3. 予習

 この村では男子が17歳になると、成人した男の一人が教育係となり、18歳になるまでの一年間、地上の知識や心得を教え込む。その慣例は、「予習」と呼ばれている。

 スイの教育係はアルマだ。血の繋がった歳の近い家族となれば、当然の人選だ。


 地上には空があり、山があり、方位や天候がある。何度聞いても、スイは上手く想像ができなかった。

 覚えることが溺れるほどあり、更に地上では恐ろしい新人種からも身を守らなくてはならない。

 行きたくない。スイの消極的な気持ちは、成人まで半年を切った今も拭えていない。

 けれど、大人の男たちは村のために毎日地上へ出る。自分だけは嫌だなどと言えるわけもない。情けなくて面目がなくて、スイは恐怖を押し殺すしかなかった。


「昼は太陽、夜は月が、空を横切っていく。太陽と違って月は毎日形が変わる。綺麗な丸の日もあれば、細い日、全くなくなる日もある。だいたい日が暮れる頃には帰るから、俺もいつも見るわけじゃないけど……」


 夕食後スイの部屋にやってきたアルマは、「予習」を始めた。

 浅い木箱に砂を入れ、指でなぞって図を描く。太陽と月の軌道を表しているらしいが、線と丸だけのアルマの図解はひどく簡素で、実物を知らないスイは理解が追いつかなかった。


「空って、天井がないんだよね? 月と太陽はずっと浮いてても、落ちてこないの?」

「すごく遠くに落ちてるようには見えるけど、次の日にはまた昇る。俺も最初は心配したけど、ずっとその繰り返しだから、気にならなくなったな」


 笑うアルマの目が細められる。その緑色の瞳は、ここで採れる鉱石の中で最も高価な石にそっくりだった。鮮やかで素敵だと皆が言う。スイはそんなアルマのとびきり美しい瞳が、好きであると同時に羨ましかった。


 村人たちの瞳の色は、菫や榛、茶、などいくつか種類はあるけれど、スイのように僅かに青みがかった薄い灰色はいない。これまで見たことがない色だと、年長の村人が言ったほどに珍しいらしい。

 そんなスイの瞳を、「透き通って綺麗だ」とアルマは言ってくれる。けれど、アルマの方がうんと綺麗だと思う。アルマと比べればこの瞳は、味気なく地味すぎる。

 何も成し遂げられない、薄っぺらな己を色が表している気がして、スイはあまり自分の目が好きではない。


 アルマはすごい穴掘りだった。穴掘りではなくなった今も、立派に大人の一員として働いている。


(それに比べて僕は)


 アルマの若草色と目を合わせていると、勝手に比較を始めてしまう。スイはふいと視線を泳がせて話題を変えた。


「たまに新人種のいる村? にも行くんだよね……近づいても大丈夫なの?」

「そうだな……大きい新人種に紛れやすいように、背の高いグスタンとか、よく日焼けしてるテオなんかが行ってくれてる。顔を覚えられないよう布で隠して、目立たないように。そのおかげか、危なかったって話は今のところ聞かないな。もし旧人種だと知られたらどうなるか分からないから、……いつも慎重だよ」


 最後にアルマが一息間をとった理由は、スイにも痛いほど分かった。

 もし、旧人種だと知られたら。きっと二度と会えなくなるだろう。スイの父と母のように。

 アルマは目を伏せたスイの頭を、そっと自分の胸元に引き寄せた。


「怖いよな」


 スイが不安な時、優しいアルマはいつもこうやって抱きしめてくれる。


「可愛いスイ。俺の宝物。何があっても、必ず守るから」


 啄むように唇を合わせられる。アルマは本当にスイが好きだなと皆が感心するほど、アルマはどこまでも愛情深い。

 そんな彼に、ちっぽけでつまらない劣等感を抱くなんて。スイは贖う気持ちで、慈しむように振ってくる口づけを受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る