15. 釈放 2
「――分かった。お前への容疑は、一旦保留とする。だが、まだ解放はできない。キオを狂わせた原因を突き止めるまで、当面の面倒は俺が見る。早く自由になりたければ、協力的な姿勢を見せることだ」
「きょ、協力? 何の?」
「調査だ。詳細は省く」
預かり知らぬうちに、スイの処遇は決定したらしい。これで話はひと段落したようで、ロイドは椅子から立ち上がった。
「まずは休めと言いたいところだが、先に洗え。湯は用意してある」
「そうそう、もう何日も汚れっぱなしだからね」
確かにスイは衣服こそ替えたものの、体はそのままだ。濡れ布で拭うだけだったのでまだ細かい土がついているし、乾燥した髪は乱れ方々に跳ねている。
逃げ出さぬようロイドに手首を掴まれて立ち上がる。案内されるがまま二つほど部屋を通り過ぎ、放り込まれたのは湯気で埋め尽くされた小部屋だった。
「浴室を使ったことはあるのか?」
「よくしつ」
「……ないんだな」
小部屋には、人が二人並んで横たわれそうな大きな堀があった。床から一段下がったそこには水が張られ、湯気はそこから発生している。
(これ、全部熱湯?)
蒸気のたちこめる小部屋は、湿度も温度も高くむんとする。熱湯の使い道を想像し、スイは震えあがった。
「この桶を使え。石鹸は分かるか? 着替えは外に――」
「……僕を茹でるの?」
説明していたロイドの動きがピタリと止まる。
「んっ、ふ……!」
後ろからついてきていたキオが吹き出した。
「キオ」
「ごめん、でも、くくっ……」
スイは絶望した。まだ生かされるとほっとしたのも束の間、まさかこんな残虐な方法で始末されるなんて。
「体を温めるだけだ。死にはしない」
そう言って手を堀の中に浸したロイドは、顔色一つ変えなかった。人を煮れるだけの熱湯ではないと分かり、スイからどっと力が抜ける。
「スイ、村ではどうやって体を洗ってたの?」
笑いを堪えながらキオが聞いた。
「手作りした石鹸で、水洗いしてた。みんな」
「湯を焚く習慣はなかったの?」
「薪は貴重だから……」
「洗髪料は使ったことある?」
「……えっと、」
スイのあやふやな返答にキオが肩を竦める。
「なんだか危なっかしいなあ。ロイドが洗ってあげたら?」
「なぜ俺が」
「スイのそばにいて安全なの、君しかいないし。一人にしたら溺れるかも。うっかり泡を食べちゃったりして」
ロイドは押し黙った。機嫌を悪くしたかと焦ったスイは一人でやると言いかけたが、ロイドが「服を脱げ」とため息交じりに命じる方が早かった。
村の水浴び場は共用であったし、人に裸を見せること自体にさほど抵抗はない。それに、眠っている間に服を替えたり手当てしたと言っていたからたじろぐのも今更だ。静かに見下ろすだけのロイドを前に、スイは諦めて衣服を脱いだ。
「地底人でも、体のつくりは一緒だね」
浴室の入口からキオが興味深そうな声をあげる。
ロイドはスイの脱いだものを隅へよけ、己の手足の裾をまくった。本当にスイを洗うつもりらしい。手桶で汲んだ湯を、スイに頭から勢いよく浴びせる。
「わ、わ!」
全身で湯をかぶった経験のないスイは、仰天してひっくり返りそうになった。
不快な熱さではないが、肌がぴりぴりと痺れる。ふらりと体勢を崩したスイの肩を、ロイドが掴んで支えた。
「動くな、足を滑らせる。そこに腰かけろ」
ロイドは堀の縁を指さした。大人しく座ったスイに、湯が次々とかけられる。ロイドの機嫌を損ねたくなくて、スイは大げさに反応しそうになるのをじっと我慢した。
スイの頭から爪先までたっぷりと濡らすと、次にロイドは固形の石鹸と小瓶を見せた。
「使っていたならば石鹸は知っているな。こっちには髪を洗う洗髪料が入っている。早めに覚えろ」
渡された石鹸は見たことがないほど綺麗に成形されており、柑橘系の爽やかな香りがした。少しさすっただけで泡立ちもよく、これ一つで村の石鹸の三つ分の泡が作れるだろう。
小瓶を傾けると、とろみのある液体が出てきた。水でゆすいだ後、指通りの良くなる油をつける程度にしか髪を洗ったことのないスイは、使用方法が分からない。
「これも石鹸とそう変わらん。水と混ぜて擦ると泡立つ。毛の中まで指を入れて、頭皮まで揉みこめ」
ロイドがスイのつむじに瓶の中身を垂らす。長い指が白金の髪をかき回すと、すぐに泡が生まれた。指圧の強さに頭部が右に左に揺らされ、スイは目が回りそうだった。
また頭から湯を浴びせられ、雑にすすがれる。体は自分で洗えと言われ、スイはぎこちない手つきで肌の上に泡を伸ばした。慣れぬ香料の匂いが充満して鼻が痛い。
「最後に肩まで湯に浸かれ。温まるまで出るな」
体中の泡を流し終わった後、ロイドが言った。堀の湯は仕上げ用らしい。
全身を湯どころか水にも浸したことがないスイにとって、かなりの挑戦だった。
爪先からそうっと湯に差し込む。水位が膝にきたあたりで、足の裏が底についた。思いのほか浅いことに少しばかりほっとして、スイはゆっくり湯に沈んでいった。
温められた指先まで血が巡り、固くなっていた節々が自然とほぐされる。湯の中は始めこそ息苦しかったものの、慣れればうっとりするほど心地良かった。
「気持ちいい……」
たまらず呟きが漏れる。
「長く居座ると、本当に茹で上がっちゃうけどね」
「えっ!?」
「そこで眠って死ぬ奴も稀にいる」
不穏な言葉に、スイは不意打ちを食らう。
確かにこの快適さは、うっかり眠ってしまってもおかしくないけれど。スイは急に恐ろしくなってきた。
「あの、長く、って、どれくらい?」
「体調や個人差による」
「お湯には毎日入るの?」
「湯を張る日の方が少ない。基本的には体を洗うのみで終わる」
揺れる水面を睨み、スイは唸った。こんなに居心地が良いのに死ぬ可能性があるとは、よくしつ、とはなんて危険な場所なのか。
「……僕がここに入る時は、ロイドもついてきてくれる?」
スイが聞くと、ただでさえ表情のないロイドの顔が固まった。キオが再び吹き出す。
ロイドがいれば、うっかり長居しても死んでしまう前に掬い出してくれるかと思ったのだが。
「……なんでもない」
ただの思いつきだったのだが、スイは急激に恥ずかしくなった。警戒し続けるのにも疲れ、つい油断してしまった。さすがに図々しかったかもしれない。
ふと、湯に浸かる良さをみんなに教えてあげたいと思った。そしてすぐ、もう村がない現実に行きつく。
こんなに気持ちがいいのに、共有できる人はいない。スイは水底の爪先を、ぼうっと見つめていた。
スイが口を噤めば、ロイドは何も言わない。口数の多いキオも、今は黙って見守っていた。
スイの顔が紅潮する頃、ロイドは堀から上がるよう命じた。
湯から上がると柔らかな厚手の布を渡され、水気をとるよう言われる。
用意された清潔な寝巻を身につけ、部屋に戻ると片足首に枷を嵌められた。鎖はベッドの足についている。この部屋ではこの枷が、スイの行動を制限する。
「また来る。まだ未明だ。まずは眠れ」
「またね、スイ」
ロイドとキオは、部屋の照明を落として出て行った。
寝台は、固い寝床でしか眠ったことのないスイを丸ごと優しく包み込む。
横になると、湯の温もりが残る全身が石のように重くなる。襲い来る睡魔に抗うことなく、スイは目を閉じた。
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