27. 自由行動
三日後、スイは正式に一人での自由行動を許可された。同時に、いくつかの条件が増やされた。
拠点の敷地からは一歩も出ない。事前申告外の場所へは行かない。一刻以内に部屋へ戻ってくる。外出中にあった事を後に報告する。外出は朝食から夕食の間に限る。
そして引き続き、人前で体液を出さない。
「お前を一人で部屋から出すには、体液については一層の厳守が絶対になる。お前と団員たちの安全を脅かされては、またお前を監禁するしかなくなる。くれぐれも、そうさせてくれるな」
ロイドの表情は切実で、スイに乞うようでもあった。スイは真剣な訴えをしっかり胸に留め、「分かった」と答えた。
「条件を守らなければ、隠れていてもすぐに分かる」
「そうなの?」
「種は明かせんが。お前の行動は筒抜けと思って気を緩めるな」
言われずとも言いつけを破る気はないが、どういうわけかロイドにはスイの動きを見通す術があるらしい。
「今日はどうする。外へ出るか?」
「う、うん」
「どこへ行く」
言ったはいいが、あてはなかった。厨房の稼働時間は過ぎているし、厩舎はまだ馬が怖い。あてもなくふらふら散策して、団員たちの目に一人で耐えられる自信はない。
「……ユールは、何してるかな」
結局スイは、心細さを誤魔化すため知った人に会いに行くことにした。
「ユールは護衛の任に出ていて夜まで不在だ」
「キリヤは?」
「この時間ならば、訓練場で剣の鍛錬をしているだろう」
「じゃあ、キリヤのところに」
ロイドは頷いた。二人で部屋を出て、訓練場を見渡せる場所へ移動する。
「キリヤはあそこだ」
ロイドが指した先、宿舎前の砂地で、ロイドの言った通り剣を振るう人影があった。地面に突き立てた藁の束に、機敏に切りかかっているのが遠目にも分かる。
「日光への注意を怠るな。一刻以内に戻れ。報告も忘れるな」
「うん」
スイは持ってきた深緑のマントを纏いフードで頭部を覆うと、ロイドを見上げた。
「い、いってきます」
「ああ。行ってこい」
ロイドはスイの背中を、マント越しにそっと押した。優しく促され、スイの足が自然と日向へ踏み出す。この一歩をロイドに見守られていることが、スイにとって胸が弾むほど心強かった。
こうして走るのは村を出た時ぶりだ。地を蹴る足は幸い鈍っておらず軽かった。ロイドに押し出された背中が温かい。手足の先まで、ふわふわと浮ついていた。
「キリヤ!」
「……お前、足速ぇな」
広い訓練場を駆け抜けて来るスイの姿に途中で気付いたキリヤは、滑るような走りに舌を巻いた。
「なんでここに……って、そういえば今朝聞いたな」
「今朝?」
「朝礼で副団長が言ってた。これからはスイが一人で行動することが増えるだろうって。お互い無理ない範囲で交流してやれとさ。あと日向が体に障るから気遣ってくれって」
そんな通達がされていると、スイは初めて知った。
一人で出たいと最初にスイが言った時は、ロイドはすげなく却下したのに。スイのため、裏で調整と手配を整えていたのだ。先ほど別れたばかりなのに、スイは無性にロイドの顔を見たくなった。
「キリヤは何をしてたの?」
「決まってんだろ。入団試験まであと半月だから、剣の練習だよ」
キリヤは剣を構えた。
模造刀ならば、スイも見たことがある。元物置だった今の部屋に置いてあったのだ。暇を持て余した時に持ち上げて、あまりの重さに床に落としてしまい、派手な音に駆け付けたロイドに没収された。
あれを片手で握るとは、キリヤは相当に鍛えているのだろう。背丈はさして違わないのに、腕はスイよりも筋が張っていて逞しい。
「ね、キリヤのこと見ててもいい?」
「いいぞ、見てろ俺の剣捌き。あそこの木陰に座ってろよ」
自慢げに鼻を鳴らし、キリヤはそばに植わる手近な木を指さした。スイはキリヤの提案通り、木の下にそっと腰を下ろす。
スイが木陰に納まったのを確認すると、キリヤは鍛錬に戻る。藁の束を相手に、予測のつかない動きで飛び跳ね、縦に横にと切りかかる。
スイに剣の良し悪しは分かりようもないけれど、キリヤの動きには勢いがあり、見ていて気分が高揚した。
ティダモニアの入団試験は、16歳以上の成人が受けることができる。三か月の見習い期間を通し、人格や適性に問題なしと判断された後に試験者との手合わせを実施、一定の力を認められれば晴れて入団となる。
キリヤは、16歳の誕生日と同時に試験を受ける予定だ。受かれば、制度上最速でティダモニアに入ることとなる。
「キリヤは、どうしてここへ入ろうと思ったの?」
スイの疑問に、キリヤは手を止めて額の汗を拭った。
「……まぁ、みっともねえ話なんだけどさ……」
前置きし、キリヤは語ってくれた。
キリヤには三つ下の妹がいる。キリヤが七歳の時、妹を連れておつかいに出た帰り、近寄るなと親に禁じられていたのに、近道だからと入った路地裏で人攫いに遭いかけた。
悪者なんてやっつけてやる、と普段豪語していたくせに、悪い大人の男は大きく、怖く、何もできなかった。
人攫いの手がふと緩んだ隙に、キリヤは妹を置いて全力で逃げた。すぐに運よく警邏中のティダモニア団員と鉢合わせ、助けを呼んだ。
「妹は無事に取り戻せたし、人攫いは捕まったけど。ずっと情けなくて悔しかった。だからここに入って妹みたいな奴をたくさん助けて、あの時の馬鹿でかっこ悪い俺を上書きしたいんだ」
キリヤは空笑いとともに肩を竦めた。スイの頭の中に、先日のロイドの言葉がよぎった。
――己の価値を決められるのは、己を認めた人間だけだ
「キリヤは自分ならできるって、信じてる?」
キリヤは真っ白な歯を見せた。
「当然、もう昔の俺じゃねえもん。今度こそ悪人は全員ぶっとばしてやる」
キリヤが強気に剣を一振りした。
(キリヤは自分を認めてるんだ)
人を助けたいというキリヤの意思は、人の役に立ちたいスイのそれと似ている。けれど、
漠然とした不安定な義務感が動機のスイと異なり、キリヤの望みは固く揺るぎない。
(これが、ロイドの言ってた信念?)
キリヤは自分のやりたいことを理解し、実現に向かい進み続けている。その姿は頼もしく、きっと叶えるだろうと思わせる。
「キリヤなら大丈夫」
スイは頬を綻ばせた。かかっていた靄がまた一つ晴れた心地だった。
自分を認める。ロイドの言ったことが、ほんの少し解けた気がした。
「おお! 俺が入団すれば、クリダラの街だって一生安泰だ!」
「おう、夢はでっかく持て少年。頼りにしてるぞ」
二人の会話に、明るい男の声がかぶさった。宿舎の中からちょうど出てきた五人の団員たちが、ぞろぞろとスイたちの方へ向かって来る。
「試験者が副団長だったらご愁傷様だな」
「いつだったか、副団長相手にした受験者が、自身喪失したとかで合格を辞退してたな」
男たちはキリヤを取り囲み、跳ねた赤毛を雑に撫でまわしている。普段からこうなのか、キリヤは男たちの手を子供の反抗のように振り払った。
「辞退なんかしねえよ!」
「生意気な口聞けんのも今のうちだ。入団したらみっちりしごくぞ……ん?」
団員のうちの一人が、木陰に隠れていたスイを見つけた。
「……スイ、だよな?」
その一声につられた男たちが、一斉にスイの方を向く。突然集まった複数の視線に、スイは息を詰めた。
「ああ! 副団長が今朝言ってたな。こいつの練習を見てたのか?」
「キリヤの剣、筋は悪くないが繊細さに欠けんだよな」
「悪いが見学には向いてねえ。大雑把で退屈させたろ」
「誰が大雑把だ!」
食ってかかるキリヤを、男たちは大笑いしながら片手でいなす。
どんな顔をしていいのか分からぬままスイがやりとりを見ていると、中堅と思しき団員が手を叩き軽い音を立てた。
「おいおい、坊ちゃんを怖がらせるな。名乗りもせず悪かったな」
その団員は呆れ顔で男たちに顎をしゃくると、一歩スイに近づいた。
「俺はイーサン。こっちの若いのがアラン、ごついのがブレア、髭がジョシュで坊主頭がドミニクだ」
「もう少し丁寧に紹介できないのか?」
男たちが笑い飛ばす。イーサンと名乗った男は短髪の壮年で、この中では一番年嵩に見える。口角を上げると、頬に人好きのする深い皺が刻まれた。
「副団長から聞いたよ。絵本を気に入ってくれてんだってな」
「えっ?」
スイは思わず立ち上がった。
「あの絵本、イーサン……さん、のだったの? ……だったんですか?」
予想外の食いつきを見せたスイに、キリヤも団員たちも興味深そうな目を向けた。
「ああ。娘も大きくなったし、ここの書架に寄贈するかと持ってきたんだが。副団長に譲ってもらえないかと言われた時は驚いた。こないだふと思い出して、あの絵本はどうなったのか聞いたら、アンタにやったと教えてくれたよ。子供だましの絵本だが、ちったあ暇つぶしになってくれたか?」
「うん! ……あ、はい……絵がすごく綺麗で、何回も見ました」
毎日枕元に置くほど大切にしている、ロイドからの贈り物。イーサンがいなければ、スイの手には渡らなかった。
そう思うと、スイはイーサンの顔を正面から見ることができた。新人種、でもティダモニアの団員、でもない、イーサン自身の顔がスイの目に映った。
アランも、ブレアもジョシュもドミニクも、俯いていた今までは素通りしていた目鼻立ちが、今は明瞭に見える。
「ぼろの本が珍しかったんだろ」
「安物にもいいところがあるってことだ」
「何だと、てめぇら!」
後ろからの野次に、イーサンが噛みつく。
年長のイーサンに対しても、彼らは遠慮がない。互いを信頼し、気兼ねない関係であることが分かる。
「いや、ずっと気になっていたんだよ。貴族をうちに迎えるなんて聞いたことがないし。いくらかましなもの学べればいいけれど」
アランが言った。この中では細身の方で、引き締まった体躯に亜麻色の髪を小綺麗に流している。
「そうそう。いつも副団長が横にいるから、お勉強中なら近寄らん方がいいかと思っていたんだ。そうしたらキリヤが突っ込んでいくから、無礼者と雷が落ちんか見ていて肝を冷やした」
ブレアがため息をこぼす。背丈はロイドよりもやや低いが、屈強な横幅のせいでロイドよりも大きな体に見えた。
「聞いたよ、軽業師みたいに厩舎の梁の上に登ったって。興奮してダルクが言いふらしてる」
真っすぐ整えた鼻髭をさすりながら、ジョシュが感心する。
「本当に? 病み上がりなのに、案外動ける方なんだな。無茶はするなよ」
シュッと顎の細いドミニクが、諭すように言葉をかける。
どの眼差しも、優しいものだった。これまで感じていた、じっとりとした不快感はなかった。
嫌な視線だと思うから、居心地が悪くなっていただけかもしれない。少なくとも彼らは、スイを不躾に眺めていたのではなく、見守ってくれていたのだ。
人でも、物でも、きちんと向き合えば過剰に恐れる必要はない。地上でそう体感したのは、これでもう何度目だろう。
「つうか……イーサン班ともあろう奴らがこんなとこで油売ってていいのかよ」
「おっと。隣町で招集だった。じゃあなキリヤ。今日は訓練の相手してやれんが、寂しがるなよ」
「誰も寂しがらねえよ!」
最後までからかわれて反発するキリヤを尻目に、イーサンたちはひらりと手を振って南の正門の方へ去って行った。
興奮に荒くなった鼻息を落ち着けながら、キリヤがぶすくれた顔でスイに横目をやる。
「悪い……変なとこ見せて。囲まれて怖くなかったか?」
「……ううん、楽しかった」
スイが頬を緩めると、キリヤはいからせていた肩をようやく下ろした。
嵐のような時間だったけれど、スイの心は晴れやかだった。彼らの名前と顔を忘れたくなくて、頭の中で繰り返す。
結局ロイドが探しにくるまで、スイは時間を忘れてキリヤの練習を眺めていた。
一刻という約束を早速破ってしまった不甲斐なさにスイは項垂れたが、ロイドは軽微な注意に留めた。
「渡し忘れていたこちらにも落ち度がある」
そう言って、ロイドはスイに小型の時計を渡した。
村では時計は、鐘鳴らししか持っていなかった貴重品だった。まさか、自分が持つ日が来るなんて。
針の読み方と一刻の計り方を教わる。その日スイは、絵本と一緒に時計もベッドへ持ち込んだ。美しく細やかな細工の盤面や、首に下げるための金色の細い鎖を、眠りに落ちるまでずっと見つめていた。
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