4章
34. 新年祭 1
ひしめき合う人々、街頭を装飾する色とりどりの旗、そこら中から漂う美味しそうな香り、威勢のいい呼び込みの声。
新たに刻まれ始めた暦の三日目。今日はクリダラの、街をあげての新年祭だ。エアネスタ国内でも指折り数える規模のこの祭は、日夜をかけて賑わう。
「見ろよ! あそこで手品やるみたいだぞ!」
キリヤが声を上げた。
「ほんとだ。今なら混み合う前に、前の方で見れるかも」
「手品?」
スイがユールの指した方を見やると、白塗りの化粧をした派手な人物が、道端で手を叩き客寄せしていた。摩訶不思議体験という売り文句に、わあっと子供たちが集まっていく。
スイが祭に参加するのを、日の沈んだ後であればとロイドは許可してくれた。当然ロイド同伴であり、スイの色白い容貌を目立たせぬよう、夜でも外出中はフードを被るというのが条件だった。
虹を見た時、丘の上からこの街を眺めたけれど、実際に中へ入ると行くとその広さにスイは目が回りそうになった。
隙間なく並んだ家々が視界を埋め、空を狭める。背の高い建物は三階を越えるものもあり、住む場所を縦に伸ばさなければならないほど人で溢れている、という事実が衝撃だった。
老若男女、肌の色も体の大きさも多様な人々が行き交い、あちこちで音楽が奏でられる。
あれが美味いぞ、これも食ってみろ、とキリヤがひっきりなしに出店に連れ回すため、スイは目も耳も口も忙しくさせていた。
表面を水飴で覆った果物は、固さと柔らかさが合わさった食感が病みつきになった。串焼き肉は食べたことのない種類の動物で、独特の臭みを少し苦手に感じた。
知っている料理でも外の賑わいの中で食べれば、これまでとはまた違った美味しさがあった。
祭の何もかもが発見の連続で、スイはすっかり先日の事件を忘れていた。
ヴィルヘルムに襲われた日の翌朝、スイは自室で目を覚ました。
ロイドは起きたスイに薬を塗り直しながら、ヴィルヘルムは居なくなったと告げた。
ヴィルヘルムは、王都アネツィオにあるティダモニアの本部へ異動になったという。
ティダモニアにおいて、本部異動は栄誉なことだ。しかし本部には、団長が直轄する特殊処理部隊がある。
詳細についてロイドは言葉を濁したが、とにかく、団の暗部を担う異色の部隊であるらしい。
ヴィルヘルムはロイドの手を離れ、今後は団長の管理下に置かれる。
表面上は栄転であるため、内務大臣であるヴィルヘルムの叔父も邪魔はできない。あとは本部が上手くやるだろう、とロイドは言った。
共犯である取り巻きの二人は、ヴィルヘルムの反血統主義にそそのかされた一般家庭の若者だ。首謀でない部分を汲まれ、降格かつ左遷、もしくは退職、という選択肢を与えた。彼らは後者を選び、即日辞職した。
スイを襲った男たちは、ロイドの手によってたった一日でクリダラ拠点から消えたのだ。
ヴィルヘルムに殴られ醜く腫れ上がったスイの頬は、ロイドの手当ての甲斐あり順調に回復した。今はつるりと元戻りで、数日前まで赤黒い鬱血があったなどとは誰も思わない。
「すっげー! 手から杖が生えてきたぞ!?」
キリヤが驚きに声を上げる。
白塗りの芸人は調子よく足踏みしながら、鮮やかな手つきで小物を操る。
切った紙を元に戻し、球を浮かせ、何もない場所から人形を取り出す。
自然の理を超越した現象に、スイは目を回した。
「えっ? えぇっ?」
今度は一瞬で硬貨が瞬間移動した。何かが起こるたび、観客から歓声が湧いた。
芸人が手品を終えると、大きな拍手が送られる。スイも周囲の真似をし手を叩いた。高揚のまま、食いつくようにロイドを見上げる。
「どうして? あれ、どうなってるの?」
「……魔法とでも思っておけ」
「ふふ、副団長でもそういうこと、おっしゃるんですね」
つい吹き出したユールを咎めるでもなく、ロイドは静かに瞼を伏せた。
「まほう……」
「しょうがねえな、教えてやるよ。あのな、手品ってのは見えないだけで……」
喋り出したキリヤを、ユールが肘で突く。邪魔されたキリヤが噛みつく。二人のいつものやり合いを見るのは、随分久しぶりに感じた。
(ロイドも、楽しいかな)
スイはちらとロイドの表情を伺う。いつも通りに見える。
スイは生涯、この時を忘れることはないだろう。みんなで出かけて、色々なものを見た。
初めての街で、隣にロイドがいる。いつまででも、思い出すだけで幸せな気持ちになるに違いない。ロイドにとってもいい時間になっていれば、どれだけ嬉しいことだろう。
ヴィルヘルムに襲われ、スイはロイドへの恋心を自覚した。あれから考えて、この気持ちは胸に秘めておこうとに決めた。
ロイドは以前、恋は面倒だと言っていた。そもそも、ヴィルヘルムの好意も暇がないのを理由に受け取らなかったのだ。ロイドに伝えたって、困らせると分かっていた。
そばに居るだけで、気持ちが弾む。ロイドの顔をずっと見つめてしまいそうになるし、声をもっと聞いていたくなる。ロイドが部屋を出ていく時に寂しくなる。こんな我儘に付き合わせるのは忍びない。
今、誰よりもロイドに近いところで過ごせている。それでスイは満足だった。
「ね、あれってマクグラス様じゃない? ティダモニアの」
「やっぱり素敵。ね、お声がけしてみる?」
「大胆! お邪魔しちゃ悪いわよ」
不意に耳に入ってきた声に辺りを見回すと、少し離れたところで若い女性らがこちらに視線を配りながら、頬を染めはしゃいでいる。
ロイドにも聞こえていそうだが、当の本人は彼女たちに一瞥をくれることもなく平然としている。
彼女たちだけではない。すれ違いざまにロイドを振り返る人は、今日もう何人も見てきた。
(ロイドってやっぱり、有名人なんだ)
スイにフードを被るよう言ったロイドの方が、よっぽど目立っている気がする。
団員に慕われているのは勿論だが、ロイドは街でも密かな人気があるのだと、キリヤから聞いたことがある。
出会ってそう長くないスイが恋するくらいなのだから、ロイドは誰の目にも魅力的な人物なのだ。
(ちょっとだけ……変な感じ)
自分は、ロイドを好ましく思う多くの人間のうちの一人である。それがどうしてか苦しかった。
「王国軍の行進が始まってるね。中央通りの方へ行ってみようか」
時計を見たユールが提案する。
「行進?」
「国の軍隊が楽器隊・聖歌隊と一緒に盛大に行進するんだ。軍は主に王都か国境でしか見られないから、この祭の目玉の一つなんだよ」
中央通りの沿道には観衆が多く集まっていた。通りの遥か向こうから、吹奏楽の音が風に乗って聞こえてくる。
「王国軍って、国を守るんだよね? ティダモニアとは違うの?」
スイはロイドに問いかけた。
「ティダモニアは民間組織だが、王国軍は王政が税を投じて動かす公的な武力だ」
難しい話に、スイは首を傾げる。
「王国軍とティダモニア、どっちが凄い?」
「軍備力と規模は王国軍が圧倒的だが、階級や所属が絶対であるため臨機応変さには欠ける。ティダモニアにも職位はあるが、主従関係ではない。現場への柔軟性は、個々の裁量権が大きいこちらの方が勝るだろう」
ロイドの言うことは上手く噛み砕けなかったが、小さな範囲ではティダモニアの方が動きやすい、ということは理解できた。
「ロイドは、王国軍には入らないの?」
スイは以前、あるおしゃべりな団員から聞いたことがある。
ロイドの腕は、おそらく団全体の中でも一、二を争うだろうと。国軍であれば、将軍に就いていてもおかしくないと。
そんなロイドならば、王国軍でも活躍できただろう。素朴な疑問だったのだが、しかしロイドの顔の筋肉は凍りついた。よくよく観察していなければ発見できない、小さな変化だった。力なく細められた瞳に、スイの心臓がどきりと嫌に跳ねる。
「俺は、王に……国に仕える気はない」
その眼差しはひどく冷えている。視線はスイへ向いているのに、スイの向こうにある何かを睨んでいるようにも見える。
「来たぞ!」
不安になったスイがロイドの名を呼ぼうとした時、キリヤが声を張り上げた。
「王国軍だ! やっぱすげえ! かっけえな!」
はっとスイが大通りに目を向けると、ザッ、ザッという足音がもう近くまで迫っていた。
またすぐに視線を戻すと、もうロイドはいつも通りに戻っていた。気のせいだったかもしれない。けれど、とそわそわしたまま、スイは歓声の方角に首を向ける。
管楽器の盛大な演奏とともに、旗衛隊が旗を大きく振りながらこちらへ近づいてくる。
その後ろに、よく訓練された、ぴたりと揃った足並みで大群が続く。
ティダモニアの団員たちに負けず劣らず、筋骨逞しい男たちが剣を携えている。引き締まった表情で前を見据え、先導の号令に従い華麗な統率力を見せる。
(あ……っ)
スイの全身に、ぞわりと強い怖気が走った。
王国軍が身に着けている装備。銀色に光る、腕当てや胸当て。蘇る記憶。慌て惑う人、逃げ走る人、泣き叫ぶ子供たち。
似ている。あの日、スイの村を踏み荒らした襲撃者たちと。
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