6. 大転拠 3

 五日目、アルマの班は新たな居住地に到着した。長いようで短い旅だった。


「よくぞ無事で。皆大事ないか?」

「ああ、幸い大きな問題は起こらなかった」


 大人たちは待っていた第一班の面々と肩を組み、再会の喜びを分かち合う。

 次の地底空洞は、どこを見ても岩肌が荒く自然のままだ。前の住処が、長い年月をかけいかに整備されてきたのかを痛感する。


 大人たちは荷をほどき、敷布を広げ、食糧をまとめ、岩を削って平らな地面を広げ、休む間もなく作業を続ける。

 簡易的に作られた居住空間で、アルマは邪魔にならないよう過ごす。アルマより年嵩の子供たちは大人を手伝っていて、話し相手もいなかった。


(あと三日待てば、スイに会える)


 それだけを胸に、アルマは退屈をやり過ごした。


 翌日、第三班が全員無事に到着した。人手が増え、村作りが加速する。

 穴掘りは早速水脈探しにとりかかった。水場が見つかるまで、危険だがしばらく地上から水を運ぼうと大人が話していた。

 アルマはスイが来た時のために、砂遊び用の土を集めて暇を潰した。


 翌日、第四班が一人も欠けず合流した。アルマはもう土をこねるのに飽きて、早く明日が来るよう何度も念じた。


 翌日、大人しくしていなさいとメイアに注意されても、アルマはじっとしていられなかった。

 気が遠くなるほどの時間を待って、待って、その日、到着するはずの第五班は現れなかった。


「ねぇ母さん、スイは?」


 不気味なざわつきが広がる中、アルマは急かすようにメイアに聞いた。


「……スイは、遅れてるだけよ。もう少しだから」


 メイアは顔をくしゃりと歪め、アルマを引き寄せた。


「大丈夫、大丈夫よ。必ず会えるから」


 メイアの声は震えていた。アルマは真っ白な頭で、母の言葉を信じることにした。今はそれしか、縋れるものがなかった。

 大人たちは懇々と話し合い、明日までに第五班が来なければ捜索に出る、と結論を出した。


 翌日、編成された捜索隊が地上へ出た。皆祈るような気持ちで作業を続けた。半日後、悲痛な叫びが大空洞に響き渡った。


「来てくれ! 怪我人がいる!」


 一息で切迫が走り、大人たちが火を切ったように出口の方へ集まる。


「足がやられた!」

「残りの者は!」

「とにかく手当を!」


 寝床でうとうとしていたアルマは、騒ぎに目を覚ました。


「アデレたちが……!」


 喧噪の中で、その名は不思議なほど真っすぐにアルマの耳を刺した。起き抜けの頭が不気味に冴える。アルマは地を蹴り、群がる大人たちの中へ突っ込んでいった。


「スイ! スイは!?」


 大人の足の間をくぐり抜けたアルマの目にとびこんだのは、凄惨な光景だった。

 血濡れの男が何人も、捜索隊に担ぎ込まれて手当てを受けている。中には、ぐったりと横たわって呻く者も。第五班の班員たちだ。

 第五班は20人近くいたはずなのに、数は半分もいない。悪寒がアルマを襲った。


「アルマ! 戻ってなさい!」


 血生臭い現場を息子に見せたくないメイアが、地面にかじりつくアルマを引き剥がそうとする。

 動揺に暴れるアルマがメイアと揉み合いになっていると、少し離れたところにいた男がアルマを呼んだ。弾かれたようにそちらを向く。


「スイはここだ」


 血の滲む布を頭に巻いた彼の腕には、くたりとしな垂れる小さな体が抱かれていた。


「スイ!」


 アルマは無我夢中で駆け寄った。メイアもハッとして後を追う。

 彼はゆっくりとしゃがみこんで、スイの顔が見えるよう差し出してくれた。

 衣服は土汚れて髪は乱れ、泣きはらした顔が涙や汗で濡れている。目立った傷はなさそうだ。疲れ果てたのか、気絶したように眠っていた。


 生きている。アルマは気が抜けて膝から崩れ落ちた。

 寝息をたてる胸がいたいけに上下するのを前に、アルマはたがが外れたように泣いた。スイを起こさないよう嗚咽を殺そうとするせいで、喉の奥で不格好な音が鳴る。

 男からそっとスイを受け取ると、アルマは震える指先で柔らかな頬をさすった。スイの顔がぼやけてよく見えない。


「襲われた時、アデレが俺にスイを押し付けたんだ……」


 男は歯ぎしりをした。


「お、襲われたって、何があったの?」


 メイアが問う。他の村人たちも、緊迫した面持ちで聞き入っている。


「三日目の道中、森を抜けたところで新人種に見つかった。イオナが逃げ切れず捕まり、アデレが助けようとして……加勢した者たちも続々と捕えられた。とても歯が立たなかった。俺たちはアデレたちを、囮に……見捨てて、ここに辿り着いたんだ」


 男が無念を吐き捨てる。責め立てる者は一人もいない。全滅の回避は最優先であり、更に彼らは小さなスイを抱えていた。

 傷だらけの様子を見るに、新人種からの激しい追撃があったのだろう。逃げるしかなかったのは、誰の目にも明白だった。


「とにかく、お前たちだけでも無事でよかった。後は尾けられてはいないか?」

「ああ……三日目のことだし、十分に注意して迂回しながら来た。地図も無事だ。追ってきてはいないはず」


 ひとまず胸を撫でおろす。


「アデレたちを助けにいかねば」

「いや」


 興奮する男の声を、村長がすぐに制した。


「新人種に捕まったアデレたちが、生きている保証はない。無駄足の恐れがある。危険が増えるだけだ。これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない」

「だが!」

「ならん! 救助は許可できない! 残念だが……」


 大人たちの言い争いは、アルマの頭の上を素通りしていった。周囲の音が鈍く淀む。アルマは無心で、スイの顔につく土埃を撫で落としていた。

 アデレとイオナには、もう二度と会えない。大きな手で頭を撫でられることも、温かな腕で抱きしめられることもない。スイと二人だけの世界に浸りながら、幼いアルマは頭の片隅で理解した。



 ◆



「アデレもイオナも大好きだった」


 目を閉じれば、二人の姿が浮かぶ。5歳の時の記憶でも、アルマの中では鮮明なままだ。


 あの悲劇は、地上の恐ろしさを誰しもの胸に植え付けた。

 一日一日を、平穏無事に過ごせればいい。何も変わらなくていい。必要以上を望まず、慎ましやかに。人々を一層保守的にさせるのに、充分すぎる出来事であった。

 だからアルマたちは今日も、自由や抵抗や夢を捨て、地の下で息を殺して生きている。


 ふと、胸元で深い寝息が漏れた。見ると腕の中のスイは、眠りの世界へ旅立っていた。

 17歳になっても、変わらずいとけないスイに笑みが零れる。アルマは美しい石を宝箱へしまうように、スイの肩を掛布で包んだ。


 もう二度と、この手から離れたところでスイを泣かせたくない。苦しみや悲しみ、スイの心を曇らせるものは取り除き、ずっと笑顔でいさせてやりたい。

 愛情の裏に隠れる独占欲にアルマが自ら気付けるほど、この地底は広くはなかった。

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