14. 釈放 1
ガシャン。扉の音に、食事の時間かとスイは飛び起きる。眠りすぎたかと焦るのも束の間、今回の足音が二人分であることに気付く。姿を見せたのは、ロイドとキオだった。
「わあ、本当に顔色がよくなったね! 熱も引いたって?」
目を丸くするスイに、キオは明るく手を振る。同じ人物とは思えないほど、前回の狂気的な振る舞いは落ち着いていた。思い出して竦んだスイの肩に、キオは慌てて首を振った。
「ごめんごめん! 怖いよね? でも様子を聞いて、そろそろ会っても良さそうかなって。ロイドの名前覚えてたんでしょ? 僕はキオ。僕も名前で呼んでくれていいよ」
ロイドとは対照的なキオの口数に、スイは圧倒される。つい縋る目線をロイドに向けた。
「こいつは医者のキオだ」
「いしゃ……」
知らない単語を、反射で復唱する。
「正直なところ、僕がまたおかしくなる可能性は否定できない。でも、最大限に注意するよ。何かあったらロイドが止めてくれるから」
調子のいいキオをロイドは渋い顔で流し見たが、断るとは言わなかった。
「スイに協力して欲しいことがあるんだ」
格子戸の施錠を解き、二人は中へ入ってきた。
スイを怯えさせないよう、ゆっくり手の拘束を外す。ずっと金属で擦られていた白い肌には、薄く痣ができていた。
「わあ、痛そう。後で薬を塗ろう。ごめんね、ベルトの手枷につけかえるね」
痣の部分を避け、キオが皮製の拘束帯をスイの両手首に巻く。今度の鎖の先は壁ではなく、ロイドの手中にあった。
鎖を引っ張られれば、スイは従うしかない。格子戸をくぐったスイに、すぐさまキオが大きな布をすっぽりとかぶせた。
「え、えっ?」
目の前が塞がれ、スイは狼狽えた。足がもつれてよろける。
「この地下牢には、別の者を収容する。お前には場所を移ってもらう」
布の向こうからロイドが言う。
「次の部屋は、ちゃんとベッドがあるよ。元は物置きだから、窓がなくて風通しは悪いけど。食事もそろそろ固形物を食べよう。パンは好き?」
知らない単語が次々と出てきて、話が入ってこない。足元に注意しながら歩くのでスイは精一杯だった。
「人の少ない早朝ではあるが、万が一何者かとすれ違っても顔を見られるな。声も出すな。囚人の入れ替えは極秘事項だ。お前は最初からここにいなかった。いいな?」
有無言わさぬ命令に必死に頷く。理由も経緯も不明のまま、スイは前後をロイドとキオに挟まれて進む。
ガシャンと鳴る扉をくぐる。無骨な岩の階段を上りきると、床が木の板に変わる。
歩み、曲がり、歩み、曲がる。
ここで二人に置き去りにされたらどうなるのだろう。心臓が痛いほど脈打ち、頭がくらくらし始めた頃、足が止まった。
「着いたよ」
キオが言うと同時に、スイを覆っていた布が取り払われる。開けた視界に眩まぬよう、スイは眉に力を入れた。
そこは今までとは全く異なる場所だった。
「ちかろう」の三倍の広さはあるだろう。壁は白く、天井と床は木の板張りだ。
室内を照らす蝋燭の火は大きい。細やかな作りの小物や家具が並ぶが、用途は分からない。温かく、明るい、丁寧で繊細な部屋だった。
後ろでキオが扉を閉める。唖然とするスイを、ロイドは部屋の奥まで連れていった。
「しばらくこの部屋にいてもらう。まずはそこのベッドへ座れ」
「ベッド?」
「……寝台のことだ」
ロイドは意味深に間を置いた後、そばにある大きな台を指した。なるほど、布がかぶさったこの家具は、寝台と言われれば寝台に見える。
「確かに、ちょっと変わった子だね」
キオがしみじみ呟いた。
(ベッド、ベッド……)
忘れないよう頭の中で繰り返す。藁の上で寝ていたスイにとっては、寝台に木の足がついているのが奇妙で仕方がなかった。
寝具は厚く柔らかく、腰をおろすと想像以上に沈み込んだ。思わず体勢を崩しかける。
スイが座ったのを見届けると、ロイドは手首を縛る皮帯を外した。数日ぶりに自由を得た両手は軽く、本来の可動域を取りもどした肘や肩の関節がぎこちなく軋んだ。
「――お前に聞きたいことは山ほどあるが」
ロイドは手近な椅子に腰かけ、スイに向き合った。キオは出入口の前で腕を組み、様子見している。緊張にスイの喉がごくりと鳴った。
「あの小屋で何をしていた」
低い声が一段と低くなり、青い瞳が細められる。小屋と聞き、鶏小屋を想像したスイは少し考え、一つ見当をつける。
「川のそばの……」
「そうだ。あの小屋に男がいただろう。何か話したか」
木でできた箱は、大きさに関わらず小屋と言うらしい。また一つ学んだ。
「な、なにも」
「揉み合っていたようだが、何があった」
「その……聞いてた奴と違う、って言ってた。首を絞められて、それで、えっと……」
その後すぐに気を失ったので、記憶は曖昧だ。しかし、あの男の凶暴さは脳裏に焼き付いている。戦慄が蘇り、スイは腿の上で頼りなく拳を握った。
「あの男は見も知らぬ人間だった、ということか?」
スイは頷く。
「では、お前はなぜあの小屋にいた」
スイは言葉に詰まった。
こう問われた時どう答えるか、ずっと考えていた。
嘘をつけるほど、スイに地上の知識はない。小手先であがいてもすぐに見抜かれる。
だから、言わない。嘘はつかないが隠す。絶滅した旧人種であると知られ、両親のような目に遭わないように。
「……逃げてきたんだ」
スイは村の話をした。48人の集団が地底に暮らしていたこと。地上へ出られるのは成人した男だけで、もう何百年も息をひそめて過ごしていたこと。
あの日何者かに村を襲われ、己だけが脱出し、助けを求めるうちあの小屋に行きついたこと。
ロイドとキオは、驚愕の面持ちでスイの話を聞いていた。
「……そんな集落が地下にあるなど、聞いたこともない。なぜそんな生活をする必要があった」
ロイドの反応は当然だ。スイとて、難なく信じてもらえるとは思っていない。
「地上は危ないからって、それだけ……生まれた時からそうだったから、詳しいことは……」
核心を突かれ言葉を濁す。怪しまれなかっただろうか。スイは固唾をのんだ。
ロイドは腕を組んで何事かを考え込み、疑惑を含んだ視線をキオに向けた。
「キオはどう思う」
「すごいね。よくできた御伽噺かなって思うけど、辻褄は合ってる。スイの肌も髪も白いのは、日に当たったことがないから? 物を知らないのも地底を出たことがないから?」
二人は、スイの話を信用するか迷っているようだ。祈る気持ちでスイは審判を待った。
「お前の村では、ピュシスを摂っていたか」
「ぴゅ……え?」
切り替わった質問に、あっけにとられる。
「飲み水に、何か液体を混ぜてはいなかったか」
「なかった、と思う……」
地底湖から引いた水は、そのまま生活に使っていた筈だ。頭をひねるスイに、キオも追撃する。
「君に飲ませていた水に、何か違和感はなかった? 味とか、体調とか」
ない、とスイが答えると、二人は顔を見合わせた。
どうして飲み水の話になったのかスイには見当もつかないが、二人には考えがあるようだった。
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