の方が大切な輩しか、実家とその関係者にはいないらしい。


「何でそんな……」


 そんな環境で、魔法使いを目指しているのか。

 その問いに対する、イスカの回答は単純だ。


「夢を追うのに理由がいるのか?」


 心臓が、止まるかと思った。


 夢。その概念は知っている。

 いわゆる、将来の夢というやつだろう。

 宇宙飛行士になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、美琴も小学生の頃には、そんなことを考えていた記憶がある。


 父の後を継ぐことしか考えなくなったのは、いつからなのだろう。


「……でも、実家に帰って良いの? そんな環境じゃあ」

「まあ、家宝も壊したしなあ……誓約は断れないだろうし……」


 ぶつぶつと呟き悩んでいる辺り、きっとそれは彼の本意ではないのだろう。

 それならば。


「イスカ」

「あ?」

「決闘するわよ」

「……は???」




 そうして場所は移り変わり、例の裏山。

 彼らの初めて会った場所で、再び彼らは向き合っていた。


「じゃあ、やろっか」

「いや待て待て待て」


 強引に人気のない場所に連れてこられ、準備ゼロで美琴と戦わされる。この状況を具体的になんと呼ぶか。


 どう考えても処刑である。


「勘弁してくれ。俺は勝てない勝負はしない主義なんだ」

「私もそうだけど」

「勝てる側が言う台詞じゃないんだよ! 大体、何で急にこんなことを……」

「アンタの引越しだって急だったじゃない」

「それとこれとは別過ぎるだろ!」

「賭けるのは、まあ素直に龍脈にしましょうか」

「はあ!? いよいよ勝たせる気ないなお前……!」

「私が勝ったら……まあそれは終わった後でいっか」

「何も良くないが!?」


 すっ、と美琴が体勢を低くする。

 反射的に、イスカが魔術を準備する。


「ふっ!」

『"四番"!』




 激突の結果は、まあ言うまでもないだろう。


「くそ……俺も一応怪我人だってのに……」

「普通に治ってたじゃない。まさか三分も粘られるとは思わなかったわよ」

「流石俺の貯蓄を殆ど消し飛ばした女は言うことが違うな」

「人を悪女みたいに言わないで欲しいんですけどー。ま、良いわ。私の勝ちだから、勝った時の要求を発表しまーす」

「もう何でも好きにしてくれ……」


 地面に転がされたイスカは、どうも自棄になっているらしい。ただ、心配しなくてもそんな横暴なことを要求するつもりはない。


「じゃあ、イスカは私の見てる前でなら龍脈を使って良いから、魔法使いになりなさい」

「――は?」


 要求は、予想外としか言えないものだった。


「え、は?」

「だから、出戻りの予定はキャンセルね」

「いやいやいや、ちょっと待て。何を言って」

「文字通り以上のことは言ってないわよ。じゃあ、そういうことで」

「待てって!」


 無様に転がった状態から起き上がり、土まみれになったイスカが語気を荒くする。


「何のつもりだ?」

「だから」

「理由の話だよ。理由が大事じゃないこともある。けど、それは理由なしじゃあ信じられない」


 美琴は龍脈を守っている。

 イスカには嘘かどうかは分からないが、家族や友人よりも優先するとすら言っていた。それを人に使わせるなど、理由がなければ信じられない。


「……私さあ、夢が無いのよ」

「は? 何を」

「最後まで聞きなさい。でも、別に気にしてはない。神社の後を継ぐのが嫌なわけでもないし、戦うのは天職だと思ってるから」

「むしろそれ以外できないだろ」

「茶化さないで、ぶっ飛ばすわよ」

「もうぶっ飛ばされた後ではあるな」


 さておき。


「巫女をやれる人と結婚して、また子供に後を継いでもらう。それに不満はないけど、そういえば夢を叶えるってことはできないんだなーって思ったの」

「……」

「自分でやらなきゃ意味がない気もするけど、誰かが叶えてるのを見たら、何となく満足できるかなって」

「……別に、自分で夢を作って叶えれば良いだろ。神社に拘る意味あるのか?」

「そこは価値観の違いね。私にとってそれは前提だけど、アンタにとっては違うみたいだし」


 制服が汚れることを厭わず、美琴はイスカの隣に座り込んだ。


「それで、どうする? 本当に嫌だって言うなら、無理にとは言わないけど」

「……お前が見てる前でっていうのは?」

「そのままの意味。流石に変なことされても困るし、私がいないところで夢を叶えられても嫌じゃない」

「エゴイスト過ぎる」


 何となく傷が痛んだ気がして、イスカはころりと寝転がった。制服が汚れるが、既に一度転がされているのだから、もう何度寝転んでも同じだ。

 そして、決闘の際邪魔になるため放り投げた鞄から、スマートフォンを取り出し、ある人物に電話を掛けた。


『もしもし、ルルか?』

『あ、兄様。どうかしましたか?』


 電話の宛先は、伝言を頼んだ妹だった。


『今、どこだ?』

『まだ空港ですけど、何かありました?』

『あぁ、数ヶ月以内に帰るって話なんだが』

『はい』

『あれ、キャンセル……というか、三年以内に変更で頼む』

『え、はい?』

『じゃ、そういうわけだから。またな』

『ちょ、兄』


 返事は聞かず、通話をぶつ切った。


「……いいの? 何か鳴ってるけど」

「いたずら電話だ、気にするな。それより」


 ぐっと起き上がり、イスカが美琴を見つめる。


「また、俺の客が迷惑を掛けるかもしれない」

「私がぶっ飛ばすわよ」

「失敗したら、龍脈が歪むかもしれない」

「アンタなら大丈夫でしょ」

「魔法使いになったら、お前より強くなるかもしれない」

「面白いじゃない」

「本当に、良いんだな」

「うん」


 二人が、立ち上がった。


「これからもう暫く、よろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしく。もう一回契約でも結んでおく?」

「……いや、信じる努力をしてみることにする」

「そ。なら、代わりに握手とか?」

「今更か……? いや、今だからか」


 お互いに右手を差し出して、手を握る。

 美琴の手は、霊砲を放つ怪物とは思えないほどに細くしなやかで。

 イスカの手は、澄ました顔からは想像できないほど、タコで硬くなっていた。


 見かけによらない二人組の、騒がしい日々はもう少し続いて行く。

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