16. 新しい部屋

 物置部屋に移り数日が過ぎた。この部屋は地下牢と違って温かく寝床は快適で、片足は鎖に繋がれているけれど手は自由に使えて不便しない。


 ロイドが運んでくる食事は、日に二度から三度に増えた。その中身も粥から一転、しっかり煮た葉物や豆、蒸かした芋、挽肉を使った薄味のスープなど、消化しやすい固形物に変わった。


 湯あみなど、生活上やむなく部屋を出る時は足枷が外された。その間ロイドはずっと付き添い、足枷をつけ直すまで終始監視する。


 ロイドは以前に増してスイの世話を焼いた。温情ではなく、面倒を増やさないために。

 スイの無知は、かえって手間を増やしていた。


 照明の火が消えた時は再点火の方法が分からず、暗闇の中じっと床の上で待っていたため、やってきたロイドを驚かせてしまった。

 鏡といえば村にあったくすんだ手鏡くらいしか知らないため、磨き抜かれた全身用の姿見に映った己にひっくり返り、水差しの瓶を盛大に倒した。

 見たことのない木の実が食事に出てきて、外殻を剥くものと知らずそのまま口に放り込んで割れた殻で舌を切った。


 見るに見かねたロイドは、あらゆることを聞かせた。物の名前や使い方、成り立ちや特性――スイがこれ以上騒ぎを起こさぬよう、ほんの四半刻の食事の時間を使い、こんこんと知識を与え続けた。


 マッチ、ガラス、ペン、ビスケット。

 膨大な量に目を回しながら、スイは一つずつ頭に入れていった。一度で覚えられなければ、ロイドは根気よく何日もかけた。


 ある日、自身の置かれた状況を少しでも把握しておきたくて、ここはどこなのかとスイは訪ねた。

 ここはエアネスタ王国のクリダラという街で、国内に点在する自警団組織ティダモニアの拠点の一つだという。

 200余名の団員がこの拠点に所属しており、ロイドは副団長という身分である。


 団員たちは宿舎の相部屋で生活しているが、拠点長のロイドだけは別棟である管理舎に個室を持つ。独立した浴室もついている。

 ロイドの居室は、掃除係でさえ許可がなければ入室を許されない。スイの存在を隠すのに最適の場所らしい。

 執務室に隣接した物置きを簡易的に整えたのが、この部屋だとロイドは言った。


 国とは、組織とは。ロイドの話す内容は複雑で、スイは半分も飲み込めなかった。けれど、今自分が立っている場所に名前があると知れただけで、少し安心できた。


「字は読み書きできるのか」


 また別の日、ロイドが唐突に聞いた。


「全部は読めない……いくつかと、あと数字なら」


 村では、地上へ出る男だけが字を習う。アルマに少しずつ教わってはいたが、学びきる前に村が襲撃された。

 スイが答えると、ロイドは部屋の隅にある棚から何かをとってきた。紙を束ねたそれを、本と言うらしい。

 開くと、紙一枚一枚がぎっしりと文字で埋まっていた。こう箱詰めにされると、記号の羅列にしか見えない。知っている文字をところどころ見かけたが、繋げて読むことはできなかった。

 翌日、ロイドが別の本を持ってきた。


「団員の一人が、不要になったと持ってきたものだ」


 それは昨日見た本とは大きく異なり、大きな絵があった。幼い子供向けの本だという。


「字は教える。まずこの本を読めるようになれ」

「……これ、くれるの?」

「ああ」


 本にはスイも知っている動物や果物から、全く見たことのない道具や景色まで載っている。横にはその絵の単語が大きく分かりやすく添えられていた。

 絵本は少々くたびれていたが、色鮮やかでどこをめくっても目を楽しませてくれた。

 夜はベッドに持ち込んで抱えるほど、スイはその絵本を一等大事にした。絵の美しさも気に入った理由ではあるが、ロイドから贈られたという事実が何より嬉しかった。


 しかし、ふとした時に地底の同胞たちを想い、罪悪感が頭をもたげる。

 気持ちの良い寝床、ぼうっとしていても用意される食事、清潔な衣服。

 自分だけ、ぬくぬくと生きながらえていていいのだろうか。仲間たちは痛くて苦しい目に遭って、泣き叫んで逝ったかもしれなのに。


(それでも、今の僕にできることなんて……)


 手の肉刺は、いつの間にかきれいに治っていた。村での生活は、今や靄の向こうにあるようで、はっきりと景色が思い出せない。忘れるなんて薄情だと、スイは毎日己を責めた。

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