25. 信念 1

 一日か二日ごとに部屋を出る日々を、スイは過ごしていた。食堂での食事や敷地内の散策など、長くとも半刻ほどではあるが、この時は必ずロイドが付き添うのでスイは外出が好きだった。

 話し相手と言えばロイドとキオ、偶然出くわすユールとキリヤくらいのもので、他の団員たちは変わらず遠巻きにスイに視線をよこすだけだった。


 外出の時間を使い、スイの日光耐性について実験が行われた。

 日向へ肌の一部を晒すと一定時間の後、赤くひりひりと痛み出した。軽い火傷のような症状で、やはり日焼けと酷似しているとキオが言った。

 スイの体は日の光に対し通常より鋭敏だとし、日向に出る際は太陽を直視せず、手袋に帽子、襟巻などで肌の露出を徹底的に抑えれば問題ないと結論づけられた。


 もし村が襲われず、成人を迎えて地上に出ればどうなっていただろうとスイは想像する。

 大人の男として、満足に働くこともできなかったのではないか。ただでさえ水脈を発見できない穴掘りだったのだ。あれ以上の無能さを晒さず済んだ点は、ひょっとすると救いだったかもしれない。


 部屋にこもる時間が長くとも、スイに不満はなかった。外出がなくとも、ロイドは日に三度の食事の時間をスイのために工面してくれる。

 ロイドが多忙であることは知っているし、空を眺めたい気分の時は、ロイドの瞳を見られればそれで良かった。

 だが食後、文字学習もそこそこにロイドが忙しなく部屋を出ていくことが増えた。ロイドの負担を増やしていないか、スイに一抹の不安が湧く。


「あの……最近、協力……血を採ったりとかしないけど、いいの?」

「ああ。今は必要ない」


 思い切って聞いてみても、ロイドの答えは拍子抜けするほど簡潔だ。

 強引に精液を採られた記憶はあまり思い出したくないが、あれ以降、体液をよこせと要求されたことはない。


 始めはホッとしたものの、しかしそのうち、自分がここに居る意味をスイは考え始めた。

 協力を条件に生かされていたはず。では今の己は、何を理由に生きているのだろう。

 与えられた部屋で、与えられた食事をとり、与えられた時間に外へ出て、眠るだけ。何も求められない。何も期待されない。


 それを役立たずと言うのだと、スイは知っていた。

 地底にいた頃は、結果を出せなくとも仕事はあった。翻って今は何もしない、何もできない。増して、ロイドの貴重な時間を食っている。

 重荷になりたくない。切実な苦悩の欠片が、スイの口からぽろりと零れた。


「僕、一人で外に出られるよ」

「……何?」


 一拍置き、スイが己の発言に我に返る頃には、既にロイドの眉はしかめられていた。


「言っただろう。管理下で行動してもらうと」

「……で、でも、いつもロイドが一緒で」

「一緒であることに、不都合があるのか?」


 ロイドの語気が僅かに強められる。怒ってはいない。ただ諭すような眼差しの奥に失望の気配を感じとり、スイはきゅうと竦んだ。


「ふつごう、じゃない……」

「では問題ないだろう。まだ一人で出すわけにはいかない」


 スイは黙った。しゅるしゅると縮んだ心が、皺くちゃになっていく。


 自由な時間が欲しくて言ったわけじゃない。ロイドの邪魔をしたくなかっただけだった。

 ロイドの目には、我儘を言ったように映っただろう。実質的に拘束されている己の身分を、呑気にも忘れて。


 ここからどう言葉を選べば誤解を解けるのか、口下手なスイには糸口すら掴めなかった。

 麻痺した舌で、苦労して食事を片づける。あまりに時間をかけたので、学習の時間は潰れてしまった。

 その夜スイはベッドの中で、自分の価値についてずっと考えていた。



 ◆



 次の日の朝食後、今日は敷地の西側へ連れて行くとロイドが言った。

 野外訓練場を通るため、日避けに与えられた手袋と、アルマから譲り受けたマントを身に着けフードを深く被る。わざわざ太陽の方を見上げなければ、これで日光に肌を晒すことはない。


 敷地の北側を流れる小川は、西の宿舎の裏を通る。小川を辿って南へ下ると、そこにあるのは厩舎だった。

 馬房から頭を出す馬たちを前にスイは飛び上がり、慌ててロイドの後ろへ隠れた。


「馬は初めてか」


 顔だけを覗かせ馬と距離をとるスイに、ロイドは肩越しに振り向いて言った。


「人より大きい生き物、見たことない……」


 20頭を越える馬が並ぶ光景は壮観だった。今は一頭ずつ房に分けられているけれど、もし群れの中に入ればスイなどひとたまりもなくすり潰されるだろう。


「草食で基本的には大人しいが、蹴りを食らえば最悪の場合死ぬ。慣れないうちは後ろには立つな」


 ロイドの注意は容易くスイを震えあがらせ、馬への恐怖を更に掻き立てた。馬に近付くロイドを追いかけることができず、厩舎の入口で立ち竦む。


「怖くない?」

「人が怖がれば馬も怖がる。安全に乗るには、こちらが馬を信じなければ」


 ロイドは馬の中でも一際大きい、青毛の馬の頬を撫でた。噛まれやしないかとスイは肝を冷やしたが、馬は気持ちよさそうに瞬きをしただけだった。艶のある漆黒の毛並みが、ロイドの髪と似ている。


「乗るの? 馬に?」

「ああ。全力を出せば、人の歩みの10倍は速い。車をつけ荷を引かせることもできる。急ぎの際や、長距離の移動では重宝する」


 スイは驚いた。こんなに大きい生き物を、人が操り使役するなんて。

 スイの知る動物と言えば村で飼っていた鶏か、地上で獲ってくる兎や鹿など食糧となる獣ばかりだ。動物を躾けることができるなど、俄かに信じられない。

 馬に触れるロイドの手つきは穏やかだ。よほど信頼しているのか、馬を見つめる目は細められている。


(馬は、役に立つから?)


 ロイドの役に立てる、ああして触れられる馬が羨ましい。咄嗟に抱いたそんな感情を、スイは唖然と自覚する。なぜ動物相手に羨望を抱くのか困惑した。


「これは、ロイド副団長。先日はお手間おかけしました」


 ふと厩舎の奥から、汚れた作業着に身を包んだ男が顔を出した。


「ダルクか。構わん。ラトエラ公の来訪時は、次からいとまを出すことにしよう」

「とんでもない。そのお気遣いだけで十分にありがたいことです」


 初老の男はそばかすの散った顔にくしゃりと柔和な笑みを浮かべ、ロイドに頭を下げた。


(ダルクって、キリヤたちが言ってた……)


 先日食堂で話に出てきた名だとスイは思い返す。ノアの父親、ダヌートに粘着されている件の厩番とは、彼のことなのだ。


「そちらが、例の子ですか?」

「そうだ」


 ぼんやりと二人を眺めていたスイは、話題の矛先を向けられぎくりとした。


「長らく病気をしてたなんてね。勉強のために家を出るなんて立派なことだ。気晴らししたい時は、ここへ来るといい。汚れを気にしないのなら、だけれど。馬は疲れた時のいい聞き役になってくれる」


 ダルクが肩を揺らしてからりと笑う。

 彼も団の関係者なのだから、スイが遊学中の貴族だと知っていてもおかしくないのだけれど、気にかけてくれていたとは思ってもみなかった。


「……ありがとう、……ございます」


 感謝の台詞は、喉にひっかかって不格好になった。ダルクにとっては取るに足らない、些細な気遣いかもしれない。けれど、スイは胸の乾いたところに水滴を垂らされた気分だった。


「そういえば、副団長」


 ダルクが話を切り替え、ロイドへ向き直る。


「長い梯子を探しに行こうと思ってたんです。倉庫にありますかね」

「何かあったか」

「夏頃に巣立った渡り鳥の巣があそこにあるでしょう。冬は越冬する寄生蛾の幼虫が住みつくんで、取り払おうかと」


 ダルクが上を指した。厩舎は平屋だが、屋根は宿舎の二階を越えるほど高い。天井近く、中央で太い梁同士が交差するあたりに、屑を集めた塊のようなものが張り付いていた。


「去年までは、手が届く位置に巣作りしてくれていたんだが……今年は位置が高くてね」

「確かに、あれは骨が折れるな。倉庫にあるもので届くだろうか」


 ロイドが見上げて唸った。いつも即刻決断のロイドが思案する姿が新鮮だった。


「僕がとってくる」


 予想外の申し出に、ロイドとダルクがスイを振り返る。

 咄嗟に口をついて出た台詞にスイははっとしたが、後に引く気はなかった。

 ロイドの目を見ずすぐに身を翻す。幸い、手近にある壁際の馬房は空だった。手前の柵に手をかける。


「何をするつもりだ」


 一度止まれば、きっとロイドの命令を聞いてしまう。スイは静止に無視を決め込み、柵の上によじ登った。

 柱のわずかな出っ張りに足をのせ、まぐさに乗り上げ、横木と筋交いを頼りに壁をするすると登る。ロイドが「下りろ」と二度注意する短い間に、スイは鳥の巣と同じ高さまで到達した。


 ひらりと梁の上に立ち、両手で衡平をとりながら軽く前進する。下でダルクが息を呑む音が聞こえた。

 高さや狭い足場は、地底でよく岩壁を登っていたスイにとって大したものではない。危なげなく目的の場所まで辿り着くと、スイは梁の上に腰を下ろして真下に立つダルクを見た。


「これ、外すの?」

「あ、ああ、崩してもらって構わないよ」


 あっけにとられていたダルクが、慌てて答えた。 

 鳥の巣は、小枝や樹皮の繊維を集めてできていた。両手で左右から挟むと、さして力を入ずとも潰れた。手を離せば、巣の残骸がばらばらと下へ落ちていく。


 頼まれたわけではない。自発的に、勝手にやったことだ。自分にできそうなことが目の前に降ってきて、じっとしていられなかった。

 巣がとれてすっきりとした梁を前にし、スイの心中に小さな達成感が灯る。


「下りろ、スイ」


 ロイドが再び、重く命じた。見ればその眉根は予想通り、きつく寄せられている。スイの軽率な行動を、明らかに咎めていた。

 スイはこの後のことを想像し、唇を引き結んだ。大人しく従い、再び梁の上に立ち上がる。


 戻りもどうということはなかった。しかしスイが四歩、五歩と踏み出した時、馬房にいる一頭の馬が大きくいなないた。

 初めて耳にした馬の鳴き声に、スイの体が跳ねた。僅かに衡平を崩したその一瞬、スイは踵にかける体重の配分を誤り、梁から足を滑らせた。


「あっ」


 スイとダルクが同時に声をあげる頃には、もうスイの胴体は傾いでいた。


(――落ちる!)


 先ほどまで立っていた梁の裏側が見えた。背中を打つ痛みを覚悟しスイはきつく目を瞑ったる。

 しかし、衝撃はいつまでも来なかった。何かに引っ掛かり、落下の衝撃が反動に吸われる。


 恐々と瞼を開くと、ロイドの顔がすぐそこにあった。

 瞬時に移動したロイドは両腕でスイの肩と膝裏を支え、着地寸前で横抱きに受けたのだ。


「あ、あり……」


 礼を言いたいのに、間近でロイドの険しい眼差しを食らい、スイの舌がぐずぐずと怯む。


「いやあ、すごいな!」


 スイがロイドに見据えられていると露知らぬダルクが、感嘆の声をあげた。


「もの凄く身軽だ。あんなに簡単に梁の上へ登ってしまうなんて! 落ちた時は肝を冷やしたが、大事にならなくて良かった。副団長も、お見事!」


 拍手とともに、ダルクはスイとロイドのそばに駆け寄る。


「貴族の坊ちゃんとは思えない華麗な身のこなしだった。おかげで助かったよ、ありがとう」


 ダルクはくたくたの帽子を脱ぎ、軽く頭を下げた。

 感謝の言葉を言われるのは、久々だった。

 地底では、水をありがとうと言われ続けた。本当はアルマが受けるべき賛辞なのにと、素直に受け止められなかった。

 けれどこのダルクの感謝は、正当にスイの行動が導いた成果だ。ちっぽけなことだけれど、間違いなく役に立てた。


「えっと、よかった、……です」


 スイは精一杯、細切れな返事を絞り出す。


「騒がせて悪かった。今日は戻る」


 ロイドは短く言い切り、踵を返した。


「はい、ではまた」


 ダルクはスイにも手を振ってくれた。視界から外れるまで、スイは見送るダルクの笑顔をずっと眺めていた。


「……あの、ロイド、」

「部屋へ戻る。外出は終わりだ」

「僕、歩けるから……」

「日の下へ出る。フードを被れ」


 否応なく、ロイドはスイを抱いたまま大股で来た道を戻っていった。

 やったことを後悔はしていない。だが、今度こそロイドを怒らせた。スイは太い腕の中で縮こまると、フードの端を握り締めて必要以上に深く被った。

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