35. 新年祭 2
血の気が引いて視界が霞み、全ての音が薄い膜の向こうで鳴っているようにぼやけた。
スイの足から力が抜ける。膝が笑わないよう踏ん張るが、できているか定かではない。スイは必死で掴める物を探した。
「どうした」
それはロイドの上着の裾だったらしい。スイに視線を落としたロイドは、怪訝に眉をしかめた。
「ユール、キリヤ」
王国軍の行進に釘づけになっていた二人に、ロイドが声をかける。
「少し疲れたようだ。悪いが先に戻らせてもらう」
ロイドはスイの肩を抱くと、蒼白の顔を隠すように深くフードを下げたさせた。
「えっ、大丈夫? ごめんねスイ、気が付かなくて……」
「無理すんなよ。また休暇明けにな」
体調を気遣う二人に、スイは何とか一度だけ頷きを返した。
(せっかく誘ってくれたのに……)
ロイドに支えられながら、スイは賑やかな行進に背を向け、その場から離れた。
中央通りの喧噪がそこそこに届く広場まで辿り着く。ロイドに長椅子に座らされたところで、スイは詰めていた息をどっと吐き出した。
「何かあったか。熱はないな」
ロイドはスイの額に手を当て体温を確かめると、身をかがめて顔色を覗き込む。
「……王国、軍が……」
「何だ」
「付けてる、銀色の……」
「鎧のことか?」
冷えた指先を握り込む。混乱して唇が上手く動かせない。
「あの日、の人たちも、付けてた……」
「あの日?」
「む、村に……村が、」
「村とは、生まれ育った地底の村か? お前が地上へ出ることになったあの日の襲撃者が、鎧をつけていたと?」
つかえる言葉を拾い真意を読み取ってくれたロイドが、さっと顔つきを固くする。
「王国軍と同じ鎧だったか?」
「わ、分からない……銀色だったってこと、しか」
あの時のスイは動揺していて、襲撃者の身なりをきちんと観察できてはいない。記憶も確かか言われると自信がない。
ただ、篝火の灯りを反射して鈍色に光る彼らの装甲は、間違いなく目に焼き付いている。
「鎧自体は一般的にある。だが、下手な野党が人数分揃えられるほど安価でもない。鎧を知らぬお前が、色が銀と識別できるほど上等に手入れされたものとなると、ティダモニアか、貴族に仕える傭兵か、それこそ王国軍と考えるのがまずは妥当だが……」
ロイドは口元に手をあて考え込んだ。
ロイドがそう言うのならば、スイはあの日村に来たのは王国軍である気がした。
地底人の存在は、ロイドもキオも存在を知らなかったのだ。ティダモニアか、貴族か、国か。これらの中で、秘密の情報を持てるほど力があるのは国だ。
(みんなに、会いたい……)
スイは己を守るように自分の肩を抱いた。
アルマに押し切られ、村を出て、助けも呼べず、たった一人で今まで生き延びた。
地上で生活するうちに薄まっていた、否、目を逸らす癖がついていた地底の記憶。
どれだけ美しいものを見ようと、友人ができようと、恋を知ろうと、スイの根底は岩に囲まれたあの場所にある。向き合わずにいることは許されない。
「マクグラス副団長じゃないか」
陽気な声がロイドを呼んだ。スイたちの座る長椅子のそばで露店を出している、髭を蓄えたふくよかな男だった。彼は片手を上げ、気さくに挨拶をよこしてくる。
「任務ですか?」
「いいや。今日は私用だ。悪いが水を一杯もらえるだろうか」
「勿論。お連れさん辛いのか? 少し待ってな」
スイはげっそりと力を失くした顔を上げ、ロイドと露店の男の話をぼんやりと聞いていた。
盛り上がる陽気の中ふと、ある人物がスイの目に入った。
人はそこらじゅうに酔うほどいる。それにも関わらず、重なり合う人影の間、その姿が目に留まったのは奇妙としか言えなかった。
スイにほど近い白い肌、さらさらとした黄金色の髪、深緑色のマント。
すぐそこを横切っていったその人。ほんの一瞬横顔が見えただけで、人混みの中へ紛れて行った。
覚えがある。身近な人に。
「――アルマ!!」
反射的に、スイは駆けだしていた。
露店の男が差し出した水を受け取っていたロイドは、スイの軽捷な一歩を止められなかった。
「スイ!」
ロイドの叫びは、スイの耳へ届く前に向かい風が追い返した。
早くしなければ。足を止めては見失ってしまう。
スイは俊足で雑踏の中へ飛び込むと、するすると猫のように人の間を縫った。小柄なスイが集団に紛れてしまえば、あっという間に全身が死角に入る。
新人種の大きな体に挟まれ、阻まれ、視界が悪い。方角だけは間違わぬよう、スイは我武者羅に前へ進んだ。
(――いた!)
人々の頭の間に見える、濃い緑色のフードで覆われた頭。
スイは瞬きもせず、ぶつかった誰かに「痛ぇな!」と悪態をつかれるのにも構わず、縋るように必死に追いかけた。
「待って!」
ついに、スイはその腕を捕らえた。ぜえぜえと激しく息を切らし、腹の奥から声を張り上げる。
「えっ?」
突然掴まれ、仰天したその人が振り返る。驚きと困惑に揺れる、知らない青年だった。
「あ……」
スイは絶句した。
(アルマじゃない……)
肌色や髪色、年の頃や背格好は確かにアルマに似ている。しかし目鼻立ちのはっきりしていたアルマとは異なって、彼は控え目で素朴な顔立ちをしていた。
よく考えれば、アルマのマントは今スイが着ているのだ。村の縫い手がアルマのために作ったそれが、地上に二つとある筈がない。彼のマントは色は近いけれど紺色交じりで、冷静に見れば違うものだと分かる。
よく確認もしないで、見ず知らずの人を誤解で掴んでしまった。スイは急いで手を離した。
「あ、ごめ、ごめんなさ……」
「……君、旧人種?」
平謝りしようとしたスイの体が、その一言で石のように固まる。
「……え?」
「驚いた、こんなところで生きてる人がいるなんて」
「え……、え?」
「ごめん、追われてるから行かなきゃ。僕の名はニア。もう会うことはないだろうけど、僕が生きていたこと、どうか覚えていて。君も気を付けて。元気でね」
そう言って青年はフードを被り直し、スイに背を向けた。去ろうとする後ろ姿に、スイは慌てて問いかける。
「お、追われてるって……!?」
青年が肩越しに振り返る。そしてぽつりと、スイにしか聞こえない囁きで答えた。
「逃げてきたんだ、王都から。王都へは近寄らない方がいい」
それだけ残し、彼は颯爽と混雑の中へ姿を消した。
スイはぽかんと口を開け、青年が去った方角を唖然と見ていた。
何にも、頭が追いつかない。
鎧を着た王国軍。地底人とよく似た容貌の人間。その人を追っているという王都。
旧人種という言葉を、どうして彼は知っていたのか。旧く、新しい人種がいることをどうして。
きっと今、とても重要な何かが、眼前を嵐のように通り過ぎて行った。けれどスイは、何も考えることができなかった。
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