4. 大転拠 1

「アルマ……」


 夜中に目が覚めたスイは、アルマの部屋を訪ねた。眠っているところを起こすのは躊躇われたけれど、スイは横になっているアルマの肩を控え気味に揺すった。

 ううんと唸り、アルマが目を覚ます。


「どうしたの、スイ」

「……一緒に寝ても、いい?」


 か細い声でスイが乞うと、アルマはすぐに体を寝台の端に寄せた。スイが懐に潜り込むと、二本の腕に包まれる。体温で温まった空間はとても心地良い。


「いつもの怖い夢?」

「うん……」


 スイはたまに悪夢を見る。寒くて暗い中を誰かに抱えられ、何かに追いかけられる。

 捕まる寸前で覚醒し、決まってびっしょり汗をかいていて、泣きたくなるほど恐ろしくて心細くなって、そしてアルマに頼るのがいつものことだった。


「父さんと母さんの話、して……」


 家族の匂いに安心したスイは、弱弱しくアルマにねだった。


「ああ、何度でも話すよ」


 あやすようにスイの背を撫でながら、アルマが語り出す。

 それは、スイがこれまでに繰り返し聞いた物語。

 15年前、村は別の地下空洞にあった。2歳まで過ごしたその場所の記憶は、スイの中に残っていない。だから昔話は、自分の起源を辿れるようで落ち着くのだ。


 ◆



「ほらアルマ、スイだ。お前の弟だよ」


 それはアルマにとって、運命の出会いだった。叔父の腕に抱かれた小さく柔らかな生き物。三歳のアルマにとって初めての、生後間もない命。

 アデレとイオナの間に、息子が生まれた。待望の新顔に村中が湧きたち、貴重な肉が振る舞われ何日も祝われた。


 アルマは、アデレとイオナが大好きだった。幼くして父を病で亡くしたアルマにとって、二人は第二の親と言っても過言ではなかった。

 母のメイアに叱られた時は、アデレたちの家に逃げ込むのがお決まりだった。アデレは膝の上に乗せて気晴らしに遊んでくれるし、イオナは優しく諭しながらも甘えさせてくれた。そして、母親との仲直りを手伝ってくれた。


 そうやって村の末っ子として過ごしていたアルマの日々は、スイの誕生によって極彩色に煌めきだした。

 アデレの腕の中で眠るスイ。先日生まれたばかりで、まだ顔が赤い。安心しきって寝息をたてる桃色の唇は、夢でも見ているのか時折ぱくぱくと動く。肌は少しでも角のあるものが当たれば簡単に破れてしまいそうなほど柔らかい。

 あえかな姿に、アルマは胸を打ち砕かれた。この生き物を絶対に守らなければいけないと、幼心に庇護欲が芽生えた。


 アルマは毎日のようにアデレの家に入り浸った。スイのどんな瞬間も見逃したくなくて、赤ん坊の寝床用に作られた藁籠にかじりついては、飽きもせず眺めていた。


「産後は絶対安静なのに、居座らないの!」


 メイアが迎えに来て、アルマを無理やり引きずって行く。


「いいのよ、可愛がってもらえて嬉しいもの」


 イオナが宥める。そんな光景が日常となった。

 スイの肥立ちは、健やかそのものだった。眠たげだった目はイオナの血を感じるほどぱっちりと開き、頬に影を落とす濃く長いまつ毛はアデレそっくりだ。髪の色はアルマとメイアに近い。

 薄かった眉毛が徐々に生え揃い、ぺしゃんこの鼻は遠慮がちにつんと立ち始める。ふかふかの手のひらに指先をもぐりこませると、儚い力で握り返してくる。スイのどこをとっても、アルマは胸が焼かれた。


 スイは一歳になろうとする頃、つかまり立ちを卒業して、自力で歩けるようになった。短い足でよちよち懸命に進む姿は、アルマをとことん魅了した。


「この子は足が速くなるかもしれないな」


 どうやら月齢の割に早く歩き出したようで、アデレは冗談めかして笑った。

 スイが二歳の誕生日を迎え、安定してあちこち動き回れるようになると、アルマはスイの行きたいように村の中を何周もした。

 力加減を知らない小さな指でギュッと手を握られると、アルマはたまらなく胸が浮ついた。スイと一緒であれば、代わり映えのしない景色も新鮮で飽きなかった。


「アルマぁ、おんぶ……」

「いいよ、ほら」


 疲れた時に出るスイの甘ったるい声が、アルマは大好きだった。しゃがんで背中を向けると、スイがのしかかってくる。

 スイはすぐに眠った。ぐったりと体重を預けられよろけることもあるが、アルマにとっては至福の時だった。

 高い体温が温かく気持ちいい。もう少し散歩してから帰ろう。そう思っていると、メイアがアルマを探しに来た。


「広場へ行こう。村長がみんなに話があるって」


 言われるまま連れられて行くと、広場には人が集っていた。


「姉さん、アルマ、来たか」


 アデレとイオナは既に来ていた。アルマの背中で眠るスイを、アデレがそっと抱き上げる。アデレはスイを起こさないよう頭を支えて、アルマに言い聞かせた。


「今から大事な話があるから、よく聞くんだぞ」

「大事な話?」


 アルマが聞き返すとほぼ同時に、村人たちの前に村長が立った。


「みんな揃ったな」


 唇を引き結んだ村長の表情は神妙だった。子供のアルマにも、ぴりっと緊張が走るほどに。


「間もなく、地底湖の水が枯渇する。まずはこの地底湖を発見し、これまでもたゆまず尽力してくれた穴掘りたちに感謝したい」


 小さなざわめきがさざ波のように広がる。


 この地下において、水の重要度は他の比ではなかった。飲み水を始め、洗濯や清掃、調理や傷病の治療など、生活のいたる場面で必要となる。

 しかし、その供給は容易くない。川や湖など、地上の水場は露出していて見つけやすいが、そのまま村へ運び込むのは現実的ではない。水路を引いたり、運搬のために頻繁な出入りをすれば、その分新人種に見つかる危険性が増す。


 結果、村の生活用水は地下水脈に依存していた。

 穴掘りの役割は村の資産となる鉱石を採掘することだが、それに加えて水脈の発見も枢要な仕事だった。穴掘りは地上へ出る男たちに次いで、村の存続のかかった責任を負っていると言えた。


 しかし地中の水の在処を読むのは、長年経験を積んだ穴掘りでもそう易々とできることではない。

 今使っている地底湖は40年前に発見されたものだ。以降、新たな水場は見つかっていない。それが枯渇するとはつまり、ここでの生活に終止符が打たれることを意味している。


「この大洞穴は幸運にも複数の水源に恵まれ、150年という長い平穏を我々にもたらしてくれた。しかし限界がやってきた。未発見の水脈も、もうこの辺りにはないと判断した。よって次の新月の夜、大転拠だいてんきょを決行する!」


 村長の力強い宣言に誰もが息をのんだ。意義を唱える者はいない。重い雰囲気の中、アルマは小声で母に尋ねた。


「母さん、しんげつって何? だいてんきょって……?」


 村長の言葉の意味は、半分も分からない。アルマは不穏に耐えきれず母に縋りついた。


「……アルマ、もうすぐこの村とはお別れってことよ」


 メイアはそっとアルマを抱きしめた。息子の前で平然を保とうとしているようだったが、動揺を隠しきれない震える声に、アルマはそれ以上何も聞けなくなった。

 代わりに、アデレがスイを抱いたまま答えてくれた。スイはまだ幸せそうに眠っている。


「違う場所へ引っ越すんだよ」

「引っ越す? それじゃあおれの家は? アデレの家は?」

「ああ、新しい家になるぞ。楽しみだな」


 アデレが口角を上げた。


(それって、たいへんなことだよね……?)


 緊迫をほぐすように、アデレは明るく言った。村長が言葉を続ける。


「先遣隊の長期調査により、ようやく転拠先の目途が立った。危険を承知で動いてくれた彼らに心からの礼を。当日に向け、皆準備を進めるように。詳細についてはまた追って伝える。以上だ」


 村長が厳めしく締めくくると、人々は半ば呆然と、不安定な足取りで散り散りに帰っていた。

 アルマたちも自宅へ戻る。息子の体温を確認するように、メイアは強い力で手を握った。張り詰めた顔の母を前に、アルマは聞き分けのいいフリをして、たくさんの疑問を吞み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る