21. ユールとキリヤ

 ティダモニアのクリダラ拠点には大きく三つの建物があり、東側の管理舎には、ロイドの部屋や客室、貴重品を保管する金庫室などがある。

 西側の三階建の宿舎は団員たちの居住空間だ。そして管理舎、宿舎に挟まれる形で、中央舎が渡り廊下で繋がっている。

 中央舎には共用の大浴場、医務室や書架など様々な設備が揃う。スイがいた地下牢もここにある。

 舎の南側には広い野外訓練場があり、団員たちは日夜ここで鍛錬に励む。敷地内には他にも、厩舎や倉庫、正門や裏門などがある。


 中央舎にある食堂は団員たちの憩う場でもあり、休憩中にここへ集う者は多い。

 一日に三度、朝、昼、夜に厨房が稼働し、決まった時刻の間だけ食事の提供がなされ、食べ盛りの十代や鍛錬で腹を空かせた男たちでごった返すのが日常だ。

 この時間を逃がせば、自力で食材を調理するか、街の酒場や飯処へ行かなければならない。


 入ってすぐの棚には、パンや殻付きの茹で卵、炙った燻製肉、蒸し野菜などを積んだ籠が並び、好きなものを好きなだけとっていける。

 それらとはまた別に三種の日替わり主菜が用意されており、厨房へ注文すればできたての温かい料理にありつける。


 朝、食堂は起床した団員と夜勤明けの団員が混ざり賑わっていた。

 そんな中スイは、肩を小さくして隅の席につき、茹で卵をつまんでいる。部屋を出て食事をとるのは、これが初めてだ。昨日太陽の下できたしたスイの不調が消えたのを確認し、ロイドが連れてきたのだ。


 スイは俯いて皿に視線を落とす。どことなく居心地が悪い。

 おそらく、いや間違いなく、食堂中の注目を集めている。きっと、例の遊学にやってきた貴族だと囁かれているに違いない。隣にロイドがいなければ、スイは耐えきれず机の下に潜り込んでいただろう。


 ロイドはと言えば、緊張で食欲どころではないスイと異なり、無言で手際良く皿の上の食材を片づけている。

 蒸し芋と茹で卵を一つずつ、腸詰の肉を一本、そしていくらかの野菜しか取らなかったスイの方は、ロイドの量の三分の一程度しかない。


 食材の並ぶ棚の前で、欲しい物を取れとロイドに言われ、躊躇いながら適当に選んだ。

 地底では、これほどたくさんの盛られた食べ物を見たことがない。村では一人が食べられる量も、食べる物も決まっていた。欲しいだけ、と言われても、食事を選んだ経験がないスイは困ってしまった。

 主菜も聞かれたが、周囲から刺さる視線から速やかに逃れたくてやめた。実際、これらの副菜だけでもスイにとっては充分だった。


 朝食を選び終わり、スイとロイドは人の少ないこの端の席へついた。と言っても、開けているから人々の視線を退けられたわけではない。

 他を遮断するように皿に集中していたスイは、脇まで忍び寄ってきた人影に気付かなかった。


「なあなあ」

「ひゃっ……!」


 スイは情けない声を上げて飛び上がった。跳ねた上体がよろけ、ロイドに肩がぶつかる。


「うわっ、そんな驚くなよ」


 いつの間にか、一人の少年がロイドとは反対隣に座っていた。派手に仰天したスイに、少年は目を丸くしている。

 癖のある赤毛があちこちに跳ね、くるくる動く瞳が印象的な溌剌とした顔立ちだった。まくりあげた袖から伸びる腕は成長期らしく健やかで、瑞々しい生命力に満ちている。


「キリヤ! どこに行ったのかと思ったら……!」


 少し離れたところから、少年によく似た赤毛の青年が大急ぎで駆け寄って来る。肩にかかる髪を後ろでゆるくまとめており、優しげな垂れ目が印象的だ。


「副団長、キリヤがすみません……」

「構わん」


 ロイドは静かに頷いただけだった。


「あんた、スイって言うんだろ。ずっと病気してたんだってな。こんなに白い人間初めて見た」


 固まったままのスイに構わず、少年はからっと笑う。軽薄だが、人懐っこそうな笑顔だった。


「キリヤ、まずは驚かせたことを謝罪して。それから名乗るのが先!」


 青年は口早にまくしたてながら、少年の首根っこを掴んだ。キリヤと呼ばれた少年が「痛え!」と喚いて暴れる。


「ごめんね、初めまして。俺はユール・シェミカ、歳は22。職位は班長だよ。よろしくね」

「新米班長だけどな」


 横やりを受け、ユールが涼しい顔でキリヤの背を叩く。再び叫びが上がるが、ユールは慣れているのか顔色一つ変えない。


「俺はキリヤ・シェミカ。キリヤ先輩って呼んでいいぞ」


 背をさすりながら、キリヤがスイにずいと迫る。


「キリヤはまだふた月前に来た見習いだし、来月の入団試験に受かるまでは団員ですらないじゃない」

「受かるに決まってんだからいいだろ!」


 無限にやり合う二人を、スイはあっけにとられて見ていた。

 穏やかなユールと活発なキリヤ、雰囲気は全く異なるのに、同じ赤毛のせいか両者は似ている気がした。


「キリヤは従弟なんだ」


 ユールが補足する。


(いとこって、僕とアルマと一緒?)


 アルマとスイの間に、彼らのような口喧嘩の応酬はなかったけれど。二人の間には確かに、家族の気安さがあった。

 地上へ出るまでスイは、新人種とは恐ろしい化け物とすら思っていた。

 しかしロイドやキオは、化け物ではなかった。目の前にいるユールとキリヤも、自分とそう変わりなく見える。


(そっか……新人種にも家族が、いるよね)


 当たり前で単純なことなのに、目の当たりにするまで思いつかなかった。

 誰もが遠巻きにする中、彼らはスイに歩み寄ってくれた。まじまじと二人を見ていると親近感が強まり、先ほどまでびくびくしていた気持ちがすうっと凪いでいく。


「見苦しいところを見せてごめんね。従弟だからって、俺が教育係にされちゃって。つい口うるさくしちゃうんだ」

「う、ううん、平気」

「ロイド副団長が昨日、立場を気にせずにって仰ってたから……友人みたいに話してるけど、もしも気に障るようならすぐに言ってね」


 貴族のおうちなんでしょ、とユールは眉を下げた。貴人と紹介されたスイを相手にどこまで慣れ慣れしく接したものか、計りかねているようだ。


「あの……そのままで大丈夫、だよ」


 スイが言うと、ユールは胸を撫でおろした。本当は地底人なのに、余計な気遣いをさせてしまったのが少し後ろめたい。


「貴族扱いしなくてもいいなら、年上には敬語を使うべきなんじゃねーの? ほら、俺を敬ってもいいぞ」


 調子に乗ったキリヤが、得意げに胸を張る。そのわざとらしさがまたおかしかった。


「スイは17だ」

「えっ!?」


 それまで横で黙っていたロイドが、おもむろに口を開いた。同時に、ユールとキリヤが大きな声をあげる。


「17歳!? てっきりキリヤより下かと……」

「15の俺より小せえ!」

「いや、背丈はそんなに変わらないんじゃ……」


 ロイドもキオも、スイの歳を知った時には半ば疑っていたらしい。新人種の目には自分はいくつに見えているのかと、スイは苦笑を漏らす。


「へえ……じゃあ敬語が必要なのはキリヤの方だね」


 己の言葉をユールにそのまま返され、キリヤがたじろぐ。


「……いや、冗談。なし、なし! な、スイもそれでいいだろ?」

「あの、僕も苦手だから、敬語……」


 縋ってくるキリヤに、スイも本心から同調する。まだいくらも覚えられていない敬語を強いられるのは辛かった。


「だから、えっと……ユールも許してくれる? 僕が敬語じゃなくても……」


 ユールは大きく頷いた。


「勿論。せっかく来てくれたんだから、やりたいようにしてよ。遅れたけど、ようこそティダモニアへ!」


 その後、ユールとキリヤはスイたちと同じ席で朝食を供にした。二人が来てからは、スイはするすると食事を食べきることができた。

 スイの皿を見たキリヤが、その量に「鳥の餌かよ」と言う。ユールがキリヤを叱る。キリヤが言い返す。ユールが言い返す。


 ロイドは必要以上に会話に参加することはなかったが、肩の力を抜いたスイの様子を、目を細め静かに見守っていた。

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