8. 襲撃

 アルマが怪我をして帰ってきた。頭から血を流して。

 仕事を終えて坑道から出てきたばかりのスイはそう聞かされ、大急ぎで家へ向かった。

 血相を変えて飛び込んできたスイに状況を説明してくれたのは、アルマを地上から担いできたグスタンだった。


「兎を深追いして崖で派手に踏み外したんだよ。低い崖だったから、足首の捻挫で済んだがな。尖った岩で額を切ったが、こっちも心配するほど深くない」

「もういいよ、何度も聞かせないで」


 アルマは居間で手当てを受けながら、自身の失態を言いふらされて渋い顔をしている。


「ちゃんと冷やして、大人しくしてれば治るって」


 息子の頭に清潔な布をあて、メイアが言った。見ると左足首にも、添木とともに同じ布が巻かれている。


「ま、これじゃしばらく仕事は無理だな。安静にしてろよ」


 グスタンが手短にその場をまとめると、アルマを看ていた大人たちは励ましの言葉をかけながら出て行った。

 アルマの傷は、ひと月もあれば回復するだろうと村長は言った。その間は養生に集中するべく、地上へ出ることは勿論、走ったり跳んだり、重い物を持つのも禁止だとのお達しだった。


「体が鈍って、違うところが悪化しそう。もう治ったって言っちゃおうかな」


 まだ数日しか経っていないのに、アルマは居間の天井を仰いで根を上げる。メイアは夕食当番で広場へ行っているため、大胆な冗談を咎める者はいない。

 向かいに座るスイは、苦笑しながらすり鉢の中で草を粉にしていた。アルマが気まぐれに覗き込む。


「スイが薬を作れるなんて知らなかった」

「ロン爺に教えてもらったんだ」


 男たちは毎日、地上から薬草を採ってきてくれていた。それをさっと炙って乾燥させ、細かく潰す。蜂蜜と、温めた植物油を加えてよく混ぜる。一晩置いて冷やし固めれば、怪我によく効く練り薬が完成するのだ。


「手は動くから、それくらい俺がやるのに」

「だあめ、これは僕の仕事。アルマは何でもできるんだから、僕のできることとらないで」


 スイは鉢を自分に引き寄せ、伸びてくるアルマの手から逃げた。ささやかな反抗に、アルマが声をあげて笑う。


「俺の面倒を見てる時のスイは楽しそうだな」

「……動けないアルマが珍しいだけだよ」


 スイは穴掘りの合間に、アルマの世話をこまごまと焼いていた。その甲斐甲斐しさは、母親であるメイア以上だった。

 こうして率先して薬を作ったり、広場までの階段を上り下りするのに肩を貸したり、伝言係を引き受けたり。自分の食事を減らしてアルマに多くよそったのが見つかった時は、さすがに叱られたけれど。


 一生追いつけないと思っていたアルマが、怪我を理由に自分を頼っている。スイはこの非日常的な時間が新鮮だった。

 老人のように扱うのには気が引けたけれど、アルマに少しだけ近づけたような、成長したような気になれた。


「スイの薬、よく効いてる。昨日の残りがそこにあるから、取ってくれる?」


 スイは一度作業を止めると、アルマが指す籠の中から、言われた通り薬の入った小皿を持ってきた。


「手を出して」


 アルマはスイの手をとると、指の付け根の肉刺を撫でた。皮が盛り上がり、がさがさと硬い触感を生んでいるそこに薬を塗りつける。


「い、いいよ、アルマ。僕も毎日塗ってるから」

「あれは保湿くらいしか効果がないだろ? いいから塗らせて」

「でも、アルマのものだし……」


 引き下がろうとする細い指を、アルマがぎゅっと握り込む。


「俺の薬だから、俺の好きに使っていいだろ」


 ついでとばかりに、アルマはスイの手のひらを揉む。


「こうして見ると、大きくなったな。もう成人だもんな。まだ小さいような気がしてたけど」


 自分の手と見比べて、アルマが呟く。塗りたての薬がとれないよう、愛おし気にスイの手の甲に頬を寄せた。


「もっともっと大きくなるんだろうな」 

「そ、んなの、……僕、まだ全然……」


 気恥ずかしさにスイは俯いた。

 大きくなった。変哲のない、当たり前の事実だけれど。

 アルマに言われると、どこか認められた気になれた。頭から爪先まで洗いあがった感覚がした。

 たった一言に喜んでしまっていると知られるのが癪で、スイは赤い顔のまま苦し紛れに話題を変えた。


「そ、そういえばグスタン、今日は来ないのかな」


 昨日まで毎日、今くらいの時間にグスタンは薬草を届けてくれていた。


「確かにもう夕食だし、とっくに帰ってる筈だけど……」


 今日は採れなかったのだろうか。そんな日もあるかもしれない、後で聞いてみよう。


 カン!と鐘の音が響いた。夕食を知らせる鐘だ。早速広場まで取りに行こうと立ち上がったスイの足が、すぐにぎくりと強張る。


――カン! カンカン! カンカンカンカン!


 あの鐘が、こんなにけたたましく激しく鳴らされたことがあっただろうか。


「なんだ!?」


 弾かれたようにアルマが立ち上がり、家を飛び出していった。

 捻った足がまだ治っていないのに、と的外れな心配が先に湧く自分が、スイは妙に不思議だった。アルマを追うように慌てて外へ出る。


 アルマは家の前で、最下層を睨みつけていた。真似してそちらに目を向ける。

 スイたちのいる最上階の棚地からは、中央広場がよく見える。

 慌て惑う人、逃げ走る人、泣き喚く子供たち。鐘の音は止んでいた。鐘楼から誰かが引きずり下ろされている。あちこちから、悲痛な叫びがあがっている。


 見覚えのない、胸や肩に銀色の板を貼り付けた人物が一人、二人……固まった頭では正確に数えられないくらいの数が、村の出入口である大門の方から、広場へ向かっている。逃げる村人を追いかけ、捕えた者を地に組み敷いている。


「な、なに、これ……」


 スイの喉から、絞りきった滓のような声が出た。整理が追いつかず竦むスイの腕を、アルマがわし掴んだ。


「アルマ!?」


 そのまま強い力で家の中へ引っ張られる。足首の不調を思わせぬほど、アルマの歩みは荒々しい。

 スイが引きずられた先はアルマの部屋だった。アルマはスイの腕を解放すると、寝台の藁を乱暴に払い落とした。


「アルマ、何してるの!? みんなが……!」


 突飛な行動に取り乱すスイに構うことなく、アルマは寝床の底に敷かれた木板を剥がす。らしくなく粗雑な所作にスイは怯えたが、その下に現れたものに目を剥いた。


「スイ、ここから外へ出るんだ」


 木板の下、岩の床があるはずのそこには、穴が空いていた。人一人が通れる直径で、深さは腰程度。よく見えないが、その先は直角に曲がって水平方向に続いているようだった。


「これは、」

「俺がこっそり掘ってた穴だ。地上へ繋がってる。時間がない。スイ、早く行って」


 何を言われているのか、スイは全く理解できなかった。肩を押してくるアルマの腕を振り払い、胸元に縋りつく。


「やだ、何言ってるの!? 助けに行かなきゃ!」

「スイ! 聞いて!」


 張られた声に、びくりと肩が跳ねる。アルマの鋭い眼光が、スイの口を閉じさせた。


「落ち着いて。あれは新人種だ。どうしてここが見つかったのか分からないけど、今は考えてる暇はない。上へ行った大人たちはまだ戻ってきていない。星の詠み方は教えたよな? この穴を出て、真北に進むと森がある。森に入ったら北東に進んで。少ししたら川が見つかる。今日はそこで漁をすると言っていた。助けを呼びに行って」


 アルマは口早にまくしたてながら、壁にかけていた深緑色の外套を手にとった。頭巾つきの、厚手で袖がないそれは、アルマが地上での防寒用にいつも纏っているものだ。しっかりとスイの肩にかけ、脱げてしまわないよう留め具をしめる。


「外は寒くて暗い。足元に気を付けて」

「い、いやだ、できない」


 スイは髪を振り乱して拒絶した。勝手に湧き出る涙が、視界のアルマの顔を滲ませる。


「できない! アルマは? アルマはどうするの?」


 懸命に足を踏ん張っても、アルマが押してくる力の方が強く、踵がじりじりと後退する。


「今、村に残ってる大人の男は俺だけだ。みんなを、母さんを……置いていけない」


 アルマはスイの顔を食い入るように見つめ、そして小さな体をかき抱いた。


「スイの足ならできる。きっとすぐに見つけられる。分かるな? 大人たちを呼びに行ってくれ」


 きつくきつく、呼吸できないほどの力でスイを抱きしめる。いつも優しいアルマが、こんな風に強引に触れてきたことはなかった。


「アル、」


 名を呼び終えるより先に、スイの体に衝撃が走った。

 アルマに胸をつき飛ばされ、悲鳴をあげる間もなく穴へ落ちる。

 穴の底へ尻から着地したスイは、岩の壁に後頭部を強く打った。背骨に響く痛みに、頭を抱えて身悶える。

 曇る意識は、しかし頭上で鳴るガタガタという不穏な音で引き戻された。アルマが木板を戻し、再び穴を塞ごうとしている。


「アルマ! だめ!」

「スイ、生きろ」


 室内からの逆光で、アルマの顔はよく見えなかった。板で遮られる穴の向こうに、アルマの姿が細く消えていく。永遠のように長い瞬間だった。


「大好きだよ」


 弱くか細い声が、穴の中に落とされる。真っ暗になった空間に、ドンと鈍く重い音が響く。そしてすぐに、足音が遠のいていった。


「……アルマ! アルマ!」


 痺れる手足を叩き起こし、スイは木板の天井に膝立ちですがりついた。全力で持ち上げようとしてもびくともしない。

 部屋に置いてあった石机を、アルマが重石に置いたのだろう。スイの華奢な膂力りょりょくでは動く気配すらなかった。


「いやだ! 僕も行く! 一緒にいる! アルマ!」


 スイが板を叩き、どれだけ悲痛な呼号を上げようとも、去っていった足音は戻らない。


「お願い! 出して! アルマぁ!」


 痛々しい号泣は穴の中で跳ね返るばかりで、どこへも、誰にも届かず闇の中で溶けていった。




 アルマは迷いのない足取りで家を出た。左足首がじくじく痛むけれど、知ったことか。

 招かれざる客たちは、棚地の中腹まで踏み荒らしていた。中央広場は既に抑えられたのだろう。


「あそこだ!」


 侵入者の一人がこちらを指し声を上げた。アルマは覚悟を決め、奴らの居る場所と反対側へ駆けた。

 諦めない。村の一員として、責務を果たす。時間を稼ぐ。たとえ一人でも。スイを生かすために。

 スイを逃がしたあの穴は、穴掘りの経験を活かして秘密裏に掘ったものだった。大門の先の出口とは離れた地上へ繋がっている。


 突然の襲撃。夕食の時間になっても帰らない男たち。彼らは既に、地上で捕らえられているのだろう。

 今日は西で猟をすると言っていた。北の森へ行っても会えはしない。けれど、それでいい。南には新人種の集落がある。近付かせたくない。


 森には水も食糧もある。食用の草や木の実、小動物の獲り方、火のおこし方。

 これまでスイに教えたことが、頭の中で渦を巻く。

 最低限の知識は与えられたはず。きっと大丈夫。ああ、けれどもっとたくさんのことを伝えておけばよかった。 


 スイを一人逃がしたのは、自己本位な我儘だ。危険な地上へ放り出せばどうなるか、アルマも頭では分かっている。自分たちと一緒に死ねる方が、スイにとっては幸せかもしれない。

 それでも、スイが生きる可能性を諦めきれなかった。


(スイ。生きて、生き続けて)


 不自由な足では、やはり限界は早く訪れる。逃げ回るアルマの背に、追手の腕がそこまで迫っていた。

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