エピローグ

 神主の顔から笑みが消える。

「はっ、アイツはもう、ここにはいない」

「そうですか。それがイザナギ、そなたの選択ですか」

 神主は、康仁がまどかを手放すことが意外だったようで、ふうん、と頷いた。

「霊はこの世界から消えた。九十九神も、アイツ――神の分霊も。となれば、そなたももう」

 その先は言わずともわかる。神主の姿が消えていく。 

 神主はあの世とこの世を結ぶ存在。その存在は九十九神、ひいてはまどかという存在によって成り立っていた。ならば、この霊が干渉する世界を終わらせなければ、康仁の呪いは完全には解けない。

「よいのですか。イザナギ。イザナミの罪は許されたとしても、イザナミと再び相見えることはない」

「承知のうえだ。俺は端からひとりだ。なにを今さら」

 強がりだ。

 本当はまどかを返したくなんかなかった。ずっと傍に置いて、もっと色んな話をしたり、色んな場所に赴いたり。

 そうやってふたりで人生を共に出来たら、そう考えたのは一度や二度ではない。

「分かりました。そなたの覚悟、しかと受け取りました」

 すうっと神主がなりを潜める。

 神主の正体がなんだったのか、康仁にはわからない。わからないのだが、これだけは言える。

 これで康仁の呪いは解かれた。世界から霊がいなくなった。それはすなわち。

「オマエの未来を、守れたのだろうか……」

 今ここで、康仁がすべての決着をけることで、康仁は未来を守りたかった。まどかが生きる、平和で平穏な、日常を。

 

 名もなき皇子の物語である。

 呪われた帝の第一皇子が、仲間とともに九十九神を封印する、ありきたりな御伽噺。

 その皇子は、九十九神封印とともに、歴史から名前を消した。

 一説によれば、出家したとか、安倍晴明に弟子入りしたとか、あやふやな情報しか残っていない。

 しかし、どの文献にも共通するのは、『名もなき皇子は長い長い生をまっとうした』ということだ。

「はぁ。朝……」

 梅雨が明け、夏が過ぎ、初秋、そして深まる秋。

 まどかは重い体を起こして身支度をする。

 あれから四ヶ月、まどかが分かったことといえは、九十九神の封印が成功したこと、康仁が天寿をまっとうしたらしいことくらいだ。

「だる……」

 もうずっとこうだ。

 やる気が出ない。どこかに魂を置いてきたかのように、毎日が味気ない。

「大体……」

 別れ際の康仁の言葉に、何度も何度も憤慨した。

 憤慨しながら、恋しくなる。

 今頃なにをしているだろうか。ちゃんと好き嫌いなく食べているだろうか。

 梅干しは、味噌は、どくだみ茶は。

 康仁と共に過ごした時間が、まどかの胸を締め付ける。


 現代に戻ったまどかは、意を決して職を変えた。別段、前の会社に不満があった訳ではない。だがまどかは、思い出してしまった。料理の楽しさを、誰かに食べてもらう幸せを。

 新しい会社はとある食品会社である。まどかはそこの開発部で、日々新しい商品を試作している。

 平安の時代での経験と、現代で得た知識、それらを生かすまどかの柔軟な発想は、社内でも高い評価を受けている。

 寂しさを紛らわせるには、忙しいくらいがちょうどいい。

 まどかは毎日、毎日。遅くまでレシピの考案と試作に明け暮れた。


 思えばあれは、神さまだったのかもしれない。

 まどかはそんなことを思った。あの神主のことである。

「本社から来た――」

 あの日々の写真はなにひとつ残っていない。まどかが未来に帰ってきてすぐに、データが破損し、消えたからだ。だからまどかは、九十九神をちゃんと封印出来たかあやふやであったし、そもそも康仁の顔も今では上手く思い出せない。

 転職したことも、そしてまどかが平安に呼ばれたことも、きっと偶然であり必然であったに違いない。

 巫女とはもしかすると、医学に通じた人間――ならば、医食同源という言葉の通り、まどかは巫女だったに違いない。まどかには確かな腕と情熱があった。食への飽くなき探究心、それがまどかを平安に呼んだのかも。

 今となってはわからないが。

 まどかはそんな事を思いながら、ぼうっとその人物を見た。

 こんな顔だったのか。

 あの日々の康仁は狩衣を纏っていた、だが今、目の前にいる彼らは、洋服を身に纏っている。

「本社の高上康仁(たかうえこうじ)だ」

「同じく、坂上利子(さかがみりこ)です」

「取締役の安倍晴明(あべはるあき)です」

 生まれ変わりだろうか。或いは他人の空似だろうか。

 バクバクと鳴り響く心音を抑えるすべを、まどかは知らない。

 本社の人々がひとりひとりとあいさつを交わす。

「……? なんだよ、ジロジロ見て、アンタ」

 高上がまどかの前まで来て、一番最初に言ったのはそんな、康仁らしい一言である。

 嬉しさと懐かしさで、ハラハラと涙が零れた。

 わかる。

 まどかには、わかる。

 高上は覚えていないだけで、このひとは康仁だ。

「なん……なんで泣く!?」

「すみません。すみません。なんでもないんです」

 生まれ変わって、幸せそうでなによりだった。

 平安の康仁がどうなったのかはわからない。だが、生まれ変わった康仁や晴明、黒雲は、とても幸せそうで。でも、やはりそこに、まどかはいない。それが悔しくもあり、嬉しかった。

「ともかく、頼む」

 差し出された手を控えめに握り返す。

 瞬間、ふたりの間にパチパチっと起こった『それ』は。

「……まどか……?」

「……皇子さま……」

 もしかすると、神さまが最後にふたりに掛けた、情けなのかもしれない。

 悠久の時を超えて、ふたりは再び出会った。

 康仁たちのなかに蘇ったあの日々の記憶とともに、まどかは今度こそ。

「会いたかったです」

「はっ。元気そうでなによりだ」

 今度こそは、離れまいと。ふたりで幸せになろうねと、笑うのだった。

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平安の料理番、時々巫女 空岡 @sai_shikimiya

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