20. この蒼天

「初めてまともに日光に当たったからかなぁ」


 スイを部屋へ運び込むと、ロイドはすぐさま医務室のキオを呼びつけた。ベッドに寝かされたスイの脈をとりながら、キオが唸る。


「地底で似た症状の出た者はいなかったのか」

「聞いたことない……」


 ロイドの問いに、スイは首を横に振った。


「太陽を見ると目を悪くする、とは言うけどね。それでも、すぐに痛むもんじゃないいはず」


 キオはスイの瞳をよく観察したが、特に発見はなかったようだ。今は痛みも落ち着いている。


「あと気になるのはこれ。肌が赤い」


 キオがスイの手首を持ち上げる。袖のあるところを境に、露出していた部分が湯に浸かった時のように紅潮している。顔や首も同じだった。


「これが日焼け? 地上に出るみんなは、髪や肌の色が濃くなってた」

「冬の午前中、ほんの少し外に出てただけで日焼けはなかなか起きないよ、普通はね。これは可能性の話だけど……」


 キオは診断書にペンを走らせる。


「スイは、日光を受容する機能が弱いのかも」


 首を捻るスイとロイドにキオは続ける。


「人にも動物にも、ごく稀に生まれるんだよ。日光耐性が著しく低い個体が。そんな個体は決まって全身の色素が無い。スイみたいに」

「噂を耳にしたことはあるが……」


 実在するのか、とロイドは驚きを見せた。


「僕は昔、物好きの蒐集家に真っ白な蛇を見せてもらったことがあるよ。場所によっては、その白い突然変異種の内臓が万病の薬になるって迷信が今もある。人間でもお構いなしに、見つかり次第連れ去られるって……ああ、ごめんごめん、エアネスタとはうんと遠い小国の話だから!」


 不穏な話に顔を青くしたスイをキオは慌てて慰めたが、気休めにしかならなかった。


(僕は、みんなと違ったの?)


 確かに、村では一等肌が白かった。だがそれも個性の範囲で、地上に出れば色がつくだろうと言われていたのに。


「ま、何か様子が変わったらまた教えてよ。念のためしばらく直射日光は避けて」


 キオは検診を終えた。肌の炎症に効く塗り薬を置いて部屋を出ていく。入れ替わりに、キオの座っていた椅子にロイドが腰かける。


「……あの、ロイド……ごめん、案内してくれるって言ったのに……」

「構わん。いつでもできる」

「日の光が駄目だって……僕、外に出られないの?」

「日陰は安全かもしれん。方法を探せばいい」


 今のキオの話に理解が追いついていなくて、まだ実感が湧かない。皆と一緒でないことに、漠然とした寂しさがあった。

 太陽に弱いなんて、とんだ面倒な体だ。ひょっとすると、二度と青空を眺められないかもしれないのか。


「……空があんなにきれいだなんて、知らなかった」


 頭上一面を覆いつくす絶景を思い出し、スイは目を細める。


「空には雲があるって教わったけど、なかった」

「普段は多少あるが、今日は特別晴れていたな」

「そうなの? ロイドは雲見たことある?」

「ああ」

「青くない空はある? 夜の空は黒かった」

「日が昇る時は白み、沈む時は赤らむ。雲が多ければ灰色になり、時に雨や雪が降る」

「雨、雪……」


 あれだけ何もない空から水が降ってくるなんて不思議だ。小さな氷の粒が舞うなんて、雪こそ信じられない。村の長老が、大昔に一度だけ遭遇したと言っていた。


「見たいな」


 スイの胸が湧き立つ。


「色んな空が見たい。きっと全部きれいだよね」


 地上は怖いところだとずっと思っていた。けれど、青空を見た瞬間は全てが吹き飛んでいた。


「ね、ロイド。こっち」


 スイは寝たまま、ロイドに近付くよう言った。意図が分からずロイドは一瞬眉を寄せたが、仕方なくベッドの方へ上体を傾けた。

 間近でロイドと視線を目を合わせ、スイは頬を綻ばせる。


「空を見たくなったら、ロイドを見てもいい?」


 瞬きを返したロイドの頬を、スイは両手で包んだ。その瞳を、もっとよく眺めるために。


「本当に、すっごくきれいだった。ロイドの目と同じでびっくりした」


 親指で下瞼を少し押さえると、切れ長の目が開かれ、鮮やかな虹彩がよく見えた。

 思い返せば、小屋で出会ったあの時から、青空を知る前からこの色に惹かれていたと思う。

 ロイドが瞬きをするたび、青がきらきらと波打つようだった。


「……何も、空を見れなくなったと決まったわけじゃないだろう」

「えっと……でもほら、夜とか……空が青くない時に、青い空を見たくなったら」


 食い入るように見つめていたせいか、スイはいつの間にかロイドの顔を引き寄せていた。吐息が互いにかかるほど近い。


「お前の瞳も不思議な色をしている」


 ロイドが、吐息を吐くように呟いた。


「水面か、鏡か。こちらの全てを映し返し、見透かされている気に陥る」

「僕が?」


 村には、こんなごく薄い灰色の瞳を持つ者はいなかった。スイは、自分の瞳があまり好きではない。アルマの翠と比べれば味気なく、アルマとの能力の差を象徴していると感じていた。


「僕の目……変?」

「……いや」


 ロイドはスイの指を頬から優しく引きはがし、緩い力で握り込んだ。今度はロイドが、スイの瞳を凝視する。


「深層を暴かれそうで恐ろしいのに、ひどく逸らし難い。そのまま呑まれそうになる」

「……それって、いいこと?」

「ああ」


 スイの耳がほのかに赤くなる。


「嬉しい」


 アルマもスイの瞳を褒めたが、憧れの従兄の言葉は、自信を持てないスイの上辺をいつも滑り落ちていった。

 けれど、ロイドは家族ではない。だからこそ、今回は素直に心の中へ入れることができた。


 ふと、互いの鼻先がつきそうだと今更気が付く。同時に更にロイドの顔が近づき、唇同士が触れ合った。

 押しつけたのと同じくらい、ゆっくりと唇が離れていく。ぽかんとするスイを前に、ロイドはふた呼吸分ほど沈黙し、体を離した。


「今日はもう部屋にいろ。体調が回復していれば、明日の朝は食堂へ連れて行く」


 今の出来事は気のせいだったのかと思うほど、ロイドの振る舞いはいつも通りだった。


「う、うん」


 スイはぼんやりと相槌を返すしかなかった。

 ロイドがいなくなった後、スイは考えた。

 口づけは、村では親愛を表す手段の一つだった。アルマは日常的に唇を寄せてきたし、大人が子供によくしていた。

 ほんのり湿った唇を舌で舐める。


(地上では、別の意味があるのかな?)


 今度聞いてみよう、と思うものの、聞くのが怖い気もした。愛情表現ということにしていたくもある。ロイドが自分に好意を示す理由はないのだけれど。

 日焼けのせいかまだ顔が熱く、スイはキオが置いて行った薬を誤魔化すように肌へ塗りたくった。

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