17. 体液
「体調はすっかり問題ないね。明日からはもう少し歯ごたえばあるもの食べてもいいかも」
地下牢から出て、八日目の朝。
物置部屋の寝台に座ったスイの脈を測っていたキオが、問診の結果を紙に記していく。ロイドはその数歩後ろで、腕を組み立っていた。
キオは二、三日に一度、ロイド立ち合いの元こうしてスイを訪れる。人の傷や病について研究、治療に務める者を医者と呼ぶと教わった。
ひととおり診察を終え、キオがいつも通り瞳を輝かせ始める。
「ね、今日は食事について聞かせてよ。スイの村ではどんなもの食べてたの?」
キオは、会うたび天井知らずの好奇心を披露する。住居、習慣、経済――地底人の生活について、ロイドが止めるまで尽きぬ質問をスイにぶつける。
時にこちらが面食らう勢いで距離を詰めてくるため、スイも最初は身構えた。未知への執念的な関心のせいだとロイドに補足されてからは、あけすけな振るまいに間もなく慣れた。
「地上で獲った獣とか、木の実とか野草を……村で鶏を飼っていたから、卵と鶏肉はよく食べた。小さいけど、きのこや香草を育てる畑もあった。あとは大人が地上で鉱石を売って、買ってきたり……」
「不思議だなあ。地上が嫌だから地下に行ったのかと思いきや、まるっきり文明から断絶されてたわけでもないんだ。スイのご先祖は何で地底に潜ったんだろ」
「……それは、僕にも……」
迂闊な回答をしないよう、スイは細心の注意を払った。
ロイドとキオの反応を見るに、どうやら地上では本当に旧人種の存在は忘れ去られているらしい。
自身が新たな人種という自覚もなく、スイは異なる人種ではないか、と思い至る素振りもない。スイたち地底人が何を恐れていたのか、見当もつかないようだった。
このまま余計なことを言わなければ、何も疑われない筈だ。
「聞く限りじゃ、満足に栄養を摂れてたとは思えないけど。だから小柄なの? 村に太ってる人はいなかった?」
「太ってるって、動物や果物にしか使ったことない……太ってる人って、どういう人?」
「わあ……これは、脂の多い肉はしばらく食べさせない方がいいな。胃を壊しそう」
キオはスイの言葉一つで二つも三つも先を理解するのか、たまに話が嚙み合わない時がある。
「それにしても、血色が良くなったね。最初はうす汚くて青白くて、正直死人みたいって思ったけど。綺麗に洗って清潔になると……これは、ここから出した時ちょっと面倒が起こるかも」
神妙に見つめられ、スイは「え?」と聞き返した。
「僕、ここから出るの?」
「おい」
それまで黙っていたロイドが口を挟む。
「もういいだろう。今日の要求はなんだ」
明らかに強引に話を止めたロイドを振り返り、キオはばつ悪そうに肩を竦めた。
置いてけぼりで話が進むのはいつものことなので、スイもいちいち困惑しなくなった。
「今日もね、スイにお願いがあって」
キオがスイに向き直る。
「また何か採るの?」
体液を提供する。それがロイドとキオが求めた「協力」であり、この部屋で過ごす条件の一つだった。
新鮮で混入物がないものを確実に採取するため、スイはこれまで何度かロイドの手で体液を出してきた。
瓶へ小水を出せと命じられた時はさすがに一人にしてくれと頼んだが、許されなかった。緊張と羞恥に手こずりながら排泄をロイドに見られたことは、今でも思い出したくない。
血を採ると言われた時は不安が先走ったが、指先にちくりと針を刺すだけで済んだ。
他に、唾液や汗も差し出した。それらをどう使うのか、聞いても不明瞭な解答しか返ってこなかった。食い下がって深堀りできる立場ではないため、スイは疑問を宙に浮いたまま放っておいている。
今日は何を採るのだろうか。今度はあまり辛くないといいけれど。
「スイの精液をもらいたくて」
「せ、……何?」
キオの早口を、スイはうまく聞き取れなかった。
「だから、精液だよ」
「せいえきって?」
分からない言葉の意味を都度聞くのはいつも通りの筈なのだが、キオとロイドはなぜか時が止まったように真顔になってしまった。奇妙なものでも見たような、険しい目をスイに向ける。
「精液が分からない? 17歳だよね?」
「17歳なら知ってるの?」
「え? うーん、そう言われるとなぁ……」
キオは唸りながら腕を組んで、どうしたものかと足をゆすった。こんなにそわそわと落ち着かないキオは初めて見たかもしれない。
「……ま、あとはロイドが教えてくれるから。頑張って!」
キオは自分の荷物を手早くまとめて立ち上がった。去ろうとするキオを、ロイドが厳しい声で諫める。
「おい」
「いやあ、やりながら教えてあげて! こういうのはいくら口で説明しても、ね!」
キオは投げやりに明るく笑って、ロイドの静止をものともせずいなくなった。去り際に、採取用の小瓶をロイドに押しつける。
ロイドは手元の小瓶を睨み、難しい顔で何かを考えていた。少しの沈黙の後、口を開く。
「本当に精液を知らないのか」
「……うん」
ひょっとすると、新人種からしか出ない体液があるのだろうか。であれば困ったことになってしまう。
「男の性器を刺激すると出る。白く粘り気のある体液だ。心当たりはないのか?」
ぽかんと口をあけてロイドを見上げていたスイの顔が、みるみる赤くなった。
「意味は分かるようだな」
その反応に、ロイドはこれ以上の説明は不要と判断したのだろう。歩み寄って小瓶をスイに渡す。
「これに直接出せ。出したらすぐに蓋を閉めろ。あまり空気に触れさせるな」
「で、できない」
ふるふるとかぶりを振り、縋る目でロイドを見上げる。
「できない、とは」
「やったこと、ない」
「まさか。自慰の経験がないのか? 出したことはあるだろう」
当たり前のようにロイドは言うが、スイにとっては重大な問題だった。
「ある、けど、いつも起きたら出てた。怖くて、自分で触ったこと、ない」
14歳の時、スイは初めてそれを出した。朝起きたら下腹部がべっとり濡れていて、病気にかかったかと錯乱しアルマに相談した。
――おかしなことじゃない、体が大人になろうとしてる証拠だ。定期的にしておけば、寝ている間に汚すことはないよ。
その日の夜、スイはアルマに手ほどきされた。アルマの動きは控え目で、あくまで手本を示すだけの仕草だったけれど、スイはあっという間に昇り詰めてしまった。
性器が見たこともない形に変わって、謎の液体を垂らし、口からは勝手に変な声が出る。自分の体なのに制御が効かず、増幅し続ける大きな濁流に成す術なく呑まれる恐怖に、スイはすっかり怯えてしまった。
見かねたアルマが、詳しいことは成人してから教えようと決めたほど、スイはべそをかいて怖がっていた。
それ以降、スイは自分で触れることもなく、自然に任せていた。しなくとも死にはしないとアルマが言ったので、腰がずんと重くなった時は、気を散らして無理やり眠りについた。たまの朝不快な思いをする方が、頭が焼け着くあの感覚よりうんとましだった。
そうか、あれを精液というのか。現状を理解したスイの頭に血がのぼる。
「そういったことを、教わっていないのか」
「お、大きくなったらって……だから、まだ」
「……悪いが、免じることはできない。自力で出せないなら出させる。耐えろ」
「え、えっ、や」
絶望的な台詞にスイは反発の声をあげたが、大きな手に肩を掴まれてしまった。
その後スイは、逃げをうつ体を容易く抑えられ、苛烈な時間を過ごした。「怖い」と何度も泣き喚いてふり乱した。
その度に、大丈夫だと低く優しい声であやされた。同じ石鹸の匂いに包まれ、意外にも繊細な手つきで、だめになるところをさすられた。
目的を果たすとロイドはぐったりしたスイの衣服を整え、今日はもう休めと一人にしてくれた。
本当に散々な目に遭った。どこかに飛んでいってしまいそうだった。確かに恐ろしかったのだが、ロイドにきつく抱き締められた時の体温は心地よかった。
(僕、おかしくなっちゃったの?)
思い出し、腹の奥がずくりと動く。それ以上考えてはいけない気がして、スイは身を丸めて寝台に潜り込んだ。
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