24. 噂話

「ノア様に気に入られちゃったの!?」


 ユールの声が食堂に響く。

 ノア・クラヴィッツと接触した翌昼、スイはロイドに連れられ再び食堂に来ていた。


 今回スイは、日替わりの主菜に挑戦しようと魚料理を注文した。この一皿だけでも結構な量で、副菜にまで手が伸びなかった。

 スイとロイドが卓につくと、間もなくユールとキリヤが現れた。同席をロイドが許したため、結果として今、四人で卓を囲んでいる。


「ユール、あの人のこと知ってるの?」

「そりゃあ……領主様のご子息だし」


 ユールとキリヤに昨日あったことを、スイは話した。


 ノアと別れた後、ロイドは今度こそ部屋までスイを送り届け、予定があると言ってすぐに出ていった。

 一刻ほどが過ぎ、ロイドが夕食を持ってきた。その際、ノア・クラヴィッツについてロイドが語った。


 このエアネスタの国土は細かく分割され、その所有権を王侯貴族で分け合っているという。

 クリダラの街を含むここら一帯の地域はラトエラと称され、その領主をクラヴィッツ家当主であるところの、ラトエラ公爵ダヌート・ジョア・テスカロ・クラヴィッツが務めている。

 ノアと名乗ったあの男は、ダヌートの嫡男である。彼は成人とともにラトエラ伯爵を叙しており、次期領主の立場である。 


 ラトエラ最大都市のクリダラの治安は、ティダモニアが守っていると言っても過言ではない。

 地域の安寧維持のため、団と領主の連携強化を目的とした定例会議――という体裁の視察――はおおむね月に一度開かれ、領主親子が揃ってこのクリダラ拠点を訪問する。

 昨日ノアは、別件で近くまで来たと言って約束の時間よりも早く現れた。父ダヌートが到着するまで応接室で待たせていたが、退屈に部屋を抜け出したところでスイと遭遇したのだろう、とロイドは言った。


 ロイドの説明を何とか噛み砕きながら、スイは思い当たった。彼自身が貴族であるから、スイが貴族だという嘘に勘付かれたのかもしれない。

 次に会えば、ノアは間違いなくスイを詳しく掘り下げにかかるだろう。定期的にやって来るのなら、その日はロイドの言う通り部屋で大人しくしている方が賢明だ。


「ノア様、押しが強いからなあ。まあ、そうじゃなきゃ貴族なんて務まらないんだろうけど……」


 ノアは有名人らしく、その人柄をほとんどの領民は知っているとユールは言った。


「綺麗なもの好きだからな、あの人は」


 山盛りのパンを頬張り、キリヤがにやにやとスイを肘でつつく。


「綺麗って?」

「え? ……いや、言わせんなよ」


 げぇ、とキリヤが舌を出す。意図が掴めず呆けるスイに、ユールが代わりに答えた。


「スイが綺麗だってことだよ」

「僕が? どうして?」

「……えぇっと、顔だちとか?」

「ユールとキリヤの顔も汚れてないよ?」

「う、うーん……」


 通じぬスイに、二人は閉口する。

 綺麗や美しいという言葉を使うのは、地底では色や形を形容する場合がほとんどだった。

 綺麗な顔立ち、にスイはいまいちピンとこない。顔とは一人一人違うというだけのもので、ロイドも、ユールもキリヤも、スイの目には自分とさして変わりなく見える。

 ユールが苦笑交じりに話を続けた。


「と、とにかく、ノア様はそう悪い人じゃないよ。今の領主様はお金を生み出す手腕はあるみたいだけど、ちょっと横暴なんだ。ノア様はよく領民のことを考えてくれてると思う。25歳とお若いのに、早くノア様に代替わりして欲しいって言う人もいるくらいには、期待されてるんだ」


 ノアの評価は悪くはないようだ。確かに、有無を言わさず距離を詰めてくる強引さはあったけれど、スイに乱暴を働く様子はなかった。


「副団長、すみません」


 スイたちの会話の傍ら、沈黙のままに食事を進めていたロイドに、一人の団員が声をかけた。ロイドの皿の上は丁度空になっており、最後の一口を片づけるまで団員は待っていたようだ。


「何だ」

「ご報告が」

「この場で済むか」

「はい」


 ロイドは団員ともに、静かに席を立つと食堂の端へ移動した。しっかりとスイが視界に入る位置で、話を聞いている。


「……ノア様が綺麗なもの好きって言うなら、副団長はどうなんだ?」


 ロイドが離席したのをいいことに、キリヤが声をひそめて話し始めた。


「怖がられることもあるけど、何だかんだあの顔だろ?」

「美しさの種類が違うとか……まあ、色々あるんでしょう。副団長とあんまり反りが合わないところは、父親のラトエラ公と一緒かも」


 ユールは言葉を濁しながらも、キリヤに合わせて小声で囁いた。


「ラトエラ公といえば、昨日も厩番のダルクに絡んでたってよ」

「また?」


 ユールが呆れてため息を漏らす。


「副団長が間に入って、収めたみたいだけど。本当胸糞悪ぃ話だよな」


 二人の話によると、ノアの父ダヌートは非常に執念深いらしい。

 半年前、領主が預けた馬車馬に勝手に野菜くずを与えたとして、ティダモニアの厩番が激しくなじられたことがあった。

 ダルクという名の厩番は、この拠点に長く勤める厩務員だ。新顔の馬が慣れぬ場所に興奮していたため、宥めるためにほんの少し餌付けしたのだが、馬の血が汚されたとダヌートはきつく罵った。


 ロイドが言葉巧みに諫めその場はいなしたものの、ダヌートはダルクを見つけると、今でも執拗に厭味ったらしく雑言を吐く。

 昨日も、そんなダヌートとダルクの仲裁にロイドが入る羽目になったらしい。

 ロイドが途中で呼ばれていったのはそういうことだったのかと、スイは合点がいった。


「胸糞の悪い話といえば、もう一つ」


 思い出したように、ユールが指を一本立てる。


「この前ニコラの遺族が来て、副団長に詰め寄ってた。アンタのせいで息子が死んだって」


ああ、とキリヤが沈んだ声で相槌を打った。


「気が滅入るよな。ルッソに仲間を殺されて、悔しいのは副団長も同じなのにさ」

「何かあったの?」


 スイは思わず口を開いた。ルッソという名に、聞き覚えがあった。


「ひと月くらい前、ルッソって団員が、同室のニコラを殺して逃げたんだ」


 その日の夜、悲鳴に急いで部屋に駆けつけた団員が見たのは、部屋の窓から逃げるルッソと、胸を切りつけられ息絶えたニコラだった。

 ロイドに即刻報告があがり、ロイド指揮のもと少人数の追跡隊が編成され、夜を徹して裏切者の捜索が行われた。

 翌朝、捜索から戻ったロイドから通達があった。ルッソは死んだが、関係者を地下牢に収容した、と。


「その関係者って、とんでもなく厄介な奴だったんだろ?」

「そう。詳しいことは未だに知らされてないけど……地下牢に行ったキオ先生がおかしくなったとか。以降、誰も地下牢へ入るなってお達しが出て、よっぽど危険な人物なんだろうって噂されてた」


(……これって)


 身に覚えのある内容に、地上を出た直後の記憶がスイの中で駆け巡る。小屋でスイを襲った男、地下牢に捕えられた囚虜、正気を失くしたキオ。


「その囚虜は、5日前に死んだって。ずっと副団長とキオ先生が地下牢に詰めてたから、拷問にでもかけてたんじゃないかな」


(5日前?)


 部屋の外へ出ていい、とスイが言い渡されたのも五日前だ。

 ロイドはスイを地下牢から物置部屋へ移す際、こう言っていた。囚人の入れ替えは極秘事項だと。

 ユールたちの話と照らし合わせるならば、スイの後に何者かが地下牢へ収容され、その人物の死と同時にスイは解放された。


「ルッソにの横流しをそそのかしたって、最期に自白したみたい。でもそいつも結局雇われた下っ端で、黒幕までは掴めなかった。ニコラは、たまたまルッソの横領を知って、口封じに殺されたんだろうって。そりゃあ、身内殺しの責任を問われるのは、拠点長の副団長になっちゃうけど……」

「まさか、天下のティダモニアで絡みの事件なんてな。副団長が最近馬鹿みたいに忙しいのも、その後始末なんだろ? 昨日もラトエラ公にねちっこく詰められたんじゃねえの」


 ユールとキリヤが、離れた位置にいるロイドに身を案じる視線を向ける。

 ハッと気が付いたユールが、スイに向き直った。


「あっ……ごめんね物騒で。スイには関係のないことなのに」

「温室育ちには刺激的だったろ?」


 キリヤがけろりと笑う。スイは開けたままだった口を慌てて閉じ、平気そうに首を振った。何でもない素振りを繕いながらも、思考は忙しなく動く。

 スイには関係のないこと、ではない。地下牢にいた囚虜とは、スイ自身のことだ。少なくとも、最初の数日間においては。


(川沿いの小屋にいたのが、ルッソ?)


 ルッソはスイを見た時、「聞いていた奴と違う」と言った。「ここで落ち合って逃げる算段だった」と。

 スイと入れ替わりに地下牢へ収容された者が、ルッソが本当に待っていた人物なのだろう。どんな手を使ってか、ロイドはその人物を捕らえた。そしてルッソとの企てを明らかにし、結果としてスイの無実が証明された。


 頭がはち切れそうだった。しかし情報を整理しきるため、どうしてももう一つ知りたいことがあった。


「あの……ピュシスって、何?」


 過去に一度、その言葉を聞いたことがある。飲み水に混ぜるピュシスという液体に心当たりはないかと、地下牢を出た後ロイドに問われた。

 あれ以降、ピュシスの話題が出たことはない。スイにとってピュシスとは、地上に数多有る未知の一つにすぎず、さほど気に留めていなかった。

 久しぶりにその単語を耳にした。軽い気持ちで聞いたのだが、ユールとキリヤは信じられないと目を剥いた。


「いや、さすがにピュシス知らないはねえだろ。いくら箱入りでも」

「言葉が分からないだけで、知ってはいると思うよ。ピュシスっていうのは――」

「スイ、行くぞ」


 説明しようとユールが口を開くと同時に、ロイドがスイを呼んだ。団員との話を終えたらしい、ロイドは気付かぬうちに卓まで戻ってきていた。


「ロイド……」

「何だ。まだ食べ終わっていないのか」


 会話に集中していたスイの皿の上には、まだ魚が数切れ残っていた。待たせたくなくて、慌ててそれを口に押し込む。

 そして口に含んだまま立ち上がり、二人に「またね」と手を振った。

 スイはロイドに連れられ、食堂を出ていく。


 その場に残ったユールとキリヤは、しばしぽかんと呆けた後、お互いの目を見合わせた。


「……あいつ、副団長のこと、名前で呼んでんのか?」

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